男の子になっちゃった!
仁矢田美弥
第1話
一
「女の子やってるの、めんどくさい」
つい、タヌキさんの前でつぶやいてしまったのが運の尽き。
近所でも凶暴なことで有名な隣家の猫と、タヌキさんが取っ組み合っているのを家の裏手で夜中に見つけた。私は間に割り込んで威嚇する猫の突進を食い止めてあげた。
タヌキの恩返し。
そのあと夢に現れたタヌキさんが「親切なお嬢ちゃん、このサクランボを食べた分だけ願いが叶いますよ」と言ってきたとき、私は生理中で、夢の中でもむしゃくしゃしていた。
今思うと、タヌキはタヌキらしく、ちょっと小ずるい目つきをしていたのだった。
翌朝、私は異変に気づいて冷や汗が出た!
でもはじめは楽だと思った。だって、生理がないってことよね、ってすごい解放感だった。
そりゃ、私だって不安がなかったわけじゃない。私だってJKだし、一人前に好きな男子生徒もいる。
真崎くん。
一年の頃から憧れてたけど、今年は同じクラスになれて、チャンスと思ってた。だから、男になると、ちょっとまずい。しかも、いきなりこんなシーンにぶち当たるなんて。
昼休みのトイレ。なるべく人の使わない場所に行ったのに、まさかのバッティング。憧れの真崎くんがそこにいた。
逃げ出すわけにもいかなくて、はじっこに行く。いや、恥ずかしい。真崎くんのほうを見られない。
「ひっ」
思わず悲鳴。制服のズボンのファスナーを開けたら、――ない! 穴がない! う、後ろ前逆に履いてた、男物のパンツ!
「どしたん、薫」
私の名前は(女だったときから)、「薫」。男とも女ともとれる名前でよかったと思ったものだ。――と、それどころじゃない。
真崎くんは私を見て大笑い。思わず顔を向けた私は、見てしまった。
のぼせて顔が熱くなる。頭がふらつく。
脂汗を浮かべる私に向かって、彼は言った。
「個室使えばいいじゃん。俺、誰にも言わないよ」
真崎くん、やさしい、と思ったのも束の間。
噂はあっという間にクラスに広まっていた。
ショック。真崎くん、そういう人だったんだ。あろうことか女子たちまで私を見てくすくす笑い。私のあだ名はその日のうちに「水玉」。
つまり私は「男」になってしまったとき、こっそりスーパーのメンズコーナーでパンツを買った。でも、なるべくかわいいのが欲しくて、水玉模様を選んだのだ。
その夜から、私は熱を出して寝込むことになった。
熱にうなされながら、私はあのサクランボをお腹いっぱい食べてしまったことを心の底から後悔した。
小さくてかわいくて、つい口に含み、あまりの旨さに次から次と食べてしまった。
後悔に身をよじっていると、夢にまたあのタヌキさんが現れた。
「食い意地張ってるな。食べた分だけ長く男になったままだ」
朦朧としつつもぞっとした。
私は結局あのサクランボを全部食べてしまっていた。
「ひ、一粒で何日くらい男になってるの?」
かろうじて訊くが、返事はない。タヌキさんはいなくなっていた。
ごめんなさい、ほんの出来心で。許してください、タヌキさん。
そう思いながら泣きつづけていた。
母はすっかり困って、父に相談したらしい。
「薫、入っていいか」
「うん」
私は真崎くんの非道な行いを訴えた。けれど父はだんだん不満げな表情になっていく。
「俺はお前を、そんな軟弱な男に育てたおぼえはないぞ」
なくて当然です。一週間前までは女だったんですから。
両親は始めから私が男の子だったと信じている。両親だけじゃない。クラスのみんなも、先生も。
「水玉がなんだ。俺なんか、星模様のパンツでも堂々と履いていたぞ」
そういう妙な自慢話をしないでください。
父のお説教をやり過ごして、私はまた寝入った。
私の受難はまだまだ続く。
何と、水泳の時間。よほど風邪です、とか言って休もうと思っていたが、
「お前、休んでばっかじゃないか」
と体育教師に叱られた。
女の子だったとき、生理にかこつけてはさぼっていたという事実だけはしっかりと皆の記憶に残っている。
私はあれ以来用心して買っておいた、ただの無地のパンツをはいていく。
当然、皆水着に着替えるときは素っ裸になるんだよね?
でも今度は無地だから大丈夫、と思った私が甘かった。
「わー、薫のやつ、今度は無地のパンツはいてやんの」
「水玉ちゃん、恥ずかしがることないよー」
かえって注目を集め、はやし立てられる結果になってしまった。
ああ、死んでしまいたい。
変な話だけど、男子たちと一緒にプールに入るのが、混浴してるみたいで恥ずかしい。
しかたなくちゃぷんと思い切って水に入る。
「はい、位置について」
皆いっせいに泳ぎ始める。
私は実は泳げないけど、男子で泳げないって、女子にバカにされそう。
そう思って必死にもがく。
気がつくと私はプールの底に沈んでいた。
「おーい、水玉。大丈夫か?」
はっと気がつくと、何と真崎くんが私の顔をのぞき込んでいる。思い出した。真崎くんは水泳部だったんだ。
「真崎、助けたついでに保健室まで連れてってやれや」
若干保身気味の体育教師が呼びかける。
私は真崎くんに付き添われて保健室に行った。
保健室の女の先生は優しい。
「体調が悪いのに、あの体育教師、無理やりプールに入らせたんだって?」
「俺、あの教師、訴えますよ。酷すぎる」
真崎くんは本気で怒っている。嫌な奴だと思ってたけど、実はいいところもやっぱりあったんだ。私は頬が熱くなる。
「それにしても、真崎くんよく気がついてくれたわね。おかげで大事に至らずに済んだわ」
「だって、水玉……薫は真っ青な顔してたんですよ。体調悪そうだなって俺も思ってたから」
本当はみんなのアレを見て、胸が悪くなっていたとはいえない。
オクテの私には刺激が強すぎたんだ。
「しばらく休んでていいからね」
真崎くんが外に出て、保健室の先生が机に向かうと、私はふと、サクランボをいくつ食べたか思い出そうとした。でも、正確には覚えていない。少しだけ、こういうふうにもう少しだけ、真崎くんとつき合いたいな、という気持ちになっていた。
その日、真崎くんは私のことが心配だから家まで送って行くといってくれた。
「大丈夫だよ」
「でも」
そう言うのであえて強くは拒まず、おとなしく送ってもらうことにした。真崎くんの降りる駅は私の降りる駅より少し先。だから、真崎くんは途中下車して私を家まで送り届けてくれるという。
どきどきした。たとえ姿が男になっていても、心は女の子だったときのまま。
電車のなかで、真崎くんは空いた席を見つけて私を座らせてくれ、自分は私の前に立っていた。私は電車のなかでずっと真崎くんに見下ろされている。こんなシチュエーション、考えたこともなかった。電車のなかや電車を降りたときにたまに真崎くんを見かけるだけでどきどきしていた私なのに。まるで夢みたい。
電車を降りて歩きはじめる。私の家は駅から十五分くらいの住宅街にある。
途中で人気のない公園があった。
「お、タコの滑り台なんて、懐かしいな」
真崎くんが言うので、私たちは公園の中に入った。
「子どもの頃は遊んだよ」
笑いながら私が言うと、真崎くんは急に真面目な顔になって、なおかつその顔をずいっと私に近づけた。
えっ? 何々?
「薫、実はさ、俺、前から薫のこと、ずっと気になってて」
ええええ? それって。
「恥ずかしいし、びっくりすると思うけど、俺は薫が好きだ」
唖然としたが、それは真崎くんに対してというよりも、自分に対してだった。
え、ええー??
これって、ぶ、ぼ、ぼ……き?
いや! 恥ずかしい。私は自分の顔が真っ赤になっているのを感じて、かつ何とか股間を隠そうとした。
「薫」
「ま、真崎くん、わ、私も。でも、これって想定外」
タヌキさん、いい加減もとに戻して―。
あのタヌキさんの小ずるい目が遠い空に浮かぶ。
私は、どうしたらいいの!?
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