エピソード 1ー7
夕暮れになり、街道の近くに野営地を設置する。
夕食を済ませた後。
私は馬車の屋根の上に立ち、周囲の索敵をおこなっていた。
「風が……気持ちいいわね」
ホワイトブロンドのロングヘヤーとスカートが風になびいた。
ちなみに、この世界には特有の現象がある。
――紅雨。
本来の意味は春の花に降り注ぐ雨や、花びらが雨のように散るようすを称するものだけどこの世界で紅雨は、周囲のマナ濃度が上がると発生する特有の発光現象のことだ。
その紅雨が発生している。
赤い光を放つ蛍が無数に飛んでいるようなイメージだ。
とても幻想的な光景だけど、『紅雨の幻域』での紅雨はイベント開始の象徴だった。嫌な予感がする。そう思って首に掛けたアミュレットに手を掛ける。
そこにウィルフッドがやってきた。
「ウィルフッド、ちょうどいいところに来たわね。騎士達に周囲の調査をさせなさい」
「ちょうど命令をしたところです」
「さすが、優秀ね」
「お嬢様こそ――っ」
私を見上げたウィルフッドは顔をしかめた。
「リディアお嬢様、スカートでそのようなところに立つべきではないかと」
「安心なさい。角度には気を付けているわ」
「そもそも、戦場でスカートを穿く必要、ありますか?」
「最近の流行だそうよ。あと、文句はお母様に言ってちょうだい」
『紅雨の幻域』にはアルケイン・アミュレットという魔導具がある。
簡単に説明すると、使用者に帰属する装備アイテムだ。
強化すると性能がアップする、育成要素の一つ。普段は周囲に薄い膜を張り、その膜に強い衝撃を受けるとシールドが展開される魔導具である。
それゆえ、防具として急速に普及した。
ちなみに、旧式のアルケイン・アミュレットのシールドは性能が低く、以前は重くて動きにくい防具を併用する必要があった。
そのため、いまは戦場でのおしゃれが流行っているらしい。特にお母様の世代はその反動が強く、私を着せ替え人形にして楽しむ傾向がある。
「……時代の移り変わりを感じますな」
ウィルフッドは肩をすくめた。
出会った当時の彼は二十代後半だったけれど、いまでは三十代に突入している。端正な顔つきであることに変わりはないのだけれど、あれから渋みが増している。
その精悍な鎧姿は多くの令嬢を虜にするだろう。
「……そういえば、騎士団は鎧を装着しているのね」
「アルケイン・アミュレットのシールドにも限界はありますからな」
「騎士団は防御力重視なのね」
私はスピード重視だけど、そうじゃない場合は鎧を着けた方が有利。言われてみれば当たり前だけど、鎧のあるなしはゲームの見栄えが理由だと思ってた。
と、他愛もない話をしていると、騎士の一人が駆け寄ってきた。
「報告いたします。斥候にあたっていた者が、魔物に追われる馬車を見つけました」
「……馬車? どういう馬車かしら?」
「普通の乗合馬車です」
それを聞いた瞬間、後方へと身を投げ出した。背中から落下した私は空中でクルリと身を捻り、スカートを翻しながら地面へと降り立つ。
「救出に向かうわ。すぐに動ける者には出立の準備を」
「既に準備は出来ています」
ウィルフッドの有能さに感心しながら、騎士が連れてきた馬の背に飛び乗った。すぐに一団を率いて、乗合馬車を見かけたという現地へと向かう。
「ねぇウィルフッド、乗合馬車はどうしてこんな夜に走っていたのだと思う!?」
馬を並べて走らせながら、風の音に負けないように問い掛ける。
魔物が跋扈するこの世界で、夜に馬車を走らせるのは自殺行為だ。原作に登場する事故のシーンだって、日中に起きた出来事だった。
「おそらく、先日の襲撃を聞きつけた近隣の町の住民でしょう!」
「どういうこと!」
「あの町には出稼ぎの労働者も多く集まっています。被害状況を聞き、自分の家族を探しに向かった住民が一定数はいるはずです!」
「――っ。そう、そういうこと」
原作の襲撃では、アレン以外に生き残りはいなかった。
でも、現実では救援が間に合ったことで多くの人々が生き残った。その人々が近隣の町に報告したことで、状況を知った者達が慌てて駆けつけようとした。
その一つである乗合馬車がいま、目の前で襲われている。そして、馬車にはソフィアとフローラが同乗している――なんて可能性は限りなく低い。
でも、私は確信していた。
その乗合馬車に、ソフィアとその母親が乗っているのだと。
これが原作の強制力だ。なんて、もしかしたら壮絶な思い込みなのかもしれない。それでも放置はできないと、手綱を揺らして馬を加速させる。
ほどなくして、魔物の小規模な群れを発見した。報告と照らし合わせ、乗合馬車を追っていた魔物達だと推測し、騎士達に殲滅を命じる。
魔物は既に負傷していたり、そもそも武器を持っていなかったりした。どうやら、先日の町を襲撃した魔物の残党だったようだ。
敗残兵が騎士団に敵うはずもなく、魔物はすぐに殲滅された。
だが、近くに馬車は見えない。
「追われていた馬車を探しなさい!」
魔術の明かりを打ち上げ、周囲の捜索に当たらせる。
どうか、既に逃げ延びていますようにと祈りながら報告を待つ。
「川辺に横転した馬車があります!」
報告を耳に、血の気が引く思いで現場へと急行する。急勾配の斜面を降りた先、街道に並行して流れていた川の岸辺に馬車が横転していた。
「……嘘、よ」
脳裏に浮かんだのは、完全没入型VRで見せられた悲劇。あんな光景をまた見せられるのかと、思わず手で口元を覆った。
――違う、あのときと同じはずがない。
なにか、変わっているはずよ!
馬から飛び降り、街道から川へと続く斜面を駆け下りた。
「リディアお嬢様!」
騎士達が慌てるけれど私は止まらない。川の堤防は、魔物の進軍を遅らせるための防壁でもある。そんな急な斜面を転げるように駆け下りた。
川辺へとたどり着くなり、即座に光源となる光の魔法を打ち上げる。
そこには乗合馬車が横転していて、周囲には馬車から投げ出されたとおぼしき人々が倒れている。それは、ゲームの回想シーンで見たのと同じ光景だった。
馬車に駆け寄ると、中にはフローラに抱きしめられたソフィアがいた。
また、防げなかったの?
今度は一年もまえだ。なのに、ゲームの回想シーンと同じ光景が現実に再現されている。これを物語の強制力と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
私は悔しさに馬車の壁を殴りつけた。
「……誰か、いるの?」
私の立てた物音に答える弱々しい声。でもそれは、ソフィアの放ったものじゃなかった。ゲームでは聞くことが叶わなかった、ソフィアの母親の声だった。
「生存者がいるわ! すぐに治癒魔術師を連れてきなさい!」
治癒魔術師を呼びつけ、続けて二人の容態を確認する。
ソフィアは気を失っているだけだ。そしてフローラは骨折の痛みで意識がもうろうとなっているようだが、命に別状はなさそうだ。
私がそう判断した直後――
「外に倒れている者達も息がある、生きているぞ!」
周囲からそんな声が聞こえてくる。
……よかった。
私の行動は、無駄じゃなかったのね。
今回の一連の行動で、物語の強制力があるかもしれないと思った。いや、おそらく強制力はあるのだろう。そうじゃなければ、こんな偶然が何度も重なるとは思えない。
それでも、死ぬはずだった町の住人達を救った。回想シーンではたしかに亡くなったフローラを死なせずにすんだ。物語の強制力は打ち破ることが出来る。
それをかみしめていると、目の前でソフィアが目を開く。ぼんやりと周囲を見回していたその金色の瞳がゆっくりと私の方へと向けられた。
「……どう、なったの?」
「もう大丈夫よ。だから、いまは休みなさい」
ソフィアは穏やかな顔で目を閉じた。
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