第3部

1章

第1話 寝たふり


 ――神様のおわす、純白の都市。

 白い石造りの建物が並ぶ都に、今日も朝がやってくる。


「……」


 冷たく、少し湿った朝の空気の中。コノエは都の宿屋のベッドの上で目を覚ます。

 窓から僅かに入ってくる光があって、それにうっすらと瞼を上げ――。


 ――同時に、周囲の探知をする。


 少しだけ顔を出した太陽。聞こえてくる鳥の声。

 瘴気はなく、魔物はいない。悪意も邪悪も無い、穏やかな空気。ただ、日の出と共に人々が動き始めているのを感じる。


 ……そして、すぐ近くの金の少女の気配も。

 コノエより早くに目を覚ましていたのだろう。軽い足取りでパタパタと動き回っていた。


「……」


 異常はない。そう息を吐きつつ、コノエは体を起こす。

 軽く欠伸をしつつ、近くの窓から街を見る。早朝の通りは人が疎らに歩いていて、その様子をぼんやりと見て――。


 ――

 ――

 ――


「――コノエ様、テルネリカです。入ってもよろしいでしょうか」

「……ああ、どうぞ」


 少しして、今朝も少女が扉をノックする音が部屋に響く。

 返事をすると中に入ってきて、ベッドに近づいてきた。


 彼女はベッドサイドに替えの服を置いて、水差しの交換などをしてくれる。

 くるくると軽い足取りで部屋を歩き、いくつか朝の準備をする。コノエはそんなテルネリカの姿を、日の光を反射して輝く金髪を、またぼんやりと見つめていた。


 ……シルメニアからこの宿に来て二十日程度は経ったか。その間、開拓村に居た期間を除けば毎日のように繰り返してきた光景だ。


 いつの間にか慣れてきた朝のルーチンワーク。新しく出来た日常。

 胸の奥がくすぐったくなるような、そんな当たり前。


 この後はきっと着替えて、部屋を出て、顔を洗って、テルネリカと一緒に朝食を摂ることになるのだろうなと……


「……ところでコノエ様」

「……うん?」


 ……そう考えていると、ふと、くるりと少女が振り返る。

 その表情は……あれ? いつもとは違って悪戯っぽいような。


「先日話した件について、考えてくれましたか?」

「……先日?」

「私がコノエ様を起こしてみたい、と言った件です」


 ……起こしてみたい? とコノエは首を傾げ……ああ、そういえば。

 そんなこともあった、と思いだす。あれは開拓村に行く前の話だ。


『──今日も、コノエ様は私が来る前からお目覚めになっているのですね。私、それが少しだけ残念です』

『――私、たまには寝ているコノエ様を起こしたいです』


 あの日、テルネリカはそう言っていた。

 でもコノエにはよく分からなくて――そうだ、とりあえず、僕は人が近づいたら目を覚ますからそれは無理だと言った。そうしたら。


『――でしたら、寝たフリでもいいんですよ?』

『私は何度でも起こしに来ますから――コノエ様がそうしたいと思ったなら、してみて下さい』


 ――テルネリカは、楽しそうに頬を染めながら笑っていた。


(……してみたいと思ったら、寝たフリを、か)


 当時のコノエが首を傾げた提案だ。わざわざ寝たフリをして、その後起こすなんて訳が分からないと思った。

 そしてあれから三十日くらいは経って……今のコノエも、同じように思う。首を傾げることしか出来ない。


「コノエ様、どうでしょう……?」

「……」


 ――――でも、意味はないはずだけれど。

 テルネリカが、なんだかすごく期待の籠った目でコノエを見ていた。両手の指先を胸の前で組みながら、コノエをちらちらと見ている。


 してみたいなぁ、という言葉が聞こえてきそうな感じだった。コノエですら分かる感じの雰囲気だった。

 ……だから、コノエは少し悩んだ後、よく分からないままに。


「……その、君がそこまで言うのなら。一度やってみようか……?」

「……! はい! はい!!」


 まあ、別にそれほど大変なことではないし。

 テルネリカがそこまで望むのなら、良いのかなと思って。


「では早速、今からやりましょう!」

「……え? 今から?」

「はい! 今からです!」


 明日じゃなくて? なんて思っているうちに、テルネリカは手に持っていたものを全て近くの机の上に置く。

 そして、三十秒後にまた入ってきますね! と部屋から出て行って、扉が閉まった。


「……」


 コノエはその勢いに何度か瞬きをし……しかし三十秒と言われたので、とりあえず考えるのではなく横になり、目を瞑る。


「………………」


 一秒、また一秒と時間が過ぎる。

 視界が閉ざされた中、離れたところから時計の音が聞こえてくる。振り子が揺れて、秒針が時を刻む音。


「コノエ様、失礼いたします」

「……」


 きっちり三十秒後。ノックの後にテルネリカが部屋に入ってくる。

 そして横になるコノエを見て――わぁ、と喜んでいるような雰囲気。


 彼女の気配はススス、とベッドサイドまで近づいて来る。

 ほんの数十センチの所まで来る。そのままコノエを覗き込む。……花のような匂い。


「――コノエ様、朝ですよー」

「……」

「起きてくださーい」


 囁く。すぐ傍で、耳を擽るかのような声。

 名前を呼びながら、テルネリカは、そっと両手を伸ばして。


 コノエの肩に、指先が触れる。掌が触れる。

 そっと力が伝わってきて、体が小さく揺らされる。


「コノエ様ー……、えへ、コノエ様ー……」


 ふふふ、と。くすくす、と。

 楽しそうに、嬉しそうに、テルネリカはコノエを呼ぶ。呼びかける。ゆっくりと体が揺れる。一定の心地よいリズムがあった。


「……?」


 そして、そんなとき、ふと、コノエの鼻先を焼けた小麦粉の匂いがかすめる。

 パンの匂いだ。うっすらと卵とスープの匂いも。


 テルネリカが毎朝用意してくれている朝食の匂い。温かな気配があって、優しい空気があった。


「コノエ様、ふふ、コノエ様ー。朝ですよー」

「……ん」


 コノエは、ゆっくりと目を開ける。

 すぐ近くで青い瞳がコノエを見ている。流れる金髪が日を透かして輝いていた。


「――おはようございます、コノエ様」

「……ああ」


 今日もいい天気ですよ、と。頬を染め、目を細めて微笑む少女。

 その笑顔を至近距離から数秒見つめた後、コノエはゆっくりと口を開き。


「……なんというか」

「はい」

「……恥ずかしいよ」

「私はすっごく楽しいです!」


 少女から目を逸らし、横を向いてコノエは腕で己の顔を隠す。

 テルネリカは本当に楽しそうに相好を崩し、えへへと笑って……。


 ……そんな、朝のひと時があった。


 ◆


 ――開拓村の一件が終わって五日ほどが経った。

 色々とあった仕事も無事に終わり、コノエは都に戻ってきて、宿でテルネリカと二人過ごしている。


 一通り片付いて、まあ一段落着いた、と言える状況だ。

 犠牲者はなく、開拓村の復興も進んでいる。紆余曲折あったものの、村は大勢の人々で賑わっていて、数日前に最後に見たときも皆明るい顔をしていた。


 コノエとしても武装も進化したし、魔道具の強制起動など新しい技も使えるようになった。結果的に見れば順調だったと言えるのかもしれない。

 当初の予定だった金も稼げたし、しばらくは金銭的に悩むこともなさそうだし、と。


 ……しかし。


(……しかし、続けざまに災厄と戦うことになるとは)


 ただ、短期間に二度も災厄に襲われたことには、げんなりしていたりもする。


 シルメニアでの竜と、開拓村の茸で二連続だ。

 そもそも災厄級の魔物は世界的に見ても年に一体出れば多いくらいのはずだった。確かにそう教わったのに。


(……どんな巡りあわせだ?)


 教官にも運が悪すぎるでしょ!と指差して笑われた。普通はありえないと。

 こんな頻度で災厄と戦うなんて私もやったことないとかなんとか。それで、教官が経験したことないってかなりのレアケースですねと言ったら、今私のこと老人扱いした? いいえしてません、とそんな感じで。


(……とにかく、少し休みたいな)


 流石に気疲れしたので、休暇を取って……ついでに、前々から考えていた件を進められたらとコノエは思っていて――。


「――コノエ様、こちらの屋敷はどうでしょう?」


 ――なので、その日のコノエは朝の一件ねたふりの後も宿の部屋にいた。

 テルネリカと二人、屋敷のカタログを机に広げてああだこうだと言い合っている。


 話題は、広げたカタログで分かるように、以前から考えていた家について。

 いつまでも宿暮らしはどうかと思うし、そろそろ目星をつけておこうかと……。


「……いや、これは大きすぎるだろう」


 コノエは、テルネリカの指している屋敷を見ながら頬を掻く。

 そこにあるのは庭が付いた五階建ての石造りの建物――都は人口の割に敷地面積が狭いため、背の高い建物が多い――だった。


 部屋の数が十以上はあって、豪華な応接間のようなものもある。大きなキッチンに長い机が置かれた食堂にと、コノエのような一般庶民の出からすれば過剰としか言いようのない設備が揃っていた。


 正直、コノエからは管理が大変そう、という感想以外は出てこない。


「……もっと小さい家の方が――これとか」


 コノエが指し示したのは、比較的こじんまりとした三階建ての家だった。説明書きによると、家督を息子に譲った後の貴族の老夫婦が終の棲家にと建てたのだとか。


 ……まあ、それでも日本的な価値観から見れば十分に豪邸なのだけれど。


「でもコノエ様、この物件には庭が付いていませんので……」

「……別にいいのでは……?」

「その、庭が無いと、コノエ様が訓練するときに困るのでは? まさか玄関先で槍を振る訳にもいかないでしょうし」

「……あ」


 なるほど、そういえば、と。毎晩宿屋の馬車停留所で槍を振っているコノエは思う。

 確かにそう考えると庭が必要で……。


「……ああ、そうか、ならこっちは……」

「いいえ、そちらよりこちらの方が……」


 ……と、そんなことを二人で話し合う。

 真剣ではあるものの、しかし緊急性はなく、人の命がかかっているわけでもない、どこか力の抜けた時間。


 時折お茶を入れたり、クッキーを戸棚から出したり、たまに話が脱線したりしながら、二人は日が高く昇るまでそんな会話を続けて――。


 ◆


「――アデプト様、学舎より手紙が届いております」


 ――ノックの音とホテルマンの声が部屋に響く。

 コノエの元に、教官からの手紙が届いたのは、ちょうどそんなときだった。

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