第6話 教官の話
「……………………」
──コノエは、階段を下っていく。色々と考えながら。
つい昨日の記憶と、テルネリカの話。それらを脳裏に浮かべながら、一歩一歩足を下ろしていく。
「……」
そして、間もなく階段の一番下へ辿り着く。
幾度となく潜ってきた、地下第一訓練場の扉。そこにコノエは手を掛けて。
「……………………教官」
「……ん、コノエ、君か」
入ってすぐ。
扉の横の壁に背を預ける様に教官は膝を抱えていた。
◆
【……実はあなたに二つ、お願いがあるの】
それは、ほんの数分前。神様からの頼み事。
なんだろうと瞬きするコノエに、神様は。
【……できたら、下で膝を抱えているあの娘に、会ってあげて欲しい】
一つ目のお願いとして、そんな雰囲気で神様は目を伏せた。
◆
「……教官」
「……ふふふ、駄目だったよ。今回も駄目。何年経っても、何十年経っても」
教官は自嘲するように笑いながら、そう呟く。
いつもとは違う、力のない声。いつも強く、正しかった教官の弱々しい姿にコノエはここ数日で何度目かの衝撃を受けて。
……しかし、コノエはそれよりも疑問の方が強かった。
昨日の教官の姿を思い出す。見合いをするんだと、楽しそうに頬を染めていた。それなのに。
「……」
コノエは悩む。問いかけても良いものか。
失礼ではないか。間違っているのではないか。そう思い──。
【──下で膝を抱えているあの娘に、会ってあげて欲しい】
──しかし、それでも。
何も言わずに帰ったら、何のためにここに来たのかもわからない。だから。
「……教官は、いつも
◆
昨日の話。テルネリカとの会話。
毎年のことだと、祭りがあると金色の少女は言った。
『見合いというのは名目なんです。教官殿は、あの方はいつも学舎で任務に励んでおられますから。毎年一度、見合いだと言って元気な姿を我らに見せて下さっているんです』
テルネリカの瞳は輝いていた。
それは、紛れもなく英雄に憧れる瞳だ。救国にして最強。人界の守護者。魔王の、崩壊級の討伐者。もしかしたら、教官が居なければ既に人の世界は文字通り崩壊していたかもしれない。
誰もが感謝し、敬う英雄。そんな英雄が、年に一度民衆の前に顔を出す日があると。テルネリカは言った。
それが見合いの日。全身を着飾った英雄のお相手は、多くの場合、近年に頭角を現してきた新たなる英雄候補だと。
その若武者と教官は一時、共に街を歩き、食事をする。見合いをして話をして──そして、その時間はいつも教官からの言葉で終わる。
『まだ、足りないかな。基礎をおろそかにせず、限界まで体を鍛えると良いよ』
若武者に合ったアドバイスをして、英雄は立ち去る。
若武者は受けた薫陶を胸に、さらなる試練に挑み、躍進を遂げていく。
そんな祭りなのだと、昨晩のテルネリカは笑っていて――。
◆
「──教官」
──しかし、今の教官の姿は。そして昨日の姿は。
噂とは異なっているようにしか見えなかった。
「……今日の相手は、悪くはなかったよ。確かに強い子だった。おそらく万全の状態なら災害級ともいい勝負が出来ると思う。でも……」
「……」
「……でも、それはあくまでも万全の状態ならの話。
まあ、騎士ってのはそういうものだけどね、と教官は言う。
生命神の加護によって人の限界を越えられるアデプトとは違う。人の器から抜け出せない騎士は、装備や魔道具を使うことで初めて災害を超えた魔物と戦えるのだと。
「でも、それじゃあ駄目なんだよ。駄目なんだ。もっと素の状態で
「……教官」
悲しそうな声で、教官は呟く。もっと強くないとダメなんだと。
コノエはそんな教官に何と声をかければいいのか分からず……。
「……」
……しかし、そんな言葉に首を傾げる。
強くないと駄目というのは、一体? なぜ教官は結婚相手に強さを?
「……ふふふ、コノエ、君は今疑問に思っているね? 何故私が結婚相手に強さを求めるのかと」
「……はい」
「相手が強くないと嫌だなんて、脳に筋肉が詰まっているのかと」
「……いえ」
そんなことは思っていない。
というか、そんな冗談を言うなんて本当に凹んでいるんだなと思う。
……少しの沈黙があって。
「……事情があるんだ。聞いてくれるかな?」
そう、教官は口を開き──。
◆
それは、幼少期の教官の話。
今から何百年も昔の話だ。
教官がまだ、ただの才能に溢れた少女だった頃。
教官には一匹のペットがいたのだと言う。黒い毛の、可愛い犬。赤子の頃から共に育ってきた家族で、親友。
その犬といつも一緒に寝るくらいに仲が良かったと教官は言う。
いつも抱き合って眠って、朝一番最初におはようと言う。そんな家族だったと。
……しかし、それがある日教官が目を覚ましたら。
「血まみれだったんだ。気がついたら、死にかけてた」
幼い日の教官は混乱して、なんで、と叫んだと言う。
混乱して、パニックになって……でも、すぐに気付いたらしい。だって、他ならぬ教官の両腕にべったりと家族の血が──。
「──寝ぼけて、強化魔法使って、力加減間違えちゃった……」
「……それは、また」
「命は、助かったんだけどね。それ以来、あの子は二度と私の傍には来てくれなかったよ」
コノエは自分の頬が引きつるのを感じる。
その状況を想像して、同情して。
「……?」
――そして同時に疑問に思う。それは通常なら起こり得ないことだ。
そもそも、睡眠時や無意識下での身体強化のコントロールは魔法の訓練を初めれば一番最初に習うことだ。魔法は技術であり、その根底の所でシステム化されて事故が起きづらいようになっている。他ならぬ神様方がそう決めた。そういう技術を、人に伝えた。
だってそうじゃないと、寝ぼけたアデプトが本気で壁を殴りつけたら周囲一帯が吹き飛びかねない。強い力と安全対策は同時に行われるものだ。
……しかし、それでもそのような事故が起こったとするならば。
「当時はまだ、魔法を習ったことがなかったんだ。なんとなくで使ってて、しかも怒られると思って親には隠してた」
「……まさか、原始魔法ですか」
――原始的な、本能での魔法の行使。技術ではない、神の手を介さない魔法。
それは新たなる魔法の創造だ。固有魔法とはまた違う、ごく一部の天才だけが辿り着ける境地。凡人では一生を費やしても不可能だと以前コノエは習ったことがある。
……つまり教官の過去は、魔力のコントロールを習うより先に凡人の一生を越えてしまったが故に起きたことだった。
「そのことが、トラウマになってるんだ。結婚すると、どうしても
「……なる、ほど」
もちろん、今の教官が寝ぼけて人を殺すようなことはありえない。教官は魔力操作も超一流だ。
……けれど、それでも、と考えてしまうのがトラウマというものなんだろう。
「……?」
そして、そこでコノエはさらにもう一つ疑問に思う。
相手に強さを求めるのなら、何故、今回騎士を。
「……ふふふ、コノエ、君は今、強い相手じゃないと嫌だと言うのなら、アデプトから探せばいいのに、と思ったね? 騎士じゃなくて」
「……はい」
「まさかお前みたいな行き遅れ女が選り好みしているのかと」
「……いえ」
そうは思っていない。
「……ふん、そんなことを言いつつ、君だってわかってるくせに。意地悪な奴だよ」
「……?」
「まあこの話をすると、皆、最初は他人事みたいにそんな顔をするんだけどね」
教官は拗ねたような顔をする。
そして、視線を地面に落として、呟いた。
「アデプトにすればいいって……じゃあコノエ、君は私と結婚できるの?」
「……」
「私は、君を何度も半殺しにしたのに。何度も何度も痛めつけたのに。辛い訓練を強制して、苦しませて。私の手で血を吐いたことなんていくらでもあるでしょう?」
この国に、私が関わってないアデプトなんていない、と言う。
何度も痛めつけて、磨り潰して。泣いても蹴り飛ばした。逃げる背中を踏み潰した。全ては、人界を守るアデプトを増やすために。より強いアデプトに育て上げるために。
何百年も前から、それをやってきた。
この学舎で新しくアデプトになる者は皆、教官の手で幾度となく半殺しにされてきたのだと。
「それに、一昨日のメルミナみたいに、やらかしちゃった子への再教育も私の一存でやってるしね。皆、私のことを口うるさいババアとでも思ってるはずだよ」
「……いえ、それは」
「いいんだよ。慰めはいらない。それが私の仕事だ。……でも、そんな私と結婚してくれるアデプトなんていないさ」
はぁ、と教官はため息をつく。そして立ち上がった。
コノエに背を向けて、護衛に戻るよと呟いて、とぼとぼと歩き出す。
そんな教官にコノエは。
「……」
何も言えない。コノエはそんな教官に掛ける言葉を持たない。
ようやく意志を少し伝えられるようになっても、コノエはこういう時にかけるべき言葉を知らない。君は結婚できるのと問いかけられても現実感が全くない。
ただ、一つ思うことは。
(……教官は、いい人だと思う)
苦しみはあった、痛みもあった。何度も血を吐いた。それは間違いない。
しかし、それでも、教官の優しさもコノエは知っている。
……でも、コノエはそれをどう伝えればいいか分からなくて。
だから教官が階段を上っていくのを、ただ見ていた。
◆
「……………………」
結局、何もできないままにコノエは訓練場を出る。
ここに自分が来たことに意味はあったのだろうかと思いながら、教官のしばらく後に階段を上る。
そして、なんとなく神様のお願いを思い出す。
一つ目は教官に会いに行くことだった。そして二つ目は。
【メルミナのことを、少し気にかけてあげて欲しい。あの子はとても優しい子だから】
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これで第一章は終了です。
第二章は……出来れば二週間以内には頑張りたい。可能なら六月中(自分を追い込むための宣言
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