セッション1 異化
異世界には転生しなかった。
代わりに現実世界が異世界になった。
◇
西暦二〇XX年、邪神クトゥルフが降臨した。
クトゥルフとは何か。それは分からない。彼の神はあまりに突然に現れた。クトゥルフという呼び名でさえ、信者から聞きかじったから知っている程度だ。
そう、信者だ。邪神を冠するだけあり、クトゥルフには信者がいた。
彼らは太古より世界中に潜伏していた。そして、邪神降臨を機に人類に戦争を仕掛けた。
後に『対神大戦』と呼ばれる大規模な戦争だ。
当然、各国政府はそんな胡乱げな神や崇拝者達の存在など認める筈もなく、応戦するが、しかし事態はスムーズには進まなかった。信者達は魔術と呼ばれる、当時の人類には理解出来ない力を持っていたからである。未知の力を前に人類は敗戦を重ね、領地と権利、尊厳と自由、そして生命を奪われていった。
人類に斜陽の影が訪れていた。
だが、人類は信者達の想像よりも遥かにしぶとかった。敵が自分達よりも高い技術を持っているのならそれを学べば良いと、敵が自分達よりも強い武器を持っているのならそれを奪えば良いと、戦争の最中ずっと画策していた。そして遂に人類は魔術を会得し、信者達と対等となった。
それから、一〇〇〇年の月日が流れた。
西暦三〇XX年現在。極東から日本という国はなくなり、大小様々な国が入り乱れた戦国時代と化した。都道府県など最早ない。
日本以外の国がどうなったのかは不明だ。何しろ、海外から来た者が一人もいないのだ。海洋を挟んでの交流は一切途絶えた。情報がまるで入ってこないのだから何も分からない。この島国以外の全ての文明が滅亡した、と言われても否定出来ない状況なのだ。
妥協と諦観。対立と癒着。打算と狂気。
大戦が終戦したかも定かではない現在。
いつ崩れるとも知れぬ仮初の平穏の中。
人々は今日もどうにか命を繋げている――――
◇
「……っつーのが今の世界なんだよ。分かった?」
荷馬車の中、少女が僕に言う。額から二本の角を生やした鬼娘だ。
頷きを返したい所だが、首が動かない。否、首どころか全身が動かない。辛うじて動かせるのは舌と目だけだ。その目を動かしてどうにか自身を見れば、骨と皮だけになった肉体が見えた。
「お嬢。よくそんなのに話し掛けられますね」
同乗者が少女に声を投げる。山賊風の粗野な男だ。この馬車には数人の男が乗っているが、どいつもこいつも獣の毛皮を適当に繕った小汚い格好をしている。そして、全員が額に一本か二本、角を生やしていた。
お嬢と呼ばれた少女もそう身綺麗ではなかった。黒髪は腰の辺りでざんばらに切られ、肌は日に焼けるままに浅黒い。着流しの服は裾がボロボロだ。顔つきは結構いいのに勿体ない。
「だって面白いじゃんか。『喋るミイラ』なんてさ」
お嬢がそう言って笑う。
ミイラ。そう、今の僕はミイラになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます