第23話 抱き枕

「っ~~!」


 日曜日の夜、二十二時。明日の授業の予習を終えた俺は、ささやかな胃痛を覚えていた。


 理由は当然、平井ひらいのことだ。昨日の作戦会議である程度方針が定まったので、明日から平井なりに行動を起こすことだろう。


 それ自体は喜ばしいことだ。作戦会議の前は、話がまとまらず手遅れになってしまったらどうしようという不安があったから。


 しかし方針が定まったらそれはそれで不安になる。本当にこれでよかったのかとか、これで失敗してしまったらどうしようとか。


 平井の背中を押したのは俺だ。つまり平井が失恋したらそれは俺の責任ということになる。きっと平井はそんなこと思わないのだろうが、俺は絶対に自分を責めるだろう。


 予習していたときは内容に集中していたので忘れられていたが、手持無沙汰になった途端に途方もない不安が胸に押し寄せてくる。


 今俺にできることなどないというのに、不安や焦りが俺の胃にキリキリと痛みを与え続ける。


 俺、こんなにストレス耐性が低かったっけ? 優等生でいるときはもっと平気なハズなんだが。


 うーん、この感じだと寝つけそうにないな……。たしか薬箱に胃薬あったはず。


 部屋を出てリビングで胃薬を回収してからキッチンに移動して水と一緒に胃に流し込む。ただ家にあった胃薬は即効性のものではなかったので、少し待っても胃痛は収まる気配がなかった。


 薬が効いてくるまでなにか気を紛らわせることは……時間的にも勉強くらいかなあ。


 使ったコップを軽く水洗いしてから俺はキッチンを後にする。廊下に出たところで自室の隣の部屋のドアが開いた。


 だんだん見慣れてきた淡いブルーのパジャマに身を包んだ由夢ゆめが開いた隙間から顔を覗かせる。


「リビングのほう行ってたみたいだけど、どうしたの?」


「いやあ、ちょっと胃が痛くて胃薬を飲んだところ」


 そう言うと由夢は「ふぅん」と呟いてから部屋の電気を消してするりとドアの隙間から出てくる。


「じゃ、おにーさんの部屋で話聞いてあげる」


「……それじゃお言葉に甘えて」


 一瞬遠慮しようかとも考えたが、どうせ勉強で気を紛らわせるつもりだったので素直にうなずく。


 正直今日はもう充分勉強したし、由夢と駄弁るほうが気が紛れそうだ。


 由夢を部屋に招き電気を消してから向かい合ってベッドに寝転がる。


「すっかり一緒に寝ることに慣れたね、おにーさん」


「由夢が再三押しかけてくるからなあ」


 最初こそドギマギしたが、こうして一緒に寝るだけならもうなにも感じない。由夢がなにもしてこなければ、ではあるが。


 一応いたずらなどは警戒しているつもりなのだが、なんというか由夢の独特な雰囲気のせいかつい気が緩んでしまう。そして、それを見抜いたかのように由夢はからかってくるのだからたちが悪い。


「で、おにーさんはなにに悩んでるの?」


 由夢は自分の腕を枕にして、ほの暗い部屋で眠たげに見える瞳をまっすぐと向けてくる。


「悩んでるというか、漠然とした不安に押しつぶされそうというか」


「むしろ深刻じゃない?」


「そんな大袈裟なことじゃないよ。ただ平井の恋路が成功するかどうか、昨日出した結論が間違ってないかとか、そんな不安がずっと頭の中でグルグル回って胃痛を覚えてるだけだ」


「ふぅん、相変わらずおにーさんは不器用だね」


「んー、そうか?」


「そうでしょ。だって自分にできることがない友だちのことに、そこまで頭を悩ませるんだから」


「うーん、そうかもなあ」


 たしかに、客観的に見れば不器用極まりないかもしれない。


 由夢も言っているし自覚もあるが、現状平井のことで俺が直接できることはもうない。あってせいぜい引き続き機会を見て探りを入れたり情報を集めたりすることくらいか。


 ただこれまでの手応えを振り返るに、俺の立場ではこれ以上有力な情報は引き出せないだろう。


 そこまでわかっているにもかかわらず、それでも俺になにかできることはないかと考えてしまう。ここまで感情をコントロールできないのはたしかに不器用だ。


 ただ、この手の感情の割り切りに関してはできていたはずなので、どうして今回ここまで悩んでいるのかがわからない。


 そんな疑問をぽろっとこぼすと、由夢は「友だちだからでしょ」と呟いた。


「友だちだから、ほかの人よりも思い入れがあるからまだできることはないかって悩むし、失敗したらって不安になるんじゃないの」


「……なるほど」


 その考えはなかった。しかし改めて考えると合点はいく。


 なんせ平井の恋愛相談を引き受けたのは、友だちの力になりたいと俺が思ったからだ。友だちだから応援するなら、友だちだから心配になるというのは当然の流れだろう。


「なんか、由夢の言葉には助けられてばかりだなぁ」


 心からそう思いしみじみと呟く。薬が効いてきたのか、それとも由夢の言葉に胸が軽くなったからなのか、いつの間にか胃の痛みは治まっていた。


「そんな意図はなかったけど、まあ助けられたならよかったよ」


「ああ、ありがとう。これはまた何か恩返ししないとな」


「それじゃ、今夜は私の抱き枕になってもらおうかな」


 すっかり気が抜けたところで、まるでタイミングを見計らっていたかのように由夢がそんな要望を口にした。


 くっ、会話の流れ的に断りづらい……。


「……わかった。今日だけだぞ」


 少し悩んで、俺は渋々了承する。


 感謝しているのは事実だからな。ただ、俺だって学習する。次から恩返しの内容は由夢に指定される前に俺のほうで決めてやる。


 そんな決意を胸に、抱き枕を全うすべくおずおずと由夢との距離を詰める。すると由夢も体を少し浮かせ一気に近づいてきて、細い腕を俺の体に回す。


 今回はいつもと違い、由夢が俺の胸に顔をうずめるような姿勢になる。ふと、馴染みのないフローラルな香りが鼻孔をくすぐった。


 今日はラベンダーじゃないんだ。これはなんの香りなんだろうか。


「おにーさんって、やっぱり大きいね。抱き枕として及第点をあげる」


「べつに抱き枕になるつもりはないけど、及第点と言われるのはそれはそれで釈然としないな」


「じゃあ、私専用の名誉抱き枕に任命してあげる」


「謹んで辞退させていただくよ」


 そう答えると由夢は「恥ずかしがらなくてもいいのに」と俺の胸のなかで笑った。






==========

あとがき


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