ダウナー義妹とナイショでおやすみ ~頑張りすぎな優等生は、今日も義妹に癒される~
吉乃直
第1話 みんなにはナイショで
母親に心配をかけないようにするには、どうすればいいか。
その問いに対し幼心に導き出した答えは『優等生であること』だった。
成績が優秀で能力に欠陥がなければ将来を心配されることはない。他人に憎まれないよう立ち振る舞いに気をつけ、誰にとっても頼れる存在になれば反感を買うことはない。
優等生でいれば、女手ひとつで育ててくれている母親に心配をかけず、負担にならないで済む。であれば、それが俺――
◇ ◇ ◇
「あの、雅也くん……よければ私と付き合ってください!」
ほのかに夏の気配を感じるようになった六月の上旬。まっすぐで
声の主は、同じクラスで明るい茶髪がチャームポイントの女子。席が近いためなにかと接点が多い子だ。気配り上手でコミュ力が高い。当然、男子人気も高い。男子の反応を見るからに、クラス内では一、二を争うレベル。
こういう表現は好きではないが、わかりやすく例えるなら優良物件というやつだ。余程の事情がない限り、彼女の告白を断れる男子はまずいないだろう。
「ありがとう――でも、ごめん。気持ちは嬉しいけど、今は誰かと付き合うつもりはないんだ。その気持ちには応えられない」
しかし、残念ながら俺は余程の事情がある側だった。
俺は不器用な人間だ。物覚えだって良い方ではないし、本来みんなからの信頼を集めるような器ではない。だからこそ、優等生で在り続けるためには持てる時間をすべて賭けて磨かなければならないのだ。勉強も運動も、コミュニケーション能力も。優等生に求められるすべてを。
他人からの妬み嫉み、当人同士のすれ違い。交際にはそういった不穏の種がどうしても生まれてしまう。けれどそれらすべてを受け止め解消するような余裕は、今の俺にはない。
それに、告白されても自分の都合のことしか考えられない俺は、彼女に相応しくないだろう。
彼女は表情を曇らせ、しかし次の瞬間には笑顔を浮かべた。誰が見ても無理をしているとわかるような笑顔を。
「……そっか。ちゃんと答えてくれて、ありがとう。……その、これからも友だちでいてくれる?」
「それはもちろん」
チクリと胸が痛むのを呑み込みながらうなずいてみせると、彼女は「ありがとう」とだけ言い残し去っていった。
せめて、彼女の告白が打算や下心でまみれていたら心が痛まないのに。
そんなことを考えてしまう自分に嫌気が差して、俺は足早に校舎裏を後にした。
◇ ◇ ◇
十五分ほどの帰路を経て家に帰ってきた俺は、ドアの前で立ち止まる。ドアノブに手をかけゆっくりと回すと、案の定鍵は開いていた。
そんなに遅くなったつもりはないのだが、やはり今日も彼女のほうが先に帰宅していた。というか毎回俺よりも早い。用事とかないのだろうか。
そんなことを考えながら、ひと呼吸おいて気持ちを切り替える。
一ヶ月前、この家に新しい家族がやって来た。母さんの再婚相手と、その連れ子。
そのことに不満はないが……連れ子の存在が、少しばかり厄介に感じていた。
彼女は俺のひとつ下の高校一年生。つまり生活リズムが一致しているのだ。今のように帰宅する時間も一緒、朝家を出る時間もほぼ変わらない。
そのため、母さんと二人で暮らしていたころよりも優等生モードでいる時間が長くなっている。
やること自体は変わらないが、優等生らしい振る舞いをするのですら疲れるのだ。
……よし。
改めてスイッチを入れてから、俺はドアを開ける。
「あ、おかえり。やけに疲れた顔してるね、おにーさん」
ドアを開けてすぐ、抑揚のない声に出迎えられた。
見ると、だぼっとしたスウェットにショートパンツという姿をした少女が部屋から出てきたところだった。さっきまで寝ていたのか、長い黒髪がぼさついている。
彼女が母さんの再婚相手の連れ子である
覇気というか活力のようなものが一切感じられず、いつも気だるげにしている。だというのに、たまに視線に鋭さのようなものを感じる不思議な少女だ。
「ただいま。まぁいろいろあってね」
適当に返事をしながら、荷物を置くべく足早に自室へ向かう。愛想が悪いと思われるかもしれないが、彼女から指摘されたとおり今日は一段と疲弊しているので、あまり構える余力がないのだ。
しかしどういうわけだか由夢も部屋に入ってきた。
「えっと、なにか用?」
スクールバッグを勉強机に置き向き直して尋ねるが、由夢はただ黙って俺の顔を見上げ続けてくる。
これが、彼女を厄介に思うもうひとつの理由だったりする。
端的に言えばすごくマイペースなのだ。こちらから話題を振ったりアクションを起こしたりしてもあまりノッてこないが、今のように無言で見つめてきたり意図の読めない質問をしてきたりということが間々ある。
身の回りに似たようなタイプの人がいたことないので、どうコミュニケーションを取るのが正解かわかりづらい。
それに、彼女の視線はなんというか落ち着かない。
俺は立ち位置上、これまで様々な視線を向けられてきた。友好的な目や好奇の眼差し、あるいは品定めするような視線など。
しかし彼女の視線は、そのどれとも異なる。上手くは言えないが、見透かされているような気分になる。
「言葉がまとまらないとかなら、俺先に風呂掃除してくるから」
いい加減このよくわらない状況に居心地悪さを覚え部屋を出ようとすると、由夢が口を開く。
「毎日偉いね。今日は私が代わりにやろっか? すごい疲れてるみたいだし」
「ありがとう。でも大したことじゃないから気持ちだけ受け取っておくよ」
そう答えると、由夢は「ふぅん」と意味深な反応を示す。
彼女の意図が読めず困惑していると、由夢はおもむろに右手を伸ばしてきた。
「クマがずっと消えないくらい毎日遅くまで勉強してるのに、ほんと偉いね」
そして親指の腹で慎重に、優しく俺の下まぶたを撫でた。
「っ!?」
「あ、やっぱりBBクリームで隠してたんだ。便利だよね、私もたまに使ってる」
予想だにしていなかった言動に思考が停止する。
一緒に暮らしているから、そのうち遅くまで起きていることくらいはバレるだろうと思っていた。しかしこんな早く、しかも母さんにバレないよう徹底して隠していたクマまでバレるのは予想外だった。
まるで優等生の仮面に手をかけられたような、初めての感覚に感情の整理が追いつかない。
「私、寝つきが悪いんだよね。あと人の気配に少し敏感でさ、おにーさんが遅くまで起きてたことにはわりと早い段階で気づいてたの。朝が早いのもね」
まっすぐとこちらを見つめながら由夢は続ける。
「明らかにオーバーワークでしょ。そこまでして優等生でいたいの? ま、他人の生き方を否定するつもりはないけどさ、もう少し肩の力抜いたら?」
由夢は伏し目がちに「自分を守れるのは、自分だけなんだからさ」と呟く。
声に感情はこもっていないし、表情だって変わらないけど、彼女が心配してくれているのだろうということは、なんとなくわかる。
けれど、それはできない。
俺は、俺の出来がよくないことを知っている。毎日一時間復習した程度じゃテストの成績はよくならなかったし、一日二日練習したところで他の人の十分の一ほどしか身につかなかった。
そんな俺が少しでも手を抜いたら、あっという間に優等生でなくなることは想像に難くない。
そうなったら、母さんに心配をかけてしまう。負担になってしまう。だから俺は、優等生で在り続けないといけないんだ。
感情的になった心を落ち着かせるために深呼吸をして、彼女に向き直る。
「心配してくれてありがとう。心に留めておくよ」
顔に振れている由夢の手を優しく掴み退けてから、彼女の横を通りすぎる。
「……っほんと、おにーさんは不器用で頑固だね」
そんな呟き声が聞こえたかと思うと、次の瞬間腕を引っ張られた。予想外の出来事に踏ん張りも利かず、そのまま由夢を巻き込んでベッドに倒れ込んでしまう。
しかも最悪なことに、由夢の胸に顔をうずめるような形になってしまい、スウェット越しに柔らかい感触が伝わってくる。
「っ⁉ ご、ごめ――むぐっ」
慌てて顔を離すもなぜか逃がさないと言わんばかりに頭を押さえられ胸に抱かれる。
「優等生にだって、休みは必要なんだよ。どんな人でも、体力や精神に限界はあるんだから」
そう言って、由夢は慈しむような優しい手つきで頭を撫でてくる。
ふと、旅館か森林浴にでも来ているのかと錯覚させる、甘く優しい木の香りが鼻孔をくすぐった。
落ち着いていられる状況ではないはずなのに、なぜだかこの匂いを嗅いでいると気がほぐれてしまう。
今すぐ、離れないと……。
そう思っているのに、次第に体から力が抜けて意識がおぼろげになっていく。
「今は私以外いないからさ。みんなにナイショで、ゆっくりおやすみ」
意識が途切れる寸前、そんな少し温かみを感じる抑揚のない声が優しく耳朶に響いた。
==========
あとがき
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