第13話

 ジュンと萌香は次の日の夕方午後六時に、再び駅で合流をして、一緒にろりぃたいむへ移動することにした。

 勤務時間は午後七時三十分から午前四時である。その間、キャスト達はメイド同士でイチャイチャしたりして仲良し感を演じなくてはならない。だが、なにも、ろりぃたいむのメイド達が仲良しでないわけではないが、必要以上にスキンシップを取って、お嬢様ほか、特に男の客、ご主人様が和んだり喜んだりするような空間を作るのがメイド達の主な仕事の一部というわけだ。

 ジュンは意気込んで、萌香と一緒にろりぃたいむの入り口をくぐった。

「わー! ライチちゃんだーぁ! そ、それと……、なんかすっごい人もいるにゃぁー!」

 一番に気が付いたのはみかこで、両手を大きく振りながら明るい声で二人の前まで駆け寄ってきた。

 他のキャスト達もみかこの声を聞いて、店内に入った二人に気が付く。

「お、ライチちゃん復帰することにしたんだ、またよろしくね」

 素っ気ない口調だったが、リリアが萌香を歓迎する。

「この前は接客に忙しくて何も教えてあげられなかったよね、困らせてしまったようでごめんね」

 あおいが気を使いながら穏やかな口調で言う。

「まぁー、あの日はずっとうるさかったしねぇ、初日がアレは心が折れるのも仕方なかったと思うにゃ。うんうん」

「……今日からまた、よろしくお願いします」

 初日にお給仕のミスで途中で帰ってしまい、更に辞めるつもりでいた萌香は歓迎してくれる先輩達を見て、なんだか気まずさと共に罪悪感を覚えてしまった。

「うん、よろしくにゃ~」 

 みかこは両手をぐーっと伸ばし猫のように欠伸をして、満足そうに更衣室へ移動していった。

「ところで、この背の高いお人形さんのような方は一体?」

 百六十センチのあおいが百八十七センチの身体を見上げて聞く。

「面接に受かった子でしょ? なんかキイチさんが言ってた。確か……、メグリ、ちゃん、だっけ?」

 キイチとリリアがいつの間に話をしていたのかは謎だが、ジュンの事をリリアは既に知っていたようだ。

「メグリちゃん、かぁ。よろしくね、私はあおい」

 続いてリリアも「よろしく」とジュンに挨拶をする。

 ジュンは「よろしくですわ」と二人と握手を交わしていく。

「あのっ」

 萌香が突然口を開く。

「なにかな?」

 あおいが首を傾げて萌香に視線を移す。

「……ええと」

 と、言いかけたところで萌香は渋ってしまったのだ。

キレのある大胆なダンスと満面の笑顔。ひと際目立つエンターテイメントの提供をこなしていたその姿に魅了されて、初日にして憧れを抱いたのを萌香は思いだしてゆく。

そのプロフェッショナルメイド、そう、おんぷの姿を萌香はこっそり探してみたものの、やっぱりもうここにはいなかった。

不安感と恐怖が徐々に増していき、萌香はその時初めて事件の重大性を理解したのである。

「いえ、大丈夫です……」

 その場に二点五秒の沈黙が流れる。誰かは既に察していて、誰かはそれを敢えて口にすることはなく、誰かはもう既に彼女の存在をなかったことにしようとしている。

店の通常営業、ペースを保った経営を維持するには、互いが互いにこれ以上不安感を与えてはならないと、おんぷが誘拐された事実は暗黙の了解となり、おんぷの存在は忘れられたものとされようとしているのだ。

「……そう、それじゃーあと二十分で開店だからね。着替えはあそこの更衣室ね」

と、少し急かすように言い残して、あおいは準備に戻っていった。

「うにゃぁ~」

 丁度、みかこが更衣室から出てきたところだ。

「更衣室が空いたようだけど」

 既にフリルを身に纏い制服に着替えていたリリアが携帯電話を操作しながら流し目でジュンと萌香を見る。

「急いで着替えてきますわ」

 ジュンはそう言うと、萌香の腕を強引に引っ張り、早足であおいが指差した更衣室へ急いだ。

更衣室の鍵を閉め、二人きりになったところで、ジュンが小声で話しだした。

「本当にココのメイドカフェで誘拐事件が起きたのですか?」

 事件直後、二人は現場にいなかったので事実を疑ってしまうのは仕方がないことである。

「おんぷさんは確かに今日来てないですし、キイチさんの言っていた通り本当に誘拐されたんだと思いますけど……、でも……」

「でも?」

ジュンは首を傾げて聞くが、その眼は、「ほら言いたいことがあるんでしょう」と本音を促すような鋭い眼つきであった。

「他の方たちがおんぷさんの事を何も言わないのはどうしてなんでしょうね……。いなくなったんじゃなくて、そもそもいなかった、みたいな感じじゃないですか?でもですよ、私は初日におんぷさんを見ていましたから、存在しなかったという事はないんです。まだおんぷさん実物を見たことがないジュンさんはまだ事件以前に存在すら疑っているかもしれませんが、とてもきれいな人だったんです。私はその姿に魅了されたこともしっかり覚えているんですよ」

 誰もおんぷの件について触れることなく、尚且つ、平然としていることに萌香は違和感を覚えていたのだ。お給仕初日におんぷを見ていた萌香のその瞳は確かにウソとは言えずに、だからと言って他のメイド達の何もなかったかのような日常的会話や行動がウソと言う訳でもない。

萌香が憧れていたアキハバラを輝かせるメイドというものは事件一つ起きたところで、仲間の存在を皆でなかった事に出来るほど心無い人たちだったのかと思うと、萌香は悲しくなってしまった。

だが、それは少し違う。

 彼女らは自分たちの事を心無いなんて思ってはいないのだ。彼女らは柔軟な対応が出来ていると錯覚をしているだけなのだ。

「ココで誘拐事件が起きた事は萌香さんから聞いたことですし信じますわ。けれども残った他のメイドさんたちは、おそらくいつものように和気あいあいと開店の準備を進めていて、誘拐された例の彼女の事について一切触れないという事が少し引っ掛かりますわね。そこまでして店の経営を保ちたいのかしら、店の秩序を保ちたいのかしら、それ程までにこのろりぃたいむというメイドカフェに愛着を抱いているのかしら。お店にここまで従順に動くメイドなんて裏で権力を握る人に何かを握られているのか、なんて考えてしまいますわね」

 五回程頷きながらジュンが話すと、トントン、と更衣室のドアが鳴った。

「ちゃんと着替えられているかな?」

 あおいの声が扉越しに聞こえる。

「ええ、あと少しで着替え終わりますわ」

 ジュンは声を張って扉越しに伝える。

「この話はいったん置いておいて、準備を急ぎましょうか」

 保坂のマニア系コスプレショップで初のコスプレ体験をしてからジュンはコスプレというものにすっかりハマってしまった。なので、ジュンは内心メイド衣装を着て働くという事が楽しみで、好奇心を持っていた。

 張り切るジュンを目の前に萌香も気持ちを切り替えてメイドになりきることにし、メイド服に着替えた二人を混ぜて、ろりぃたいむは問題なく営業時刻を迎えたのである。

「萌香さん……、じゃなくて、ライチちゃん、ねえ、ドリンクなどのオーダーはどのようにするのですか?」

 営業開始から二時間弱過ぎた頃、萌香はジュンに質問をされ、ふと軽いデジャブを感じた。

 困った表情のジュンに萌香は以前リリアから教えてもらったことをそっくりそのまま話した。

「冷蔵庫の中にあるものを適当に注ぐだけでいいそうです。何を飲むんですか?」

 質問すると、ジュンはフフッと笑う。

「トマトジュースにしようかしら」

 その返しを聞いて、何を飲むかなんて聞かなければよかったと萌香は思う。

「やめてください」

「冗談ですわよ。そうね、無難にオレンジジュースにしておきましょうかしら」

 そう言い、ジュンが飲み物を取りに奥へいき、冷蔵庫からオレンジジュースパックを取り出して、グラスに半分ほど注いだ。

「ジュースよりアルコールの方が単価が高いんだからさ、せっかく飲めるなら飲んだ方がいいのに」

 リリアがやってきてオレンジジュースのパックを持ったジュンに言う。

「もう少し仕事に慣れてからにしようかと思ってますのよ。リリアさんは飲める年齢でいて?」

 ジュンの質問にリリアは歯切れ悪く返す。

「いや、私は十八だけど、アキバはそんなこと気にしてないよ。メグリちゃんは確か飲めるんだよね。飲んだらいいのに、勿体ない」

 ジュンはそれでも勤務中にアルコールを飲もうとは思っていなかった。

 リリアがジュンの持っていたオレンジジュースのパックを奪い、ジュンと同じくグラスにオレンジジュースを注ぐ。そして、そのグラスにカシスのリキュール瓶を継ぎ足した。

「いる?」

 と、一言リリアが言う。

「いいえ、遠慮しますわ」

 と、ジュンはグラスを片手に表へ戻っていった。

 時計の針が四時を示す。ジュンはメイドとしてメグリを演じきった。今回は萌香もリタイアすることなくお給仕をやりきることが出来て、新人の二人は先輩メイド達に大げさに褒められた。

 元気を持て余したみかこがジュンと萌香を改めて歓迎しようと、打ち上げに誘う。

メイドをやりきる事が出来て先輩メイドにもてはやされて浮ついていた萌香は打ち上げにもぜひ参加したいと思ったのだが、ジュンがきっぱりと断りを入れていたので仕方なく自分も遠慮しておくことにした。

 ジュンと萌香は帰りの支度を進めていった。

「どうして断ったりしたんですか?」

 更衣室の中メイド服を脱ぎながら萌香が訊くと、ジュンは少しきつく話し始めた。

「ココが異常という事がよくわかりましたわ」

「異常?」

「萌香さんは思わなかったのですか?未成年がアルコールを飲んでも何も言われない環境、学生を早朝まで勤務させていること、無法地帯もいいところですわ」

 メイド服をハンガーに掛けて、ジュンは急ぐように着替えをしていく。

「確かに……、でも皆いい人でしたよね。やっぱり打ち上げに参加した方がよかったかなぁ」

 この前までメイドをやめようと思っていた萌香だが、今はメイド業を肯定している。

 流し目でジュンが忠告をする。

「あまり、ココを信用しない方がいいかと思いますわ。萌香さんは物事を良い方に捉えて信じやすい傾向がありますのでね」

 ジュンに言われて萌香はふと不満顔を見せた。

「萌香さん、さっさと着替えて帰ることをお勧めしますわ。さて、私は先に帰ることとしましょうか、ではお疲れ様」

 ジュンが一人で更衣室を出て颯爽とろりぃたいむを出て行った。

 残された萌香はまだ打ち上げに参加しようか、と考えながらだらだらと着替えをして、着替えが終わると先輩メイド達に言った。

「今日は打ち上げに参加できなくてすみません。本当は行きたかったんですけど……」

「いーよいーよ、また別の日にでも誘うね」

 あおいが萌香の肩を叩いて気さくに言う。

 早朝四時十五分、周辺に散らばる大量のゴミは深夜ギリギリまで人間が活動していたという痕跡だ。ゴミまみれの閑散としたアキハバラ、百八十七センチのゴスロリ衣装を纏った気品のある女が駅で始発を待つ。

 そして、ジュンの乗った始発電車から丁度六本目の電車に萌香は乗って家路についたのである。



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