第5章【3】

 翌朝。ヘルカは昨夜と同じように朝食をロザナンドの寝室に運び入れた。魔王アンブロシウスはロザナンドが朝食の席に現れないことをどう解釈しているかはわからない。それでも、ロザナンドが何かを企んでいるということには気付いているだろう。

 身支度と朝食を済ませて寝室を出ると、ユトリロとともにディーサの姿があった。ディーサは険しい表情をしている。

「ユトリロから聞いたわ。本当に父様を討伐するつもりなの?」

「どうかな」

 肩をすくめるロザナンドに、ディーサは不満げに唇を尖らせた。

「あれだけ反乱を防ごうとしていたのに、あなた自身が反乱の芽になるの?」

「気が変わったんだ。僕に賛同できないならそれでいい」

「何を考えているの。あなたの目には何が見えたの?」

 ディーサはロザナンドの心を透かそうと目を細める。しかし、千里眼を持たない彼女にロザナンドの胸の内を知る術はない。

「詳しく話すつもりはないよ。とにかく、僕は今日もマダム・キリィの酒場に行くから。ついて来なくてもいいよ」

「いいえ、行くわ。あなたが何を考えているか見極めさせてもらうわ」

「そう。好きにしてくれ」

 ディーサは不満げな表情をしているが、ロザナンドが何を考えているのか彼女が知るためには、彼と行動をともにするしかない。まだ何も判断することはできないだろう。



   *  *  *



 マダム・キリィの酒場に到着すると、ロザナンドとユトリロは前回と同じ場所のテーブルに着く。ディーサとラーシュ、ニクラスは壁際に立った。

 開店時間を迎えて賑やかになっていく店内で、ロザナンドとユトリロは浮いた存在だった。酒を一杯も注文せず、ただテーブルに着いてその時を待っている。異様な空気感があっただろう。

 彼ら待ち人はすぐに姿を現した。店内を見回すのは勇者ロレッタ・カルロッテとアルト・ブリステンだ。アルトが先にロザナンドを見つけ、歩み寄って来る。ロザナンドは姿を変えているため、ロレッタはこの姿のロザナンドを知らないのだ。

「やあ、待ってたよ」

「姿を変えているのですね」

 まじまじと見つめるロレッタに、ロザナンドは肩をすくめる。

「姿を偽らないで人間の領域に足を踏み入れるなんて間抜けだよ」

 ロザナンドはロレッタとアルトの背後に視線を遣った。反対側の壁際に、エリアスとバルバナーシュ、フローラの姿がある。さすがにふたりだけでは危険だと判断したのだろう。それくらいの警戒心がなければロザナンドとしても困るのだが。

「悪いけど、あんたたちは信用できないよ」

 アルトが冷えた視線をロザナンドに向ける。ロザナンドはまた肩をすくめた。

「それはこちらも同じことさ。人間は弱い村を狙った卑劣な連中だ」

「それは王宮が勝手にやったことだよ」と、アルト。「僕たちは知らないし、関係ないよ」

「待って」ロレッタが言う。「ここには喧嘩を売りに来たわけではないのよ」

 アルトは随分と好戦的のようだが、ロレッタはそうではないらしい。ロザナンドに対する敵意もないように感じる。純粋にロザナンドの為人ひととなりを見極めようとしているようだった。

「聞きたいことがあります。私たちが手を取り合った先に何が視えているのですか?」

 ロレッタは真っ直ぐにロザナンドの瞳を見つめる。天敵である人間でありながら、美しいと思わせる澄んだ瞳だった。

「争いの終結さ。僕が魔族の王になれば、人間との不可侵条約を結ぶことが可能になる」

 不敵に微笑んで見せるロザナンドに、ロレッタとアルトはまだ警戒を解かない。

「いまの魔族の王にそれは望めないのですか?」

「あの人は争いが好きだ。いまなら、人間の襲撃という攻撃のための口実がある。僕がいなければ、いますぐにでも報復として侵攻を始めるだろうね。民に被害が出たんだから」

 ロレッタとアルトは返す言葉がないようだった。人間が魔族の村を襲撃したのは事実で、彼女たちに関係のない侵攻だったとしても、人間の悪意を否定することはできないのだ。

「……申し訳ありませんが」ロレッタが渋い表情で言う。「アルトの言う通り、すぐに信用することはできません。魔王のもとへ導いて私たちを罠にかけるつもりでも、私たちにそれを見抜くことはできません」

「そうだね。信用しないほうがいい」

 いまだロザナンドの真意を掴めない様子で、ロレッタとアルトは眉根を寄せる。それでも構わず、ロザナンドは挑発的に言った。

「けれど、僕はきみたちを信用しているよ」

「……私たちは千里眼で視ることができません。なので、この目で見せていただけませんか」

「へえ、どうやって?」

「私たちはすぐに魔王討伐へ行くわけではありません。『聖なる力』だけでは魔王には敵わないでしょう」

 それはきっとその通りだ、とロザナンドは考える。魔王の力はロザナンドの能力をはるかに凌駕する。魔族より劣る人間では到底、敵わないだろう。

「各地にかつての勇者が遺した聖遺物があります。それは武器となる物で、私たちはそれで能力値を底上げして魔王を討伐するつもりです。それを集める旅に同行していただけませんか?」

 ロザナンドはその聖遺物を知っている。それで魔王に敵うかと言えば甚だ疑問だが、それを持たなければ丸腰も同然だ。少しでも戦闘能力が上がるなら、ロザナンドとしては大歓迎だ。

「いいよ。彼らには魔王城で待っていてもらうことにするよ」

「彼らって?」

 ロザナンドはカウンターでこちらの様子を見ているラーシュとニクラス、ディーサを指差す。三人にロレッタとアルトを害するつもりはなく、万が一の場合でも出番はないだろう。

「どこが信用してるのさ」アルトが眉をつり上げる。「ちゃっかり部下を連れて来てるじゃないか」

「きみたちと戦うためじゃない。人間の動向を探るために連れて来ているんだよ」

 肩をすくめるロザナンドにアルトはまだ不満げな表情だが、彼らがふたりどころかこの酒場を制圧することが赤子の手を捻るようなものだということは察しているのだろう。

「そもそも、きみたちと戦うのに彼らの力は必要ない」

「……ええ。きっとその通りなのでしょう。聖遺物は各地に七個あります。ひとりひとつです」

「だから七人組なのか」

 ひとつのパーティとしては人数が多いと思っていたロザナンドは、その武具の数までは把握していなかった。

「その武具は魔王討伐を完遂すると消滅し、元の場所へと戻るとされています。明日、南端の村ウォルターに向かいます。この酒場で待ち合わせしましょう」

「わかった。そうそう、彼だけは同行させてもらうよ」

 ロザナンドはユトリロを手のひらで差す。戦士としてではなく、偵察するために連れて行くのだ。

「彼はユトリロ。僕の信用できる部下だよ」

「わかりました。では明日、ここでお待ちしています」

 ここに長居する必要はない。ロザナンドはカウンターの三人に合図しつつ席を立つ。今回の目的は果たせた。成果は充分と言えるだろう。

 酒場の裏口から転移魔法で宮廷に戻ると、真っ先にディーサが口を開いた。

「どうするつもりなの? あなたが何を考えているか、さっぱりわからないわ」

「そうだろうね」ロザナンドは肩をすくめる。「ただ、僕のやり方を決めただけだ。放っておいてくれて構わない」

 ディーサは不満げに唇を尖らせる。それから、でも、と真剣な表情になった。

「私も反乱軍の首謀者として千里眼で視えたのよね。私は魔王陛下に反旗を翻すつもりはないわ。どうして首謀者として視えたの?」

「さあね。きみが魔王につくか僕につくか、というところじゃないの」

「あなたが勇者の味方をすることに私が賛同するってこと?」

「そうかもしれないけど、僕は別に勇者の味方をするわけじゃない」

 ディーサが剣呑な視線を向けるのを、ロザナンドは肩をすくめて流す。でも、と再び口を開いたディーサは、気を取り直した様子だ。

「あなたたちが勇者と行動をともにしてるあいだ、私たちはどうすればいいの?」

「僕がいないあいだ、魔王を監視していてくれ。僕は父を信用していない」

「あなたが長く宮廷を空ければ、魔王陛下のたがが外れる可能性があるということね」

「そうだね。何かあればすぐ報せてくれ。魔王が人間の国に侵攻することは――」

「人魔の破滅に繋がるんでしょ。そんな侵攻を認めるわけにはいかないわ」

 ディーサは、魔王が人間の国への侵攻を始めたとき、魔王を止めるため対峙することになる。それが反乱軍の首謀者として視えた最たる理由だが、彼女自身はそれに気付いていなかった。ラーシュとニクラスは薄々察知しているようだが、特に反論することはなかった。

「でも」と、ディーサ。「あなたを認めたわけじゃないわ。人間のためでもない。魔族のためよ」

「それでいい。それがすべてだよ」

 人魔戦争を避けるのは魔族の存続のため。人間が勝手に滅びる分には構わない。魔族の国への侵攻を阻止すればそれでいい。人間の未来がどうであろうと、魔族には関係のないこと。人間が魔王を討たなければそれでいいのだ。



   *  *  *



 目を開くと、色とりどりの花に囲まれて寝転んでいた。柔らかい芝生の枕が心地良い。ゆったりした微睡まどろみに身を委ねていると、不意に影が差した。彼を覗き込む女性は、慈愛に満ちた瞳をしている。

「愛してるわ、ロズ」

 温かな手が左の目元を撫でる。優しい指先は、確かに愛をはらんでいた。

「ロズ、あの人に目をつけて。あの人はいつでも狙っているわ」

 その声は徐々に遠ざかる。在りし日の面影は消え、ただ深淵が待ち受けるばかり。

「お願い、ロズ。あの人を許さないで」

 その懇願は風の向こうに消え、花々は朽ち、残されたのはただ、空虚な月だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る