第3章【2】
「本当にいいんですか?」
案ずるような表情でニクラスが言う。ラーシュも窺う視線をロザナンドに向けていた。
「遠慮はいらない。再起不能にするくらいのつもりで来てくれ」
ロザナンドは自信満々に言う。
場所は宮廷騎士の訓練場。ロザナンドは、宮廷騎士と宮廷魔法使いで組まれた隊との手合わせを申し出たのだ。
「それにしても三対一というのは……」
隊は宮廷騎士ひとり、宮廷魔法使いひとり、宮廷騎士もしくは宮廷魔法使い見習いの三人で組まれる。それも、全力でロザナンドに挑むことになるのだ。
「僕が魔王の息子だということを忘れないでくれ」
「……わかりました」ラーシュは渋々といった様子で頷く。「では、殿下の合図で始めてください」
「うん」
全部で五隊と手合わせをしたが、どれもロザナンドの圧勝であった。魔王の息子としてはそうでなければ困るのだが、あまりに呆気なく勝利してしまった。とは言え、彼らの健闘は讃えられるべきものである。
「もっと鍛錬してもらわないと困るな。勇者は僕と同等か、それ以上の力を持っている可能性があるんだから」
この結果に、ラーシュが渋い表情になった。
「訓練の内容を見直すことにいたします」
「そうしてくれ。でも、前の組を見て戦術を変えられる機転は素晴らしかったよ」
「ありがとうございます」
「そこに実力が伴えば文句なしだ」
明るい笑みで言うロザナンドに、ラーシュは困ったように眉尻を下げる。それから、ひとつ息をつき顔を上げた。
「私と手合わせ願えませんか?」
その表情は真剣で、強い意志を湛えている。勝てるとは思っていないが、自分の実力を試すつもりでいるのだ。
「もちろんいいよ。僕に届かないようでは、勇者になんて勝てるはずがないからね」
ラーシュは腰の剣を確かめつつ訓練場に出て行く。ロザナンドは千里眼で彼の能力値を見抜いている。魔王の息子である自分には遠く及ばないと考えているが、戦闘は機転次第で形勢が逆転することは大いにあり得る。ラーシュにはおそらく、その才があるだろう。
余裕の笑みを浮かべるロザナンドに対し、ラーシュは闘志を燃やしている。その手が柄に触れた瞬間――
「伝令――!」
けたたましいその声が、訓練場内の空気を張り詰めさせた。息を切らせた騎士が、肩で呼吸を整えながら言う。
「アルヴィドに襲撃! その数、十五! 配備された騎士隊が対応に向かっている!」
訓練場に緊張感が走る。その場の者の視線がロザナンドとラーシュに集まった。
ロザナンドは不敵に微笑んで見せる。
「それくらいだったら放っておいても平気だよね? そのための騎士隊なんだから。それくらい余裕だよね?」
ラーシュは顔を強張らせながら頷いた。
「そのはずです。が、隊長の私が部下を助けに行かないわけには参りません」
真面目腐った表情で言うラーシュに、ふうん、とロザナンドは顎に指を当てた。
「それもそうだね。じゃあ、僕も様子を見に行こうかな」
ロザナンドはユトリロに視線を遣った。ロザナンドが出て行くということは、ユトリロも同行することになる。ユトリロがそばに駆け寄って来ると、ロザナンドは転移魔法を発動した。
地に足がついた瞬間、ユトリロがロザナンドの前に飛び出して剣を振り上げた。キン、と甲高い金属音が響く。粗末な鎧を身に着けた男が、転移魔法の気配を察知して攻撃を仕掛けて来たのだ。それも、ユトリロの感知を擦り抜けることはない。
戦況を把握するために辺りを見回すと、騎士が八人、荒々しいい男たちに捕らえられている。残りの七人が追い詰められるのも時間の問題だろう。
「あーあ」ロザナンドはわざとらしく言う。「やっぱりこっちの情報はとっくに漏れてるわけだ」
そこに、ラーシュとニクラス率いる宮廷騎士・魔法隊が降り立つ。戦況はこれで大きく変わるはずだ。
「ラーシュ、僕の手助けなしでこの賊を生け捕りにするんだ。こいつらには、聞かなくちゃいけないことがあるよね」
「……もしそれができたら、私の願いを聞いていただけませんか?」
思ってもみなかった提案に、ロザナンドはきょとんと目を丸くする。それから、余裕に微笑んで見せた。
「いいよ。三分以内にできたらね」
ラーシュは力強く頷くと、手振りで騎士と魔法使いたちに開戦を合図する。それからはあっという間だった。十五人の賊は傷付けられることなく捕らえられ、戦いは二分半で決着がついた。
「よくやったね。宮廷に連行して、ディーサに引き渡してくれ」
「承知いたしました」
ニクラスが指揮を執り、十五人は宮廷騎士・魔法隊とともに転移魔法で姿を消す。残されたラーシュを、ロザナンドは不敵な笑みで振り向いた。
「宮廷に戻ってからのほうがいいかな?」
「はい。お願いします」
ロザナンドは軽く手を振って転移魔法を発動させる。瞬きのあいだには宮廷に降り立っていた。
「こっちにおいで」
ロザナンドはユトリロに手振りで待機するよう指示を出し、ラーシュの先を歩き出す。何を語るかはわからないが、人払いするに越したことはないだろう。
ロザナンドはラーシュを私室に案内した。衣類の整理をしていたヘルカが不思議そうに首を傾げる。
「殿下、どうなさいましたか?」
「ラーシュと話があるんだ。少し外してくれる?」
「かしこまりました」
ヘルカは作業の手を止め、辞儀をして私室をあとにする。ドアが閉まったのを確認すると、ロザナンドは一人掛けソファに腰を下ろした。
「ここなら誰かに聞かれる心配はないよ。透視や盗聴は僕の千里眼から逃れられないからね」
ラーシュからは、油断させてロザナンドの首を取ろうというような気配は感じられない。それが土台無理であることは、訓練の模擬戦でわかっているだろう。
「それで?」
「はい。……父の死の真相を教えていただけませんか」
ラーシュの申し出は、ロザナンドもなんとなく予想していることだった。ラーシュが自分に尋ねるとすればそれだろう、と漠然と考えていた。
「それを知ってどうするの?」
「本音を言えば仇を討ちたいのです。が、それが許されないことであるのは理解しております」
ラーシュの真剣な瞳がロザナンドを見つめる。ラーシュの父の死の真相を見抜けるとすれば、ロザナンドの千里眼の他にはあり得ない。ラーシュもそれをよくわかっている。
ロザナンドはラーシュの瞳を見据え、不敵な笑みとともに口を開いた。
「先の人魔抗争で、魔王軍はきみの父上を含めた三人を嵌めた。三人はもとから、人間とともに葬られる算段だったんだよ」
ラーシュが目を剥く。ロザナンドに尋ねることを思いついた時点である程度の予測はしていたのかもしれないが、その事実は信じ難いものだろう。
「それは千里眼でご覧になったのですか?」
「そうだよ。そんなことを僕に話す者がいるはずがないからね」
特に魔王の指示であったのなら、それはなんとしても秘匿しなければならないことだろう。その計画は多くの反発を生む。魔王とて、わざと敵を増やすほど愚かではない。
「当時の騎士の編成表を見れば、誰が首謀者かはすぐわかるんじゃないかな。復讐するならしなよ」
肩をすくめるロザナンドに、ラーシュは複雑な表情をしている。
「魔王軍にとって重要な役割の者だとしても、ですか?」
「ああ。この国は強い者だけが生き残る単純な世界だ。きみが強者なら大歓迎だよ」
ロザナンドが朗らかに微笑むと、ラーシュは小さく息をつく。
「いま、私は追われるわけには参りません。お教えいただいただけで充分です」
「そう? まあ、勇者との戦いに勝ってからゆっくり復讐するといいよ。勇者との戦いが終われば、きみも用無しだ」
「はい、ありがとうございます。早急に終わらせます」
「頼りにしてるよ」
勇者との戦いは何百年に一度のこと。今回の戦いを終えれば、彼らの役目はそれで終わる。ラーシュが国の重要人物を暗殺して追われる立場となったとしても、ロザナンドにとってはなんの不利益もないことだ。
私室を出ると、ラーシュは深々と辞儀をして去って行く。それを見送って、ユトリロがロザナンドに歩み寄った。
「ユトリロ。僕は人間の街に行く。そのための用意をしてくれ」
「勇者に接触されるのですか?」
ユトリロは特に驚くこともなく、冷静にそう問いかける。ロザナンドがいずれそう言い出すと予測していたのかもしれない。
「それなら殿下がお出にならずとも、私が……」
「きみは千里眼を使えるかい?」
ロザナンドの問いに、ユトリロは一瞬だけ言葉に詰まる。しかし、すぐに気を取り直した様子でまた口を開いた。
「ですが、人間側にも魔王陛下のご子息である殿下の情報は伝わっているはずです」
「わかってるよ。だから用意するんだ」
「はあ……」
「シェルのところに行こう。何か新しい情報があるかもしれない」
「はい」
ロザナンドの千里眼は、見ようと思ったものをほとんど視ることができる。それを充分に利用しなければ、能力の持ち腐れだ。能力は正しく使ってこそ価値があるのだ。
* * *
シェルの姿は魔王の執務室にあった。いまは魔王はいないようだ。
「これはロザナンド殿下。ごきげんよう」
「ああ。何か新しい情報はある?」
「はい。勇者選抜では候補をふたりまで絞られたようです。ロレッタ・カルロッテとユリ・クレメッティです」
ロザナンドは思考を巡らせ、ユリ・クレメッティの名を頭の中で繰り返す。しかし、思い当たるものはなかった。
「ユリ・クレメッティに関しては無視していい。どうせ落選する」
「そう仰るかと思いまして、ロレッタ・カルロッテの調査をしてあります」
シェルは真剣な表情で数枚の書類を手に取る。確かな情報があるようだ。
「ロレッタ・カルロッテ、十六歳。カルロッテ侯爵家の長女で、聖属性の魔法と剣術を使いこなしています」
ここまではロザナンドが持っていた情報と一致している。シェルは先を続けた。
「良く言えば素直で実直。悪く言えば真面目すぎる性格です。正義感が人一倍、強いようですね」
ロレッタの顔を思い浮かべると、確かにその性格がよく現れている。その性格や思考の癖を知ることで戦術を変えることもできる。シェルの報告は実に有意義なものだ。
「勇者パーティのメンバーも調査したのかな」
「はい、もちろん。騎士エリアス・バーグマン、十七歳。ロレッタとは同じ村の出身で幼馴染みのようです。良く言えば明るく活発、悪く言えば軽い短絡的な性格です。責任感のみで生きているような人間ですね」
例えば攻略に詰まった場面で「なんとかなるさ」と軽く笑うのがエリアス・バーグマンだ。そう言ってしまったからには、という場面が度々ある。それが自己責任というものである。
「よくそこまで調べたね」
「殿下から直々に賜った任務です。なんとしても情報を掴まなければと思っておりましたので」
「頼りになるな。次は?」
「はい。騎士バルバナーシュ・エディン、十八歳。宮廷騎士隊長の長男で、英才教育を受けています。とにかく頭が硬い真面目人間のようです。融通が効かない性質の頑固人間のようです」
能力値は非常に優れているが、その性格が災いすることもたまにある。真面目さも使いようだ。
「黒魔術師イディ・オール、十六歳。ロレッタ・カルロッテとは関わりのない、王宮が選出した人間です。オール伯爵家の次男で、少々甘ったれた性格のようです」
シェルは魔王軍の者であるからして、甘ったれという言葉をあえて使ったのだろう。イディを知っているロザナンドからすると、確かに甘えたではあるが、戦いから逃げ出すようなことはしない。彼は彼で、精一杯に任務を務め上げる。
「白魔術師アルト・ブリステン、十五歳。バルバナーシュ・エディンの昔馴染みのようです。アルト・ブリステンについてはまだ情報がありません。まだ勇者パーティと合流していないようですが、我々が探っていることに気付いているのかもしれません」
「まだ合流していないから他の者にそれを話していないんだね」
「おそらく。王都には居るようですが……。殿下の千里眼がなければ、アルト・ブリステンが招集されることは知らなかったかもしれませんね」
ロザナンド自身はアルト・ブリステンのことを知っている。アルト・ブリステンは腹黒可愛ぶりっ子、といった印象だ。ロレッタ・カルロッテによく懐くようになる。と言っても攻略難易度は決して低くない複雑な人物だ。
「従魔術師バート・ボー、十七歳。まだ王都には来ていないようで、情報は掴めませんでした。魔法使いフローラ・レグルシュ、十六歳。ロレッタ・カルロッテの幼馴染みです。取り立てて申し上げることはありません。普通の少女、といった印象です」
バートに関しては、特に目立った人物ではない。物語は荒波の立たない穏やかなものだったとロザナンドは記憶している。フローラはいわゆる「お助けキャラ」として登場する。ヒロイン・ロレッタの手助けをする登場人物だ。
「フローラ・レグルシュは」と、ユトリロ。「勇者パーティに招集されるのですか?」
「王宮に招集されるわけではないね」ロザナンドは言う。「ロレッタ・カルロッテが同行を希望するだけだ」
「確かに、他の五人が男ですから、同性の友人にいてほしいかもしれませんね」
ロレッタ・カルロッテはヒロインであるが、普通の少女である。五人の男に囲まれれば息苦しく感じることもあるだろう。そういったときにフローラの存在を求めるのだ。
「それにしても、この短期間でよくここまで情報を集めたね」
「恐縮です」
「勇者との戦いは情報から始まる。同時にこちらの情報も漏れているだろうね。僕が考えているように七人で来るとは限らない」
「そもそも」と、ユトリロ。「魔王軍を相手取るのに七人ではあまりにお粗末ですね」
「そうだね。でも、百対百じゃ駄目なんだ。百で来るなら三百で返さないと。もっと情報が必要だ。僕が人間の街に行く。そのための用意をしてくれ」
真剣に言うロザナンドに、シェルは目を剥いた。
「殿下がお出にならずとも……! 私の諜報員が充分に情報調達できていないのは確かですが、人間の街に行くのは危険です」
「僕じゃないと駄目なんだよ」
「は……」
「いま魔王軍は、勇者パーティに勝利することを目指している。けれど、僕の本当の考えは違う」
ユトリロとシェルは窺うようにロザナンドの次の言葉を待っている。
「魔王軍の力を示し、ひとりの犠牲者なく勇者パーティを追い返して、二度と戦う気が起きないようにする。この戦いをきっかけに、人魔は消耗戦に突入することになる。父も僕も誰かに敗れる。魔族の統制は取れなくなって、いずれ破滅する。だからこその情報戦だ。だからシェルに任務を課したんだよ」
「私がイェオリと密に連携を取っているからですね」
「それもあるけど……。きみは僕らに背けない理由があるよね」
不敵に笑って見せたロザナンドに、シェルは表情を強張らせた。
「それもご存じでしたか……。千里眼というものは恐ろしいですね」
「それについて僕がどうこうするつもりはないから安心して。脅すようで悪いけど、きみの働き次第、ってとこかな」
「はい。ご期待に沿えるよう尽力します」
ロザナンドとしては、シェルには大いに働いてもらわなければならないと考えている。人間の街に潜入している諜報部員イェオリはシェルが送り込んだ魔族で、イェオリが直接に報告を届けるのがシェルだ。シェルにはそれを一言一句、誤らずにロザナンドに伝えてもらわなければならない。もしそこでシェルが偽れば、婚約者の暮らしが脅かされることになる。ロザナンドも容赦のない鬼ではない。できれば婚約者には平穏に暮らしてほしいと思っている。
「とにかく、僕が王都に行くよ。人間にバレないようにする用意をしてくれ」
「承知いたしました」
「どのような設定で行かれるのですか?」
首を傾げるユトリロに、ロザナンドはにやりと笑って見せた。
「情報戦だって言っただろう?」
「……情報屋、ですか」
「そうさ。情報屋には情報が集まる。これ以上にうってつけの設定はないでしょ」
「かしこまりました。数日中に向かえるよう手配します」
「うん、よろしく」
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