第2章【2】

 ダイニングの外でユトリロが待っている。この忠実な騎士は、朝食が終わるのを律儀に待っていたようだ。

「ユトリロ。父にも監視をつけてくれ」

 厳しい声に言うロザナンドに、ユトリロは怪訝に首を傾げる。

「魔王陛下に、ですか……」

「僕の母のことを覚えているか?」

「はい、もちろん。病気で身罷みまかったのでしたね」

「ああ。確かめたいことがあるんだ。信用できる者を父につけてくれ」

「承知いたしました」

 ユトリロはすぐに「報せ鳥」を出す。信用できる部下を把握して、瞬時に判断を下したようだ。ヘルカやコニーが信用を約束したユトリロが信頼を置く者なら間違いはないだろう。

「まずはアニタのところに行こう。何か情報を掴んでいるかもしれない」

「はい」

 アニタは勘が良い。両親の話を持ち出したことで、ロザナンドが両親を人質に取り得ることには気付いているだろう。それを防ぐために良い働きをしてくれるはずだ。すでに人質に取ったようなものだが、ロザナンドにアニタの両親を害するつもりはない。アニタがそれに気付くかどうかは、ロザナンドの言動によるだろう。

 アニタの姿は昨日と同じように執務室にあった。アニタほどの地位の宮廷女官には、治政に関わる雑務を任せることもある。宮廷女官の共有であるこの執務室は、ほとんどアニタのための部屋のようなものだ。

 ロザナンドとユトリロがノック後に執務室に入ると、アニタは即座に立ち上がって辞儀をする。

「ロザナンド殿下、ごきげんよう」

「うん。人間の国の視察はどう?」

「……私が以前から偵察をしていることは、すでにご存知なのですね」

 アニタの硬い表情には、諦めのような感情が見て取れる。アニタがロザナンドに言われる前から偵察隊を人間の国に送り込んでいることは、ロザナンドの千里眼にはお見通しなのである。

「人間の国には、勇者選抜が始まる前から偵察隊を送り込んでおりました。もちろん人間も考えることは同じですので、この国に偵察隊を潜入させようとしております。いまのところ、私の偵察隊は人間の潜入を防ぐことに尽力しておりますので、詳細な調査までは進めておりません」

「なるほどね。それは誰かに報告したのかな。僕は聞いていないけど」

 アニタの眉がぴくりと震える。表情がより一層、硬くなった。

「人間の偵察隊を妨害しているだけですので、ご報告することのほどでは……」

「でも、勇者選抜が始まる前から偵察隊を出しているのに、何もないってことはないでしょ?」

「……何か視えていらっしゃるのですか?」

「何も」ロザナンドは肩をすくめる。「偵察隊を送り込んでいるのは知っていたから、報告を待っていたんだよ」

 アニタの表情がさらに険しくなる。ロザナンドの出方を窺っている様子だ。

「何か僕たちに知られたくないことを調査しているのかな?」

 アニタは下手なことを言えば自分が追い詰められることを理解している。そのため口を噤んでいるのだ。

「……アニタ。へーリンの村で暮らしている両親はどうしてる?」

 ロザナンドの言葉の真意を掴んだアニタが目を剥く。アニタが口を開く前に、ロザナンドは続けた。

「脅したいわけじゃないけど、アニタが隠し事をすれば両親を疑わざるを得なくなるよ。例えば、人間の街を調査して両親の逃亡ルートを確保して反乱を企てている、とか。もしくは、人間の母親が人間に情報を流して反乱の機会を窺っている……とかね」

「両親は関係ありません」アニタが厳しい口調で言う。「人間の偵察隊を阻害しているのは本当です」

「わかっているよ」ロザナンドは肩をすくめる。「その点ではきみは嘘をついていない」

 アニタの表情がほんの少しだけ和らぐ。アニタは両親を巻き込むことだけはなんとしても防ぎたいはずだ。ロザナンドも脅したいわけではない、という点は本当だ。

「誰の指示を受けて、誰に報告しているの?」

「…………」

 アニタはまた口を噤む。緘口令かんこうれいを敷かれているのだろうが、ロザナンドには見当がついている。

魔王だろう? 千里眼に隠し事はできないと言っていたのはきみだよね」

「…………」

「父は何を目的としているんだ? 僕に言ったことは黙っておく。どうせ父は気付かない」

「……魔王陛下は、独自に情報を集めておいでです。私の偵察隊は、魔王陛下にだけご報告しております」

 やはりか、とロザナンドは心の中で独り言つ。ある程度の予想はできていた。

「魔王陛下は情報をもとに、人間を殲滅する作戦を練っていらっしゃいます」

「なるほどね……。だからアニタが視えたのか」

 独り言のように呟くロザナンドに、アニタは怪訝に首を傾げる。

「僕の千里眼に、反乱軍の発生が視えた。五人の首謀容疑者の中にきみが含まれているんだよ。父に両親を人質に取られているんだろう?」

「…………」

「僕は信用できる味方を確保したいんだ」

「魔王陛下に反逆するのですか?」

「そうじゃない。人魔の破滅を防ぐためだよ」

「は……」

「きみが知る必要のないことだ」

 いまは味方を増やさなければならないが、詳細を話す必要まではないだろう。アニタが慎重になっている分、ロザナンドも同じようにしなければならない。

「ユトリロ。信用できる部下に転移魔法を使える者は?」

「アンセルムの小隊でしたらすぐに動かせます」

「では、アンセルムに僕の目を貸そう」

 淡々と言うロザナンドに、アニタは険しい表情で口を開いた。

「両親の安全と引き換えに私の情報を殿下に流す、ということですか?」

「どちらがアニタにとって得かよく考えたほうがいい。父に上げる報告を僕にも伝えてくれればそれでいい。それ以上のことは求めないよ」

「……何をお考えですか? 反乱軍の発生を阻止しようとされているのはわかりますが……殿下が反乱軍の首謀者になられるのではありませんか?」

 アニタは相変わらず賢く鋭い。ロザナンドの真意を掴めなくとも、ロザナンドが最も反乱を起こしそうな不穏因子であるということは察しているらしい。

「そう思っておいてもらっても構わない」ロザナンドは不敵に笑う。「アニタに協力してもらえればそれでいいんだ」

 アニタはしばらく考え込んでいる様子だった。ロザナンドの考えには理解が及ばないようだが、ややあって、慎重に窺うようにしながら頷いた。

「両親の安全を確保していただけるのでしたら」

「約束するよ。まずは、へーリンの村にいる父の監視者を解体させよう」

 ロザナンドの言葉にユトリロが頷くと、アニタはまた目を剥いた。

「両親が監視されている、ということですか?」

「人質に取っているんだから当然だよね。きみが裏切るような素振りを見せれば、すぐにでも両親は殺されるだろうね」

「…………」

「父は自分に情報を流させていたとしても、きみを信用していなかったんだよ。父の考えそうなことだ。裏切り者を絶望させる準備をいつでもしているということだよ」

 魔王の目的はわからないが、考えそうなことはいくつでも思いつく。腐っても親子だ。思考回路は理解しているつもりだ。

「僕を信用できるかどうかは、慎重に見極めてもらって構わない。僕への忠誠は必要ないよ。ただ、魔王が冷徹で凶悪で、用意周到な人であることは忘れないように」

「……承知いたしました」

 ロザナンドは、自分がアニタのような状況の者が簡単に信用できる者ではないことは承知している。信用は必要ないとすら思っている。ただ、ロザナンドの望みを叶えてくれればそれでいい。アニタにはそれが得策であることは理解できるはずだ。

「ユトリロ。へーリンの村に滞在する監視者を調べてくれ」

「かしこまりました。さっそくアンセルムの小隊に向かわせます」

 ユトリロは「報せ鳥」を形成する。報せ鳥は宛先の本人にしか内容を見ることができないため、こういった内密の任務を通達するにはおあつらえ向きな魔法だ。

「アニタ。僕のことは信用しなくていい。僕は両親の安全できみを買っただけだ。両親の命は確証する。それだけは約束するよ」

「…………」

「僕は約束を破って裏切り者を絶望させるだなんて趣味の悪いことはしない。きみは僕の命じた通りに動いてくれればいい。あとは自由にしてくれて構わないよ」

「……はい。殿下を失望させるようなことはいたしません。目的は深く聞かないことにします」

 アニタは相変わらず険しい表情をしているが、その言葉が真実であることはロザナンドにはわかる。それだけで充分だった。

「そのほうがいい。もちろんきみの安全も確保するよ。魔王にとって、僕たちは捨て駒に過ぎないんだから」

「……自身の子息であっても、ですか……」

「そういう人だよ」

 魔王がロザナンドのことをどう考えているかは、残念ながらロザナンドでも想像が及ばない。それでも、考えそうなこと、で作戦を練るしかないのだ。

「……ひとつだけ、お伺いしてもよろしいですか?」

「ん?」

「……殿下は、魔王陛下に勝てるとお思いですか?」

「僕だけでは無理だろうね」

 ロザナンドの言葉の真意を掴み、アニタは硬い表情のまま頷く。清濁併せ呑む覚悟はできているようだ。


 執務室をあとにすると、ロザナンドはひとつ息をつく。上手くいったかどうかはいまはわからないが、少なくともアニタを買うことはできたはずだ。

「これで容疑者は三人になりましたね」

 ユトリロが柔らかい表情で言う。一定の満足感を得たようだ。

「見えている分はね。父は恨みを買いすぎている。反乱の芽はどこにでもあるよ」

 アニタのように、人質を取られて利用されている者は他にもいるだろう。魔王は膨大な力を有している。それに逆らうのは一介の魔族には不可能だ。ロザナンドでもそれが叶うかは怪しいところである。

「僕が打倒魔法を銘打って魔王討伐を試みれば、味方は多く集まるだろうね。でも、それでは意味がない。魔王には生き存えていてもらわないと困るんだ」

「殿下、声が高いのでは……」

 ユトリロが案ずるように言う。周囲には魔王の従者の姿もあり、ロザナンドの言葉を密告されれば、魔王の狙いはロザナンドにも向かうだろう。またその逆もあり得る。ロザナンドは肩をすくめるだけでそれに応えた。

「僕に仇為す者が減ったとしても、僕を信用する者が増えたわけではないよ」

「勇者をどうされるおつもりですか?」

「それは勇者次第かな。そのうち、こちらから会いに行かなければならないね」

「殿下が直接に、ですか……」

「そう。勇者がこの城に足を踏み入れた瞬間から戦争は始まる。それを未然に防ぐためにそうするんだよ」

「……承知いたしました」

 ユトリロは慎重派のようだ、とロザナンドは考える。彼がロザナンドの立場であれば、もっと慎重に事を進めるだろう。ロザナンドは自分が大胆な行動をしているとは思っていないが、決して慎重とは言えない。強引ではあるだろう。それでも、慎重になって時間をかけるわけにはいかない。戦いはすでに始まると言っても過言ではないのだ。




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