第1章【2】
神官シェル。ゲームではロザナンドとともに戦い、第一戦でロザナンドを逃がすために囮になって討伐される。魔王の話では、街で気まぐれに拾って来たとのことだ。長年、この宮廷に務め、祭事などを執りまとめて来た。ロザナンドを逃がす囮になるほど忠誠度が高く、魔王の信頼は厚い。
シェルはアンブロシウスの執務室にいる。アンブロシウスが執務室にいる時間はほとんどなく、この日も例に漏れずだった。
「ロザナンド殿下。ごきげんよう」
「うん。イェオリから報告は来た?」
「はい。勇者選抜は最終段階に来ているようです。勇者候補の残りは三人です」
「勇者に選ばれるのはロレッタ・カルロッテという少女だ」
ロザナンドが澱みなくそう言うと、ユトリロとシェルが驚いた表情で彼を見遣る。ロザナンドがその情報を持っていてもおかしいことはない。ロザナンドは「千里眼」の持ち主である。それ以前に、かつてプレイヤーだった。「戦乙女」と呼ばれる
「イェオリにロレッタ・カルロッテの調査と監視の指示を出してくれ」
「承知いましました」
シェルは、偵察として人間の国に潜入している魔族のイェオリに報せを出すために慌ただしく執務室をあとにする。勇者候補の中の誰が選出されるか知っていれば、対策を練ることは簡単だ。
ロザナンドは左目の眼帯を外し、執務室を出たシェルに意識を集中させた。千里眼を発動する。
「神官シェル。街で起こった紛争で家族が死亡……」
「その紛争は宮廷騎士が派遣されたんでしたね」
「そう聞いている。……いや、シェルは反魔王軍の首謀者……? 婚約者を人質に取られ、神官として仕えている……」
千里眼に映し出された情報に、ロザナンドは眉根を寄せる。その怪訝はユトリロも同じことで、信じられない、といった様子で顔をしかめた。
「どういうことですか? シェルは魔王陛下が紛争で拾って来たのではないのですか?」
「僕もそう聞いている。だが、父の考えそうなことではある」
正確な年代はロザナンドは知らないが、街で反魔王軍による紛争が巻き起こった。一般市民の犠牲も少なくなく、魔王の指示によって宮廷騎士が派遣され鎮静化に向かった。反魔王軍はほとんどが捕らえられ、現在も投獄されている。シェルがその首謀者など、これまでに聞いたことがなかった。
「再び反乱を起こす前に」と、ユトリロ。「人質を取って自分のそばに置いておく……ということですね」
「そういうことだろうね。シェルは表向きは忠誠を誓っている、ということかな」
ゲームではそんな設定はなかったはずだ。シェルはロザナンド戦で後衛として参加するが、ロザナンドが弱らせられると囮になってロザナンドを逃がす。忠誠心がなくてはできない行動ではないかとロザナンドは思うが、シェルには人質に取られた婚約者がいる。そうなれば、シェルはそう簡単に死ぬわけにはいかないだろう。婚約者を思えば、囮など買って出ることはできないはずだ。
「忠誠を誓わなければ」ロザナンドは言う。「シェル自身だけでなく、婚約者も危険に晒すことになる」
「このことを魔王陛下にご確認されてみては……」
「いや、僕は魔族の中に反乱の芽があることをすでに話してしまった。僕がシェルを疑っていると知れば、父のことだからシェルも婚約者も処刑するかもしれない」
魔王アンブロシウスは残忍で凶悪だ。反乱軍を予知したことを話してしまったいま、ほんの少しの疑いで魔王は動くだろう。反乱の芽だからといって、それを摘む理由はいまはまだない。魔王はこの事実をもちろん知っているが、反乱の疑いが浮上していないことで行動しないだけだ。ロザナンドの目がそのきっかけとなってしまうことは避けたい。
「残念ながら、千里眼は相手の心を覗けるわけではない。シェルには僕の『監視』をつけて慎重に探ろう」
「承知いたしました」
「とにかくしばらくは様子見だ。他の者の話も聞かないと。騎士の詰め所に行こう」
「はい」
行動のひとつひとつ、発言のひとつひとつ。何ひとつとして間違えられない。何気なく発したたったの一言が、魔王の行動力の引き金となる可能性がある。魔王の息子だからこそ、その恐ろしさをよくわかっている。
宮廷の西側にある騎士の詰め所は、特定の階級以上の宮廷騎士が使用している。ロザナンドが用のあるふたりは、どちらも詰め所にいるはずだ。
「まずは、宮廷騎士のラーシュか」
詰め所に向かって歩きながら、ロザナンドは眼帯に隠された左の目元を指で撫でつつ言った。
「亡き父も宮廷騎士だった。父は人魔抗争で民を助けて戦死した」
「ラーシュの父親は私の部下でした。民を逃がすため、他にもふたりの騎士が犠牲になっています」
「栄誉ある死と言えば聞こえはいいか」
ちょうど詰め所の入り口にいた騎士にラーシュの呼び出しを伝えると、ほどなくして長身の騎士が出て来た。明るめの茶髪に緑色の瞳が映える好青年といった印象だ。騎士の中でもそれなりの地位であるため、ロザナンドも何度か会ったことがある。
「ロザナンド王太子殿下。いかがなさいましたか」
「勇者戦のことで少し話をしたいんだ。構わないかな」
「はい。なんなりと」
ラーシュは生真面目な表情をしている。見る者によっては硬さを感じるかもしれない。
「人間の勇者パーティが結成された場合、その侵攻にどう対処する?」
「勇者たちの能力値にもよりますが、まずは宮廷騎士隊を先鋒として出動させます。国王直属騎士団も戦いに出ることを想定していますが、勇者たちの実力によっては出番はないでしょう」
魔族にとって、人間より魔族の力のほうが優れていることは周知の事実だ。先の人魔抗争でも魔族が勝利を収めている。宮廷騎士の中でも最上位の能力を誇る国王直属騎士団の出る幕はないのではないかとロザナンドは思っているが、ラーシュも同じ認識だろう。
「宮廷魔法使いも同行させます。戦闘に入る前に鑑定を使えれば理想的です」
「……勇者パーティに選ばれるのは六人」
ロザナンドが静かに言うと、ラーシュの眉がぴくりと震える。それでも、ロザナンドが千里眼の持ち主であることは彼も知っている。そのため、ラーシュはロザナンドの次の言葉を待った。
「騎士エリアス・ワーグマン。騎士バルバナーシュ・エディン。黒魔術師イディ・オール。白魔術師アルト・ブリステン。従魔術師バート・ボー。それから、魔法使いのフローラ・レグルシュだ」
ロザナンドには、なぜそんなことを知っているのか、という問いは不要である。彼には視えている。それに加え、いまのロザナンドには“知識”もある。この情報に間違いはない。
「宮廷騎士と宮廷魔法使いで視察団を組み、人間の国の王宮に潜入させるんだ」
「はい」
「魔法使いの比率が高い。魔法隊を強化して、魔法耐性の高い者を集めるように。ついでにニクラスを呼んで来てくれ」
「はい、承知いたしました」
ラーシュは詰め所に踵を返して行く。ロザナンドの千里眼がある程度の安定を有していることはラーシュも知っている。ロザナンドの情報には疑いの余地はない。
ラーシュの背中を見送ると、ユトリロが静かに口を開いた。
「ラーシュの父クリストフは私の部下でした。民のために犠牲になった者が、クリストフの他にも二名おります」
「そう。痛ましい抗争だったんだね」
詰め所から距離を取りつつ、ロザナンドは左目の眼帯を外した。第二の反乱の芽であるラーシュの情報が必要だ。探っていることを他の騎士に悟られてはならない。
「ラーシュ自身は人魔抗争ではまだ見習いだったから参加していなかったようだね。父親のクリストフとふたりの騎士は、街で孤立した民を救うための囮として任務を全うした。反乱軍とともに爆発に巻き込まれて死亡。その後、民は救出された」
左目に浮かび上がった光景を確認しながら言うロザナンドに、ユトリロが同意するように相槌を打つ。そのとき、ロザナンドの視界が何か違和感に滲んだ。
「……違う。三人は魔王軍に嵌められたんだ」
「嵌められた……?」
「魔王軍は元から、三人諸共に反乱軍を殲滅するつもりだったんだ。民が救出されたのは爆発のあとだった」
透視を終えて目を開くロザナンドに、ユトリロは一瞬だけ言葉を失っていた。
「そんなまさか! 私はそんな指示は出していません」
「わかっているよ。だが、他に魔王の指示を受けた者がいたんだろうね。ラーシュはその陰謀に勘付いている。確信を持てば、反乱の可能性は充分にあり得るだろう」
王に忠誠を誓った誇り高き騎士が、文字通り命を賭して民を救った、と言えば美談となるだろう。だが、陰謀によって気高くも儚く散ったとなれば話は別だ。それは献身ではなくただの犠牲である。それが魔王の指示となると尚更だ。ラーシュがそれに気付いているのだとすれば、魔王は恨まれていてもおかしくないだろう。
「宮廷騎士の中に、信用できる部下は?」
「コニーという部下がいます。まだ若いですが、私の右腕になり得る騎士です」
「僕の『監視』もつけるが、コニーに容疑者を見張らせてくれ。直接に目で確かめたほうがいいこともあるだろう」
「承知いたしました」
ユトリロを信用できなければコニーも疑わざるを得ないが、ロザナンドの千里眼はそうそう誤魔化せない。隠し立てしようとしても、隠し立てしようとしていることすら見抜いてしまう。ユトリロは実直な青年に見える。ある程度は信用してもいいだろうとロザナンドは判断していた。
ユトリロはコニーに宛てて「報せ鳥」を出す。魔力で鳥を形成して思念を届ける伝達魔法だ。
「父はやり方を変えなければならない。反乱の芽を摘むだけじゃ駄目だ」
王を務めていれば、反感を懐く者は少なからず出て来る。それでも、反乱はそう簡単に起きることではない。反乱を起こすことの損失を考えれば、不利益なことのほうが大きいはずだ。もし容疑者の五人が結託して反乱を起こそうものなら抗争にまで発展し、魔王軍の被害も少なくないだろう。その可能性が高まっているのは、魔王がやり方を変える時が来たということの証明だ。
そのとき、ロザナンドの脳裏にふと、ある映像が流れ込んだ。横たわる魔王アンブロシウスを見下ろして高笑いする血塗れな自分の姿だった。
(まさか、僕自身にも反乱の可能性が……? それが運命を捻じ曲げているのか?)
ロザナンドにも、反乱を起こし得る理由があってもおかしくはない。それでも、反乱を起こすことにより不利益を被るのはロザナンドも同じことだ。何より、反乱を食い止めるために立ち上がったロザナンドが反乱の芽となるのでは本末転倒だ。
本来のロザナンドには、反乱を起こし得る明確な理由があったのだろう。いまの彼にはわからないが、それが決められた運命だったのか、いまの彼により生じた差異なのか。それを見極めることが必要になるだろう。
「殿下、どうなさいましたか?」
「……いや、なんでもない」
左目に眼帯を装着し、ロザナンドはひとつ息をつく。不明瞭な可能性より明確な可能性を潰すことが先決だ。この先、自分の姿ならいくらでも視ることができるだろう。それよりまず、やるべきことが先にあるのだ。
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