厄災の魔王の息子に生まれたので人魔の破滅を回避します〜運命は千里眼によって塗り替えられる〜

加賀谷イコ

第1章【1】

 ――総員、掛かれ! 魔王様には指一本、触れさせん!


 ――勇者様、いまが好機です!

 ――魔王を討伐して、人間の国の平和を取り戻すのです!


 ――勇者など恐れるに足りず。返り討ちにしてくれるわ!


 ――魔王、ここまでです。この戦いを、ここで終わらせる!


 ――どうして、こんなことに……。

 ――魔族は勇者様が根絶やしにしたのではなかったの!?


 ――あいつらは偽物の勇者だ!

 ――あいつらのせいで……!


 ――偽物の勇者を処刑しろ! それでこの戦争を終わらせるしかない!


 ――なぜ……どうして……。魔王を滅ぼしたのに、魔族がこれほど力を残しているなんて!


 ――勇者の命では足りなかったのか……!?


 ――このままでは……この国は破滅してしまう……!


 ――誰か……助けて……!






 ……――






「――様! お気を確かに!」

「早く医師を呼べ!」


 十六歳の夏、彼の人生は終わった。暴走した車が彼に迫った瞬間で記憶は終わっている。

 それなのに意識が、手足の感覚がある。声が聞こえる。


 ――あの夢は、一体……?




   第1章




 ふ、と目を覚ますと、質素なシャンデリアが飾る白い天井を見上げていた。横になるベッドの柔らかさを確かめつつ起き上がる。カーテンの向こう側はすっかり日が登っているようだ。

 コンコンコン、と控えめなノックのあと、白いキャップで金髪を纏めた清潔感のある侍女が寝室に入って来る。

「――王太子殿下、お目覚めになられましたか」

 視線を巡らせた先に、鏡台が目に留まった。綺麗に磨かれた鏡に彼の姿が映っている。セミロングの浅葱色の髪、真っ赤な右目。左目は眼帯に隠されている。それは自分の姿だった。

「ロザナンド、目が覚めたか」

 筋骨隆々の屈強な大男が部屋に入って来る。立派な髭を蓄えた強面に笑みを浮かべ、大きな手を彼の肩に添えた。

 彼はこの大男に覚えがあった。いずれこの世界を滅ぼす“厄災の魔王”アンブロシウスだ。彼――ロザナンドの父親である。ここは乙女ゲーム「戦乙女の眼差しと光の翼」の世界。妹に二次創作の原稿を手伝わされた関係で何度かプレイしたことがある。ロザナンドは妹の最推しだった。ゲームの主人公ヒロインは勇者に選出され、攻略対象とともに魔王討伐の旅に出る。ロザナンドは魔王アンブロシウス戦の前の敵で、三回ほど戦うことになる。

「ロザナンド殿下、まだ具合がよろしくないのですか?」

 侍女――ヘルカが案ずるように言う。物思いに耽りすぎたようだ。

「大丈夫。もう平気だよ」

「随分とうなされていたようだ」と、父。「何か怖い夢でも見たのか?」

「うーん……よく覚えていません」

 夢の中に溢れる人々の怒号と悲鳴。不穏な空気が、魔王軍と勇者の戦いは何かが異常であることを示していた。なぜそんな映像が見えたのか、彼には心当たりがある。

「とにかく、朝食にしよう。先にダイニングで待っているぞ」

「はい」

 寝室を出て行くアンブロシウスを見送ると、ヘルカがロザナンドの服をクローゼットから取り出した。

 着替えが済んだあと、鏡台の前で髪を整える。左目の眼帯が気になった。ロザナンドの左目には、千里眼が備わっている。ロザナンドを討伐するには、まず左目を潰す必要があるのだ。あの夢は、千里眼がロザナンドに見せたのだろう。

 浅葱色の髪を整えて満足げなヘルカに、ロザナンドは穏やかに微笑んで言った。

「少しひとりにしてもらえる?」

「はい、かしこまりました」

 恭しく辞儀をして寝室をあとにするヘルカを見送って、ロザナンドは左目の眼帯を外した。まぶたに傷を負った左目は閉ざされ、光を取り込むことはない。それでも意識を集中すると、ロザナンドの脳裏に映像が浮かび上がった。

 魔族の反乱軍が、魔王アンブロシウスを追い詰める。そうして弱体化された魔王は、抵抗虚しく勇者に討伐されるのだ。その時点ですでに、ゲームのシナリオとの差異が生じている。さらに、ロザナンド率いる魔族の生き残りが軍を成し、人間の国に攻め入り人間を虐待する。勇者たちは生贄として処刑される。それでも戦いは終わらない。それが三百年戦争の始まり。戦争は泥沼化し、消耗戦へと成り果てる。それは、ゲームのシナリオと大きくかけ離れていた。

(どういうことだ……?)

 たとえ反乱軍が生まれ魔王アンブロシウスが追い詰められたとしても、ロザナンドは人間を虐待したりしない。こんな未来がロザナンドに待ち受けているのはあり得ない。この悲惨な運命に、彼の存在が影響しているのだろうか。何かが運命を狂わせている。このままでは、魔族も人間も破滅してしまう。

 まずは、魔族の反乱軍の結成を阻止しなければならない。シナリオとの差異を生じた魔王の討伐を阻止しなければ、人魔が破滅の道を辿ることになるのだ。


 テーブルの上座に着席したアンブロシウスが、ダイニングに入って行ったロザナンドに暑苦しい笑みを向けた。

「なんだかぼんやりしているな。まだ寝惚けているのか?」

「いえ……」

 ロザナンドが斜交はすかいの席に着くと、食事が運ばれて来る。夢を見ているのではないかと思っていたが、温かな匂いが、ここが現実であることを証明していた。

「……父上。近く、この国で反乱軍が結成されることになります」

 料理を運ぶ使用人は反応しない。彼らはただ食事を運ぶことだけが仕事で、ふたりの会話に口を挟むことはしない。

「千里眼、か……。反乱軍を率いるのは誰だ?」

「まだ詳細はわかりません。そちらは僕に任せていただけませんか?」

 詳細は見えない。だが、その欠片はすでに左目が捉えている。それを残忍な魔王に打ち明ければ、間違いなく止める間もなく戦いの火蓋が切って落とされる。まだ戦いの火種を招くわけにはいかないだろう。

「悪戯に首謀者を炙り出しては魔族が混乱します。僕なら千里眼で見抜くことができます」

「ふむ……。わかった。ユトリロをお前につける。好きなように使え」

 ユトリロは魔王付き宮廷騎士だったとロザナンドは記憶している。魔王の言動の傾向から察するに、監視として、という思惑が含まれているのだろう。

「人間の勇者選抜はどうなっていますか?」

 人間の国では、魔王討伐のための勇者選抜が進められている。魔王は王都に諜報部員を定期的に送り込んでいる。何か掴んでいることだろう。

「イェオリの報告では、王都に候補が集められて試験中だそうだ」

「人間の神官に扮して潜入しているんでしたか」

「ああ。勇者候補を殲滅すれば話が早いのではないか?」

 やはり、とロザナンドは小さく息をつく。魔王は冷酷で凶悪。魔王に主導権を握らせれば、武力ですべてを解決しようとすることだろう。

「そちらも僕に任せてください。こちらから攻撃を仕掛けては、人間に報復の機会を与えることになります。人間に、魔族の国に侵攻する口実を与えることになってしまいますから」

「ふむ……」

 アンブロシウスは少し不満そうだ。魔王にとってみれば、人間を殲滅すれば済む話だ。その先に泥沼の消耗戦が待ち受けていることは、千里眼を持っていない魔王は知るよしもない。

「まずは反乱軍の結成を阻止します。勇者選抜がどうあれ、反乱を防ぐことが先決です。そうしなければ、人魔戦争が勃発します。それは三百年も続くことになり、泥沼化の果てに消耗戦となります」

 アンブロシウスは表情を動かさない。魔王にとって、人魔の破滅は取るに足らないことなのだろう。。

「実際には三百年と経たずに人魔は相討ちとなり滅亡するかもしれません」

「ふむ。では、お前に一任する。人間がどうなろうと、魔族が滅亡するわけにはいかないからな」

 魔王が多少なりとも客観的な視点を持っているのは、ロザナンドにとって僥倖であった。魔王として、魔族の破滅を招くわけにはいかない。血生臭い魔王であったとしても、魔族が滅亡する危機のある戦争に考えなしに踏み込むことが賢明ではないということはわかっているだろう。



   *  *  *



 朝食を終えると、ロザナンドの執務室にひとりの騎士が訪れた。ロザナンドより幾分か年上の、端正な顔立ちの人型の魔族だ。

「ユトリロと申します、王太子殿下。どうぞなんなりとお申し付けください」

「うん、よろしく。さっそくだけど、きみのことを見せてもらってもいいかな」

「はい」

 ロザナンドは眼帯を外す。光を失った左目が、生真面目なユトリロの姿を映し出す。

「ユトリロ、先の人魔抗争で騎士長を務めていた。人間軍に攻め込まれ、宮廷の近くまで侵攻を許してしまい、魔王により命を救われた。抗争は魔王の介入後、人間の撤退という形で終結した。ユトリロは能力を買われて宮廷騎士に。魔王の側近の騎士隊に配属された……。どうかな」

「その通りです。かなり正確に見えてらっしゃるのですね」

 眼帯を着け直すロザナンドに、ユトリロは感心した表情になる。先の人魔抗争では、まだ若かったロザナンドは戦いの場に出ていなかった。魔王により終結したことは知っていたが、ユトリロに関する情報はいま視えたことだ。ユトリロは魔王の右腕と言える人物だが、いままで接触したことはそう多くない。ユトリロが騎士長を務めていたことも知り得なかったことだ。

 思っていたよりもずっと解像度が高い。チート能力のようなものかもしれない、と彼は考えていた。映像としてはっきり見えることは、あらゆるものが優位に運ぶことになるだろう。

「この宮廷には、反乱軍の芽がある。いま見えるのは五人だ。神官シェル、宮廷騎士ラーシュ、宮廷騎士ニクラス、宮廷女官アニタ、宮廷魔法使いディーサだ」

 その五人も、ロザナンドとの関わりはほとんどない。それでも、名前と顔がはっきりと見えた。

「どういった者かはおわかりになるのですか?」

「いや、誰もわからない。接触すれば何か視えるかもしれない。きみだったら話が早かったのにね」

 ロザナンドが悪戯っぽく笑って見せると、ユトリロは困ったように小さく笑った。

「私は魔王陛下に命を救われています。感謝こそすれ、反乱だなんてあり得ません」

「わかってるよ。とにかく、ひとりずつ当たっていこう」

「しかし、接触するたびに眼帯を外していては、怪しんでいることに気付かれるのではありませんか?」

「心配は要らない。一度でも接触すれば、離れていても千里眼で視ることができる。いまはきみのことを詳細に知りたかったから外したんだ」

「そうですか……」

ロザナンドの左目に見えているものは、彼の知っているシナリオとは大きくかけ離れている。なぜこれほどまでにシナリオの差異が生じているのか、と彼は首を捻った。何かが運命を捻じ曲げている。それは、この世界にとって不利益でしかないだろう。それを修正しなければ、彼の左目に見えた通りに人魔は破滅することだろう。

「シェルがイェオリから報告を受けているはずだ。ついでに勇者選抜についても探ろう」

「承知いたしました」





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