破滅を招く呪いの悪役令息は攻略対象と仲良くなりたい〜ヒロインだって頑張ります!〜
加賀谷 依胡
序章
その横顔を真紅に染めるのは、炎か、命か、黄昏か。
その姿に息を呑み、ただ悔恨で手が震える。
――呪われた子どもは、やはり破滅を招くのだ。
序章
不思議な夢を見た。
何が不思議って、血塗れで笑っていた少年になんとなく見覚えがあるというところだ。どこで見たのかは寝惚けた頭では思い出せないが、何度も見たことがあるような気がする。
などと考えつつお布団の温もりを噛み締めていると、コンコンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
誰だろう。こんな上品なノックをする人がうちにいたかな。
「おはようございます。あら? ふふ、お寝坊さんですね。休暇だからって、また夜更かしされていたのですか?」
聞き覚えのない女性の声に慌てて飛び起きたところで、僕は硬直した。
なんだ、このキラキラした部屋は……。
僕が寝ていたベッドは少なくともセミダブルはあるし、天蓋まで付いている。天井には細やかな装飾ながら質素なシャンデリアが吊るされ、壁際に置かれている棚はどれも、慣れ親しんだボロではない。何より部屋自体が驚くほど広かった。
ふと横に目を向けると、視界がぼんやりと滲んでいる。いくらなんでも眠気まなこが過ぎるだろ。何度か目を擦り、また視線を巡らせた。眠気まなこが解除できない。
「どうなさいましたか、ラゼル様」
白と紺で構成された服を身に纏った女性が、僕に何かを差し出した。思わず肩を振るわせてしまったが、それは丸眼鏡だった。
眼鏡? 自慢じゃないけど、僕は両目とも野球部員並みだよ?
なんて思いつつ、恐々とかけてみる。途端に鮮明になった視界に、この丸眼鏡が自分の物だと思い知った。
顔を上げると、金髪をキャップで纏めた若い女性が微笑んでいる。その白と紺で構成された服はエプロンドレスのメイド服のようだ。それも、喫茶店で接客してくれるような姿ではない。本物の「侍女」である。
……ん? この人、さっきなんて言った?
その瞬間、僕の中で点と点が繋がった。愛しの布団から飛び出し、鏡台を覗き込む。映し出されたその顔は、僕の顔であり、僕の顔でなかった。
ラゼル・キールストラ公爵令息。あの血塗れで愉快そうに笑っていた少年だ。
……そう。乙女ゲーム「希望の雫と星の乙女」の悪役令息である。
これは、異世界転生というやつだ。それも、オタクの妹がよくプレイしていた乙女ゲーム。リビングで遊んでいたものだから、大画面に映し出された美形たちを何度か目にしたことがある。
よりによって、破滅を招く呪いの悪役令息に転生してしまったのだ。それも、バッドエンドしか存在しない隠し攻略対象だ。妹が最推しだと言っていた気がする。いや、そんなことはどうでもいい。
あの夢は遠くない未来のラゼル・キールストラだ。物語はラゼルが父と義母を殺すことでエンディングに向かう。最悪だ。いまは物語のどの段階なんだ?
「どうなさいましたか、ラゼル様。ご気分が優れないのですか?」
侍女が優しく僕を覗き込む。この女性は確か、リリベスという名前だ。
「ううん、大丈夫」
僕はどうにかこうにかそう答え、適当に微笑んで見せた。笑い事じゃない。一大事だ。
リリベスはもちろん、僕がそんなことを考えているとはつゆ知らず。手慣れた様子で僕の身支度をして、気恥ずかしい思いをした僕の髪を丁寧に整えた。
優しく髪を梳く指の心地良さで、やっと落ち着きを取り戻す。なんにしても、隠し攻略対象というだけあって美少年だ。これが自分だと思うと、なんとも奇妙な気分である。
リリベスが「休暇」と言っていた。肌に感じる気温から考えて、いまはおそらく夏の休暇中だ。乙女ゲーム「希望の雫と星の乙女」で主人公がステータスを上げるための期間だったと思う。妹が、限られた日数をどう効率良く使うか、と真剣な顔をしていたのをよく覚えている。
ラゼル・キールストラは表向きは好青年で、ずば抜けて優秀だが「呪いの子」と言われている。父の侍女であった平民の母親が謎の死を遂げ、それによりキールストラ公爵家に引き取られて来たためだ。真っ黒な頭髪がより真実みを醸し出すのかもしれない。ラゼルからすれば、ただの母親譲りの髪色なのだが。そのせいで絶望を溜め、闇の魔法に手を出しこの国を滅ぼそうとする。最終的にヒロインと攻略対象にそれまでの罪を命をもって償わされるという悲運だ。ヒロインと結ばれたとしても結末は同じだった。妹が嘆いていたのでそれはよく覚えている。
問題はラゼル・キールストラの狂気性だ。ラゼルはあくまで、表向きは好青年。心の中が絶望で満たされているため、人を陥れることに喜びを覚える性質だ。僕自身はどちらかと言うと真面目な人間だから、まさか国を滅ぼそうだなんて発想はちっとも湧かない。ラゼル・キールストラはなんと言っても腹黒だ。お兄ちゃんの腹は白すぎて眩しいくらいだよ、なんて妹は言っていた。自分でもその通りだと思う。僕は表も裏も好青年だ。自分で言うのもなんだけど。
そんな僕がラゼル・キールストラになって何をどうしろと言うんだ? 悪役令息なんて、自分に最も似合わない言葉まである。なぜ僕がこんな役割に転生したんだ?
「朝食のご用意ができておりますわ」
リリベスが晴れやかな笑顔で残酷なことを言う。ダイニングへどうぞ、ということである。つまり、ラゼル・キールストラの家族のもとへ。だが、諦めるしかないようだ。
寝室を出た僕は、そういえばなぜ悪役令嬢ではなく悪役令息だったんだろう、とそんなどうでもいいことを考えていた。そんなの、隠し攻略対象にしたかったからに決まってるだろ。
重い足取りと裏腹な夏の眩しい陽射しが僕を照らしている。意を決してダイニングに入って行くと、四人の家族がすでにテーブルに揃っていた。
「おはよう、ラゼル。そんな暗い顔をして、また夜ふかしをしていたようだな」
朗らかに笑うのが父であるキールストラ公爵。その斜交いにいるのが義母である正妻の公爵夫人。その左隣が異母弟のアラベル・キールストラ。逆の斜交いにいるのが、異母兄のジークハイド・キールストラだ。全員が綺麗な金髪で、ラゼルの異様さが浮き彫りになるようだった。
「おはようございます。少し寝坊してしまいました」
僕の席は異母兄ジークハイドの右隣。注がれる視線があまりに鋭すぎて、逃げ出したくなるのを必死で堪えた。
ラゼルの設定を思い出せば、ジークハイドの視線も納得である。
ラゼル・キールストラは、異母弟のアラベルを虐げている。アラベルは気弱で、それを誰にも打ち明けることができない。卑怯なことに、誰も見ていないところで、である。それに唯一気付いているのがジークハイドで、父と義母に訴えても信じてもらえないらしい。というのも、妹が勝手に語りかけて来たのを覚えていただけである。
朝食会は和やかであり、和やかでない。僕はと言うと、気が気でなくて美味しそうな食事でも味がしなかった。度々話しかけられたが、適当に笑って誤魔化す。なにせ、ラゼル・キールストラとしての記憶がかなり薄い。転生させるなら記憶もばっちり引き継がせてくれよな。
でも、僕が公爵と公爵夫人を殺さなければバッドエンドには向かわないってことだよね? いまの僕にはそんなつもりは毛頭ない。あんな血塗れで高笑いするような人間ではないからね。
惜しむらくは、現時点でヒロインが登場したかどうかわからないところだ。夏の休暇中にレベリングをしていたことを考えるとすでに登場しているはずだが、ちっとも覚えていない。まだ悪役令息と接点はないのだろうか。
「ラゼル、なんだか顔色が悪いわ」
公爵夫人が案ずるように言うので、僕は顔を上げた。いつの間にか食事の手が止まるくらい考えに集中していたらしい。
「具合が悪いの?」
「いえ、大丈夫です。なんでもないです」
僕は適当に笑いながら、お兄ちゃんって誤魔化すの下手だよね、と呆れていた妹のことを思い出していた。
どうにか早々に朝食を切り上げ、僕は逃げるようにダイニングをあとにした。家族に怪訝に思われようと、いまはとにかく、妹から授けられた知識をまとめなければ。
適当に屋敷内を歩き回り、実家の小汚さを懐かしく思いながら思考を巡らせた。
とりあえず家族と良好な関係を築けば、父と義母を殺そうなどという発想には至らないはずだ。というのも、ヒロインのことをちっとも覚えていないから言えること。ヒロインと呼ばれるからには、魅力的な女の子に違いない。僕がヒロインに出会ったらどうなるかわからない。覚えていることと言えば、光の魔法を持つ平民の女の子、といういかにもありがちな設定だけだ。なにせ、ゲームは一人称視点。ヒロインの顔が画面に映っていた記憶がない。
まあとにかく、闇の魔法に手を出さない、というのが現時点で考え得る最善策だ。ラゼルは確か、氷属性の魔法を持っている。冷徹な悪役令息にピッタリだよね、と妹が興奮していた。
妹よ、ごめんなんだけど話の内容はほとんど覚えてないわ。あのときは適当に流してたからな。それを後悔する日が来るなんて。
寝室で見たカレンダーと妹が悔しそうに語っていた夏季休暇の日数を照らし合わせると、そろそろ休暇が終わって王立魔道学院での寮生活が再開されるはずだ。ラゼルは確か二年生で、ヒロインはひとつ下の一年生。もう会っていてもおかしくはない時期だが、本当にちっとも覚えていない。ラゼルには興味がなかったのかもしれない。ヒロインに出会うことで彼女に惹かれつつ妬むようになる、とかなんとか、そういう設定だった気がする。とは言え、ラゼル・キールストラは隠し攻略対象。この世界のヒロインが初見だとしたら、ラゼルルートに入ることはないはず。もしかしたら本当に出会っていないのかもしれない。
……ん? 悪役令息なんだから、入学当初から出会ってないとおかしいな? まあいいや。覚えてないんだからしょうがないね。妹がここにいたら一緒に破滅を阻止してくれたんだろうな。
それにしても、屋敷はどこを見ても清潔で、質素ながらも、実家の小汚さに比べたら豪華絢爛だ。冷房が必要ないくらい風が爽やかで、これだけ歩き回っているのに汗ひとつかかない。夏季とは言っても、僕の記憶にある猛暑とはまったくかけ離れた季節のようだ。
そこでふと、僕は思いついた。確か、異母兄のジークハイドが生徒会副会長だ。もちろん王立魔道学院の生徒のことを把握しているはず。ということは、光の魔法を持つ平民の女の子という特殊な生徒のことはもちろん頭に入っているはずだ。個人情報というものがあるから教えてくれるかはわからないが、訊くだけ訊いてみよう。
ラゼルの僅かな記憶を頼りに、二階の端にあるジークハイドの私室に到達する。彼の冷え切った視線を思い出したのは、ドアをノックしたあとだった。よくよく考えなくても、ジークハイドがラゼルにまともに取り合ってくれるかすら怪しい。それでも、どうぞ、と言われたからにはドアを開けるしかない。
僕がドアの隙間から顔を出すと、思った通り、ジークハイドは眉間に皺を寄せた。
「なんの用だ」
その声は鋭く尖っている。前世の僕だったらビビり散らかして退散していたところだが、ラゼルという器のおかげか怯むことすらなかった。
「光の魔法を持つ平民の女の子のことを教えてください」
「は?」
ジークハイドの表情が怪訝になる。それはそうだ。ジークハイドからすれば、憎らしい義弟がいきなり訪ねて来てそんな質問するなど考えたこともなかっただろう。追加の説明をしようと僕が口を開く前に、ジークハイドが低い声で言った。
「覚えていないのか?」
「え」
「あれだけ絡まれておきながら?」
ああ、やってしまった。明らかに不自然な行動を取ってしまったようだ。まさか、もう出会っているどころか、ラゼルを憎らしく思うジークハイドに認識されるほど絡まれているとは。
「あは……記憶力が悪いみたいですね」
「興味がなかっただけだろ」
実際、その通りなのだろうと思う。興味があれば顔くらいは覚えているはずだ。僕もヒロインに対しては興味が薄かったし、妹もプレイヤーだから攻略対象の話しかしなかった。なんて可哀想なヒロインなんだ。
「それを知ってどうするつもりだ」
「え、いや……興味が湧いただけ、です……」
睨みつけられてさすがに怯んだ僕に、ジークハイドは冷たく溜め息を落とした。
「何を考えているかは知らないが、お前が関わると碌なことがない」
つまり教えてくれないということである。これ以上、余計なことはするまい、と僕は大人しく退散することにした。粘ったところで話してくれないだろう。
ジークハイドの好感度が低すぎる。僕がヒロインだとしたら、きっとマイナスからのスタートだ。そもそもヒロインであれば憎らしく思われることもないのだが。現時点では、ラゼルは闇の魔法に手を出していない。しかし、ジークハイドはラゼルの本性に気付いているような態度だ。大事な弟への加虐性が、そうさせているのかもしれない。ラゼルが父と義母に虐げられているということもない。現時点では両親を殺そうという発想にはならないだろう。
いつまでも屋敷内をぶらぶらしていても仕方がないので、僕は自分の私室に戻った。いつくかまとめなければならないことがある。
まずは攻略対象のこと。妹の熱弁をよくよく思い出してみよう。
王道と言われるのが、異母兄ジークハイド・キールストラだ。王立魔道学院三年生で、生徒会副会長をしている。ラゼルのことで気を揉んでいるとか、なんかそういう馴れ初めだ。
次に異母弟アラベル・キールストラ。王立魔道学院一年生で、ラゼルに虐げられ、彼を恐れている。ヒロインに心の傷を癒やされる、というような馴れ初めだったと思う。
それから、この国の第一王子のレイデン・スルトレート。王立魔道学院三年生で、生徒会長だ。確か婚約者がいたはずだが、残念ながら顔も名前も思い出せない。
あとは、レイデンの護衛騎士ジェマ・ローダン。王立魔道学院三年生で、生徒会メンバーだ。彼も婚約者がいたような気がするが、記憶が定かではない。
隠し攻略対象ラゼル・キールストラは、確か他の攻略対象をクリアしなければフラグが立たなかったと妹が言っていた気がする。光の魔法を持つ平民の子と闇の魔法に手を出そうとする平民出身で、逆にお似合いという気もする。
設定はそんなものだが、肝心の物語をよく覚えていない。だが、ラゼルがアラベルを虐げることでジークハイドに睨まれるなら、まずはアラベルと良好な関係を築くことが第一歩のように思う。ジークハイドの心証も良くなり、ラゼルが絶望を溜める要因も潰せる。なんにしても、アラベルと仲良くすればいくつかの問題を解決できるだろう。
とは言っても、打算的ばかりではない。男の兄弟が欲しいと思っていたから、念願の兄弟と仲良くできるなら万々歳だ。まずは程良い距離感を見つけるところから始める。そうすれば、良好な関係を築く取っ掛かりになるだろう。
僕が破滅を招くラゼル・キールストラに転生したのは、きっと何か意味がある。破滅なんてさせない。運命を変えることが、転生者の僕に課された任務だ。そして僕は、それを叶えることができるのだろう。そのためならなんだってする。僕の新しい運命が始まったのだ。
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