第6章【1】

 翌日、午前九時。

 民を連れた避難隊を見送ると、すぐに最後の後発隊が到着した。ショットガンとサブマシンガン、大量の弾薬を持参し、戦うための準備は万全だった。

 クリストバルが討伐隊と作戦を確認しているあいだ、ベアトリスとニーラントはそれぞれの武器の手入れをした。最終決戦、暴発や誤射を発生させるわけにはいかないのだ。

 マジックパックの中身を確かめていたベアトリスのもとへ、レイラが歩み寄った。その後ろにラルフの姿がある。

「ベアトリス様。ベアトリス様のおかげで、私は光魔法を使いこなせるようになって、ここまで来ることができました。本当にありがとうございます」

「まあ、少しは役に立てるようになったかもしれないわね」

「ベアトリス様には感謝してもしきれません」

 そう言うレイラの表情は晴れやかだった。出会ったばかりの頃の自信のなさそうな色は消えている。その青色の瞳に、希望と強い意志を湛えていた。

「……お礼を言うのは早いんじゃない? まだこれからなんだから」

「はい! 私、最後まで頑張ります!」

 意気込んで拳を握り締めるレイラをクリストバルが呼ぶ。次の戦いでは、レイラの光魔法が必要不可欠となる。彼女も作戦会議に参加しなければならない。

 それでは、と辞儀をして、レイラはクリストバルのもとへ戻って行く。

「俺からも礼を言わせてくれ」ラルフが微笑む。「きみのおかげで、俺たちは無事にここまで来ることができた。レイラひとりでは、正直、耐えられなかったかもしれない」

「ただの侯爵令嬢だと思っていたけど、意外な才能もあったもんだな」

 ヴィンセントが悪戯っぽく微笑みながら歩み寄って来るので、ベアトリスは肩をすくめた。

「貴族というのはそういうものよ。あなたたちも出発の準備をしなさい」

「ああ。最後までよろしく頼むよ」

 明るい表情のラルフに、ベアトリスは肩にかかる髪を払いながら背を向ける。彼らに礼を言われる筋合いはない。ただのプレイヤーの中のひとりだっただけなのだから。

「レイラ嬢のレベルは三十に届いたのですか?」

 ニーラントの問いかけに、ええ、とベアトリスは小さく頷く。

「充分に上がりきったわ。あとはいかに民のために尽くせるかというところね」

「レイラ嬢ならやりきることができますよ」

「……そうね。あの子ならきっとやり遂げるわ」

 これまでゾンビとの凄惨な戦いを耐え抜き、それでもいつも微笑みを浮かべている。そんなレイラの強さに、クリストバルは惹かれたのだろう。

 ニーラントが不思議そうな表情をしているので、なに、とベアトリスは首を傾げた。

「お嬢様が素直にレイラ嬢をお認めになるのを初めて見たもので……」

「悪役令嬢はお役御免だもの。それに、あの子は賞賛に見合うだけの活躍をして来たわ」

「それを本人にお伝えしては?」

「それとこれとは話が別だわ」

 肩をすくめるベアトリスに、ニーラントは苦笑いを浮かべる。それから、あとは、と真剣な表情になった。

「あとは『聖なる祈り』を発動させるだけ、ですか」

「そうね。それですべて終わるわ」

 あと少し。それが終われば、ベアトリスは普通の侯爵令嬢に戻り、レイラは妃教育が待っている。妃教育はゾンビ戦より厳しいかもしれないが、彼女なら乗り越えることだろう。

 行こう、と言うクリストバルの声に、ベアトリスとニーラントは振り向いた。レイラも討伐隊も気合い充分だ。イェレミス研究所での戦いは容易ではないだろうが、きっと勝てるとベアトリスは思う。そうでなければならないのだ。

 討伐隊は、ベアトリス、ニーラント、クリストバル、レイラを中心に囲うように隊列を組む。戦闘はファルハーレンだ。ゲームの通り、彼は銃器部隊から銃の扱いを学んでライフルを手にしている。やはり先陣は譲れなかったようだ。

 イェレミス研究所が近付くにつれ、ゾンビは無遠慮さを増していた。それも後発隊がゾンビ戦に慣れるのにちょうどよかった。次第にベアトリスの指示がなくても動けるようになっていった。

 討伐隊の緊張感が高まる中、イェレミス研究所は禍々しい雰囲気を醸し出していた。ラストステージであることがはっきりとわかる。だが、討伐隊に怯える者はもういなかった。

 若い銃手がゆっくりとドアを開ける。その途端、重苦しい空気が肺に押し入って来た。廊下の奥からは低い唸り声が聞こえる。

 ライフルを構え、討伐隊は警戒を強めつつ建物内に踏み込む。

「これだけ大勢でイェレミス研究所に入るなんて、なんだか変な気分だわ」

 辺りを見回しながら、ベアトリスは言った。

「ゲームだと、ヒロインと攻略対象だけで来るんでしたね」

 ハンドガンを構えながらニーラントが言う。使いやすいほうを選んだようだ。

「ええ。討伐隊は途中で壊滅するのよ。でも、普通のサバイバルホラーゲームは基本的にひとりで攻略するから、ヒロインと攻略対象のふたりで来るのは、それだけで難易度が下がるわ」

「でも、ヒロインひとりだけで来ることもあるんですよね?」

「ソロクリアならそうね。もしソロクリアだったら、現時点でヒロインが銃を使えるはずよ。ラスボスもひたすら銃で叩くの。『聖なる祈り』が使えない分は戦いが厳しくなるけど、レベルをカンストして下級魔法を駆使すれば勝てるわ」

「ソロクリアのエンディングはどれなんですか?」

「どれでもないわ。ノーマルエンドって言われてるけど、ハッピーでもバッドでもない、中途半端なエンディングね」

 低い唸り声が近付いて来るので、ふたりは話すのをやめた。討伐隊はライフルを構え、襲来を待つ。廊下は狭く、大きく展開することができない。前衛と後衛に分かれ、戦闘を終えるたびに入れ替わることはクリストバルがすでに指示を出している。

 暗闇から影がゆっくりと現れると、先鋒の五人が射撃を開始した。その銃撃と音を受け、ゾンビがこちらに向かう足を速める。しかし、次々と撃ち込まれる銃弾を前に、四体のゾンビは無力だった。ベアトリスが手出しをする隙はない。

「ゲームで討伐隊が途中で壊滅する理由がわかるわ」

 感心しながら言うベアトリスに、ニーラントは首を傾げる。

「楽勝すぎてゲームバランスが崩れるもの」

「十倍の戦力がありますからね」

「でも、討伐隊が壊滅するというゲームの抑制力が働く可能性も捨てきれないわ」

「お嬢様がいればそうそう全滅しないと思いますが……」

「まだわからないわ。ラスボスがとてつもなく強くなっているかもしれないし」

「そうですか……」

 どのタイミングでラスボス戦になるか知っているベアトリスと、この世界の仕組みを知っているニーラントは、ひとひと話をする余裕がある。だが、クリストバルとレイラは緊張した面持ちだ。討伐隊の面々も戦いに集中している。

 ゾンビは次々に湧いて来るが、銃器部隊はすでにゾンビ戦のコツを掴んでいる。ライフルとサブマシンガンを駆使して、ひとつも傷を負うことなく突き進んで行く。しかし、徐々にゾンビの数は増えていった。核心に近付いている。ベアトリスにそう思わせるには充分な量だった。

 ややあって見えてきた通路に、ベアトリスは魔法で隊員の頭の中に語り掛ける。

『止まって』

 足を止める隊員の前に出て、ベアトリスは辺りに視線を巡らせた。ひた、ひた、と不気味な足音が、天井から聞こえる。

『静かにしていて。物音を立てないように』

 暗闇から姿を現したのはウォンスだ。それも三体いる。討伐隊を連れて来ることにより難易度が上がっているのは明らかだった。

『ひとつ先の部屋に入りなさい。絶対に物音を立てないで。ドアを開ける音には反応しないから安心しなさい』

 隊員たちは緊張で顔を引き攣らせながら、ベアトリスの差した部屋を目指す。ウォンスはあちらこちらに動き回っているが、さすが歴戦の戦士たちだ。息も足音も潜め、動転することなく次々と部屋に入って行った。

 最後にニーラントが部屋に入り、ベアトリスは取り残された者がいないか確認してからドアを閉めた。

「もう大丈夫よ」

 ようやく隊員たちは息をつく。後発隊はウォンスと対峙したことがないため少し怯んだようだが、無事に躱すことができてベアトリスも安堵していた。

「お嬢様、この部屋はもしかして……」

「ええ、セーフルームよ。いくら騒ごうが、ゾンビもウォンスもクリーチャーも入って来ないわ。ここで少し休憩しましょう」

 隊員たちの緊張が解ける。ゾンビ戦はさして難しい戦闘ではないが、一瞬の気の緩みが負傷やともすれば死に繋がる可能性もある。いつでも気を張っていなければならない状態は、若い銃士たちには精神的に疲れることだろう。

「ベアトリス様」レイラが歩み寄って来る。「お怪我はありませんか?」

「私の心配なんて、随分と余裕なのね。まずは自分の心配をしたら?」

「私は一度も魔法を使っていませんから、とっても元気です!」

「よかったわね。だけど、これからあなたは魔法を使うことになるわ。覚悟なさい」

「はい! わかりました!」

 ベアトリスは悪役令嬢ではないのだから、もう悪役令嬢らしく振舞う必要はないのではないか、とニーラントは思ったが、おそらく癖がついてしまったのだろうと苦笑する。相変わらず、レイラには嫌味が効いていない。

「みんな、聞いてちょうだい」

 ベアトリスがそう言って立ち上がると、隊員たちは話すのをやめて彼女を見遣る。

「耳を澄ませてみて」

 しん、と静まり返った室内に、どす、どす、と重い足音が響き渡る。廊下から聞こえて来る音で、体躯の大きなクリーチャーが闊歩していることを表していた。

「この廊下にはウォンスが三体いるの。倒して行くのはとても骨が折れることだし、弾薬ももったいないわ。できれば躱して行きたいのだけれど、いま聞いた通り、外にはクリーチャーがいる。ディルクよ」

 隊員のあいだに緊張が走る。この地点をゲームでプレイしたとき、さすがにベアトリスも手に汗握ったものだ。そのときはウォンスは一体だったが。

「ディルクの相手をしていたらウォンスに気付かれるわ。ディルクはこの部屋の前を行き来しているの。だから、ディルクをこの部屋でやり過ごして、離れて行ったときに次のセーフルームに入るのよ。次のセーフルームはふたつ先のドアよ。五人ずつに分かれていってちょうだい」

 ウォンスはドアを開ける音には反応しないし、足音に敏感なわけでもない。ディルクが来るためゆっくり歩いてはいられないが、避けられる戦闘はなるべく避けたい。

「もし誰かが見つかってしまったら、総動員でウォンスとディルクを倒すわ。ディルクの足音をよく聞いて。ディルクとは最終的に戦うことになるけれど、ウォンスを倒す必要はないわ。万が一に見つかってしまったときのために私は最後にこの部屋を出るから安心して」

 温存しておいた閃光手榴弾スタングレネードがまだある。ウォンスとディルクに同時に見つかってしまった場合、閃光手榴弾でスタンさせセーフルームに逃げ込むという手もある。だが、この精鋭たちがそんなミスを犯すことはそうそうないだろう。

「では五人ずつで隊を組んで。部屋を出るタイミングは私が合図するわ」

 隊員たちは先ほどまでの進軍と同じ五人組を作り、先鋒の五人が初めにドアの前に立った。ベアトリスは壁際に身を寄せ耳を澄ませる。ディルクの重い足音は、サバイバルホラーゲームに慣れていないプレイヤーにとっては恐怖だろう。

「……行って」

 ベアトリスの声で、先鋒の五人が静かに部屋を出る。足音を潜めて慎重に進んで行き、ふたつ先のドアが閉まるのを確認してから一旦ドアを閉じる。ドアが開いていればディルクに見つかり、この部屋に入って来ることはないが、部屋の前から動かなくなってしまうのだ。

 残りの三組も無事に次のセーフルームに逃げ込み、残るはベアトリス、ニーラント、クリストバル、レイラとなった。

「レイラさん、靴を脱いでちょうだい」

 自分も靴を脱ぎながら言うベアトリスに、レイラは首を傾げつつそれに従う。ニーラントが不思議そうに口を開いた。

「なぜ靴を脱ぐのですか?」

「ヒールで音が鳴るでしょう。さっきはゆっくり歩いたから響かなかったけど、できれば小走りで行きたいの。のんびりしているとディルクが戻って来るわ」

「ですが、片手が埋まってしまいます」

「どうせ見つかったら閃光手榴弾スタングレネードを使うのだし、利き手が空いていれば充分よ」

 行くわよ、とベアトリスは部屋の外に耳を澄ませる。いまはちょうど進行方向にいるようで、戻って過ぎて行くまで待たなければならない。床が冷たいことと緊張で足の指がピリピリと痺れる。そういえばなぜウォンスはディルクの足音に反応しないのかしら、などと考えているあいだにディルクは部屋の前を通り過ぎ離れて行く。ドアを開けて三人を先に行かせると、ベアトリスは最後尾でウォンスに気を張りつつセーフルームを目指した。レイラがヒロインによく見受けられる“ドジっ子”を発揮して転んだりしないかと冷や冷やしていたがそんなことはなく、無事にベアトリスもセーフルームに逃げ込んだ。

「みんな無事ね」

 一息ついて靴を履きながら、ベアトリスは全員の無事を確認する。上手く切り抜けられたようだ。

「この先、広い場所に出たらディルクが出て来ると思っておいて。いまのうちに先鋒と次鋒はサブマシンガンに持ち替えてちょうだい。残りの半分はショットガンを持っておいて」

 ベアトリスの言葉に従い、十人の銃士がライフルからサブマシンガンに持ち替え、残りの半分はショットガンを手にする。ディルクに対して銃弾を惜しむべきではない。出し惜しみせずに戦わなければならない。

「この中には一度、ディルクと戦ったことのある者もいるでしょうけれど、そのときのディルクの三倍は強くなっていると思って」

 ゲームでは装甲の硬さと攻撃力の増大が見受けられた。他の場所で出現したディルクより強化されているため、プレイヤーのあいだでは「ディルク・セカンド」という呼び名がついていた。

「では次の場所に行きましょう」

 ベアトリスに促され、銃士たちのあいだに再び緊張感が走る。先ほどと同じ隊列を組み、先頭の者が廊下を確認してから部屋を出た。ウォンスを切り抜けると、ディルクは二度とこの廊下に現れないのだ。

「ベアトリス」クリストバルが声を潜めて言う。「きみは、まるでこの戦いを経験しているように思える」

「さあ、どうですかしら」

 クリストバルは、なんとなくわかっているのかもしれない。異世界からの転生者は、異世界の知恵をこの世界にもたらす。ベアトリスの知識が異世界からのものだと、すでに気付いているのかもしれない。だが、それを言及する必要はないとベアトリスは思っている。自分がどこから来た誰なのか、それは戦いにおいてどうでもいい些末なことだ。





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