第5章【1】
討伐隊の護衛のもと、民がセーフハウスをあとにする。クリストバルは残りの後発隊は銃器部隊のみにするようにとのベアトリスの指示を受け、後発隊はすでに次のセーフハウスに向かっているはずだ。できればサブマシンガンも装備させてほしいと伝えてある。マジックパックを持たない討伐隊はふたつしか武器を装備することができない。おそらくライフルと、ショットガンかサブマシンガンを装備して来るはずだ。
ゲームでは、討伐隊のほとんどが道中でやられてしまう。サバイバルホラーゲームは普通、主人公ひとりでボス戦に挑む。このゲーム」ラブサバイバル~暁の乙女~」でも攻略対象とレイラのみでイェレミス研究所に乗り込むのだ。そう考えると、クリストバルとレイラに加え銃器部隊も連れて行けるというのは僥倖だ。討伐隊にひとりも犠牲者が出なかったことにベアトリスは安堵する。同時に、自分の采配で死者が出る可能性もあると考えると、重大な責務だと自覚する。誰ひとりとして死なせたくない。破滅するのは悪役令嬢ひとりで充分なのだ。
「次のセーフハウスは南に向かった先だったね」
地図を確認しながらクリストバルが言う。
「ええ。イェレミス研究所はその先ですわ」
「次のセーフハウスで民を救出し、そこで後発隊を待ってすぐイェレミス研究所に向かう。それでいいかい?」
「はい。作戦はそのときにお伝えしますわ」
地図をたたみながら、クリストバルはベアトリスの背中を見送る。不思議だ。以前に会ったときは普通の侯爵令嬢だったはず。それがいまは突如として現れたゾンビとの戦いで前線に立っているのだ。ゾンビの知識を持ち、あまつさえその原因も知っているなど不可解でならない。
もしかしたら、とクリストバルは考える。この国では、人々が危機に陥ったときに神の遣いが現れるという伝承がある。
――まさか、きみがそうだと言うのかい?
確かめる術はない。おそらく、ベアトリスの口からそれが語られることはないだろう。だが、ベアトリスは民を救うために命を懸けている。もし彼女が素性を明かそうとしなくても、彼女の功績はもうすでに充分すぎるほどだ。彼女が話そうとしなければ、無理に聞き出す必要はないだろう。
* * *
次のセーフハウスに向かう道中、物語が終盤に差し掛かっているためゾンビは大量に湧いた。それでも、銃器部隊のライフル一斉掃射を前にゾンビの群れは無力だった。
ベアトリスはレイラに、どうしようもなくなるまで光魔法は使わないよう言ってある。レイラのレベルは順調に上がっているし、おそらくイェレミス研究所までの戦いで「聖なる祈り」を発動するためのレベルまで上がるくらいの経験値は稼げるはずだ。何より、魔力切れを起こされては困る。討伐隊も戦いに慣れ、ゾンビを取りこぼすこともほぼなくなっていた。取りこぼしたとしても、ベアトリスとニーラントの戦力で充分だった。
狭い路地に差し掛かったとき、ベアトリスは先頭に出て足を止める。手振りで討伐隊を制止し、その場に囲む彼女に合わせて討伐隊も身を屈める。彼女の視線の先にいるのは、四つん這いの異形の怪物ウォンスだ。
ベアトリスは魔法を発動し、討伐隊の脳内に直接に語りかける。
『音を立てないで。あれはウォンス。目が見えない代わりに耳がよくて、物音に反応して襲い掛かって来るわ。そこでじっと待っていて』
身を屈めたまま、足音を殺してウォンスとの距離を詰める。この場に他のゾンビの気配はない。ベアトリスはウォンスに向け手榴弾を投げつけた。手榴弾が落ちる一瞬の音にウォンスは振り向くが、ベアトリスに突進する隙を与えず爆発がその体を飲み込んだ。醜い咆哮を上げるウォンスに、ダメ押しとばかりにサブマシンガンを撃ち込む。ウォンスは断末魔を上げ動かなくなると、体は塵となり風に乗って消えた。
ベアトリスが合図を出すと、討伐隊は立ち上がって彼女に歩み寄る。
「あれもゾンビなのかい?」
クリストバルが重々しく問いかけた。
「そうですわね。クリーチャーの一種ですわ。とても硬いですから、できれば戦いたくないのでやり過ごせたら理想的ですわ。この先も出て来るでしょうから、充分にお気を付けくださいませ」
体の硬いウォンスと戦うのは銃弾の消耗が激しい。理想としては
厄介そうなクリーチャーに、銃器部隊は少し怯んだように見えた。
「一体くらいならサブマシンガンをひたすら撃ち込めば勝てるわ。もしたくさん湧いて危険な場合は、レイラさんの光魔法に頼りましょう」
「はい! お任せください!」
大の男たちがこれだけ怯んでいるにも関わらず、レイラは強くこぶしを握り締める。その毅然とした姿が、討伐隊を鼓舞したようだった。
進んで行くうちに、ゾンビの数が大幅に増えていく。討伐隊はサブマシンガンの弾薬を節約するため、一体一体を倒さなければならず、時間がかかっていた。ベアトリスは隊列を離れサブマシンガンを撃ち込みながら、レイラに呼びかけた。
「レイラさん、祈りなさい!」
「はい!」
力強く頷いて両手を組むレイラを、クリストバルとファルハーレンが背に庇って盾となる。
ベアトリスは手榴弾を投げ込み、ニーラントは赤いドラム缶を爆発させる。それでもゾンビは湧いて来た。そういう〝地点〟に入ってしまったのだろう、ベアトリスとニーラントだけであれば走り抜けることも可能だったかもしれないが、これだけの人数では難しい。頼みの綱は光魔法だ。
レイラを中心に光の波紋が広がっていく。それは、優しく包み込む温もりを討伐隊に与えた。そして光が波動となり辺りへ響き渡ると、一団を囲んでいたゾンビは風にさらわれ一瞬で塵となり消えていった。
「警戒を解かないで!」
ベアトリスの凛とした声に、気を抜きかけていた討伐隊が再びライフルを構える。辺りを見回したベアトリスは、小さく息をついた。
「もう大丈夫よ」
討伐隊が安堵したように歓喜の声を上げる。どうやらこの“地点”のゾンビは殲滅したようだ。
ベアトリスは、胸を撫で下ろすレイラのもとへ歩み寄った。
「発動まで時間がかかりすぎよ。これではこの先が心配だわ」
「はい、頑張ります……!」
「まあでも、今回は回復魔法を同時に発動できたようだし、及第点ってところかしら」
確かに、とニーラントは手を開いたり握ったりした。あれだけのゾンビの相手をしていたのに、先ほどの光で疲労がまったく消え失せている。一瞬にして体力を回復させる魔法……それを意識的に発動することができれば、いくらでもゾンビの相手をできるだろう。
「魔力の回復薬を飲んでおきなさい。同時にふたつの魔法を発動したのだから、魔力切れを起こしてしまう可能性があるわ」
「はい! ありがとうございます!「
「それと、いつ魔法を使うか自分で判断できるようになりなさい。言われてから祈ったのでは、間に合わなくなるときがあるかもしれないわ」
「はい!」
クリストバルがレイラのもとへ来て、彼女を賞賛する。レイラはまた顔を真っ赤にして、ふたりは微笑み合った。ベアトリスはげんなりしながらその場を去る。
「何あれ。隙あらばイチャイチャイチャイチャ……」
「羨ましいんですか?」
「まさか。確かに前世では『愛する人と結婚して子どもは三人、幸せな家庭を築くのよ』なんて夢を見ていた時期はあったわ」
「……その夢は叶わなかったのですか?」
「ええ。叶う前に死んじゃったわ」
ニーラントが申し訳なさそうな表情になるので、ベアトリスは肩をすくめる。
「それが叶わぬ夢だってことは、死ぬ前にはわかってたことだし」
「…………」
「ま、いまは貴族の令嬢だから、愛する人とはいかないかもしれないけど、結婚するという夢は叶うんじゃない? 跡取りも必要でしょうし。それも生き残れたらの話だけどね」
少なくとも、悪役令嬢には望めない夢だ。悪役令嬢は生き残れないのだから。
淡い泡沫の夢は消え去る時を待っている。在りし日の思い出は遠ざかり、何もかもすべて無くなる。それが、悪役令嬢の運命なのだから。
* * *
一団がセーフハウスにたどり着くと、程なくして後発隊も到着した。セーフハウスでは民が救援を待っており、すぐに避難隊が組まれる。クリストバルは切れ者で、すでに次の後発隊が王宮を発っていると言う。おそらく後発隊を呼び寄せるのはこれが最後になるだろう。目的のイェレミス研究所まではもう目と鼻の先だ。最後の戦いが始まろうとしている。
後発隊はライフルに加えショットガンもしくはサブマシンガンを装備していた。クリーチャー戦でも優位に戦うことができるだろう。
ベアトリスは、装甲の硬いクリーチャーにはショットガンを、ゾンビに囲まれたらサブマシンガンを使うよう指示を出す。後発隊はショットガンとサブマシンガンの弾も充分に持参しており、戦いは有利に運ぶと思われる。加えて回復薬もそれなりの数を確保していた。
「ゲームでは、攻略対象とレイラ嬢だけでイェレミス研究所に行くんですよね」
不思議そうな表情でニーラントが言った。
「そうね。ゲームの主人公はレイラだもの」
「ふたりでも戦いに勝てるなら、二十人の軍勢があれば楽勝なのでは……」
「それがねえ」ベアトリスは顎に手を当てる。「さっき、大量のゾンビに囲まれたでしょう? 数が明らかに多かったのよ。もしかしたら、こちらの戦力に合わせて敵が増えるのかもしれないわ。ふたりではあれだけの量に勝てないでしょう?」
「でも、レイラ嬢が光魔法を使えるんですよね?」
「そうね。でも、レイラが光魔法を発動するまで、攻略対象だけであの量は足止めできないわ。いくらサブマシンガンがあったとしても、さすがに無理よ」
物語が終盤に差し掛かったため、そしてそういう“地点”に入ったためゾンビの量が増えたのだと思っていたが、あまりに多すぎる。ゲームの抑制力で、こちらの戦力によってゾンビが増減しているのかもしれない。討伐隊の装備はかなり有利に戦いに挑めるはずだが、もしそういった抑制力が働いているのなら、楽な戦いではないだろう。
「もしゲームと同じ量のゾンビが出て来るなら楽勝よ。ただ、ゲームの抑制力でゾンビが増減しているのなら、軍勢に合わせてラスボスも強くなっている可能性があるわ」
「…………」
「レイラさんをいまから全力で育ててレベルをカンストさせようかしら……」
「そのレベルというのはなんなのですか?」
「簡単に言うと強さね。私にはステータスウィンドウでその人のレベルがわかるの」
「レイラ嬢のレベルはどんな感じなんですか?」
「いまは二十七ね。三十まで上げれば『聖なる祈り』を発動できるから、このあと素材採取に連れて行けば届くはずよ」
「カンスト、というのは……」
「九十九まで上げることよ。さっきの量のゾンビの中にひとりで放り込むのを三回ほどやればカンストするかもね」
「…………」
実際、レイラのレベルをカンストさせることは可能だ。このゲームには「ソロクリア」というルートもあり、それを目指すには攻略対象の好感度を捨ててレベルだけを上げていけばいい。ソロクリアではレイラひとりでイェレミス研究所に突入し、カンストレベルでほぼ無尽蔵な魔力を用いて光魔法を連発しラスボスに勝利する。ソロクリアでは攻略対象と結ばれることはなく、街を救った功績により悪役令嬢ベアトリスを失った悲しみに暮れるセラン侯爵家に養女として迎えられるのだ。乙女ゲームとしては破綻しているが、最後に一枚だけ、幸せそうに微笑むレイラとセラン侯爵夫妻の新規スチルがあるのだ。だが、それだけだ。様々なスチルを見られる各攻略対象ルートに比べるとがっかりするだろう。
そう話すと、ニーラントは顔をしかめた。
「そのルートにはなんの意味が……?」
「まあ、すべてのルートをクリアしたあとのおまけのようなものよ」
「はあ……そうですか……」
「現時点では現実的ではないわ。レイラさんを危険に晒すだけよ」
そこに歩み寄って来る者があり、ふたりは話すのをやめる。クリストバルだった。
「ベアトリス、話がある。ニーラント、すまないが少し外してくれるかい?」
「承知いたしました」
来たわね、とベアトリスは心の中で呟いた。
ニーラントが離れて行くと、クリストバルは気まずそうに話し始める。
「父から、きみと婚約を結ぶよう達しが来たんだ」
「あら、そうですの。身分としても妥当というものではないでしょうか」
「…………」
ベアトリスはクリストバルが口を開くのを待った。彼の言いたいことは知っているが、自分から言ってやるほど、ベアトリスも親切ではない。
レイラはクリストバルの好感度を充分に上げているようだ。だが、クリストバルには立場というものがある。ゲームのベアトリスは、レイラとの恋路を邪魔する絶好の機会だとばかりにクリストバルとの婚約話を進めようとする。もしかしたら、クリストバルに対する淡い恋心があったのかもしれない。
「……私は、レイラを妻として娶りたいと思っている」
ようやく絞り出された言葉に、ベアトリスは肩をすくめる。
「お言葉を返すようで申し訳ありませんが、レイラさんは光の魔法使いと言えど身分としては平民。殿下とは釣り合いませんわ「
「……それでも、私は、彼女を愛している」
自分の気持ちを確かめるように言うクリストバルの表情は硬い。ベアトリスは内心、げんなりしていた。何を聞かされているのだろう。
「いくつも障害がありますのよ」
「わかっている」
「周りの理解を得るには時間がかかりますわ」
「レイラの優秀さを認めさせる」
「レイラさんには未来の国母となるほどの教養がありませんのよ」
「彼女なら教育に真摯に取り組んでくれることだろう」
「……殿下、まず仰る相手をお間違えではありませんこと?」
溜め息交じりに言うベアトリスに、クリストバルは首を傾げる。
「レイラさんにお気持ちは打ち明けられまして?」
「い、いや……まだだ」
「まずはレイラさんに仰ってくださいませ。その次にどなたにお話しするか、聡明な王太子殿下ならもうおわかりですね?」
クリストバルの表情がパッと明るくなる。それから、希望に満ちた顔で頷いた。
「ありがとう、ベアトリス。きみがいてくれてよかった」
「お礼など結構です。さあ、もうお行きになられたほうがよろしいですわ」
ベアトリスはクリストバルの背後を手で差しながら言った。クリストバルがそちらに視線を遣ると、陰から様子を見ていたレイラと目が合う。婚約話の持ち上がったふたりが何を話しているのか気になったのだろう。
「ありがとう、ベアトリス」
クリストバルがレイラに駆け寄って行くと、ニーラントが戻って来た。
「やんなっちゃうわ。ただ惚気られただけだなんて」
「では殿下とのご婚約は……」
「親同士が勝手に進めたってだけよ。正式に言い渡されたわけではないわ」
面倒くさい、と何度目かの溜め息を落としたベアトリスは、ニーラントがどこか安堵したような表情を浮かべていることに気付いていなかった。
「だいたい、殿下と結婚したら将来は王妃じゃない。平民よ、私」
「侯爵令嬢ですが……」
「中身の話。確かに侯爵令嬢として受けた教育は忘れていないけど、前世がそうだったから根幹が平民だもの。そんな私が王妃の座に就くなんて、耐えられるわけがないわ」
「ですが、殿下とご婚約されれば侯爵家も安泰なのでは……」
「馬鹿ね。そんなことしなくてもお父様がいれば侯爵家はすでに安泰よ」
セラン侯爵は実に有能な領主だ。イェレミス研究所の研究内容に気付けなかったのは失態だが、何重にも隠されたものをいくら優秀であっても見つけられるはずがない、要は、イェレミス研究所は魔法でそれを隠していたのだ。
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