第4章【4】

 クリストバルによって民を送る隊が組まれ、今日はこのセーフハウスで後発隊を待つこととなった。ベアトリスとレイラ、民の女性たちで作った食事を取っているあいだ、討伐隊員たちの雰囲気は朗らかだった。中ボスに相当するディルクを倒したことで、一様に安堵したらしい。

 ファルハーレンが厳しい表情でベアトリスのもとへ来たのは、四人で壁際に寄って作戦会議をしているときだった。

「ベアトリス様、なぜディルクが出現するとわかっていたのですか?」

 それはおそらく、誰もが思っていたが口にしなかった疑問だろう。生真面目な性格のファルハーレンは“気にしない”ということができなかったようだ。

「あなたは普通の侯爵令嬢だ。そもそもゾンビの倒し方を知っているのもおかしい。ゾンビ化の原因は、あなたなのでは?」

「ファルハーレン、やめないか」

「ベアトリス様を疑うんですか⁉」

 クリストバルとレイラの制止にも、ファルハーレンはベアトリスに厳しい視線を向けるのをやめない。ベアトリスはひとつ息をつき、レイラを見遣った。

「レイラさん。光の魔法の発現は、どういった感じだったかしら」

「えっ?」レイラは目を丸くする。「えっと……この街がゾンビに冒されたと聞いて、教会で祈っていたとき、急に温かい光に包まれたと思ったら、神官の方が祝福を受けたと教えてくださったんです」

 たどたどしく言うレイラに頷いて、ベアトリスはファルハーレンを見つめた。

「つまり天啓ということ。私もそうよ」

「神より賜った知識ということですか?」

「ええ。私には、この街をゾンビから救うための知識がある。もし私がこの街をゾンビで冒したのなら、自分で討伐するのは不自然ではなくて?」

「ゾンビが暴走したのは、ミスだったのでは? それを隠すために殲滅しようとしているのではありませんか?」

 ファルハーレンは生真面目で頑固な人間だ。ゲームでは、自分が信じた道を突き進む姿にヒロインは心を惹かれる。その騎士然とした姿勢が、多くのファンを生み出していたのも確かだ。

「ベアトリス様はそんなお方じゃありません!」

 強い口調で言うレイラに、ファルハーレンが目を丸くする。

「ベアトリス様は、民のために命を懸けてらっしゃるんです! そして私たちはベアトリス様に救われました。どうしてそんなお方を疑えるのですか⁉」

 ファルハーレンだけでなく、ベアトリスもぽかんとレイラを見つめた。あのヒロイン・レイラが怒っている。それも、悪役令嬢であるベアトリスのために。

「……申し訳ございません、ベアトリス様」ファルハーレンが頭を下げる。「あなたの知識がなければ、自分たちが死んでいた可能性があるのは確かです」

「まあ、疑うのも無理ないわ。でも、もし真犯人だとしても、あなたたちの命を危険に晒すことはないわ」

「その点は疑っておりません。もしあなたに我々を害する気があれば、ディルクのことを我々には伝えないはずですから。あなたがいなければ、我々は壊滅し、民を救うどころではなかったでしょう」

「お役に立ててなによりよ」

 そう言って微笑んで見せたベアトリスに、ファルハーレンは深く頭を下げた。やはり彼もヒロインであるレイラには弱いようだ。

 休憩時間が終わると、クリストバルとレイラは討伐隊とともに作戦会議を始める。ベアトリスとニーラントは輪を離れ、時折に助言を求められたときだけ発言した。

「……お嬢様」

 ニーラントが声を潜めて言う。

「なぜディルクの出現をご存知だったのですか?」

「ディルクというより、広い場所は大中小を問わずボスが出て来ると相場が決まっているの。もしくは遮蔽物があるところね」

「はあ……そうですか……」

「ディルクは足が遅かったけれど、中ボス以上は動きが速かったり物を投げて来たりするわ。遮蔽物や爆発物を上手く使って戦う必要があるの」

「ディルクは随分と硬かったですが、そのボスというのはやはり強いのですか?」

「そうね。騎士の剣では斬れないわ」

「では、銃器部隊が重要になるということですね」

 サバイバルホラーゲームでは通常、武器はほとんど銃だ。ステルスキルはナイフを使うが、種類が豊富な銃を使い分けて戦う。本来、騎士や魔法使いは登場しないはずだ。この世界は乙女ゲームであるため、そういった者が存在している。RPGであればゾンビと戦う騎士や魔法使いもいるだろうが、サバイバルホラーゲームではそういった展開になるのはこの世界の特有のものだ。だが、実際に戦っているところが画面に映るのはレイラと攻略対象だけであるため、騎士・魔法隊がどうやって戦っていたかは見たことがない。ただ、ファルハーレンルートでかなり苦戦したことはよく覚えている。最終的にはファルハーレンも銃で戦う場合もある。サバイバルホラーゲームと乙女ゲームを無理やり掛け合わせたため設定が複雑になってしまったのが伺える。

 そのためベアトリスはクリストバルに、騎士・魔法隊を民の護衛につかせ王宮に帰還させるよう進言した。この先、騎士・魔法隊は戦うことができなくなる。わざわざ危険な戦地に連れて行く必要はない。ファルハーレンだけは王子の護衛のためだと言って聞かなかったため、連れて行くことになった。

「中ボス以上はひたすら銃弾を撃ち込むしかないけど、ひとりでは撃ち込める数にも限界があるし、逃げながら戦わなければならないから、銃器部隊がいるのはありがたいわ」

 ゲームでは操作するのがヒロインで、しかし銃を使って戦うのは攻略対象だ。戦闘システムは至って単純で、攻略対象の行動を選択し、ヒロインが魔法を発動するタイミングを見計らうだけだ。攻略対象はコマンドを選択すればあとはオートで動いてくれる。実はヒロインが銃を扱うことも可能だが、ハンドガンに限られている。光魔法を捨てて銃で戦う方法もあるのだ。ただし、いわゆるラスボス戦では「聖なる祈り」が重要な役割を担っている。

「銃器部隊の射撃と、手榴弾やドラム缶なんかの爆発物を使えば戦闘はかなり優位に進むわ」

「では、銃器部隊がいれば負けることはなさそうですね」

「どうかしらね。ラスボスにはそれなりの知恵があるの。立ち回りが重要になってくるわ」

「そのラスボスとやらは、どこで出て来るかわかるのですか?」

「わかるわ」

「それは殿下にお伝えしたほうがいいのでは……」

「作戦ができてからお伝えしたいの。作戦ができていないうちに話すのは、悪戯に怖がらせるだけよ」

 このゲームの最終目標ラスボスは、ゾンビ化ウイルスを作り出したイェレミス研究所の所長だ。自らもゾンビ化ウイルスを取り込みクリーチャーとなる。それまでにヒロインはもちろんのこと、攻略対象もそれなりにレベルを上げる必要がある。武器も揃えなければならない。NPCである攻略対象は、その戦いにおいて最善の武器をオートで使い分ける。最も威力の高いマグナムを持っていればそれを使う。その時々で最も適した武器で戦ってくれるのだ。

「殿下とご一緒に作戦を立てられたらよろしいのでは?」

「正直、ゾンビをよくご存知でない殿下に、最適な作戦は期待できないわ。これまでの戦いで殿下の戦闘能力はわかったし、自分で攻略したときの方法と合わせて考えているわ」

 ゲームのときは魔力の回復薬を大量に所持し、攻略対象の攻撃に加えてヒロインの光魔法を連発して弱らせ、そうして「聖なる祈り」を使っていた。アクション要素もあるためゾンビの攻撃を回避する必要はあるが、光魔法は連射が利く。だが、現実ではそう簡単にはいかないだろう。光魔法の連射はいくら魔力の回復薬があってもレイラには耐えられないはず。ステータスウィンドウを見る限り、レベルは順当に上がっている。あとは如何に上手く立ち回らせるか、であ。負傷者はひとりとして出させない。それが転生者としての責務にして意地だ。

「それより」ベアトリスは手を叩く。「そろそろ二つ目のイベントが来るはずよ」

「どういったものですか?」

「私と殿下の婚約話が浮上するわ」

 なんでもないことのように言うベアトリスの言葉に、ニーラントは絶句する。

「こんな状況で……」

「こんな状況だからこそ、かしら」

 ニーラントが怪訝な表情になるので、ベアトリスは肩をすくめた。

「ほら、吊り橋効果ってあるでしょ? この状況で殿下とレイラさんが恋に落ちるというのは、誰の目から見ても明白よ。レイラさんは光の魔法使いと言ってもただの平民。光魔法は国家にとって有用だろうけど、身分が違いすぎるわ。それなら、侯爵令嬢である私と婚約させたほうがいいってわけ。国王陛下は先手を打たれるのよ」

「……ですが、最後には殿下がプロポーズしてレイラ嬢が『聖なる祈り』を発動させるんですよね?」

「ええ。私の死によって婚約話はなかったことになるわ」

「…………」

 攻略対象と悪役令嬢が婚約するのは、乙女ゲームにおいてはよくある話だ。攻略対象は最終的に悪役令嬢を振って婚約を解消する。攻略対象と悪役令嬢の婚約という大きな障害が、ヒロインとの恋心を盛り上がらせるのだ。

「ですが……お嬢様が死ななかったらどうなるんです?」

「レイラさんが殿下の好感度を充分に上げることができていれば、殿下のほうから解消を申し出ていらっしゃるでしょうね」

「その好感度やらは、ステータスウインドウでは見られないんですか?」

「それが、表示されないのよ」

 ステータスウィンドウが現れ、クリストバルとレイラに出会った頃から疑問に思っていたことだ。ふたりのレベルは表示されるのに、肝心の好感度がどこにも表示されないのだ。何度も試みたが駄目だった。

「もしかしたらだけど、好感度って要は感情の機微だから、心を数値化することはできないから見ることができないのかもしれないわ」

「なるほど……。では、レイラ嬢が好感度を上げられていなかったら、どうなるんですか?」

「私と殿下が結婚することになるでしょうね。そうなっても、侯爵家の娘として受け入れるべきよ」

 正直なところ、王族との政略結婚など気が重くて仕方がない。前世は平民も平民、ど平民だ。現世ではベアトリスとしての記憶もあるため貴族としてやっていけているが、もしクリストバルと結婚すれば将来的に王妃となる。そんなことは考えただけで気が滅入る。

「ですが、殿下がプロポーズしなければ、レイラ嬢は『聖なる祈り』を発動できないのでは?」

「だからそう仕向けるのよ」

 そう言ってベアトリスが不敵に微笑むと、ニーラントは表情を明るくする。

「それが悪役令嬢の務め。殿下とレイラさんをくっつけるわよ」

「具体的にはどうするのですか?」

「とりあえず私が殿下とレイラさんに嫌われれば、相手への思いが膨らむんじゃない?「

「いまの状態でそうなるでしょうか……」

「悪役令嬢と結婚したいと思う人なんていないわ」

 ニーラントがなんとも言えない表情になるので、ベアトリスは肩をすくめる。

 彼の言いたいことはわかる。先ほどレイラがベアトリスを庇ったことを見る限り、レイラはベアトリスを嫌っていない。それどころか懐かれているということも自覚している。クリストバルとは幼い頃から付き合いがあるが、おそらくベアトリスを妹のように思っている。そんなふたりから嫌われるのは骨が折れることだろう。それでも嫌われるしかない。それが悪役令嬢の務めだ。

「……あの」ニーラントが遠慮がちに口を開く。「殿下がレイラ嬢にプロポーズをすればいいんですよね?」

「ええ、そうね」

「いまの雰囲気を見る限り、お嬢様が嫌われる必要はないと思うのですが……」

「まあ……最終的にふたりが恋仲になればいいんだけど」

「それに、お嬢様が嫌われることはないと思うのですが……」

「……それはどうかしらね」

 現時点までの経験上、ゲームの抑制力は確実に存在している。いまのクリストバルとレイラがベアトリスを悪く思っていないとしても、突然に悪役令嬢に仕立て上げられることもあるかもしれない。もし悪役令嬢に仕立て上げられたとしたら、ベアトリスに待つのはゾンビ化と死だ。いつでもそうなると思っておかなければ、おそらく心がもたない。ベアトリスは悪役令嬢として嫌われるつもりだが、嫌われることが平気なわけではない。だから、ふたりに思い入れを作るわけにはいかないのだ。



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