第3章【3】

「そういえば、光魔法には探査能力もあったわね」

 ベアトリスが思い出して言うと、レイラが目を輝かせた。

「やってみますか!?」

「いえ、いまは無理でしょう。強化魔法しか成功していないんだから」

 冷静に切り捨てるベアトリスにレイラがしょんぼりと肩を落とすので、クリストバルが励ますように肩に手を置いた。

 少し歩くたびに現れるゾンビを倒し、アイテムを見つけて拾いながらしばらく進んだところで、ベアトリスは一軒の民家の前で足を止めた。

「ここで少し休憩しましょう」

 王族を案内するにはあまりに粗末な建物ではあるが、比較的に損傷が少なく、少し休憩という程度なら問題なく過ごせるだろう。

「ここもセーフハウスなのかい?」

「いいえ、普通の民家ですわ。ですので、ゾンビは入って来ます」

 そう言いながらドアを開けたベアトリスに、クリストバルとレイラが顔を見合わせた。ゾンビが入って来る可能性のある場所では休憩にならない、と思っているのだろう。

「この辺りにセーフハウスはありませんが、比較的にゾンビの出現も多くありません。ですが、急に窓を突き破って来る可能性はありますので警戒はしておいてくださいませ」

 クリストバルとレイラの表情が険しくなるのを、ニーラントだけが見ていた。

 ベアトリスの目的は「作業台」だ。ステータスウインドウによると、この家屋にあるらしい。ゲームではアイテム欄で組み合わせるだけで弾が出来上がるが、ステータスウインドウがあってもアイテム欄はないようだった。そのため、いちいち作業台で組み合わせなければならない。そこだけはご都合主義が通らなかったようだ。

 クリストバルとレイラは落ち着かない様子だった。セーフハウスと違い、どこからゾンビが襲来するかわからない。気の抜けない休憩だろう。

「ニール、いざというときは任せたわよ」

「承知しました」

 ニーラントも随分と逞しくなったものだ、とベアトリスは小さく笑った。

 とは言え、今回の作業はショットガンの弾を作るだけだ。銃のパーツが見つからないかと思っていたが、現実はそんなに甘くないようだ。

「ロングマガジンがあればいいのに……」

 作業台に手をついて誰にでもなく呟いたベアトリスに、レイラが問いかけた。

「それはなんですか?」

「ハンドガンに着ける、簡単に言えば装填数を増やすためのパーツよ。ハンドガンは連射も利くし、装填数が増やせれば戦いが多少なりとも有利になるわ」

「私が探査魔法を使えれば見つけられるんでしょうか……」

「そうかもしれないわね。まあ、あなたの探査魔法には期待いていないわ。そんなことを考えてる余裕があったら、攻撃魔法のひとつでも使えるようになってちょうだい」

「はい! 頑張ります!」

 相変わらず嫌味の効かない天真爛漫さに、ベアトリスは目頭をつまんだ。それでもすぐに気を取り直し、さあ、と顔を上げる。

「私の作業は終わりましたわ。素材も充分に回収できましたし、ゾンビが攻め込んで来ないうちに教会に戻りましょう」

 ベアトリスの言葉に、クリストバルとレイラは安堵したような表情で立ち上がる。あれほどゾンビの中を進行して来たと言うのに、建物の中にいるほうが怖いのか、とベアトリスは首を傾げた。それから、どこから来るかわからないから怖いのか、と思い直した。

「あ、ちょっと待って、レイラさん」

「えっ、はい!」

 レイラがビシッと“気を付け”の状態で立ち止まるので、ベアトリスは苦笑いを浮かべる。

 ステータスウインドウを開きレイラの経験値を調べると、ひとつだけレベルが上がっていた。しかし「聖なる祈り」のためにはまだまだ足りない。やはり彼女自身が光魔法で経験値を積むほうが効率がいいのだろう。

「……なんでもないわ。行きましょう」

 そう言って肩にかかる髪を払うベアトリスに、レイラは不思議そうに首を傾げた。

 周囲を警戒しながら建物を出る。幸い近辺にゾンビの姿はなく、四人は一斉に教会の方角へ駆け出した。空はいつまでも暗いままだが、そろそろ時刻は二十時を回ろうとしている。ゾンビの活性化に時間も関わってくるのだとしたら、急いで教会に帰りたいところだ。

「きゃあああ!」

 突如として聞こえて来た悲鳴に、四人は足を止める。辺りを見回すと、地面にへたり込んだ女性と子どもの前でゾンビ化した犬が唸り声を上げていた。

 ベアトリスは咄嗟にライフルを構える。照準を合わせていたとき、子どもが泣きじゃくりながら声を上げた。

「やめて! バレットを殺さないで!」

 おそらく少年の飼い犬なのだろう。だが、ゾンビ化した動物を治す手立てはない。いっそひと思いに、とベアトリスがトリガーを引いた瞬間、犬がまるで弾道を予測したかのように後方に跳んだ。銃弾は地面にめり込み、犬は飼い主である少年に向かって駆け出した。

「危ない!」

 ベアトリスが制止する間もなくレイラが飛び出す。少年に覆い被さった瞬間、レイラを中心に光が巻き起こった。それは辺りを照らすように瞬き、風のように広がって掻き消える。それはゾンビ化した犬――バレットを一瞬で塵にした。

 呆然とするレイラの腕の中で、子どもは大声を上げて泣き出した。我に返ったレイラは、罪悪感にも似た表情で青ざめる。

「泣くのはやめなさい」ベアトリスは言う。「ゾンビ化した犬は助からない。彼女は間違ったことはしていなくてよ」

「申し訳ございません、ベアトリスお嬢様……!」

 母親が顔を青くして頭を下げるので、ベアトリスはひとつ息をつく。

「こんなところで何をしているの? この街はどこにいてもゾンビが襲って来るわ。たまたま私たちが近くにいたからよかったけど、街に出るなんて死にに行くようなものよ」

「子どもが、バレットを探したいと言って聞かなかったもので……。お手を煩わせて申し訳ありません……!」

「まあ、無事でよかったわ。教会へ向かいましょう。ほら、いつまでも泣くんじゃないわ!」

「だって……」

「彼女がこうしていなくても、私がバレットを撃っていたわ。そうしたらバレットは痛い思いをしたかもしれない。でも、バレットは優しい魔法で苦しい思いをせずに死んだの。どうせゾンビ化した動物は助からないのだから、苦しまずに済んでよかったじゃない。それともなあに? あなたはバレットに殺されたかったの?」

 子どもはしゃくり上げながらかぶりを振る。

「バレットだってあなたを殺したくなかったでしょう。いいこと? バレットは救われたのよ」

 子どもは涙でぐしゃぐしゃんの顔で真っ直ぐにベアトリスを見つめ、小さく頷いた。ベアトリスは乱暴に子どもの頭を撫でると、促すように母親を見遣る。母親は申し訳なさそうにしながら子どもの手を取った。

「あなたもさっさと立ちなさい」

 ベアトリスに肩を叩かれ、レイラはようやく我に返る。彼女が弾かれたように立ち上がると、クリストバルが先頭に立って歩き始めた。

「あの……ありがとうございます、ベアトリス様」

 声を潜めてレイラが言うので、ベアトリスは肩をすくめる。

「あの魔法をいつでも使えるようになってちょうだい」

「はい……!」

 不覚にもレイラを庇う形になってしまい、ベアトリスは溜め息が止まらなかった。どこにヒロインを庇う悪役令嬢がいるだろうか。レイラの視線を見る限り、彼女のベアトリスに対する好感度を上げてしまったことに間違いない。悪役令嬢の役割を全うすると豪語していたのに、なぜこうなってしまったのだろう。


 教会へ戻ると、後発隊がひとつ先のセーフハウスに到着したと部下がクリストバルに報告した。明日にもこの教会に到着すると言う。ベアトリスは救出した母子を王宮に送る隊を編成するようクリストバルに進言し、作戦は明日、後発隊が到着してから立てることとなった。部下たちは聖堂で寝支度を始め、ベアトリスはニーラントとともに個室に向かう。ふたりでも作戦会議をする必要がある。

「ベアトリス様!」

 レイラが駆け寄って来るので、ベアトリスは顔をしかめた。

「元気が有り余っているのね。あなたは戦っていないものね」

「はい! 守っていただいて、本当にありがとうございます!」

「…………」

 渋い表情になるベアトリスに、ニーラントが苦笑する。そんな彼を睨み付けてから、ベアトリスは肩にかかる髪を払った。

「言いたいことはそれだけかしら?」

「あっ、いえ……。あの、ベアトリス様は光魔法についてお詳しいんですよね」

「あなたよりは知っているかもね」

「あの、どうしたら光魔法でもっとみなさんのお役に立てますか?」

 レイラの表情は真剣だった。子どもを光魔法で助けたことで、自分の力が誰かの役に立つものだと実感したのだろう。それを制御する力がないことを自覚している。そのため、ベアトリスは光魔法を熟知していると思い、彼女のもとへ来たのだ。

 レイラには最終的に「聖なる祈り」を使えるようになってもらわなければ困る。ベアトリスに、自分で考えろと意地悪く言うという選択肢はなかった。

「光魔法は『祈り』よ」

「祈り……ですか」

「うまく使えないなら祈りが足りないんじゃない?」

「……わかりました。ありがとうございます。魔法を使いこなせるようになって、少しでも、ここまで導いてくださったクリストバル殿下のお力になりたいんです」

「そう。恩義を返すのはいいことだわ」

「それから……その、ベアトリス様のお役に立ちたいんです」

「……まあ、死なないことが一番の貢献なんじゃない?」

「はい! ありがとうございます!」

 ぺこりとお辞儀をして、レイラは去って行く。その背中に、ベアトリスは大きく溜め息を落とした。それから、気を取り直してニーラントを振り向く。

「あの子はクリストバル殿下のルートに入ったみたいよ」

「ということは」と、ニーラント。「殿下のプロポーズで……」

「ええ。そうと決まれば、悪役令嬢の役割を全うしようじゃない」

 そう言って笑うベアトリスを、ニーラントは複雑な表情で見つめる。もう手遅れです、とその顔に書かれているのをベアトリスは無視した。

「悪役令嬢と言えば恋路の邪魔よ」

「具体的には何をするんですか?」

「そうね……。ゲームの悪役令嬢ベアトリスヒロインレイラを命の危機にまで晒していたけど、さすがにそれはやりすぎね。意地悪するくらいでいいのよ」

「意地悪……」

「たとえば、ふたりきりのところを邪魔しに行ったりとかね」

「……ですが……悪役令嬢の役割を全うしたら、お嬢様は……」

 ニーラントが顔をしかめて言うので、ベアトリスは肩をすくめてそれを流す。もう何度も繰り返しているやり取りだ。ニーラントはベアトリスに死んでほしくないようだが、乙女ゲームにおいて悪役令嬢は破滅するのが運命だ。もしゲームの抑制力があるのだとすれば、ベアトリスの死は避けられない。ベアトリスはそれでもいいと思っている。それで民を救えるのだから。

「どういう状況で悪役令嬢はゾンビ化するのですか?」

「ゾンビに囲まれて、逃げようとしたときに足をもつれさせて転ぶわ」

 なんでもないことのように言うベアトリスに、ニーラントはぽかんと目を丸くしたあと、眉間にしわを寄せる。

「……そんなことで……」

「どうやってヒロインを出し抜くか考えて足をもつれさせるんじゃない?」

「そんな最期って……」

「間抜けよね。攻略対象は悪役令嬢を助けようとしてくれるのよ。私も足をもつれさせるのかもね」

 あまりにも間抜けな最期だ。ベアトリスが前世でプレイしたどの乙女ゲームよりも間抜けな最期である。他のゲームでは、ヒロインへの嫌がらせの罪を問われて断罪されたり、ヒロインの命を狙い攻略対象によって返り討ちに遭ったり、恋心を懐く攻略対象に冷たくあしらわれて心が堕ち悪霊に取り憑かれて討伐されたり、家が没落して追放されたり、と様々な破滅の仕方がある。その中でも足をもつれさせて転んでゾンビ化など間抜けにもほどがある。サバイバルホラーゲームとしての面もあるため、どうしてもゾンビ化させたかったのだろう。

「……もしお嬢様がそうなったら、私がお守りします」

 ニーラントが力強く言うので、ベアトリスは首を横に振った。

「駄目よ。破滅するのは悪役令嬢ひとりって決まってるの」

「それは物語の話ですよね。ここは現実です。主人を守らずして従者は務まりません」

「……しょうがないわね」ベアトリスは溜め息を落とす。「確かに、悪役令嬢ベアトリスが死ぬとき、ニーラントはそばにいなかったわ。あなたがいることで、私の運命が変わることもあるかもしれないわね」

 ニーラントの表情が明るくなるので、ベアトリスはくすりと笑った。

「お嬢様ならゾンビに囲まれても無傷で済みますよ」

「それは買い被りすぎよ。私だってやらかす可能性はあるわ。まあ、なんにしても、あの子が光魔法を使いこなせるようになるまで耐えましょう」

「はい」





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