第9章【4】

 またドアがノックされた。どうぞ、とイリーが応えると、リティカが顔を覗かせる。

「遅くにごめんなさい。お話してもいいですか?」

「もちろん。どうぞ入って」

 リティカが椅子に腰を下ろすと、リッツは新しく紅茶を淹れた。リティカはどこか緊張した表情をしている。

「それで、どうしたの?」

「はい……。私、生徒会に入って、ここが現実世界になったってやっとわかったんです」

 セシリアは、リティカはまだプレイヤーだった頃の感覚が抜けない、と言っていた。そのため、身分が上であり上級生であるフェリクスに無礼な行動を取ってしまったのだ。いまの彼女たちにとって、ここは現実世界である。この世界に生きる人々に触れたことで、ようやくそれを実感できたらしい。

「そう思ったら……怖くなってしまったんです」

 リティカが強く手を握り締める。その手は微かに震えていた。

「私の言動次第で、ドロテア様の運命が変わってしまうんですよね」

「そうだね」イリーは頷く。「それは私もそうだったよ。私の言動次第で、フローティア様は破滅するかもしれなかった。でも、私が何もしなければ、フローティア様は破滅するだけだったかもしれない」

 リティカが顔を上げるので、イリーは優しく微笑んで見せた。

「行動するのが怖いのはよくわかるよ。でも、私たちには情報がある」

「前世の記憶、ですね」

「うん。ヒロイン私たちにはそれだけの力があるんだよ」

 リティカの瞳に小さな光が宿る。ヒロインの言動次第で悪役令嬢は破滅の運命を辿る。逆を返せば、破滅を防ぐことも可能なのだ。

「私も、できるならドロテア様とお友達になりたいです。イリー先輩とフローティア様のように」

「私はフローティア様の愛の下僕だよ」

 あっけらかんと笑うイリーに、リティカは苦笑いを浮かべる。イリーを肘で小突いたリッツは、咳払いをした。

「リティカの持ってる情報を教えてくれる?」

「はい。ドロテア様は生まれながらに闇の魔法を持っていて、ラフィット家では疎まれています。エンリケ様との婚約話が出ていますが、闇の魔法を持つことで王宮に渋られています」

 これに関してはドロテアも認めていた。それはドロテアの悩みでもあった。

「ドロテア様はエンリケ様に恋心を懐いていて、エンリケ様も悪く思ってはいないんです。でも、ドロテア様は闇の魔法を持つことでどこでも疎まれ、孤独でした」

 フローティアも悪役令嬢という設定のせいで孤独感を懐いていた。この世界に生きるただひとりの少女が抱えるには大きすぎる感情だ。

「王立魔道学園に入って、光の魔法を持つヒロインに出会って心を刺激されるんです。近々、エンリケ様との婚約が発表されるはずです。でもそれによって、ラフィット侯爵がドロテア様の属性を変えるために悪魔と取引をするんです」

 イリーとリッツは顔を見合わせた。悪魔との取引は、この世界において禁忌となる行為だ。それが公になれば、ラフィット侯爵は爵位を剥奪され、没落する可能性もある。

「この辺りは詳しく描かれていなかったので、私もよくわかりません。ですが、それが王宮に知られてしまい、ドロテア様とエンリケ様の婚約は破棄されます。ヒロインがどのルートに入っても、ドロテア様はその運命を辿ります」

「それなら、ラフィット侯爵が悪魔と取引するのを防げれば……」

「はい。属性を変えなくても、ドロテア様の運命を変える方法はきっとあると思います」

「またトロジー家の出番かしら」リッツが言う。「ラフィット侯爵の動向を探ってみるわ」

「……トロジー家ってチートですね」

 リティカが感心したように言うので、イリーは苦笑いを浮かべる。

「私もそう思うよ」

 トロジー家はこの国において権力を持つ宰相である。宰相にかかれば、貴族の動向を探るのはそう難しいことではないだろう。

「リティカは誰も攻略するつもりはないんだよね」

「はい。続編は前作をまったく引き継いでいませんが、現実は違います。私が誰かを攻略することで、誰かの運命が変わる……。それは私も本望ではありません」

 前作のヒロインであるイリーは、フローティアの破滅を防ぎ、ゲームには存在しなかった友情エンドへと辿り着いた。そこに続編ヒロインが介入することで、現在のイリーたちの関係値は変わってしまう。それはイリーとしても阻止したかった。

「実は……最近、気になる人がいるんです」

 リティカの頬が微かに赤くなる。これにはイリーもリッツも身を乗り出した。

「誰だれ?」

「同じ一年のキール・ブライトくんです」

「ブライト商会会長の次男ね」リッツが言う。「攻略対象なの?」

「いえ、キールくんはお助けキャラとして登場するんです。攻略のヒントをくれたりするんですよ」

 イリーにキャラクターとしてのキール・ブライトの情報はないが、ブライト商会会長の次男のキールは知っている。どちらかと言うと可愛い系の顔立ちで、しっかりした性格の好青年だ。

「プレイヤーだった頃はあまり気にしてなかったんですが、とても優しくしてくれるんです。でも……」リティカの表情が曇る。「それは私がヒロインだから、ですよね」

「そんなことを考える必要はないよ」

 明るく言うイリーに、リティカは窺うように顔を上げた。

「私とフローティア様だって、ヒロインと悪役令嬢だよ? ゲームの関係性は関係ないんだよ」

「親しくなりたいと思っていれば、きっと仲良くなれるはずよ」

 リッツが励ますように微笑むと、リティカはまた頬を明るくして頷く。

「でも、まずはドロテア様を破滅させないようにすること、ですよね」

「リティカならきっとできるよ」

「一緒に頑張りましょう」

「はい! 最高の友情エンドを達成してみせます!」

 リティカは明るい表情で部屋をあとにした。少しでも自信を与えられたようで、イリーも安堵していた。

「リティカの恋も実るといいわね」

「そうだね。そういえば、リッツには婚約話はないの?」

 国家に携わる家系として、リッツにも漏れなく政略結婚が待ち受けている。それについてリッツがマイナスな感情を懐いている様子は見られなかった。

「父のもとには来ているようだけど、まだ条件の良い男性はいないみたいね」

「ふうん……」

 イリーもいずれ、義父が決めた相手と結婚するつもりでいた。それを押し退けてフェリクスの妻の座が用意されているとは、これっぽっちも知らなかったのだ。だが、いまはそれについて言及するつもりはない。

「条件で結婚相手を探すなら、政略結婚のほうが相手探しは楽そうだね」

「まあ、それで結婚生活が上手くいくかどうかは話が別だけれど。家のために、って辛い思いをする人もいるかもしれないわ」

「それは恋愛結婚でも同じことかも」

 小さく息をつきつつ言うイリーに、リッツは気遣わしげに微笑む。気を取り直すように、イリーは手を叩いて立ち上がった。

「お腹が空いちゃった。パズレー夫人のところに行ってみない?」

「こんな時間におやつなんて、太ってしまうわ」

 困ったように笑いつつ、リッツも腰を上げる。パズレー夫人の内緒のおやつは女子寮だけの特権だ。

(恋愛結婚なんてしたくない)

 誰にでもなく、心の中で呟く。

(誰だって心変わりすることがある。フェリクス様だって、わからない)

 心の中に秘めた苦味は、誰に打ち明けることもなく、浮かんで消える。だが、それでいい。誰も知らなくていい。リッツもフローティアも。誰も。






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