第4話 思考

 

 改めて、外の世界は何もかもが新鮮だった。

 アクトやマリアにとって、自分たちの意思で村を出て、目的地を決め、どこまでも行けるということは、それだけで大きな意味を持ち、それだけでとてつもないことが始まったような感覚さえあった。


 道端に咲く野草も、村の中では生息していない動物も、目に映る全てが新鮮で、面白くて、発見だった。


「あんまりはしゃぐなよ、アクトもマリアも浮かれるのはわかるが、ここから先、自分の命は自分で守るしかないんだからな。一人の油断が俺たち全員の危険に繋がるということを忘れるな」


 まだアクトたちが幼い頃にテアドラが聞かせてくれた話では、彼は十五歳になる頃には一人で旅に出て、狩猟と鍛錬の日々を過ごしていたらしい。

 それがどれだけ過酷な日々だったのか、テアドラ自身があまり話したがらないので詳しくは知らないのだろうけれど、アクトもマリアもその凄さだけはなんとなく想像できていた。

 ましてや、今となっては自分たちも旅に出る身となった。

 

「わかってるって師匠、でもさやっぱり嬉しいんだよ。これからは自分たちで全部やらなきゃいけない、もちろん油断なんてできないってのもわかってる。それでも、これからどんな出会いがあって、どんな敵と戦って、どんな宝を見つけるのかとかって考えるとさ、ワクワクするんだよ」

「フッ、まあ締めるべきところを締めているのならば構わん。エスプ・ヴィレに着くまでまだ数日はかかる、それまでにも魔物との戦闘はあるだろうし、しっかり切り替えられるのであれば文句は言わん。確かに、旅というものは楽しくあるべきなのかもしれんからな」


 旅は計画を立てる時が最も楽しいと誰かが言っていた気がするけれど、本来、計画する時と実際にその足で旅をしている時は、同様に楽しいのだ。

 知らない世界に憧れを抱き、信頼できる仲間と共にどこまでも進んでいく者たちを、この世界では冒険者と呼んでいる。

 彼らは時にぶつかり合い、時に支え合い、様々な障壁を乗り越え、誰かの憧れの眼差しの先に駆け出していく愛すべき大馬鹿者たちなのだ。

 

「テアドラさん、冒険者って具体的にどういうことをしている人たちなんですか? 結構漠然とした印象しかなくて……」

「ああ、実は俺もなんだよな。師匠は見たことあるのか?」


 テアドラは一瞬考えて、すぐに口を開いた。


「そうだな、簡単に説明すると、魔物を狩ったり素材を採集するクエストを受けて、それを達成した報酬で生計を立てる者たちをそう呼ぶのだが、それだけだと少し夢がないな……。過去に一度だけ冒険者と名乗る者と旅をしたことがある」


 アクトもマリアも、テアドラの過去の話はほとんど知らない。

 それ故に、極々稀に聞けるテアドラ自身に纏わる話は貴重なのだ。


「俺も彼と長い時間を共に過ごしたわけではない。だが、彼自身が冒険者と名乗っていてな……年老いた男だったが、その立ち姿に隙はなく、たったの一度さえも剣を当てることは叶わなかったな。彼が言っていた……子どものような夢を命懸けで追いかけ、子どものように真っ直ぐ走り続けられる馬鹿だけが、この世界の真実に辿り着けるのだと。彼は何度も死を覚悟しなければならない状況に遭遇したらしいが、それでも自身の力で切り開いてきたと言っていた。それでも届かなかったらしいがな……」

「届かなかった?」


「ああ、竜の討伐だ。偶然遭遇したのではなく、彼らは明確な目的を持ち、入念な準備をした上で竜と対峙したが、それでも敵わなかったと言っていた。仲間たちが倒れていく中で、自分もここで果てるのだと悟ったらしいが、突如少女が現れ、素手で竜の咆哮を弾き、竜に何かを語りかけると、竜たちはその場を去っていったらしい。彼はそれなりに名の通った冒険者だったらしいのだが、世界の広さを痛感した出来事だったと話していた」

「りゅ、竜!? その爺さん竜と戦ったのかよ、それに少女が竜を退けたって? なんだよそれ……」


 アクトはテアドラの話を聞き、下を向いて肩を震わせた。


「アクト? すまん、結局明るい話にはならなかったな」


 アクトの反応を見て、若干気まずそうなテアドラだったが、アクトはすぐに顔を上げた。


「すっげえ! 師匠が敵わなかったその爺さんも、竜の強さも、その少女ってやつも! 俺、やっぱり戦いたい。強い奴と戦い、もっともっと強くなって、いつか竜に会ってみたい」


 その目は、キラキラと輝き、純粋な夢に心を躍らせているように見えた。

 テアドラは小さく笑い、こういう者のことを彼は言っていたのだろうなと、自分の心に長らく宿っていなかった感情が湧いてくるのを感じた。


「テアドラさん? どうしたんですか?」

「いや、嬉しくてな。お前たちに着いてきて正解だったと思っただけだ」


 横で、喧しく騒ぐアクトに視線を移しつつ、テアドラとマリアは呆れたように笑いあった。

 まだまだ未熟ながら、どこか期待してしまう、それがこの二人にとってのアクトという存在なのだろう。


 三人はその後しばらく歩き続け、《さえずりの森》と呼ばれる区域に足を踏み入れた。

 その森に管理者はおらず、魔物が自由に生息していることから近付く者は少ないとアクトたちは聞いていたが、テアドラ曰く、この森に生息している魔物は比較的弱い部類に入るらしく、冒険者たちの間でも駆け出しの者たちの修練の場として使われる程度とのことだ。


 アクトもマリアもその話を聞いて、気を緩めるなんてことはなかった。

 そんなことで油断してしまうような訓練は受けていない。

 

「やっと戦えるんだな……マリア、俺と師匠が前に出るから援護は頼んだぞ?」

「はいはい、でも森の中っていうのを忘れないでね、あんたの剣無駄にでかいんだから、こういうところでの戦闘では頭を使えって、またテアドラさんに怒られるよ?」


 二人は用心しながら、先導するテアドラに続いて森を進んでいく。

 森は静かにその訪問者たちを歓迎しているようで、三人の動向を視ていた。


「アクト、マリア。……少し止まれ。この先に二体いる」


 テアドラの言葉に、二人の間に一気に緊張が走る。

 しかし、アクトもマリアも、まだ魔物の姿は視認できていない。


「落ち着いて武器を構えろ、この二体はまだこちらには気付いていないようだ。二人だけで行けるな?」


 アクトたちは強く頷き、深く深呼吸をして前へ出た。


「マリア、修行でやった通りにいくぞ」

「うん、任せて」


「魔物はこのまま東の方向に進んだ所にいる。近くには他の魔物はいないが、騒げば寄ってくる。できるだけ早く仕留めてこい」


 アクトとマリアは一気に森を駆ける。

 言われた通り、東へ真っ直ぐ。

 

 二人は互いに少し距離を空け、アクトがやや先行する形で進んでいく。

 二人に視界に、二体の魔物の姿が映った。


 それはゴブリンと呼ばれる魔物で、クーヴェル村でも度々目撃されていた。

 単体での戦闘力は極めて低いけれど、異常な繁殖力を有しており、群れを成し、その数が圧倒的になると危険度は跳ね上がる。

 

「先に行くぞ、マリア」


 アクトはゴブリンを視界で捉えた瞬間、速度を上げ、一瞬で距離を詰めにいった。

 当然、ゴブリンたちもアクトの存在に気付き、慌てて迎撃態勢をとろうとするけれど、アクトの方が数段速かった。


「遅えっ! くらえ、【顎門あぎと】!!」


 テアドラとの修行の中で身に付けた、アクトの剣技の一つ、【顎門】。

 対象に対し真っ直ぐに構えた剣を、自身の速度に膂力を上乗せして、強大な威力を放つ突き技である。

 アクトの油断なく戦う姿勢故に放たれた技は、まるで紙切れを粉砕するがの如く、ゴブリンの体に大きな穴を開けていた。


「ギャギャッ」


 声を上げる暇なく一体のゴブリンが絶命したことに、残されたゴブリンは驚きを隠せない。

 普通なら、普通の知恵のある者ならば、この時点で撤退を前提とした戦いをするのだろうけれど、魔物にはその知恵がない。

 敵わない相手が目の前にいるということに気が付いたとしても、それだけで行動を変えることができない。

 

 目の前の敵を排除する、その本能に従ってゴブリンはアクトに向かって飛びかかってしまう。


「させないっ! 【ホーリーアロー】!」


 アクトは、自分に向かって飛びかかってくるゴブリンを見ることなく、ゆっくりと立ち上がる。

 まだ戦闘は終わっていない筈なのだけれど、アクトはもうこの戦闘の結末を知っている。

 

 茂みの奥から、マリアが放った魔法は【ホーリーアロー】というものであり、回復魔法に目覚めたマリアが、習得できた数少ない攻撃魔法の一つである。

 聖属性の矢を生成し、対象に向けて放つシンプルな魔法ではあるのだけれど、魔物に対しては絶大な効果があった。

 

 マリアが放った魔法は、ゴブリンに直撃し、矢が触れた先からその存在そのものを浄化していく。


「やっぱり聖属性ってのはすげえな。俺や師匠の技じゃこうはならねえもんな」


 貫くでも斬り裂くでもなく、体の細胞から分解して、浄化されていくゴブリンに目をやりつつ、アクトは感心した様子で頷いた。

 

 アクトもマリアも、この程度の魔物では苦戦すらしない。

 テアドラ程の戦闘力に至っているわけではないけれど、それでも真剣に修行に励んだ日々は無駄ではなかった。

 駆け出しの冒険者では相手にならないくらいの実力は持っているのかもしれない。


 二人が来た方向からテアドラが合流し、二人の戦闘の結果を見て、満足気に声をかけてきた。


「二人とも、よくやった。しかし、気付いているか? 直ぐにここに魔物が集まってくるぞ。既に数体、こちらに向かってくる気配がある。ここからは俺も参加しよう、三人での連携も確認しつつやっていこう」

「はいっ!」

「よし!」


 テアドラの言葉に気合を入れ直し、周囲に意識を向けるアクトとマリア。

 耳をすませば、確かに複数の移動音が聞こえてくる。

 

「師匠、どうする?」

「そうだな、アクトが指示を出してみろ。いつまでも俺が指南するというのも面白味に欠けてしまうだろう?」


 アクトの質問に、意地悪な笑みで返すテアドラだったが、アクトとしてはそれどころではない。

 今までの戦闘訓練でも、ひたすらテアドラの指示に着いていくことで成長を感じていたのだけれど、急に戦闘中の指示をやってみろと言い出しているのだ。

 しかし、アクト自身、テアドラの言うことも正しいとアクトもなんとなく理解していた。


「じゃあ、師匠はそっちからくる敵を頼む。マリアは俺と師匠の両方を見ながら、支援をしてくれ」


 見よう見真似、いつもテアドラ自分たちに対してしてくれているように、端的でわかりやすい指示をアクトは心掛けた。

 その思いが伝わったのか、二人は間髪入れずに反応し、直ぐに行動に移った。


 アクトとテアドラがそれぞれの方向に対し武器を構えると同時、またしてもゴブリンが姿を現した。

 アクトの見る方角からは二体、テアドラの方は三体。


 それぞれの実力的には何も問題はない、アクトはそのまま戦闘に入るよう声を上げる。


「一瞬で終わらせよう、いくぞ!」


 テアドラは、アクトの声と同時に凄まじい速度でゴブリンに向かっていった。

 それを見送る形となってしまったアクトも、すかさず目の前のゴブリン二体に向けて進み出す。


「アクト、弓を持ってる奴がいる! 私がそいつを狙うから、気にせず前に進んで!」

「了解っ!」


 マリアがアクトの背後で声を上げ、それに応えるアクト。

 この辺は、流石は生まれた時から一緒に生きてきたというか、阿吽の呼吸に近い連携である。

 実際、その言葉がなくとも、アクトからしてみればマリアがそうすることはわかっていただろう。

 

 アクトは一切速度を落とさずに、ゴブリンたちに向かって距離を詰めていく。

 アクトが両手剣を構え、ゴブリンたちがその間合いに入ると同時に、その勝敗は決した。


「【空斬からきり】!!」


 アクトが選択し、繰り出した技は自身で口にした通り、一瞬でゴブリンを片付けるための技で、体を水平方向に回転させながら、構えた両手剣を力の限り振り抜く。

 

 見た目以上にその破壊力は高く、本来であれば二体纏めて両断していた筈だった。

 しかし、ここは木々が密集した森の中である。


 アクトが振りぬいた両手剣は、何度か木に当たり、その破壊力を軽減されてしまっていたのだ。


「チッ、仕留め損なった……」


 アクトの技により、二体のゴブリンは両方とも致命傷を負ってはいるが、まだ仕留めきれていない。

 体から血を流しながら、それでも武器を構えるゴブリンたちだったが、次の行動に移ることはできなかった。

 その時間の猶予を、マリアは許さない。


 先程と同様、【ホーリーアロー】が完璧にゴブリンたちを捉えた。

 ゴブリンたちが絶命するには十分だったようで、二体とも分解されて霧散していく。


「マリア、ありがとう。助かったよ」

「あんたのことだから、【顎門】じゃなくて【空斬】を選ぶってわかってたからね。予め二本準備しててよかったわ」


 礼を言うアクトに、呆れながらも応えるマリア。

 息はぴったりである。


「そこで直ぐに俺の方に意識が向けば満点だったが、そこは信頼してくれていたと言うことにしておこうか」


 テアドラが大刀を背中にしまいながら、二人の間に入ってきた。

 アクトとマリアが、テアドラの背後の方を見ると、三体のゴブリンが倒れているのが確認できた。


「師匠も、流石だな……俺とマリアが二体倒す間に三体倒してんだもんな」

「テアドラさん一応確認ですけど、怪我とかしてないですよね?」


「ああ、問題ない」


 しかし、魔物たちが上げた断末魔は、森に侵入者がいることを知らせるには十分すぎたようだった。

 テアドラとアクトは、同時にそれに気が付き、体勢を整えたことで不意を突かれることはなかったが、先手を取られる形となってしまった。


 フォレストウルフ、森に生息する魔物であり、群れでの狩りを得意としていて、獲物を囲い逃げ道を絶つように行動してくるため、未熟な冒険者たちにとっては注意が必要とされている。

 そして、アクトたちの前に現れたフォレストウルフたちも、まさに三人を囲うように姿を現したのだ。


「フォレストウルフかよ、村でも何度もこうして囲まれてたな。師匠はそのまま目の前の敵を頼む、俺はマリアを守りながら戦う。マリアはできるだけ魔法で支援してやってくれ」


「了解だ」

「う、うん。わかった」


 戦い自体はそこまで激しくはならなかった。

 前線をテアドラが張ると、自然と戦闘自体がすぐに終わることが多いのだ。

 

 それは実力の証明であると同時に、経験の差でもあった。

 アクトもマリアも自分よりも遥かに強い者がそばにいる幸運を改めて実感した。

 自分たちの安全のためではなく、成長に繋がる存在として。

 憧れ続けるだけではなく、いつの日か超えるべき師として。


 その後も立て続けに襲われ、三人とも流石に疲労が見えてきた頃、テアドラの提案により、気配を抑えつつ移動し休憩をとることにした一行。


「あそこに川があるな。開けた場所にテントを張り、交代で見張りを立てようか」

「はあー、流石に疲れたな。魔物自体は強くはなくても、連戦になるときついな。マリアも俺も最後の方は動けなかったぞ」

「本当に無理……魔力切れで気持ち悪い」


 唯一、テアドラだけがまだ余裕がありそうだったこともあり、彼に見張りを任せ、アクトとマリアは先に休むことにしたようだ。

 泥のように眠ってしまった二人を微笑ましく思うテアドラの表情は、どこか、ライルやルージュ、ジオと重なるものがあった。


「成長したな……二人とも。ここまで連続で戦ったことなどないと言うのに、最後まで弱音一つ吐かず、大したものだな」


 周囲に魔物の気配はなく、緩やかに日が落ちていく。

 焚き火を眺めつつ、テアドラは武器の手入れを始めた。


 森の夜は、静かに星の光を受け入れ、今日を懸命に生きたアクトたちを優しく寝かしつけるかのようだった。

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