第2話 尊重


 アクトとマリアは西の集落には寄らず、そのまま森の方へと向かった。

 いくら二人が元気な子どもとはいえ、流石に走り続けて疲れたのか、息が上がっている。


「はぁ、っはあ……やっと着いたね。アクト大丈夫? もうすぐだよ?」

「わ、わかってるって、でもちょっと休憩しようぜ?」


「駄目だよ、ここまで来て大人に見つかったら、絶対連れて帰らされちゃうんだから。もう少し奥まで行って、そこで休もう!」

「はあ、……わかった」


 二人は森の入り口の直ぐそばまで駆け寄り、周りに人の気配がないことを確認し、少し休憩をとることにするのだけれど、そこは既に立入を禁止された区域であり、魔物の出現が多発している場所であることなど、二人にはわからない。

 

 「この辺りなら、見つからなさそうだぞマリア」

 「うん、おやつ持ってきたから、一緒に食べよっ」


 子どもにとっては単なる遊びでしかないことでも、時に大きな事故につながることがある。

 それらが二人の目の前に現れたのは、マリアがアクトにクッキーを渡そうとした瞬間だった。

 

 フォレストウルフと呼ばれるその魔物は、二人の知識の中には存在しておらず、体格も二人を足しても全然敵いそうにない程の差がある。

 そして、フォレストウルフの特性の一つは、群れでの狩りを得意とするということである。


「あ、ああ……」


 どちらの声だったのか、二人にもわからなかっただろう。

 一瞬で五匹の魔物に囲まれ、アクトたちは逃げ場を失ってしまう。


「マリア、逃げなきゃ……」

「で、でもこんなの逃げられっこないよ」


 魔物のという存在は、本来知能を持たないとされているのだけれど、本能的に行動した結果、その行動から知性を感じ取れることはそれなりにあるという。

 フォレストウルフの行動は、理に適った上に、人間の子ども二人を確実に捉えるための動きだった。


 じりじりと二人と魔物たちとの距離が狭くなっていく。

 

「マリア、俺の後ろに隠れろ」


 アクトは、恐怖で震える心を無理矢理抑え込み、マリアを守るように魔物たちの前に一歩踏み出した。

 勇気のある行動、美しい友情、そんなものを魔物たちは一切考慮しないし、彼らにとっては餌がほんの少し抵抗してきたというだけの話である。


 アクトは拳を握り一応の構えをとるが、武術など習ったことのない子どものそれは魔物たちにとって、警戒に値するものではなかった。


「嫌……アクト、戦っちゃだめ! 誰か、アクトを助けて……」


 誰の目から見ても二人に希望などなく、残された未来は魔物たちに捕まり、生きたまま体を引き千切られ、喰われるだけだった。

 アクトもそれはわかっている。

 マリアにも、その未来は想像ができてしまっている。

 森を荒々しい風が駆け抜けていく。


「全く、森が騒がしいと思えば……お前たちの仕業か」


 確定していた未来は一瞬でその姿を変えていく。

 落ち着いた大人の声、全身を覆うような外套、手に握られた大きな刀。

 男はアクトとマリアを見つめ少し考えた後、それと対峙するフォレストウルフに視線を移した。


「ここがどんな所かも知らずに迷い込んだか? まあいい、説教は後だ。二人とも下がっていろ、決して勝手な行動は取るな」


 アクトとマリアは急いで言われた通り、彼の背後へと移動した。

 魔物たちがそれを妨害してくることはなく、魔物たちの視線は二人に当てられておらず、突如現れたその男を警戒するあまり、アクトとたちの動きに対応することができないようである。


 男は流れるような動きで、静かにその大刀を構える。

 それに応じて、フォレストウルフたちも戦闘態勢をとる。

 アクトたちを囲んでいた時とは、比べ物にならない程の敵意を剥き出しにして。


 アクトにも、当然マリアにも、その戦いに参加する資格はない。

 二人は黙って目の前で起きていることを見守るしかできない。


 目の前の男が倒れてしまえば、次は自分達の番なのだ。

 安心することはまだできない。


 先に動いたのは、男の方だった。

 あくまで自然に、当然の所作を澱みなくやっているだけのように、男はフォレストウルフの目の前に詰め寄った。

 無駄な力を一切感じさせない、美しい一閃。

 一振り、二振り……。


「何が……起きてんだ?」


 アクトがそう呟きたくなるのも、仕方がないのかもしれない。

 男の大刀は、簡単にフォレストウルフの首を切り落としていく。


 たった二振りで、五匹のフォレストウルフは一匹を残して死んでしまっている。

 

「さて、少しでも互いの力量差がわかるのであれば、さっさと引き下がるがいい」


 意味のない問答だった。

 男にとっても、魔物にとっても。

 

 フォレストウルフは既に動き出していたからである。

 男に向かって、牙と爪を剥き出しにし目の前の敵を殺さんと飛び掛かっていく。


「そうか……」


 諦めたように男は呟き、大刀を握り直し、上段に構え、寸分の乱れなく振り下ろした。

 大刀はもう一度美しい弧を描く。


 一刀両断、その言葉をそのまま体現したかのような光景だった。

 フォレストウルフは、自分が斬られたことにも気付くことなく死んでいったことだろう。

 

「す、すげえ……すっげえ!」 

「あ、ちょっと、アクト?」


 魔物の脅威が去り、その場にいるのが自分たちだけだとわかると、アクトは勢いよく飛び出して行ってしまった。

 マリアも慌てて追いかけて行くが、アクトには男のことしか見えていないようで、一足先に男の元へ辿り着いた。


「な、なあ! 今何やったんだ?」


 ーーーゴンッ


「その前に説教だ、馬鹿者」

「いってえ!」


 男の拳が、アクトの頭に降った。

 それは少し離れた所にいたマリアにも聴こえる程の音で、拳骨を食らっていないマリアまでもがつられて頭を抑えるほどだった。


「ここに来た理由は聞かん。しかし、この場が危険と知らなかったとしても、戦う術を持たぬ者が森に入ることの迂闊さくらいは知っておけ。お前たちが傷付いて、悲しむ者もいるだろう。その者たちを悲しませるようなことをするな」

「……」


 男の言っていることは、アクトにも理解できている。

 西の集落で魔物を何度も撃退した英雄がいるという話は、つまりは西の集落では何度も魔物の襲撃が起きているということである。

 あわよくば、その英雄が戦う姿が見られるかもしれない、そんな下心でここに来たのだ。

 魔物が出ることを、無意識のうちに期待していた。

 アクト自身にそれをどうにかする力など微塵もないというのに、だ。


「収穫祭の準備もあるだろう、さっさと自分の帰るべき場所へ帰れ。ここはお前たちが来るような所ではない」


 男はアクトに背を向けてしゃがみ込み、魔物たちから素材を剥ぎ取りつつ、突き放すようにそう言った。

 マリアは男の言葉を聞いて、自分がしたことを省みることができたようで、反省している様子だった。


「過ぎたことは仕方がない。そこにとやかく言うつもりはないが、もう同じ過ちを繰り返すことはするな。考えろ、自らの行動が何処に向かうのか、何を齎すのかを」


 男は振り返ることなく、二人に話をした。

 アクトもマリアも下を向いたままだったが、二人には決定的に違いがあった。

 

 マリアは今にも泣き出しそうだが、アクトは違った。

 肩を震わせ、口をワナワナと歪めている。

 そして、我慢の限界だったのだろう、アクトは男に詰め寄り力の限り叫んだ。


「あ、あの! 俺を弟子にしてください!」


 流石に予想外だったのだろう、男は思わず振り返ってしまった。

 そして同時に後悔することになる。

 アクトの瞳は純粋な憧れで輝いており、一点の曇りもない真っ直ぐなものだったからだ。

 

「……断る。その目は知っている、純粋に我が武を誉められたことには誇らしく思うが、俺がお前を鍛える意味はない。意味も理由も同様に、俺には微塵もない」


 一瞬アクトの目を見て何かを考えた様子だったが、男はアクトの頼みを断る。

 しかし、こういう時の子どもというのは、強靭な心を持ち合わせており、たった一回断られたくらいで折れたりしない。


「俺は、守れるようになりたい。強くなりたいんです! お願いします、師匠! 俺を鍛えてください!」

「わ、私も! お願いします!」


 アクトとマリアはこの後、数時間にも及ぶ説得の末、男の了承を得ることになるのだが、飛び跳ねながら喜ぶ二人に対し、肩を落とし疲れ果てた男の姿がそこにはあった。


「修行をつけることは、一旦認めよう。しかし、幾つか条件がある。まず一つ、修行は毎日行う。遊びたいから修行はしないというのは認めない。もう一つ、俺の名はテアドラだ。師匠師匠とどこそこで呼ばれても困る、名前で呼んでくれ。最後に一つ……身に付けた力を振るう時、その意味を見失うな。強くなれば、それだけでできることは増える。しかしそれは、万能でもなければ全能を意味するものでもない。何の為に力をつけるのか、誰の為に力を振るうのか、それを常に考えておいてくれ。この三つを飲めるなら、明日から修行をつけてやる。場所は南の集落にある鍛錬所を使わせてもらおう、どうする?」


 およそ八歳の子どもに言うことではない気もするけれど、それでもテアドラは目の前の二人を正式に弟子に取るにあたり、子ども扱いしないよう気を配ってくれたのかもしれない。

 そのことが、二人にとっては堪らなく嬉しかった。

 

「もちろんやります! あ、えっと……俺の名前はアクト!」

「私もやります! 私はマリアっていいます、よろしくお願いします」


 二人は揃って頭を下げ、笑顔でテアドラを見上げた。

 テアドラの顔は引き攣ったままだが、自分で言ったことをひっくり返すわけにもいかず、自ら逃げ道を塞ぐことになってしまっていた。

 テアドラは諦めたように二人に向き合い、一つ尋ねる。 


「少し脅せば引くかと思えば、それ程までに鍛えたい……いや、強くなりたいのか。アクト、マリア……強くなりたい理由を聞いてもいいか?」


 テアドラの問いは、アクトにとっては簡単なものであり、マリアにとっては聞かれたくないことだった。


「俺は強くなりたい、強くなってみんなを守りたい。どんな魔物からも守ってやれるように……家族を守れる男になりたい!」

「ほう、志は立派だな。お前が修行で根を上げて泣き出さないことを願っておこう。それで、マリアはどうだ?」


「私は……お父さんとお母さんみたいになりたいです。お父さんはいつも力強く私たちを守ってくれて、お母さんは私たちを優しく守ってくれています。だから、私も二人みたいになりたい……です。それにアクト一人だと無茶ばっかりで心配ですから」

「ふっ、なるほどな。二人とも守る為に力を求めるのだな、よかろう。修行を行うことは家族の者に必ず伝えろ、説明が必要ならば、俺も協力してやる」


 二人の出した答えにテアドラは満足してくれたのだろう。

 二人の頭をぎこちなく撫でながら、テアドラは小さく笑っていた。


 そして、翌日からテアドラの修行は始まるわけだが、ライルとルージュも遊びの一環だと思って許可したつもりなのに、全身怪我だらけで帰ってきた二人を見て大慌てで治療したり、ジオも隙あらば二人の修行を覗きに行き、その度テアドラと衝突したりと、実際かなり騒がしい日々となっていた。

 それ程にテアドラの修行は、厳しかった。

 

 武器の扱いすら全く知らない子どもが相手となる上に、魔物との戦闘を考慮すると多少動ける程度では話にならない訳で、筋力や持久力、精神力を鍛える修行に重きを置いた修行は、大人でも弱音を吐いてしまうような内容だった。

 それでも二人は一度も辞めたいとは言わなかった。

 涙を流し、動けなくなる日はあれども、毎日修行に勤しんだのだ。


 テアドラは当初、毎日修行すると言うのは二人を脅すつもりで言ったに過ぎず、三日に一度程度で済ませるつもりだったらしいが、二人は本気で強くなろうとしていた。

 弟子が本気で強くなろうとしているにも関わらず、それに応えない師匠などいないということだろう。


 この地獄のようで、需要と供給が奇跡的に噛み合った日常はこのまま十年程続くことになり、アクトたちが冒険に出発する前日まで行われていたらしい。

 修行を始めて一年で、アクトの才能が開花し始めた。

 こう言ってしまっては失礼かもしれないが、意外にも器用だったのだ。

 アクトは、物理攻撃、魔法攻撃両方に適性があり、潜在能力だけで見れば師匠のテアドラをも超える可能性を秘めていたのだ。

 調子に乗ったアクトが、拙い魔法で魔物を刺激し、尻拭いをしたテアドラとマリアに鬼のように、アクトが泣くまで叱られたというエピソードは、本人の名誉のため割愛しておこう。


 マリアに至っては、両親から受け継いだものが早々に芽を出す嬉しい誤算があった。

 マリアは父ライルから膨大なスタミナを受け継ぎ、母ルージュからは回復魔法という貴重な才能を授かっていた。

 マリアの母ルージュは元々魔法士として集落の外で冒険者をしていた経験もあり、実践経験もそれなりにあるのだけれど、特筆すべきは回復魔法だった。

 それらをしっかりと受け継いだマリアは、戦闘力こそ低いもののパーティにおいて欠かせない位置を確立することになった。


 時に厳しく、時に激しく、そして極々稀に優しいテアドラの修行についてこられた二人は、十年の時を経て、集落に出現する魔物程度なら一人でも撃退できるようになっていた。

 

 そしてその時はやってきた。

 アクトとマリアの誕生日を迎えたある日のこと。

 

 二人はテアドラを招き、マリアの家でささやかな祝いの席を楽しんでいた。


「毎年、こうして招いてもらってすまない」

「いいんですよ、こちらこそ娘たちがいつもお世話になってますから。ライルもあの子たちの成長を喜んでますよ、もちろん私もです」

「その通りじゃ、テアドラよ。こうして集落を守る者が増えるというのは嬉しいもんじゃ」

「おいおい、最初の頃は文句ばっかりだったくせに、村長の機嫌とるのに俺たちがどれだけ苦労したか……」


 テアドラはルージュやジオ、ライルに囲まれ酒を飲み交わしている。

 この光景も、ここ十年で毎年恒例のものとなっていた。


 アクトとマリアはそんな光景が大好きだった。

 家族と呼べる者たちが笑っている、そんな日常が何よりも大切で、自分たちが強くなりたいと願い、掴み取ったものが間違っていなかったのだと確信できた。


「アクト、本当に今日言うの?」

「ああ、もう決めただろ?」


 二人は大人たちに聞こえないよう小さな声で何かを相談しているけれど、その表情はいつになく真剣そのもので、大きな決断をしてきたみたいだった。


 そして、決断したのなら、あとは行動あるのみ。


「し、師匠、それにじっちゃんもライルもルージュおばさんも、……聞いてほしい。俺とマリアでずっと話してて、この間やっと決めたんだけど……」


 ジオもライルも、ルージュも考えていることはきっと同じだっただろう。

 赤子の頃から共に過ごしてきた二人、十八歳という成人の儀式を済ませたばかりだというこの時期に二人で話し合い決めること、それはこの三人にとって一つしか思い浮かばなかったと言っても過言ではないのかもしれない。

 期待の眼差しを大人に向けられ、若干気まずそうなアクトだったが、マリアがアクトの横に立ち、目を合わせ頷いてくれたことで、続く言葉を口に出した。


「俺とマリアは……この村を出て冒険者になろうと思う」


 心の底から驚くと、人は本当に何も言葉を発せないということが証明された瞬間である。

 

「えっとね、私もアクトもただなんとなくこの村を出たいって言ってるんじゃなくてね、去年行商人が来てくれた時に、テアドラさんとアクトと三人で途中まで護衛したじゃない? その時初めて村の外を見て、外の世界のことが知りたいってなったの」

「俺たちは強くなったけど、まだ師匠には勝てねえし、気を抜いてできるような旅にはならないと思う……でも、知りたい。この世界にはどんな景色があって、どんな人たちがいるのか。いい奴も悪い奴もいると思う、魔物だってこの辺に出てくるのとは比べ物にならないような奴はいくらでもいると思う。それに……俺は竜と戦ってみたいんだ。じっちゃんたちから聞いた童話でも竜って出てきてたろ? 本当にそんな強い奴らがいるのなら、そいつらがこの世界の頂にいて、強さの象徴っていうのなら、俺はそれに挑んでみたい」


「ま、待つのじゃ。この村を出ると言っても、外には何の伝手もないじゃろ。みすみす野垂れ死ぬ可能性だってあるというのに、認めるわけにはいかん」

「村長、俺たちからも頼む。この子たちが必死で修行に打ち込んできたのはここにいる全員が知ってることだろ。それにな、俺もルージュも外の世界を旅してきたからこそわかるんだよ。この世界は俺たちの想像以上にずっと広くて、魅力に溢れている。だから、頼む」


 反対するジオと、アクトたちの思いを汲み取り頭を下げるライルとルージュ。

 それらを静観し、何やら思案するテアドラ。


 アクトたちがした主張は、大人たちの反応を大きく分断し、その会議は夜遅くまで続いた。


 

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