初恋燃ゆ

蒼井駿介

初恋燃ゆ



 「家が燃えた」



 そう聞いたのは火災が起きてから暫くしての事だった。その震えた一言で一通りを理解するのは簡単である。


 幼なじみの舞香からメッセージではなく電話で連絡が来たことも緊急性を感じさせるには十分だった。


 僕が出来ることといえば舞香を迎えに行って家に泊めてあげるくらいだろう。


幼なじみが家に泊まるなんてイベントが発生し掛けている手前、多少の下心はあったがそこまでふざけた人間ではない。


精神的にショックを受けているのは自明で、まずは心のケアをしてあげるべきだろうか。


 たった一言聞いただけでそこまで頭が回るのかと自分で賞賛する程のフル回転ぶりだった。


 聞いたところによると出火元は左隣の部屋で、その時舞香は出先だったそうだ。家に帰ると既に延焼していて、とても近づけるような状況ではなかったらしい。


 外出中だった僕は用事を切り上げ、事情聴取が終わった舞香を車に乗せて話を聞きながら家に帰った。


「ごめん、ちょっと散らかってる」


「ううん、急なのにありがとうね」


 シンクに置きっぱなしの食器とテーブルに放置されたビールの空き缶を隠すように片付けた。


「まあ、今日は疲れてるだろうし早めに寝ようか」


 そう提案すると意外にも答えはイエスではなかった。


「ちょっと話を聞いて欲しいんだ」


「いいよ」


「火事も大変なんだけどね、誰にも言ってなかったんだけど最近ストーカーっぽい人が居てさ、怖くてあんまり遅い時間に外に出ないようにしてたんだ」


「本当に?警察には言ってないの?」


「うん、朝仕事行く時によく後ろ歩いてるから、最初は同じ時間帯に仕事行ってる人なんだなくらいにしか思ってなかったんだけどね、ここ一週間くらい帰りも一緒でさ、途中買い物するのにスーパーに寄ったりコンビニに入ったりするとそのまま居なくなるから考え過ぎなのかなって」


「その人の顔とか見てないの?」


「考え過ぎだと思っても流石に怖くてそこまで余裕なかった」


「そっか、そしたら暫くうちに居なよ。部屋も余ってるし好きに使っていいからさ」


「ありがとう、助かるよ」


 そうして舞香が僕の家に暫く居候することになった。


 世の中は優しくない。家が燃えようと身内が亡くなろうと仕事や支払いは辛い感情はそっちのけで付き纏ってくる。


 翌朝、アラームを設定していた午前六時より五分早く目覚めた僕は、疲れきったであろう舞香を起こさないように、簡単な朝食を作った。トーストに目玉焼き、ウインナーという在り来りなものだが無いよりはマシだろう。


「おはよう、朝ごはん作ったけど食べられるかい?」


「うーん…食べる…」


 寝ぼけ眼を擦りながら朝食の前に座った。


「コーヒー飲む?」


「うん、ブラックがいい」


「かしこまり」


 ご注文通りのブラックコーヒーを二つ用意してテーブルへ運んだ。舞香は既に朝食を食べ始めていたが、コクッと小さく頭を振っていて未だ眠そうな様子だ。


「そういえば聞いてなかったけど仕事は行くのか?」


「ううん、昨日上司に連絡して休みもらった」


「そっか、それなら僕も休みもらうよ。うちの上司は話せば理解してくれるからさ」


「そんな、申し訳ないよ」


「どうせ有給五日消費しなきゃいけないし、大丈夫だよ」


 早速上司の中村課長に電話をすると、予想通りあっさりと了承してもらえた。


 ストーカー事件に火災と舞香の精神的負担は半端なものではないだろう。ここで支えずして何が男かと僕の心に火が灯った。だが、実際何が出来るわけでもなく、今は適切な距離を保ち少し寄り添うだけで良いのではないか。そんな思考が頭の中を駆け巡っていた。


 朝食も食べ終わり、テレビを見ていると昨夜の火災がニュースになっていた。


『警察によりますと、この火災で火元の部屋から遺体が発見され、住人と連絡が取れないことから、遺体は火元の住人とみて捜査を続けています』


 舞香の目には大粒の涙が溢れ、震える声で話し始めた。


「この隣の人ね、同じ職場の一つ歳上の先輩でね、最近素敵だなと思ってて先週告白したの。そしたら少し考えさせてって言われて返事待ってたところだったんだ」


「そんなことがあったのか…」


 掛けてやる言葉が見つからず、大泣きする舞香をよそに沈黙してしまった。


 舞香が泣き止むまでかなりの時間を要したことは言うまでもないだろう。

 

 舞香が家に来て四日が経った。


 三日目から僕は仕事に復帰した。舞香は未だに仕事に行けずにいるが、家に帰ると夕食を用意してくれていた。


「お邪魔してるのに何もしないのは申し訳無いからご飯作ってみた」


「本当に!?ありがとう、早速食べよう」


 人に作ってもらう食事は何時ぶりだろうか。自分が大変だというのに気が回る素敵な女性だ。


 炊きたての白米に和風ハンバーグと自分では絶対作らない料理がテーブルに並べられていた。


「いただきます」


 舞香の手作りハンバーグは仕事の疲れを癒してくれる程の美味であった。こんなご飯が毎日食べられたらなという感想はギリギリのところで押し殺した。


「凄く美味しかった。ありがとう」


「それなら良かった。私も嬉しい」


 そう言いながら照れ臭そうにニコッと微笑んだ。あの火災以来初めての笑顔だった。



 夜十時を過ぎた頃、二人並んでコーヒーを飲んでいた。


「私これからどうしよう」


 その言葉と僕の二の腕辺りに寄り掛かる肩からは、好きな人が亡くなった事と家が無い喪失感と何かしなければならない焦燥感を感じた。


「今は無理して考えなくていいんじゃないかな。とりあえず色々落ち着くまでうちに居ていいからさ。ゆっくり一つずつ解消していこうよ」


「本当にありがとうね」


 小さな声でそう言うと、僕の肩に寄り掛かるように眠ってしまった。

 

 僕の中でずっと気に掛かっているのが、例の「ストーカー」の件だ。顔を見ておらず警察にも言っていないと舞香は言っていたし、今は僕の家にいるとはいえかなり不安なのは間違いないだろう。その辺も解決していかなければなるまいと心に決めた。

 

 翌朝、家のインターホンの音で目が覚めた。

 スマートフォンの時計を見ると、まだ五時半過ぎだった。舞香はまだ寝ている。


 玄関の覗き穴を覗くと男性が数名立っているのが見えた。


「はい」



 扉越しに返事をした。



「警察です。開けてください」



 舞香に話を聞きにでも来たのだろうかと思い扉を開けた。



「橋田隼人さんだね、放火の容疑で逮捕状が出てるから、一緒に来てね」


「わかりました」


 僕は逮捕された。

 

「なんで僕だとわかったんですか」


「アパートの向かいの家に防犯カメラがついててねぇ。カメラにバッチリ君の車が映ってたよ。それで君が車から降りて、アパートに入ったと思ったらすぐ戻ってきて立ち去ったわけだけど、それから三分後にはアパートから火が出てるんだ。しかも君が火のようなものを扱っているところもちゃんと映ってたよ」



「そうでしたか」


「で、なんでこんなことしたの」


「少し長くなりますが」

 

 昔から舞香とは仲が良く、毎日お互い家に行き来しては遊んで夜ご飯を食べて帰るのが日課だった。


舞香のことが好きだと気付いたのは中学生になった頃だった。遊んでいて楽しいというより、一緒に居たい、家にいる時には早く会いたいと思うようになっていた。


 僕に告白する勇気はなく、結局好意を伝えられないまま大人になり、お互い仕事で忙しく疎遠になっていった。


 そんなある日、舞香と同じ会社に居る知人から、どうやら舞香が会社の先輩を狙っているらしいという噂話を聞いた。


真相を確かめるべく、舞香の会社が僕の会社とそう遠くないこともあり、出社する時、帰宅する時に少し後ろから様子を伺っていた。


 そんなことをして五日目の帰り際、舞香と知らない男が一緒に会社から出てきた。後ろを歩いていたのでイマイチ会話の内容は聞こえなかったが、楽しそうに話していることだけはわかった。


「あれが話にあった先輩だ。」


 そう思った途端、怒りが湧いてきた。舞香と仲良くしていいのは僕だけだ、と。


 着いて行ってみるとその男は舞香の部屋の隣の住人だった。許せない。僕を差し置いて舞香と仲良くしているのが憎くて仕方がなかった。


 二日後、舞香が出掛けたのを確認してその男の部屋の前に行った。


 怒りに任せて行動した為に、ここまで来たもののどうしようかと考えていると、窓が少し開いていることに気がついた。


少し覗いてみると、捨てる予定であろう纏められた雑誌類が目に入った。ポケットに煙草と一緒に持っていたジッポに火をつけ、雑誌目掛けて投げ入れた。


 逃げている時はなんとも計画性がなくお粗末な犯行かと思っていたが、なんと舞香から連絡が来て、願ってもないことにうちに転がり込む形となった。


 うちに来てからというもの、これが僕の求めていたものだと幸福さえ感じていた。舞香の恐怖や不安など目もくれずに、自分の欲求が満たされていくことに満足していた。

 

 僕は放火と殺人で懲役十五年となった。

 獄中で想うことはただ一つ。

 

 舞香、今何してるかな。

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初恋燃ゆ 蒼井駿介 @aoi_shunsuke

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