目指せ「強さ」のテッペンへ!
鹿島さくら
第1話 魔女の家のヌーラ
魔法に祝福された大陸にある、とある王国。その南部に緑豊かな森があった。トナリの森と呼ばれるその森の奥に、「魔女の家」と呼ばれる一軒の家があった。
「ヌーラ、今朝の新聞だぞー!」
1階の戸口から聞こえる元気いっぱいの幼い声に、家の住人はあくびをしながらベッドから体を起こして窓を開けた。爽やかな風が吹き込み、まぶしい朝日が瞼を刺す。ヌーラと呼ばれた青年は癖のある黒髪を掻きまわし、朝日の差し込む窓をのろのろと開け放って下を見た。この森の傍にある小さな村・トナリ村に住む、新聞配達係のリュカが真剣そのものの顔で、声を張り上げた。
「ヌーラ、新聞持ってきた! ちゃんとキャッチしろよ!」
この間ようやく8歳になった少年が手元で風を起こし、握っていた新聞をヌーラのいる2階の窓べりまで舞い上がらせる。けれど高度が足りず、新聞はリュカの手元に戻ってしまった。
もう何回目になるか分からない光景に、ヌーラは青い目をゆっくり瞬かせて窓枠に頬杖をつき、リュカに声をかけた。
「お前の魔法じゃむりだよ、新聞なら郵便受けに入れろ」
「うるせーよ、魔法も使えないヌーラに言われたくねぇっての」
新聞配達少年は拗ねた声で悪態をつくと、配達物を自分の手で郵便受けに突っ込み、2階の窓べりで頬杖を突く青年に舌を見せた。
「今に見てろよ、ヌーラ。オレはいつかぜってぇ大魔女様みたいなすげー魔法使いになってやるんだからな! それはそうと、今日は村に来る日だろ? うちのばーちゃんがいつもの湿布薬が欲しいって言ってた!」
そう言い残して村の方へと走っていく背中を見送って、魔女の家に住む青年は低い声で呟いた。
「俺だって自分で望んで、こんな、魔法も使えない体質に生まれたんじゃねぇよ」
そんなヌーラの声を聞く者はいない。ため息をついた彼は寝床から抜け、階下に降りる。今朝の新聞を回収すると、マッチを擦って台所に火をつけた。湯が沸くまでの間、魔女の家に住む魔法の使えない青年は、部屋中に息づく植物たちに水をやる。広く明るいリビングで生い茂り花咲く植物たちは、ヌーラ青年の師匠である大魔女サーヘラの趣味だ。
(師匠もこの家をほったらかして一体どこをほっつき歩いてるんだか……)
数年前、弟子であり養い子であるヌーラが成人すると、大魔女サーヘラは放浪の旅に出てしまった。その際に、彼女は「魔女の家」と森にすむ魔女としての役割の一切をヌーラに託した。大魔女の愛弟子はそれに強く反対した。
(俺みたいな魔法が使えない奴に相談役を任せるなんて、師匠もどうかしてる)
けれど、大魔女サーヘラは弟子であり息子である青年の言うことなど聞きやしなかった。絶対に大丈夫、そう言って旅立ってしまった。火急の用事で呼び戻されたとき以外は年に一度この家に戻る程度だ。
(今のところは何とか師匠代理で相談役をやれてるけど、魔法が使えない俺なんかに相談を持ってくる人たちはみんな優しいからな。俺の至らないところも見逃してくれてるんだろうな)
沸かした湯でハーブティーを淹れ、パンと卵とベーコンを焼きながらヌーラはガシガシと頭を掻く。思い出すのはトナリの村やトナリの町の人々。もちろん中にはなるべく顔を合わせたくない相手もいるが、それでもあの底抜けに優しい善良な人々のおかげで、王国にこの人ありと言われる大魔女サーヘラの代理として、トナリ地域の相談役を務めることができている。
そんなことを思いながら焼きあがったパンにバターを塗り、ハーブティーを啜ってヌーラは新聞を広げた。森の傍にある小さなトナリの町で印刷された薄い新聞はその町と、新聞配達少年リュカのいるトナリ村、そしてこの森でしか読まれない。祭りの準備や農作物の収穫、定期市の開催、魔法石採掘場での安全確認事項、その他冠婚葬祭の知らせなどが中心になるあたり新聞というよりも回覧板という表現がぴったりくるのだが、今朝の一面はいかにも新聞らしい内容だった。
「ワタニー城爆発は事故か? ワタニー軍に目立った動きは無し、か」
紙面には塔から黒煙を吹くワタニー城のイラストが添えられている。
ワタニー城とは、トナリの町と村からこの森を挟んだ向こう側の平原に立つ貴族ワタニー家の城である。それが突如爆発したのは昨日の真昼間のことだった。突然遠くから聞こえた爆発音に、のどかなトナリ地区に緊張が走った。大魔女サーヘラの縄張りであるこのトナリ地区とワタニー領が緊張関係にあるのだから、当然のことである。トナリ地区の人々は警戒態勢を取り、ヌーラも魔法石を組み込んだ手製の迎撃用武器や煙幕、閃光弾、爆薬などをトナリ地区の人々に渡したあとは、この家の地下にある魔女工房で警戒にあたった。だが迅速と勇猛で知られるワタニー家の騎士たちに目立った動きはなく、そのまま呑気に一夜が明けてしまった。念のために双眼鏡で城の方を見てみるが、塔の一部が欠けているくらいで、今は煙も止まり、青い空と白い雲を背景に鳥たちが飛ぶ牧歌的な景色が広がっている。
「ま、何もないに越したことは無いもんな」
魔女工房にある装置に魔法石を投入することでトナリ地区全体への防御魔法を展開できるが、そんなものは使わない方が良いに決まっている。資源である魔法石もタダでは手に入らないのだ。
新聞に一通り目を通すと、ヌーラは身支度を整えて机の上に置いていたノート片手に家の裏手に出た。そこにある小さな薬草園からいくらか葉や実を収穫すると、大きなテーブルの上に製薬道具を広げ、ノートの記述を確認しながら薬を調合しはじめた。
「えーっと、これがザミさん家のリカちゃんの風邪薬。こっちはバンじいさんとカナおばあさんの湿布薬、で、サットさんの鎮痛剤はこっち。……そろそろ村に魔獣除けの香を持って行った方が良いな。村から戻ったら森の様子を見回って、薬草園を手入れして……」
製薬や天候の予想、占い、魔法石を使った御符や魔道具の作成といったウィッチクラフトは魔法が使えなくても行える。弟子のヌーラが生まれつき魔法を使えない体質だと分かると、大魔女サーヘラはそういった古典的な技術を彼に授けた。ヌーラもまた、それを貪欲に吸収した。だがそれは彼が勉強熱心だったと言うよりも、自分の欠点を補おうとする必死のあがきだった。
「あの大魔女サーヘラの弟子なのに、魔法が使えないなんて変な奴!」
「魔法なんて誰にでも使えるのにな!」
「サーヘラ様はなんでお前みたいな出来損ないを弟子にしたんだろうな!」
脳裏に響く言葉を振り払うように、ヌーラは首を横に振る。調合した薬のほか細々とした品を鞄につめると、ヌーラは黒いローブを羽織り、玄関でブーツを履いてトナリ村へ向かった。
トナリ地区を縄張りとする大魔女サーヘラの養子にして弟子であるヌーラ青年の姿が見えると、村の人々は互いに顔を見合わせ、そわそわと視線を移動させ、何事か囁き合いながら彼の様子をうかがい、年老いた村長を一同の中心に引っ張って来る。いつもならヌーラを取り囲みながら出迎えて、あの薬が良かったうちで菓子を食べて行けあの魔道具を売ってくれ占いをしてくれ、と言うのがトナリ村の人々である。いつもとちがう村人たちの様子に首をひねりながらも、トナリ地区の相談役代理はいつもの挨拶をした。
「おはようございます。トナリの森の魔女サーヘラの弟子、ヌーラが参りました」
「う、うむ、その……おはよう、ヌーラ」
「……村長、ワタニー城のことで何かありましたか? それとも何か困りごとが?」
村長は杖の上に乗せた皺のある両手をもぞもぞと動かしながら、周囲の人々と顔を見合わせる。しばしの沈黙の後、顔なじみの老人は弱り切った声で相談役の青年に打ち明けた。
「実は今朝がた、村の若い衆が行き倒れを見つけたんじゃ。いまウチの客間に寝かせているんだが、なかなか目が覚めなくて……どうしたら良いのかねぇ」
今までに一度もぶち当たったことのない相談内容に、ヌーラはしばらく硬直した。
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