第38話 大ピンチだぜ!

 気持ち悪い。口の中に鉄の味がする。ツバを吐き出したいのに、猿ぐつわのせいでままならない。

 シャルと呼ばれた男にひどく飛ばされて、意識が朦朧とする。

 奴隷の証、外さなければ良かった。今は丸裸で、あの黒い小ビンも無い。状況は絶望的で。泰樹たいきは背中を丸める。


 ――アイツ、俺を『人質』だって言った……なら、コイツらはイリスたちと接触するはず。


 俺に出来ることは。それまで生き延びることだ。ぶんなぐられても蹴られても、死なないことだ。


「ん……」


 ああ、でも、痛えなあ。身体中、あちこち痛え。あの男、もうちょっと手加減してくれねえかなあ。


「なあ、コイツ、魔人どもの犬なんだよな?」


 誘拐犯の一人が、シャルに笑いかける。いやらしい笑い方だ。なんだか、イヤな予感がする。


「ああ。そうだ。魔人どもと、仲良く浴場にしけ込んでやがったぜ」

「ふうん。じゃあ、コイツ、魔人どものオモチャなのかなあ」

「そうなんだろ。こんなむさ苦しいのが好みなんて、魔人どもの気が知れないぜ」


 シャルは腕を組んで、不機嫌に眉を吊り上げる。いやらしい笑みを浮かべた男はチラリと泰樹を見て、笑みを深めた。


「じゃあ、ちょっとぐらいおれたちが『遊んで』やっても構わないよなあ?」

「いつも魔人どものを『食って』るんだ。かまわねえさ」


 いつの間にかやって来た別の男が、泰樹を見やってひひっと笑う。


「んーっ!! んーっ!!」


 泰樹は眼を見開いて、猿ぐつわ越しに抗議の声を上げる。食ってねえ! 冗談じゃねえ!!


「……はっ! くだらねえ。だがな、お前らが小汚い犬と遊ぶってんならオレはおりるからな」


 シャルはツバを吐き捨て、泰樹を見下ろした。紅色の眼が怒りに燃えている。

 あれ? コイツ、こう言うの、嫌いなのか?

 敵みたいに思ってる人質を『もてあそぶ』ことは、シャルの主義に反するようだ。

 頑ななシャルの態度に、他の男たちは冷めたように「冗談だよ」などと引きつった笑いを浮かべる。


 ……助かった、のか?


「ん、ぅ……」


 猿ぐつわの下から泰樹がうめくと、シャルはきっと眼をり上げた。


「こう言う遊びなら……付き合ってやっても良いけどな!」


 ブーツを履いた蹴りが飛んでくる。耐えきれず、泰樹は猿ぐつわを噛んだ。


「んんっ……ふっ……ぐ……っ!」

「おい、シャル。その位にしとけよ。死んじまったら値が下がる」

「ウッセー! ふんっ」


 ひとしきり、シャルは泰樹を蹴りつけて、部屋を出て行った。

 シャルの怒りに興ざめした男たちは、泰樹を遠巻きにする。

 ぼろきれのように床に転がりながら、泰樹は痛みに意識を失った。




 腹の音がぐるぐると鳴って、泰樹は目を覚ました。腹減ったな……今、何時だ?

 ここ、どこだ? 俺、何してたんだっけ?

 一瞬、全てが理解できなくなる。腕が痛い。

 腕どころか、身体中がどこもかしこも痛い。

 ああ、俺、マッサージで眠くなって、それで……


「……っ!!」


 思い、出した。ここは誘拐犯のアジト。俺は誘拐されて、ここに連れてこられた。


「ん……っ」


 ああ、猿ぐつわされてるんだった。クソッタレ!

 もぞもぞと、泰樹は身を起こす。腹が減って仕方ないし、寒いし、便所に行きたくてたまらない。


「んーっ! んーっ! んーっ!!」


 自由になる足をばたつかせて、泰樹は尿意を訴える。見張りの男が暴れる泰樹を見つけて、猿ぐつわを外した。


「はっ……! 小便、したい……! も、漏れそう……!!」

「げ! マジかよ!! ここですんなよ?!」

「うーっ! 早く、便所に、行かせてくれ……!」


 男は慌てて泰樹を立たせた。せき立てられ、建物の外に連れて行かれる。


「ここには便所なんて無いからな……その辺でしろ!」


 後ろ手に泰樹を縛ったロープの先を、見張りが持っている。建物は入り組んだ路地の中にあって、遠くに魔の王の城が小さく見えていた。


 ――ここは多分、まだ『王都』の中。イリスの屋敷からもめちゃくちゃに遠いわけじゃ無い。


 それだけ観察して、泰樹は見張りを振り向いた。


「……ホントはよー。もう少し我慢できるんだぜ!」


 思い切り、見張りに頭突きをくれてやる。見張りが思わずひるんだ隙に、泰樹はかけだした。


「……俺だってやるときゃやるんだよー!!」


 いひひ! 笑いながら、泰樹は路地を走る。魔の王の城を目指していればきっと、イリスの屋敷にたどり着ける。

 それだけを信じて、泰樹は路地を進んでいった。その足が急に止まる。


「っ!」


 ――行き止まり?!


 目の前に立ちはだかる壁に、愕然とする。背後からは追っ手の足音。ああ、クソ……っ捕まったら、どんな目に合わされるか解らない。壁に背中をつけて、泰樹は身構えた。

 イリスのように怪力でもない。シーモスのように魔法は使えない。アルダーのように戦えない。そう思うと、俺、何だかかっこ悪いな……

それでも、ただ捕まるつもりは無かった。

 最後まで、あがいてやる!

 そう、腹をくくった泰樹の目の前に、シャルを先頭にして誘拐犯たちが迫る。

 その時。

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