遺された想い

 ドーバー防衛隊の訪問を受け、足を運んだ大広間。

 そこには既にドーバー防衛隊の兵士が数人と、それから琴音も集まっていた。

 傍付き隊は大体、海へと落下したアイラの遺体を捜索するため怪我を押して出払っているため不在だ。


「……シルバ少佐。改めて、この度は、なんと申し上げてよいやら……」


 ルシルの到着を待っていた防衛隊の兵士は、開口一番まずそう言葉を詰まらせた。

 彼女の姿を認め、沈痛な面持ちで目を伏せる。

 そんな彼に彼女は、ふっと力無く口角を吊り上げる。


「ご苦労さまです、大尉……。皆さんの手を煩わせることになって心が痛むわ」


 それから周りの兵士を数人一瞥。


「……けれど、魔女を処刑するにしては人数も武装も足りていないんじゃない? もっとも、抵抗するつもりなんて無いけれど」

「……。……少佐、冗談を言わんでください」

「冗談? そんなつもりはないけれど」


 肩を竦めて彼女は笑う。

 穏やかでも晴れやかでもなんでもない狂気的な笑顔。

 自暴自棄な笑い。


「あなた達、パトモスの放送を聞いていなかったの? あれだけ爆音で流れていたのに」

「――ルシル、お前、少し落ち着け」


 小柄な琴音に腰の辺りを肘で小突かれ、ルシルは腹立たしげなを向ける。


「落ち着く? どうやって? 無理な注文だわ。もうどこまでも落ちた後よ」

「あのなあ……。なら冷静になれ。いや言葉はなんでもいい。とにかく一回、よく考えろ」


 普段とはまるで違う感情逆巻くルシルに対して、琴音は臆するでもなくいつもの調子で正面から言葉をぶつける。


「さっきのパトモスの放送……。あれ、全部が本当なわけないだろうが。一から十まで真に受けるな馬鹿。……あれだな、お前みたいに余裕の無い人間が他人に騙されるんだな。よくわかったよ。私は如何なる時も絶対に余裕を持ち続けようと心に誓うね」


 呆れ調子な琴音の物言い。


「あいつの演説、何一つとして証拠なんて無かっただろう。推測、憶測、誇張のオンパレードだ。まあそれであれだけ熱の籠もった話ができるんだから大したものだがね」

「……彼の話が、全て大嘘であると?」

「極端な奴だな、全てとは言わんさ。あの説得力からして、真実も多分に含まれてはいるはずだ。しかし、それが本筋ではない。奴は自分がさも清廉なる正義の味方だみたいに語っていたが、奴の話にも思惑があり、裏がある。故に一面だけに気を取られるわけにはいかない」


 よく知らん奴の話を全て鵜呑みにしてやる理由がどこにあると、琴音は腰に手を当てた。


「そもそもな……。あいつら、黒の黎明ってのは世界を滅ぼしたいんだろ? ネフィリムから国を守る気なんて無いぞ。つまり、魔女狩りを扇動したのは、最終的に国を滅ぼす為の計略の一部ということなんだろう」


 言われて初めて、確かにその通りだとルシルは気付く。

 黒の黎明は率先して世界を滅ぼそうとしている破滅崇拝者集団だ。

 そんな奴らの言う通りにして、国が救われるはずはない。


「……そしてここからは私個人の主張が多分に交じる推測だが……」


 はっとした様子のルシルを見てから小さな咳払いを一つ、琴音は彼女の顔を見上げた。


「魔女が根絶やしになって本当にネフィリムの襲来が止まるのなら、奴らは逆に困るはずだ。奴らにとっては救いをもたらしてくれる天使なんだろ? 気色の悪いことこの上ないが、要するに魔女が居ようが居まいがネフィリムの襲来は続くということなんだろう。――呑み込まれるなよ団長。まだ、何も終わってなんかいない。手のかからない結末なんてありはしない」


 そんな琴音の言葉に、ルシルはきゅっと口を引き結んだ。


 まだ、何も終わってなんかいない。

 こちらは終わりにする気満々だったというのに、まだ終わらせてくれないか。

 やはりどこまで行っても、困った世界だ。


「……悪かったわね。至極簡単な解説をさせて」

「なに、気にするな。あのままお前に自殺でもされたら、私がアイラに呪われる」


 そんな琴音の台詞にルシルは力なくも笑って、それから防衛隊の兵士へ向き直る。


「……あなた達も、ごめんなさい。てっきり、私を殺しに来たんだと思ってしまったわ。あなた達もコトネ少佐と同じく、パトモスの放送の裏がわかっていたのね」


 しかしそんな彼女の言葉に、防衛隊の兵士は言い淀んだ。


「いえ、それは……。お恥ずかしい話、我々は黒の黎明のことなどよく知りませんで、パトモスの話の真偽など判断できませんでした」


 しかしはっきりと、ルシルに向かって言う。


「ですが我々にとって白鳩騎士団は国防の為、共に戦ってきた仲間です。あの男の話が真実であろうとなかろうと、仲間に銃口を向けるような者など、このドーバーにはおりません」


 そんな彼の力強い断言に、ルシルはアイラの言葉を思い出していた。


 ――あなたのこれまでの行動や、その結果や、それらによって衝き動かされた人の心は、変わりません!


 ――あなたがこれまでこの国を、人々を、仲間を救ってきた事実は、揺らぎませんっ!


 ――それが、ただ一つの真実なんです!


 どこかで、言った通りでしょうと笑う彼女の声が、聞こえた気がした。


「……ありがとう。あなた達の信頼に感謝します。……けれどそういうことなら、ここへは一体何の用件で?」

「――実は、アッシュフィールド少尉の捜索を行っていた部隊が、海上でとある漂流物を見つけました。……こちらです」


 そう言って彼が懐から取り出したのは、手の平に収まる程度の、薄く四角い金属製の箱のようなもの。

 ルシルは黙ってそれを受け取り、確認する。

 箱といっても蓋が開いて中に何か入っていたりというわけでもないらしい。


「発見した者の話では、その物品は氷に包まれた状態で海面を漂っていたとのことです。恐らく少尉の持ち物だと思うのですが……」

「……彼女本人は、まだ?」

「はい、それはまだ……。白鳩傍付き隊の手も借り、この物品が見つかった周辺を重点的に捜しておりますが……」

「…………」


 ルシルはもう一度手元の物体に目を落とす。

 状況からして、まず間違いなくアイラの持ち物だろう。

 それもわざわざ海面に浮いて見つかりやすくなるように、土壇場で氷魔法まで使って届けようとした何かだ。


 しかし、これがなんだというのだろうか。

 ルシルはこれまで彼女がこんなものを持っていたということも知らなかったし、そもそもこれがどういう物体なのかもわからない。

 彼女は、最期に一体何を遺そうとしたのか。


「――それ、錬金術でコーティングされてるな。魔鎧騎の装甲に使う技術と似たようなものだが……。魔法の増幅ではなく、封入が目的のようだ」


 横から覗き込むようにしてルシルの手元を窺っていた琴音が、眼を細める。


「魔法の封入……? 初耳だわ。この小さな箱に、何かの魔法が詰まっていると?」

「封入できる魔法は大したのことない、小さなものだ。戦闘になんて使えないし、だから研究も廃れたと思っていたが……」


 考え込むように呟き、それから琴音はルシルの目を見る。


「ま、あいつがわざわざ遺したってことは、何かあるんだろう。受け取ってやれ。……魔力を込めると、封入された魔法が起動するはずだ」


 そんな言葉に促され、ルシルは手元の物体に魔力を注ぐ。

 するとその小さな箱は薄っすらとした輝きを発し――


『――私は、アルベルニア連合王国第六十四代女王、ヘレナ・オーガスタ・ヴァクナです。私の娘、ルシルへ向けてこのメッセージを遺します』


 そんな、今は亡き女王陛下の肉声が、聞こえてきた。


 ◇◇◇


「ルシル……。私はこれから語る言葉を、あなたへ向けた遺言のつもりで話します。……本当はこんな形ではなく、直接会ってお話しできる機会があればよいのですけれど……。こんなご時世、何が起こるかわかりませんから、予め信頼のできる者に託しておこうと思いました。なので、このメッセージをあなたが聞くのは、私がこの世を去った後のことになるでしょう」


「初めに言っておかなければならないこととして、私の命はもう永くありません。お医者様のお話では肺の病で、あと一年は保たないのではないかということです。……そういう事情もあって、私はこのメッセージを遺しておかねばならないと思いました。……あなたに伝えないといけないことが、山のようにあるからです」


「私があなたへ伝えたいのは、後悔と、謝罪と、懺悔……。それから、願いです。今更何を言うのかと思われるかもしれませんが……。どうか、最後まで聞いて欲しい」


「私はこれまでの人生で数限りない後悔を積み重ねて来ました。けれどその中でも最も大きなものが……、ルシル、あなたについてです。私はあなたを……。……ごめんなさい。……私はあなたを、王室から追放してしまったことを、ずっと後悔してきました。悔やんでも悔やみきれない思いです」


「あなたは生まれながらに、強い魔力と、魔法への適性を持って生まれました。そしてそれは当時の貴族社会の常識としては、全く受け入れられないものでした。周りの貴族や王族達は、口々に、生まれたばかりのあなたのことを、なかったことにするよう進言してきました……。けれどそんなことは、できるはずがなかった。……私にとって大切な、愛すべき我が子を殺める決断など……。できるはずがありませんでした。私は恐らくその時に、最初で最後、周囲の意見に反対をしました」


「……しかし結局、あなたを完全に守ることは叶わなかった。あなたの命を奪わないまでも、貴族としての身分を奪い、王室から追放する……。それが当時、私と彼らの間で決められた折衷案でした。……今でも思います。私があの時、自らの立場も、他の全てを投げうってでも、あなたを守っていれば。あなたは今のような危険な人生を歩んでいなかったかもしれない……。まったく、悔やんでも悔やみきれません」


「本当に、ごめんなさい。生まれたばかりのあなたを守れなかったことも……。その後、成長していくあなたを影から見て、立派に育っていってくれていると……、声の一つもかけてあげられない癖に未だ母親の目線で嬉しく思ってしまったことも……。命の危険もある任務、大変な仕事であることを知っていながら、ましてやその道に追いたてたのは自分であることを理解しておきながら、軍でのあなたの活躍を聞いて皆から慕われる姿を想像する度に、舞い上がってしまったことも……。ガーデンパーティへの招待を受けてくれて、あなたに対して他の招待客と同じ態度で接しておきながら、言葉を交わすことができただけで喜ばしく思ってしまったことも……。本当に何もかも、ごめんなさい。……許されないことであると理解しながら謝罪の言葉を述べる卑怯なところも含めて、本当に……」


「……そして、ここからは単なる謝罪では決して済まない、懺悔です。これ以降話す内容は墓へ持っていこうかとも思いました。この国の研究者達が長年の研究で暴いた事実と、国が隠してきた国家の根幹に関わる重大な話です。ひょっとすると、知ってしまうことでそれが重荷になってしまうかもしれない。……けれどあなたには知ってもらうべきだと思い、話します」


「アルベルニアを……、人類を襲う異形の存在、ネフィリム。奴らの活動目的は、魔力の接種です。彼らは私達人間や他の生物と同じ原理でエネルギーを得ているわけではありません。空気中や、食べた人間から魔力を得て生命を維持しています。空気中から得られる魔力には限界があるため、子を産もうとする女王個体が海を越えてまで人を狙うのです……」


「……今の話を聞いて、ネフィリムが魔力を求め人を狙うのであれば、魔力を持つ魔女という存在がいなくなれば、人類の脅威は消え去るのではないかと……。もしかしたら、思ったかもしれません」


「――ですが、そうではありません」


「魔力とは、本当は魔女も一般人も関係なく、男性も女性も区別なく、大なり小なり差こそあれど、全ての人間が持って生まれるものだからです」


「一般に、魔女の魔法力は魔力量・制御力・適性域の三要素によって決定されると言われていて、魔力量と制御力については努力や訓練で後天的に成長させられる余地があるのに対し、適性域は先天的な素質によって決定されると言われています。しかしこの表現は、意図的に歪められています。正しくは、人間の魔法力は、と表現するべきなのです」


「人間は皆、魔力量と制御力という、魔法の行使に必要な要素の内二つを持って生まれます。ただ問題なのが、世の中の人間のほとんどは適性域に素質を持たないということです。実際に魔法を行使できる適性域を持って生まれるのは、極僅かな女性だけなのです」


「この事実は実は、数百年前から一部の貴族や教会の司祭達には知られていたようです。ですが当時、彼らはその事実を揉み消しました。全ての人間は魔法を操る為のエネルギーは持っているものの、大半はそれを扱う才能が無いだけである。魔法を使える者こそが才能を持っており、それ以外の人間を導くべきなのだ。などという言説が生まれることを恐れ、機先を制するかのように、魔法が使える者を異端とし、排斥したのです」


「それが、長く続いた魔女狩りの発端……。そもそも初めは、今で言う魔法は、魔法などという呼び方はされていなかったようです。初めは神の奇跡やそれに準じるものとして扱われていたところを、教会の権威が失墜することを恐れた時の権力者によって、悪魔の呪法という忌み名を与えられた……。そう聞いています」


「少し話が逸れてしまいましたが……。つまるところ現在の世界の構図は、人類誰しもが持っている魔力を補食せんと襲い来るネフィリムを、数少ない魔女達が抑えているということです。魔女にまつわる人類の黒い歴史を、ひた隠しにされたまま」


「これは懺悔です。あなた達魔女に、正しい歴史を伝えもせず、国にとって都合の悪い事実を隠したまま、人類を守る責務を押し付けてしまっていることへの、懺悔です。恐らくきっと、私は地獄へ落ちることでしょう」


「……そして、ここからは願いです」


「あなたを生むだけ生んで捨てた非情な女から……。そして、このアルベルニア連合王国の君主として立つ女王から、あなたへの願いです」


「ルシル……。私はあなたに、この国を導いて欲しい」


「人類最後の砦としてネフィリムの脅威に曝され続けるこの国を守って欲しい。未だ困難や混乱ばかりのこの国を率いて欲しい。醜悪で仄暗い歴史の上に立つこの国を照らして欲しい。様々な事情を持つ人々が身を寄せるこの国を救って欲しい」


「あなたが受け取ってくれるかわからないけれど……。何も嬉しくない、呪われた名だとして捨てられてしまうかもしれないけれど……。あなたに、アルベルニアという名を贈りたい」


「こんなことは、頼める義理ではありません。お願いできる立場にないことはわかっています。けれどあなたならと、思わずにはいられない」


「家族に捨てられ愛情を与えられなかったあなたなら、誰しもに優しくなれるのではないか。魔女としての迫害と賞賛をどちらも浴びてきたあなたなら、魔女にまつわる人類の歴史と正しく向き合えるのではないか。騎士として魔女やそれ以外の兵士とも協力して戦ってきたあなたなら、魔女と一般人という区分けを正しい形に変えられるのではないか。これまで人類の最前線に立ち人々を守ってきたあなたなら、これまで通り人々を導いていけるのではないか」


「こんなことは、私の口から言っていいようなことではないでしょう。ましてこんな、遺言などという一方的なメッセージで伝えるべきことではないでしょう。……本当は、直接会って、直接あなたと話したい……」


「会って直接、糾弾されたい。断罪されたい。そして直接、謝りたい……」


「このメッセージが、こんな形であなたに届かないよう、私も努力いたします」


「……そういえば、あなたに会える七回目のパーティも、もうすぐですね」


「ついつい日程をあなたの誕生日に合わせてしまい……。余計なことを、してしまったでしょうか……」


「せめて当日は、いつもよりもう少し、上手くお話できるとよいのですけれど……」


 ◇◇◇


 女王陛下からルシルへ宛てられたメッセージは、そこで終わった。


 しんと、静まり返る一同。


 そして女王陛下の最後の声から数秒後。

 波の音と雑音混じりの少女の声。


 息も絶え絶えになりながら、必死に言葉を紡ぐ少女の声。


「ルシル団長……。このメッセージは、ガーデンパーティの日に、女王陛下から、渡されました……。あなたには最後まで秘密にしていましたが……。私は元々、女王陛下の下でお仕えしていた、近衛騎士団の、一員でした……。ナディア中尉の一件があって……。私が志願したのもそうですが、何より女王陛下が、団長のことを、傍で支えて欲しいと仰って……。私は白鳩へ、やってきました……。もうご存知だと思いますが……。言葉にするまでも、ないことでしょうが……。女王陛下は……。あなたのことを、ずっと、愛して、おられました……。それだけは、言っておかないと、と……」


 恐らく落下した先の海上で波に揉まれながら、アイラが追加で録音したのであろう音声。

 それは残された僅かな時間で、懸命に彼女が遺したものだった。


「ご期待に添えず、申し訳、ありません……。女王陛下にも、ルシル、団長にも……。けれど、団長……。私は不思議と今、何の後悔もありません……。団長なら、私が見たかった景色を……。そこへ、私を連れて行ってくれると……。信じて、います……」


 声に乗る力が、薄れていく。

 命が大いなる奔流に流されていく。

 決して戻れないところまで。


「あらゆる物事は、いつか過去になる……。私の好きな、言葉です……。けれど団長は……、私にとって……。いつだって……、未来を照らしてくれる存在、でし、た……」


 そうして、ルシルの手元にあった箱が光を失う。

 そこからはもう何も、聞こえてこなかった。


 誰も、言葉を発する者はいない。

 しかし広間は決して静寂ではない。


 声にならない少女の叫びが。

 夜を越えて続いていた。

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