王国の落日
片腕を吹き飛ばされた魔鎧騎が、ドーバーの空を浮遊する。
純白の騎士とその傍を飛ぶ魔女に相対し。
圧倒的に絶望的な状況であるはずなのにも関わらず、その魔鎧騎は得体の知れない不敵な空気を纏っていた。
『く、くく、くくくくくくく……』
『……何か面白いことでもあったかしら?』
敵のただならない気配に眉を顰めるルシル。
その問いかけに、黒の黎明の騎士は答えた。
『未だ貴様らは、愚かだ。信じている、明日が来るなどと。そんな、曖昧で不確かな思い込みを』
その声は物の道理を説くような有無を言わさぬ力を持っていた。
歴史書に刻まれた動かぬ過去を語って聞かせるような響きだった。
『もう終わった後だ、何もかも。王国の日は既に落ちた。運命の奔流は正常化し、命運は定まったのだ。今更どう足掻いたところで、何も変わりはしない』
そんな不気味な声に、胸がざわつく。
なんだ?
相手は何を言っている?
何の話をしている?
自分の預かり知らないところで、大切な何かが揺れ動いてしまったような感覚。
言葉にできない嫌な予感へ、ルシルはゆっくりと呑まれていた。
『そろそろ伝わってくる頃だろう。審判の始まりを告げるラッパの音が。――下の蒙昧共の会話に、耳を傾けてみるといい。お前の求める答えが、聞こえてくるはずだ』
そんな悪魔の囁き。
得体の知れない敵の言葉に乗ってやる義理など無い。
しかし、彼女を呑み込む不気味で邪悪な雰囲気がそうさせた。
伝信魔法の効果範囲を、ドーバー一帯の防衛隊兵士達に広げる。
彼らは混乱した様子で、有線通信からもたらされた情報に紛糾していた。
『それはどういうことだ!? 何かの間違いではないのか!?』
『複数の通信が飛び交っていますが、全て同一の内容を示しています……!』
『もっとよく確かめろッ! くそッ! ――終わったとでもいうのか!? この国がッ!!』
『おい、私にも聞かせろ! なんだと言うんだッ!?』
『ロンドンにて反体制派勢力の蜂起! 陸軍総司令部は指揮機能を喪失――』
咄嗟に、伝信を切るよう進言しなければと直感するアイラ。
しかし、時既に遅し。
『――バッキンガム宮殿は陥落! 女王陛下は、崩御されました……ッ!!』
急転直下。
突如もたらされた凶報。
アルベルニア連合王国首都、ロンドンでのクーデター。
バッキンガム宮殿の陥落。
その意味するところは様々であるが、何よりも重要なことは。
一人の少女が愛した母親が、この世を去ったということだ。
『――――――。。。???』
伝信魔法で繋がっているからこそ、わかる。伝わる。
前後不覚に陥るほどの無明の闇。
呑み込まれるような絶望。
繋がっているこちらまで思考を乱されるほどの圧倒的などす黒い感情に、アイラは叫ぶ。
「る、ルシル団長! お気を確かに――」
『――酷なことを。早々に、楽にしてやるべきであろうッ!』
動きを止めた雷雪に、片腕の魔鎧騎が襲いかかる。
「しまっ――」
心が揺れた隙を突かれた。
アイラも、ルシルも。既に平静からは程遠く。
敵は、この瞬間こそを狙っていた。
袈裟掛けに振り下ろされた剣が雷雪の装甲を斬り裂き、穿つ。が、純白の騎士は動かない。
既にその意識を失ってしまったかのように。
沈黙したまま、グラリと傾く。
騎士として戦場を飛ぶと決めた以上、いつかは訪れることが決まっていた。
その時は、唐突に訪れた。
『介錯しよう、白鳩の頭よ』
次いで突き出される鋒。
真っ直ぐに魔鎧機の中心にある操縦席――ルシルへと向かう。
「――き、さまァッ!! させるかァッ!!」
迫りくる絶望的な未来を察し、咄嗟に動いたアイラ。
氷壁、は、間に合わない。
だが、止めなければ。
何としても。何にかえても。
「うぁぁああああああアアアアアアアッッ!!!!」
刹那の行動。
それが、二人の少女の命運を分けた。
ずぶり、と。
衝撃が。
次いで理解が。
最後に痛みが。
「――っ……!」
アイラはゆっくりと自らの身体に目を向ける。
身体の中に異物が刺し込められていく、異質な感覚。
自らの胸部を貫き、恐らく背中から飛び出しているであろう巨大な鋼の刃。
胸に食い込む無骨な凶器を目にして、思考が止まる。
熱い。溺れる。
息ができない。
死――
「ごぼっ」
口から血の泡が吹きこぼれ、視界が歪む。
痛みに教えられるまでもない。
身体の、重要な部分がいくつも壊れた。
命が、魂が傷口から漏れていく。
そしてそれだけ理解して、彼女の頭はかつてない速度で回転して思考する。
――止まっている暇など、無い。
「ま、だ、まだ……っ」
自分が活動可能な残り時間は?
その時間でできることは?
最低限やらないといけないことは?
その優先順位は?
それだけ考え、考えながら、彼女は最後の行動を開始した。
今のルシルには戦闘の続行は不可能だ。
だから眼の前にいるこの敵だけは。
せめて一緒に連れていく。
ルシルは死なせない。死んでもだ。
己の肉体に渾身の飛行魔法を付与し後ろへ下がって、身体に食い込む刃を外す。
「かふっ――」
大量の鮮血が吹き出し意識が薄れるが、身を引き裂かれるような激痛を利用し無理矢理繋ぎ留める。
撒き散らされる命の源。
それを刃と凍らせて、振り下ろす。
既に視界から色は消え、音もどこか遠くに聞こえるだけ。
肺が膨らまず呼吸は上手くいかないし、鼓動ももう止まっているような気がする。
しかしそれでも。
成すべきを成すまでは、動き続ける。
真っ赤な刃が、魔鎧騎を貫く。
丁度先程のアイラのように、胸部の辺りを深々と。
相手の断末魔は聞こえない。
何も聞こえない。
けれど仕留めたという直感はあった。
そして、自分にできるのはここまでだという実感も。
胴体に氷の大剣を突き立てられた魔鎧騎が、海面目掛けて真っ逆さまに落下する。
それを追うように、アイラの身体も墜ちていく。
墜ちていく。堕ちていく。落ちていく。おちていく。
離れていくルシルの雷雪。
薄れていく視界。
絶えていく感覚。
消えていく命。
手を伸ばしても、もうどこにも届かない。
海に落ちるのは嫌だな。
せめて空の上で死にたかったな。
約束、守れなかったな。
あの人は泣いてくれるかな。
悲しませたくはなかったな。
もっと一緒に、飛んでいたかったな。
残った力の全てを振り絞り、もう飛ぶことも叶わない。
迫りくる海面に激突するまでの間、彼女の意識は真っ暗な世界で取り留めのないことを考えていた。
この生き方を選んだ時点で、いつかはこんな瞬間が訪れることを覚悟していた。
予め気持ちの準備をしていたから、実際にその時を迎えても冷静に行動できた。
ある程度上手くやれたとは思う。
けれど本当は、こんな時は来ない方がよかった。
彼女は自分のために人が死ぬことを極端に嫌う。
ましてや今は余裕がない。色々なことがあり過ぎた。
余りにも、色々なことが。
だからできることならば、近くで支えて差し上げたかった。
いや、支えないといけなかった。
こんな状況で彼女だけを遺して逝くなど、副官失格だ。
本当に申し訳ない。
申し訳ないと言えば、そういえば。
まだルシル団長にあれ
「……………………アイラ……?」
呆然と呼びかけるルシルの声。
しかし、それに応える者はいない。
その空域を飛行するのは既に彼女の雷雪のみ。
眼下に広がる暗い大海原は、ただ残酷に、全てを呑み込んだ後だった。
「………………………………………………あいら……………………」
きっとこの世界に神はいない。いたとしてもそれは、人類の敵以外に相違無い。
一人の少女へ与える試練にしては、余りにも。
余りにも、残酷な仕打ちだった。
「――あ あ あ あ あ あ あ あ あ あッ!?」
ドーバーの空に、慟哭が響く。
悲痛な叫びは、空を越えて届くだろうか。
届いたとして、誰かを喜ばせるだろうか。
答えは、否。
だからといって、思い留まることなど、できない。
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