地獄への扉

 その突入は、彼にしてみれば寝耳に水の話であった。

 勿論ジャクリーンの一派がバッキンガムで行動を起こした時点で遠からずこのアジトにも王国の捜査の手が伸び一戦交えることになるだろうことは想定していたが、まさかその時がこれほどまでに早く訪れるとは。


 正直な話、油断があった。

 そして敵はその油断を突いてきた。


 前触れ無く扉を開け放った少女は見張りとして部屋に詰めていた男にライフルを手に取る暇を与えなかった。

 走馬燈に心を馳せる時間すらも、与えてはやらなかった。


 驚く男の身体に手を触れて少女は囁く。


「――隷下蹂絶セロ・アブソリュート


 瞬間、見張りの男は凍りつく。

 文字通り、その身体が――命が凍結する。

 その瞳はもう何物も映さない。

 その口はもう如何なる言葉も紡がない。


 素肌や衣服の表面には真っ白い霜が降り、一体の彫像が出来上がる。


「身体の中の水分を丸ごと全部凍らせたの? ……えげつないことするわね、少尉。今後あなたに触れるのを躊躇しそうだわ」

「忘れて下さい、団長。触れまくって下さい。……ともあれ見張りは片付きました。この武装、どうやら黒の黎明の根城で間違いは無いようですね」


 そんなやり取りを交わしながら、二人は静かに更に奥へと踏み込む。


 ルシルを狙って陛下主催のパーティを襲撃した切り裂き魔の足取りを追い、辿り着いた先はイーストエンドの深奥。

 薄汚れた扉を開け中に入ると地下へと続く薄暗い階段が伸びていた。


 地下は細長い廊下が複雑に入り組みアリの巣のようになっている。

 少し湿った、ひんやりとした空気。

 お世辞にも心地良い場所ではない。

 足早に駆け抜け、奥へ奥へと進んでいく二人。


「さっさと仕事を済ませて立ち去りたいところだけど――」


 その呟きは途中で止まる。

 異変を察知し警戒に来た男達と廊下の角で鉢合わせたからだ。


「なっ――」

「し、侵入者――」

「――お邪魔しているわよ」


 スッと目を細めるルシル。

 その眼光を受けた二人は頭部を吹き飛ばして崩れ落ちる。


「う、うわああああああああッ!?」


 その僅かに後方へいた残る男がライフルの引き金を引くも、放たれた弾丸は彼女の手前で大きく曲がって壁に食い込む。

 そしてその光景に驚く暇無く、男はアイラの手で白い氷像へと変えられていた。


「お怪我はありませんか、団長」

「問題無い。弾丸程度の大きさであれば電磁誘導で軌道を逸らせる。……雷雪の発電機構無しでは攻撃に使えるほどの電気は生み出せないけれど、私の雷属性も中々のものでしょう?」

「わかっていても、少し肝が冷えました……。もう少し慎重に進みましょう」

「いえ……。どうやら目的の一つに、あちらからお出ましいただいたようよ」


 アイラの背後、その先に視線を向けながらルシルの眼光は鋭さを増す。


「――おいおい! あんたら私のファンなのか!? 礼儀のなってねぇ奴らはご勘弁だぜ」


 驚きと呆れが混じったような、魔女の声。

 ロンドンの切り裂き魔、ジャクリーン。


 まさしくルシルとアイラの目的である彼女がそこに現れていた。


「招待もされていないパーティを荒らしておいて、よく言うわ。少し早く着いてしまったかもしれないけれど……、覚悟を決める時間には、足りたかしらね?」


 直後、アイラの脇を一陣の風がすり抜ける。


「ちょ――」


 それが尋常ではない速度で廊下を駆け抜けたルシルなのだと彼女が気付いたのは、数瞬遅れてからのこと。


 飛行魔法と風属性魔法を併用した急加速は、暴風とも呼べる衝撃を周囲へ振りまく。

 遅れて豪快な破砕音と眩い閃光。

 廊下の突き当たりの壁に大穴が空き、砕けた石材が勢いよく辺りへ転がる。


 基本四属性の魔法を相殺させ生まれた衝撃力でもって敵を攻撃する、魔法戦技マジカル・アーツ

 ネフィリムの巨体をも殴り飛ばすほどの力が、ジャクリーンを背後の石壁ごと吹き飛ばした。


 大穴の空いた奥には、だだっ広い空間。

 どうやら廊下の突き当たりの裏側には、大部屋が広がっていたらしい。

 壁の瓦礫に混じってその大部屋の床へ打ち倒されたジャクリーン。

 硬い床の上を何回か跳ね転げたその先で。仰向けに転がったまま、もぞもぞと動く。


「……っつぅぅ……。死ぬ……、かと思ったじゃねぇか、おい……」

「そのつもりなのだから逝ってくれて構わないのに。昼間の逃亡といい往生際の悪い女ね」

「く、くくく……。それは褒め言葉と受け取っておくぜ、鳩のお頭さんよぉ……。……そして悪いついでにもう一つ、底意地悪く足掻いておこうか……ッ!」


 そんな台詞に応じるように、彼女の懐から飛び出た短剣が空中を舞う。

 ガーデンパーティでも見せた、彼女の常套手段。宙を駆ける短剣による攻撃。


 しかしその向かう先はルシルではなく、アイラでもなく、ただ真っ直ぐに上、天井へ。


 だだっ広い大部屋の天蓋は、目一杯見上げなければ全容を捉えられないほど高い。

 一様にそこへ向かった短剣達は途中でいくつかにバラけ、天井からぶら下がっていた何かを斬る。


 それは、複数の鎖。

 とある巨大な物体を天井から吊り下げていた鎖。

 繋ぎ止めていた楔を失ったその物体は、そのまま重力に引かれ落下する。


 床を破砕し埃を上げるその物体の姿に、ルシルとアイラは目を見張る。


「――まさか、こんなものまで保有しているとはね……」

「これは……、魔鎧騎……? でもどうして……」


 それは本来ネフィリムとの戦いの為、連合王国陸軍にしか配備されていない兵器である魔導鎧装騎。

 蒸気機関による強力な駆動機構は人体を遥かに超える膂力を生み出し。錬金術の粋を集めて作り出された合金による装甲は、魔力を増幅させ、行使される魔法を強化する。


「見たことない型です、一体どうやってこんな物を……」

「はっ、何でもかんでも自分達の専売特許だと思わないことだ。黎明の賛同者は、どこにだっているんだぜ」


 嘲るような笑いと共に、ジャクリーンはその魔鎧騎へと乗り込んだ。


「いつもとは真逆の立場だな、騎士サマ方よ。今回はあんたらが、狩られる側さ」


 そんな宣言と共に、黎明の魔鎧騎は動き出す。


 重厚な腕部を持ち上げて二人へ向け掲げる。

 魔鎧騎により増幅された魔法が発動される感覚。

 それを肌身で感じ取った二人は身構える。


 ロンドンの切り裂き魔、ジャクリーン・ザ・リッパー。

 その代名詞とも言える魔法、刀剣舞闘リッパー・スプラッター


 任意の物体に飛行魔法を付与し意のままに操るその魔法は、誰しもに扱えるわけではない。

 魔女のほとんどが適性を持つことで知られる飛行魔法ではあるが、当然人により得意不得意は存在する。

 その上、自分以外の物体、それも手元から離れた対象に魔法を行使できる者となれば使い手はかなり限られ、同時に複数の物体をそれぞれ操作するなど難易度は更に跳ね上がる。

 それを事もなげに成し遂げるジャクリーンはまさしく天才の域であり、そんな彼女の魔法が魔鎧騎により増幅された形で発動する。


「呼び名通りに、切り裂いてやれなくて済まないな!」


 辺りに散乱していた瓦礫の山が、ふわりふわりと浮かび上がる。

 一つひとつが人間の頭部より二回りほどは大きい石塊。


 直撃すれば人体など容易く破壊する威力を内包した不揃えな砲弾が、放たれる。


「――少尉ッ、走りなさいッ!」


 アイラにとっては初めて聞く、ルシルの切羽詰まった指示。

 事態の深刻さは明白だった。


「死ねやこな糞ォォオオオオオオオッ!!」

「っ――」


 放たれた無数の砲弾が廊下に、壁に雨あられの如く激突していく。

 身体を芯から揺さぶるような轟音は留まるところを知らず、大部屋の余白を埋め尽くしていく。


「ちょっ、これは――ッ!?」


 横っ跳びで転がるようにして走りながら、アイラは轟音の中で声を張り上げる。


「だ、団長ッ!? まだご無事ですか!? 私はかなり、まず――」


 その声にも余裕などは皆無。

 無数の砲弾幕に、ルシルの姿を確認する隙間は無い。


 砲弾がぶつかった壁は砕け散り、同時に散らばった砲弾の破片と共に浮かび上がって、第二第三の弾幕として標的へ向け襲い掛かる。

 この四方上下の六合を囲まれた限られた空間において、ジャクリーンの攻撃は絶大な威力を誇っていた。


 放たれた砲撃はその先で新たな砲弾を生み出し、その砲弾が更にその先の弾幕を構成していく。

 無限に続く嵐のような猛攻。


 その渦中においてアイラは必死に頭を動かす。

 自分を、ルシルを、生かす方策。


 しかし思い付くどの方法も万全ではない、運に頼った防衛策。

 それでも何もしないよりかはマシだとアイラが魔力を練り上げた、丁度その時。


「じっとして、少尉!」

「る、ルシル団長!? わ、わわわっ、えっ、団長何をっ!?」


 石塊の嵐の中を縫うようにしていつの間にか傍らに移動してきていたルシルがそんな台詞と共に、アイラの身体を背後から覆い被さるようにして抱き込んだ。


 想像だにしていなかった現実。

 一体何事が、起こったのか。


 ルシルの体温を、そして感触を全身で感じる。

 その香りが鼻腔をくすぐる。


 先程まで考えていたジャクリーンへの対抗策などどこか彼方へ飛んでいき、ただただ頭が真っ白になる。

 何も考えられない。

 むしろ今思考するのは野暮というものだ。本能がそう叫んでいる。

 刹那の時間が永遠のようにも感じられた。


「――だっ、だだだ団長!? はわわわわ団長!?」

「黙ってて。こうでもしないと、巻き込んで殺さない自信が無い」


 絶望的な死線で至福の瞬間を得たアイラは、耳元で囁かれた彼女の声を聞く。


「――煌光ノヴァ・ディストラクション


 その直後、アイラの視界は真っ白に塗り潰された。


 飛び狂う砲弾を、舞い上がる破片を、それらを操る鋼鉄の鎧を。

 ルシルを中心にした白い波動が飲み込んでいく。

 だだっ広い大部屋の中を、隅々まで。


 それは飲み込んだもの全てを平等に吹き飛ばす。

 その中心、ルシルに抱き包まれたアイラを除いて。

 絶大でありながら、暖かさを感じさせる不思議な魔力。


 それは慈悲深き超常の御手。

 彼女に拒まれたものの一切は存在を許されない。

 真っ白な世界で何もかもを覆い隠し、そうして――

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