言うな、皆までその心を

 バッキンガム事変による被害と混乱は甚大であった。


 スタングレン陸軍大臣を始めとする、政府要人の死亡。

 その他多くの有力貴族や名士などの死傷。

 そして何より女王陛下本人の生命まで危ぶまれる事態が連合王国首都ロンドンで、ネフィリムによってではなく人間の手によって引き起こされたことは人々に強い衝撃を与えた。


「やはり、今回の事変はジャクリーン個人による襲撃ではなかったようです。奴が会場へ突入する直前に、会場を警備していた王属近衛騎士団の騎士達と近衛衛兵部隊の兵士達も殺害されていました。四方の警備が、狙い澄まされたように一斉に」

「計画的な犯行、ということですか」

「はい。事件発生後に現場から飛び去る不審な人影をいくつも見たという証言もあります」


 答えるのは事件を受けて駆け付けた近衛騎士の一人。


 王属近衛騎士団とは陸軍近衛師団配下に置かれた騎士団で、陸軍航空隊配下にある騎士団以外で唯一騎士を擁する部隊である。

 その任務は主に王室の警護や護衛であるが、暗黙的に女王陛下が直接指示を下すことのできる唯一の騎士団であり、諜報や偵察、他騎士団への応援や教導等多様な任務に従事することも多い。

 それ故に優秀な騎士が団員として選抜され、個々の能力は白鳩の団員にも劣らない程であると言われている近衛騎士団。


 しかしそんな彼女達も今回の事変で多数の死傷者を出していた。


「……まさかこれほどのことをやってのける連中が存在したとはね。少尉に聞くまで、寡聞にして知らなかったわ」

「といっても、表立った活動が見られるようになったのはごく最近ですし、こんな大きな動きなんて、これまで……」

「まったく……。ネフィリムという脅威相手に人類皆が手を取り合って共に立ち向かいましょうという時に、一体どういうつもりなのかしら?」


 理解し難いと非難するルシルの問いかけに、近衛騎士が曇った顔で答える。


「奴等はマゾヒスティックな破滅崇拝者、歪んだ思想の持ち主です。ネフィリムを天使と捉え今現在こそが審判の日であると主張し、その先に救いを求めている。奴らに、協力して生き残ろうなどという人間らしさを期待してはいけません。まったく、アヘン窟にでも引きこもっていればよいものを……」

「黙示録を実現しようとでも? 馬鹿馬鹿しい。ネフィリムは喇叭なんて吹いてないわよ」

「しかし実際、黒の黎明の賛同者はじわじわと増えていっています。奴らの思想は歪ではありますが、わかりやすい。実際に人類が滅びかけている今だからこそ、真に迫っている」


 アイラの言葉に近衛騎士は頷く。


「はい、人は弱い生き物ですから。民達の多くは長く続くこの苦しい生活に疲れきり、解放されたいと願っています。だから破滅崇拝に傾倒する余地があるのです」

「確かに平和を望むには、現実は余りにも過酷ね……。そういった変えようの無い下地があるが故に、黒の黎明が裏で勢力を拡大させてきたと?」

「その通りです。困難な道の先にある平穏よりも、手近な解放を望みたい……。追い詰められたが故の逃避ですが、強弁に否定もできません」

「……他者を巻き込まず自分達だけで勝手にやってくれるのなら構わないけれどね。その独善的な主張をこちらに押し付けるのは度し難いわ」

「黎明の視点では、それこそが世の救済ですから……。いよいよ積極的に、世の中を崩壊させにかかってきたということでしょう」

「それで国家の混乱を意図して……、ルシル団長を狙ったというわけですか」


 アイラは小さく息を吐いて、怒気を孕んだ声を吐き捨てた。


「多くの人々の希望となっている団長が亡き者となれば、国民は絶望し、破滅へ救いを求める者も増える……。スタングレン陸軍大臣閣下が憂慮されていたのも、このことですね……」


 今はまだネフィリムとの争いに対して戦意を保つことができている連合王国ではあるが、それが難しくなれば、国民が滅びを望むようになれば、全ては崩壊するだろう。


 しかし、国民の心を折るという意味では標的はルシルではなく女王陛下でもよかったはず。

 むしろ歴代最強の魔女を狙うよりも成算はあるとさえ言える。

 それでも彼女を狙ったのは――


「――単純に国民の希望を潰すことのみならず、防衛の要を欠けさせることで実際的な脅威の増大まで狙っている。奴らは必ずしも自分達の信条が大衆から受け入れられずとも良いと思っている。最終的に人類滅亡という結末さえ達成できれば構わないと、考えているようですね」


 そんなアイラの分析に、ルシルは大きく深い息を吐く。


「もう十分、よくわかったわ。黒の黎明という組織が、決してこの国で野放しにしておいてはいけない連中だということがね」


 憤りを努めて抑え込みながらも、なおも隠しきれない激情を漂わせつつ、彼女は断じた。


 ルシルがここまで怒る姿というのは初めて見たが、それも宜なるかなとアイラは思う。

 団長がこれから何をしようとしているのか、何を成したいと思っているのか、彼女はその意志を汲み取る。

 けれども副官として、一応言うべきことは言わねばなるまい。


「ちなみに団長。そろそろ帰営の予定時刻ですが……。駅へ向かわないと間に合いません」


 しかし、否。

 案の定。ルシルは力強く断固とした眼差しをアイラへ向ける。


「このまま帰るわけにはいかないでしょう、少尉。私の目の前でこれだけ好き勝手されて、あまつさえ女王陛下まで巻き込んで……。奴らに代償を、支払ってもらわないとならないわ」


 黒の黎明は、ジャクリーン・ザ・リッパーは明らかにやり過ぎた。逆さ鱗に触れたのだ。


 自らの手で引導を渡してやると意気込むルシルに、近衛騎士がおずおずと進言する。


「ですが、黒の黎明が身を隠している場所は未だわかっておりません。いくつか候補があるという段階までしか絞り込めておらず……」

「ならその候補とやらを虱潰しにするまでよ」


 どうやらルシルの決意は固いらしい。


「けれど、ここから先は白鳩騎士団としての範疇ではないわ。騎士としての独断専行という形になる。少尉は先に帰っていなさい」


 そんな台詞に、アイラは何を言うやらと笑って答える。


「勿論、ご一緒いたします。私は団長の副官ですから」


 それに独断専行は嫌いではない。

 何よりも、己の心に従っている気がする。


「加えて申し上げれば、ああいった輩が身を潜めていそうな場所には、いくつか心当たりがあります。これでもロンドンは長いので」


 アイラの笑みに、ルシルも小さく口角を上げる。

 そうして二人は、日の落ち始めた霧の都へと踏み入るのだった。


 ◇◇◇


 逃げたジャクリーンの足取りを追い、黒の黎明が潜伏する根城を突き止めるべくアイラが当たりを付け向かった先は、イーストエンド・オブ・ロンドン。

 貧困、病気、犯罪が渦巻く、ロンドンの最も暗い場所。


 アイラに連れられやってきたルシルは、眉をひそめながら辺りを見回す。

 元々暗い雰囲気のある霧の都だが、中でもここは異質であった。

 ガス灯などという気の利いたものはほとんど無く、未だ夕方であるというのにまるで真夜中だ。

 細い路地は謎の悪臭が立ちこめ、ボロボロの衣服を身に纏った人間が所々地べたに座り込んでいる。


「ここにはこの街の貧困層が集中しているんです。元から王国にいた人々も亡命でやってきた人々も関係なく、貧しい人間が行き着き先の一つが、ここです。ユーストンやキングス・クロスなどのターミナル駅が開発されたことでそれまでそこにあったスラムや集合住宅が一掃され、住処を失った人達がここへ集まることになったのが始まりと言われています」


 手元に生み出した小さな炎で辺りを灯しながら、薄暗い路地を歩いていく。


「……随分と詳しいのね、少尉」

「はい。一応、幼少期を過ごした場所ですので」


 そんなアイラのカミングアウトに、ルシルは無言で彼女を見やる。


「ここでの暮らしは過酷です。食べる物も満足に手に入らず、家にはすきま風と共に防衛排煙の煤が入ってくる。道を歩けば売春、麻薬が横行していて、暴力や詐欺は日常茶飯事……。歩いているだけで面倒事に巻き込まれかねないので、お気を付け下さい」

「……よくもまあ、こんな場所で元気に育ったものね」

「私には良い出会いがありましたので、こんな吹き溜まりは抜け出してやろうと奮起できましたが……。多くの人々にはそんな機会も、上を向く気力も無いというのが実情でしょう」


 沈痛な面持ちで周囲に目を向けながら、アイラは歩を進める。


「この地域には一定以上の階級にあるマトモな人間は近寄りません。人の目を気にするならず者が徒党を組むには都合の良い場所です。もっとも、この他にもいくつか組織の隠れ家はあるのかもしれませんが――」


 言いながら何かを見つけたのか、アイラは路上に目を落とす。


「――少なくともあの切り裂き魔がここを通ったのは確かなようです」


 彼女が指差す先には、まだ乾ききっていない血痕。

 それが点々とイーストエンドの奥へ続いていた。


「……あなた、奴に傷を負わせていたの?」

「残念ながら、そこまでは。ただ、出席者の血液を凍らせて攻撃した際に、足下へ氷が付着するよう優先していました。取り逃がした際にその痕跡を追えるように」

「随分と手慣れているわね。最近の士官学校ではこんなことまで教えてくれるのかしら? ネフィリムと戦う上では役に立ちそうにないけれど?」

「軍人ですので、その時々で求められる技術を身に着けただけです」


 笑って返答するアイラは、続けてしめやかに呟く。


「犠牲となった方々が遺してくれた道標というわけです。現場に居合わせながらも救うことができなかった彼らに、私達はせめて報いねばなりませんね」

「……その通りよ、少尉。王国へ盾突くということが一体どういうことなのか、思い知らせてあげましょう」

「はい、団長。王冠への忠誠、その妙々たるを破滅主義者共へ叩き込んでやる所存であります」


 既に賽は投げられた。

 故に、証明する必要がある。

 闘争の果てに残るのはどちらか。

 その信念の証明を。

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