英雄の激昂

 ネフィリムという怪物は、時も場所も弁えない。言葉も情も解さない。

 人間の常識など通用しない。徹底的に己の都合で、己以外の全てを振り回す。


 食堂に集まっていた団員達が警報を聞いて一斉に動き出す様は、流石に慣れているというべきか、しっかりと訓練され統率された動きであった。

 一瞬前までなにやら暗い表情を見せていたルシルも既にいつもの冷静な顔つきに戻り、誰よりも早く食堂を後にする。

 傍のアイラは一拍遅れ、急いで彼女を追いかけた。


「――コトネ少佐、今すぐ動かせる魔鎧騎は?」

「ルートのデュッセルドルフとロザリのゴールウェイの二騎だな。雷雪は駆動系の調整に入っちまってるし、ブラックロードはさっき言った通りだ」

「仕方ないわね。……それにしても一日に三体なんて、ドーバー決死戦を彷彿とさせるわ」

「そういえば、あの時も始まりはこんな感じだったか……。やれやれ、一日にいくつも嫌なことを思い出させるじゃないか、まったく」


 そんなやり取りを交わしつつ足早に魔鎧騎格納庫へと向かうルシルとコトネ。その後ろに団員達が付き従う。

 穏やかな雰囲気は残滓すら残さず、騎士も傍付きも皆、凛とした表情。

 そして格納庫へ到着して突然、中の様子を見た琴音が今日一番の大声を上げた。


「――ばっかもぉーんッ!! なにをやっているんだ貴様らはァーッ!!」

「は、はいっ!」

「も、申し訳ありません、親方!」


 中に居た作業員達が琴音の怒号に身を縮こまらせる。

 次いで中に入ってきた団員達も、なんだなんだと様子を窺う。


「どうしてデュッセルドルフとゴールウェイの整備を始めている! ネフィリムが来ているんだぞ、これじゃ動かせんだろうがッ!」

「す、すみません! ですが、デュッセルドルフは定期整備の予定日を過ぎておりましたし、ゴールウェイは現行部品に不備が見つかったという連絡があり、点検を……」

「だとしても、雷雪の調整が済むまで待機だ! 最低でも一騎は即応できるように置いておけと、いつも言っているだろう!」

「は、はぁ……。しかし、まだ本日到着したブラックロードが残って……」

「あんなもん戦力に数えるなぁッ! 貴様らの目は節穴か!? えぇい、これだから人間は……。――とにかく、ただちに両騎の整備を停止! 駆動準備だ、十分で終わらせろ、遅れれば全員薪に焚べて施設の燃料にしてやるッ!!」

「りょ、了解ッ!」


 真っ赤な顔で作業員達へ檄を飛ばした琴音は忌々しげに息を切らしてルシルへ向き直る。


「すまんルシル、出撃にはあと十分ほど必要だ。可能な限り急がせるが――」

「そう、仕方が無いわね……。ルート大尉、ネフィリムの出現地点の情報はある?」

「はい、団長。現在、キングスダウンの南東沖およそ八マイル地点を飛行中。第三十二防衛隊が既に迎撃態勢、海峡第二艦隊が急行中とのことです」

「……紺碧騎士団へ援軍を要請しても、到着までに車砲主線へ到達しそうね。通常戦力での足止めに期待するしかないかしら」

「ご承知の通り、ドーバー周辺の防衛排煙はダンジネスの混乱の余波で、稼働率が半分を下回っております。足止めは、難航するかと……」


 出現地点からの侵攻ルートを予測するに、白鳩の駐屯地から今すぐ飛び立ってギリギリ間に合うだろうかという具合。他の騎士団では間に合わず、白鳩としても準備に時間が必要な今、防衛隊は相応の損害を出すことになるだろう。

 ルシルは務めて表情を変えず、しかし内心で険しい顔を浮かべる。

 大陸方面軍はダンジネス暗野戦での損害からも回復し切れていない状態で、更なる痛手だ。

 例え今回の襲撃を乗り切ったとしても、ドーバー近辺の防衛はより厳しいものになるだろう。

 もっとも、明日の心配は今日の危機を乗り越えてからという話なのだが。


 そんな短い思案に耽っていたルシルは、不意に飛び込んできた琴音の声で顔を上げる。


「――おい、アイラ! お前、なにする気だっ!!」

「自らの騎士道に殉じます!」


 見れば格納庫の隅で鎮座していたブラックロードへいつの間にか駆け寄っていたアイラが、今まさに乗り込もうというところだった。

 思考が一瞬固まる。

 しかしすぐにルシルは叫ぶ。


「アッシュフィールド少尉、戻りなさい!」

「団長、私は行きます! これは魔鎧騎士の職責です! 動ける魔鎧騎がこの子だけだというのなら、その騎士である私が行くべきです!」

「そんな状態の魔鎧騎を、単独で出撃させるわけにはいきませんッ! 戻りなさい、これは団長命令よッ!!」


 敬愛する団長からの、有無を言わさぬ力強い命令。

 それを真正面から受け止めて、アイラ・アッシュフィールドは言い切った。


「拒否しますっ!!」


 迷いの無い断固とした表情で、アイラが魔鎧騎の中へと消える。


 ――その直後、全身から白い蒸気を噴き出して、黒き騎士が立ち上がる。


 細部の動作確認と暖機運転も行わない緊急起動。

 たちまちのうちに、大きなその一歩を踏み出す。


「待っ――」


 そして呆気にとられた表情の団員達に背中を向けて、彼女が駆る魔鎧騎は暗い夜空へと飛び立っていった。


 命令無視、独断専行。


 ルシルにはもう、表情を取り繕う余裕は無かった。

 多数の部下を持つ立場として、自らの感情を必要以上に表へ出さないようにと努めている彼女は、決して感情に乏しいというわけではない。

 淡々と軍務を遂行する姿から時折勘違いされることの多い彼女だが、精神は人並みに起伏しているのだ。


 しかしそんな彼女にとっても、ここまで激情が逆巻き立ったのは久し振りのことだった。


「――大尉と中尉は待機。魔鎧騎の準備が整い次第追ってきなさい」


 雷雪が整備中という状況があるいは逆に良かったかもしれないとルシルは静かに考える。

 おかげで赴くことができる。

 最短最速で、抗命した部下のもとへ。

 ルートとロザリに最低限の指示だけ残して、彼女は飛行魔法を発動する。


 ――直後、格納庫内で吹き荒れる猛風。いや、暴風。


 歴代最強の魔女が、その全力をもって飛行魔法を行使した、余波であった。


 空間を満たす巨大な魔力が、魔鎧格納庫を震わせる。

 何も知らない者がその場に居れば、余りにも超常的な圧力に卒倒することだろう。歴戦の団員達ですら顔を顰めて目を瞑る。

 そしてそんな彼女達が気付いたときには既に、その場にルシルはいなかった。


 生身で、武器も持たずに、猛烈な速度で格納庫を飛び出していったのだ。


「――だ、団長!?」

「ちょっ、団長ォーッ!! ダメだ、あれ完全にキレてたっす!」

「……死んだな、あいつ。まるで無限の泡影が如き新人だった」

「あ、あわわわ。あわわわわわわっ」

「ろ、ロザリ中尉! すぐに団長へ伝信を繋いで下さい、説得します! いや、やはりアイラ少尉に直接危機を――」

「…………」

「――笑ってる場合じゃありませんよ!?」

「傍付き隊、出撃準備急ぐっす! 持てる装備だけ持ってすぐ追いかけるっすよぉーっ!?」


 たちまち格納庫を喧噪が包む。

 非常事態には慣れた彼女たちをしても、今夜の波乱は予測不能な珍事であった。


 決定的な出来事には、考える余地が無いものだ。

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