信念

 白鳩騎士団での夕食では、下士官以上の団員は可能な限り食堂に揃うというのが暗黙のルールのようなものになっている。

 戦場において、昨日隣に座っていた者が明日も無事であるという保証などどこにもない。何気ないやり取りが最後の思い出となることも往々にしてある。

 そしてそんな戦場の現実は、白鳩のような精鋭部隊であっても例外ではない。

 むしろ、精鋭部隊で与えられる任務はより過酷に、より困難になっていく。

 だからこそ戦友と共に過ごす時間が如何に貴重であるかを知っている彼女達は、こうして何気ないひとときを大切にするのであろう。


 そんな白鳩騎士団の駐屯地。

 外ではすっかり日が落ちて暗くなった頃、駐屯地の食堂に団員達が続々と顔を出す。

 これから戦場で肩を並べて戦うことになる仲間達との顔合わせになるということで、先ほど元気を取り戻したばかりのアイラは、また俄に緊張感を覚えていた。

 ルシルに第一印象で嫌われたという経験は、彼女にとって軽いトラウマになってしまっていたのである。


 しかし、そんな彼女の不安を察してなのかはたまた平常運転なのか、食堂を訪れた者から順に、ノエミが間に入って紹介してくれる。


「えーっと、こっちがさっき話したウチの傍付きの、ジーンとシャロンっす。二人はまだ実戦経験こそ少ないっすけど、ちゃんと仕事できる娘達なんで、よくしてあげて欲しいっす」

「ジーン・オルグレン伍長です! 傍付き魔女として白鳩の戦列へ加わっております! よろしくお願いしますっ!」

「同じく伍長シャロン・ハズラックです。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」

「アイラ・アッシュフィールドです。こちらこそ、よろしくお願いします。騎士団に貢献できるよう頑張ります」


 ノエミの話では、白鳩騎士団に所属する魔女は皆、ルシルと同世代の少女達。

 一番年長なのが副長のルートで、十九歳。

 歴代最年少にして最優の騎士団長と称えられる団長に配慮してなのか、その団員も若く優秀な魔女達が配属されてくるのだとか。

 新任のアイラとしても、妙な気兼ねに惑わされることなく生活することができそうだった。


「あ、おーい、ロザリん! ちょっと待つっすよ!」


 また新たな団員が食堂に現れ、すぐにノエミが声を上げる。

 すると眠たげな垂れ目が特徴的な、小柄な少女が顔を向けた。

 ノエミとアイラが歩いて行くと、そのぼんやりとした瞳をアイラに向けて、無言でじいっと見つめてくる。

 決して発育良好ではないアイラより背が低く彼女を見上げるような格好だ。


「えーっと、こちらはロザリ・サン=ジュスト中尉っす! 私と同じく十六歳で、アイラちんと同じく、我ら白鳩が誇る魔鎧騎士っすよ!」

「…………」

「本日から着任しました、アイラ・アッシュフィールドです。偉大なる白鳩の一員として王国の空を飛べる栄誉に震えているところです。どうかよろしくお願いいたします」

「………………」

「……。えぇっと……」

「あぁ、大丈夫っす! ロザリんは騎士団随一の無口なんです! 多分、彼女の肉声を聞いたことがある人間は白鳩にはいないっすよ」

「は、はぁ……」

「……………………」


 そんなノエミの紹介通り、ロザリはひとしきりアイラのことを見つめたあと、口より遥かに雄弁な笑顔。


「っ!」


 それからやはり何も言わずに一度だけ大きく頷き、そのままテーブルへ向かっていった。

 その背中を見送りながら、ノエミは彼女について補足する。


「彼女は伝信魔法とか感応系の魔法に強い適性を持ってて騎士団の連絡担当なんすけど……。伝信でもほとんど喋らないんでもっぱら中継役っすね。けど、素直でいい娘っすよ」


 確かに悪い人という感じはしなかったものの、独特な雰囲気をまとっていて、意思疎通ができるか心配になる。仲良くなれるだろうか……、とアイラは少しだけ不安になった。


「さてさて。結構みんな集まってきたっすけど、後は――」


 人も増え、賑やかになってきた食堂。

 ルシルはまだ来ていないものの、用意されている椅子は殆ど埋まっているようだった。


「――お前か、あのブラックロードを持ってきた新任騎士とやらは」


 不意に後ろから声を掛けられ、アイラは慌てて振り向く。


「は、はいっ! アイラ・アッシュフィールドですっ! よろしくお願いします!」


 声色から高圧的なものを感じ、反射的に敬礼するアイラ。しかし振り返って見れば、そこにいたのは小柄だったロザリよりも更に背が低く、あどけなさが残るというよりも単純に幼い風貌の少女であった。まず間違いなく、アイラよりも歳下であろう。

 慌てて顔ごと視線を下げる。


「おっと、コトネっちぃ! ちゃんと食堂に来るなんて、珍しいっすねぇ! 今日はアイラちんが着任する日だってこと、覚えててくれたんっすね!」

「ふん、格納庫に新しい魔鎧騎が置いてありゃ馬鹿でもわかるわ。私は、その新任騎士に用があって顔を出しただけだ」


 幼さとは裏腹に、これまでに出会った誰よりも強気な少女だった。

 舌っ足らずな喋りとはアンバランスな口調である。


 そんな彼女が、改めてアイラに視線を向ける。


「白鳩騎士団・専属魔鎧技師、東三条琴音だ。……アイラ・アッシュフィールドだったか。また随分と、手のかかる魔鎧騎を持ち込んでくれたものだな」


 細められた瞳と責めるような口調に、アイラは僅かにたじろぐ。

 しかし、臆していてはいけないと思い直して勢いよく頭を下げる。


「私の相棒、ブラックロード・リベレータです! これからご迷惑を多々おかけすると思いますが、何卒よろしくお願いしますっ!」


 騎士にとって魔鎧騎は己の存在意義を賭す武装であり、その調整やメンテナンスを担当する技師は騎士の生殺与奪を握っているとも呼べる重要な存在だ。

 騎士の生存性や作戦遂行力は魔鎧技師の手腕が握っていると言っても過言ではない。

 王国の最新科学と錬金術の結晶である魔鎧騎は、その新規開発はもとより修繕ですら、対応できる技師の数は決して多くない。

 そんな情況において白鳩の専属技師は特に優秀で当代一のウデの持ち主だというのは界隈で有名な話であり、このところ愛騎の調子が芳しくなかったアイラとしても早く診てもらわなければと意気込んでいたところだった。

 ……まさかその噂の技師が自分よりも歳下の少女だとは思っていなかったけれど。

 昼間のネフィリム戦で負った損傷もあるところだし、着任早々手間をかけさせてしまうのは申し訳ない気持ちだったが、それはそれだ。


「プロフェッサー・コトネのお噂はかねがね! 私のリベレータ、コトネ少佐になら安心してお預けできます!」

「――ああ、うん。あの騎体はもうダメだな。悪いことは言わん、とっとと乗り換えろ」


 そんな、さらりと向けられた予想外の琴音の言葉に、アイラは顔に笑顔を貼り付けたまま固まってしまった。


「――えっ。……え? えええッ!?」


 数秒の硬直を経てから素っ頓狂な声を上げた彼女に白けた瞳を向けながら、琴音は面倒臭そうな口調で言う。


「お前、アレをどれだけ使い込んでるんだ? 各部のピストンはガタガタだし、蒸気管にもところどころ亀裂が見られた。滑り弁も摩耗してるし、あれじゃ出力が安定しない。シリンダ周り丸ごと交換するくらいしないとダメだあれは」

「あ、はい、すみません……。えっ、亀裂? 交換??」

「装甲もすっかり擦り減って、折角の錬金コーティングが意味を成してない。そもそも古い合金だしな。鎧なんて名乗れる状態じゃないぞ、棺桶だカンオケ」

「は、はあ……」

「これまでの技師は何やってきたんだって感じだが、まあブラックロード系の部品はもう殆ど手に入らないから直そうと思うとほぼ手作りになるし、私だってやりたきゃない。型落ちの騎体に対してかける手間じゃあないんだ。もはや新しい魔鎧を組み上げるのとそう変わらん」


 実を言うと、アイラが騎体の乗り換えを勧められたのはこれが初めてではない。

 ここまではっきり言われたことは無いにしても、以前にも何度か似たような提案をされたことはある。やんわりと、最新の魔鎧騎を紹介されたりしたものだ。

 しかしこれまでそれを跳ね除け続けてきたのにも、やはり理由というものがあった。


「で、でも……。それは困るんです! コトネ少佐ならなんとかなりませんか!?」

「なんとかってなんだ。いくら私が新進の気鋭たる天才錬金術師にして当代最高の魔鎧技師だからといって、物資にも時間にも労働力にも限りがある。いかんともしがたい、物理的な制約というやつだ。明日も明後日もこの先もネフィリム共が攻めて来ないというのであれば、身体が空いた時にでも片手間の趣味で弄ってやらんでもないがね。ここは王国の最前線。今日この瞬間にも奴らに襲撃されかねない現場で、かつ他の騎体もある中で、型落ち品の面倒に骨身を粉砕してなどいられんのだよ」

「そ、それは……、そうなのかもしれませんがッ!」

「ふん、食い下がりやがるな。何が不満だ? 幸いここは名前の通った騎士団で、私にもそれなりの伝手はある。最新の汎用騎ぐらいすぐに融通してやれるぞ。無難にゴールウェイ・ウィッチーズなんてどうだ? 正式採用の汎用騎だから部品も豊富だし、ロザリのと同型だからメンテナンスが楽でこっちも助かる」


 琴音の言っていることは理屈が通っていて、彼女の立場としては最もな言い分だった。

 その上新しい魔鎧騎を用意してくれるというのだから、新任のアイラに対しても気を遣ってくれていて、反論できるような立場ではないことはアイラにもわかっていた。

 しかし、この件は彼女にとって、理屈ではないのだ。


「……リベレータは、私にとって簡単に手放せるようなものじゃないんです。あの子は、私にとって――」


「――何の騒ぎ? 通りづらいのだけど」


 書類仕事の疲れから気が立っているのか、胡乱な眼差しを携えたルシルが、いつの間にやらそこにいた。


「し、シルバ団長! お疲れ様です!」


 琴音との会話へ夢中になっていたアイラはその接近に気が付かず、慌てて敬礼する。

 そんな彼女を余所に、現れたルシルへ琴音が猛剣幕で食ってかかる。


「あ、おい、ルシル! お前また超魔電導加速砲ライトニング・フレアを撃っただろ! 帯電状態後はメンテナンスが大変だから控えろって、何度も言ってるだろうがっ!」

「はあ……。はいはい、悪かったわよ。調整よろしくね、コトネ少佐」

「貴様ぁーっ! いいか、お前が無茶するのは知らん、勝手にしろ! だが雷雪には無茶をさせるなっ! 怒るぞっ!」


 感情を露わにして団長を責め立てる少女の様子に気圧されながら、アイラは傍らにいたノエミへ小声で話しかける。


「……えぇっと、ライセツっていうと――」

「団長が愛用してる魔鎧騎っす。スペシャルな特注品なんすけど、開発したのがコトネっちなんですよ。彼女、自分が設計からやった魔鎧騎には変な名前付けて偏愛する癖があるんっすけど、雷雪は中でも特にお気に入りらしくて。……ああやってよく揉めるんすよ」

「よくあることなんですか?」

「まあそっすね。あそこまでうちの団長に突っかかれるのは、コトネっちだけっすよ。流石の私でも無理ムリっす。ははは」


 どうやらこの騎士団ではこういう光景は日常茶飯事らしい。当のルシルも慣れた様子で、適当に琴音の文句をあしらいつつその金の瞳をアイラへと向ける。


「それで? あなた達、何を揉めていたの? やっと一日も終わってこれから夕食という時に……。私だって少しは穏やかな時間が欲しいのだけどね」

「いえ、そのですね……」

「こいつの魔鎧騎について、乗り換えを勧めてたんだよ。とてもじゃないが、ここでの軍務に耐えられるような状態じゃあなかったからな」

「……なるほどね。確かに、ブラックロードなんて久々に見たもの。何年前の騎体なのかっていう話だわ。……まったく、こんなに無理させて……」


 目を細め、その黒騎士を観察する。

 やがて彼女は得心いったという表情で頷いて、それから琴音へ訊ねる。


「現状を最低限修繕したとして、運用できるのはあとどの程度かしら?」

「一応、応急的な整備はしたがな。精々あと一戦か二戦だろう。技師としての本音を言えば、あんな状態の騎体を駆るくらいならもうハダカで飛んでくれ、だ。自分が整備した魔鎧騎で死人が出るのは、そう何度も経験したくない」

「そう……。なら、早いところ新しい騎体を手配しましょう。着任早々だけど、彼女には一度バーミンガムへ行ってもらった方がいいかしら」

「確かにブラックロードからの乗り換えなんて大分感覚も変わるだろうし、工房で色々試させた方がいいか……」


 淡々と進められる二人の会話。聞かされていたアイラは早々に黙っていられなくなる。


「ま、待ってください! あの子は大事な騎体なんです! もちろん、お二人のご高配には感謝いたします! ですが、別の魔鎧騎で戦うことなど、私には考えられません!」


 アイラがそう反駁すると、ルシルは僅かに眉根を寄せた。

 そして無言で琴音に視線を送る。彼女はその小さな肩を竦めてぼやいた。


「な。この通り、わがままちゃんなんだ。些か針小を棒大にした話だと言わざるを得ないね。魔鎧騎への愛着自体は、わからなくもないが」

「……型落ちのブラックロード、それもリベレータのようなピーキーな騎体に拘る理由がわからないわ。戦場にわざわざ不安要素を持ち込むなんて」

「いやピーキーさで言ったら団長の雷雪も相当っすよね。あんなの団長以外に扱えないし」


 途中で挟まれたノエミの呟きは無視して、ルシルが続ける。


「昼間の発言といい今といい、あなたには自身の命を粗末に扱う悪癖があるようね。騎士団長としてそれは到底見過ごせません。たった一人の招いた危険が、団員全員を巻き込むことだってあるのだから」


 そんな彼女の言葉に、アイラは拳を握り締める。


「――私は……。私は別に、命を粗末にしているつもりなんてありませんッ!」


 声を荒らげた彼女に、遠巻きに様子をうかがっていた団員達が顔を見合わせた。


「……私は昔、ある人に命を救われました。地獄のどん底みたいだったところから、引っ張り出してもらいました。真っ暗だった世界に、光を灯してもらったんです! だから、この命を粗末になんて、できるはずがありません! 私はただ、自分が自分であることを第一に生きているだけですッ!」

「…………」

「団長に尽くしたいと思ったのも、リベレータを譲れないのも、それを覆してしまったら私が自分でいられなくなってしまうからです! ……私にとって、自分を見失うことは、死んでいるのと同じなんです」


 真正面から語りかけてくる彼女の言葉。

 その言葉には力強い信念が感じられ、彼女が本気で言っているのだということは明らかだった。


「――っ」


 ――似ている、と。


 昼間の邂逅から考えないようにしていたのに、ルシルはそう感じてしまった。

 アイラの言葉を聞いていた彼女の脳内に、とある出来事が呼び起こされる。

 思い出したくもない、凄惨な光景。

 蓋をしても消えることなく頭にこびり付いている記憶。

 無惨に破壊され炎に包まれた魔鎧騎の中で血塗れになりながらも、最期まで己を曲げなかった少女。

 そして――


『――大丈夫です、これが私の生き方ですから……。でも、最後の最後に団長をそんな顔にさせてしまったことが、唯一の心残り、ですね……』


 そう言って、いつもと同じ笑顔を浮かべながら、散っていった少女。

 忘れられるはずもない。彼女は、大事な仲間だったのだから。


「――団長?」


 不意に、アイラが気遣わしげな声をかけてくる。

 心配そうな顔をしているのは、ノエミや琴音も同じだった。

 自分はそんなに分かりやすく感情を顔に出してしまっていたのかと、気を引き締めようとするルシル。


 その時だった。


 前触れ無く駐屯地全体へ響き渡る、けたたましいサイレンの音。

 それが意味するものは即ち。平穏をぶち壊す、異形の襲来であった。


 最前線には、平穏など仮りそめ程度にしか残されていないのだ。

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