雨後の空
湊「おつかれーいさまーっす。」
「お疲れ様ー。」
「ばいばい。」
湊「うい!またねー!」
早くバイトを上がれた今日の帰路。
帰り際笑顔を浮かべる子供が
何人も見えて自然と口角が上がる。
やっぱり子供の笑顔が見れると
1日気分が上がる。
楽しかった思い出が
記憶の隅にでも残れば
幸福なことこの上ない。
足取り軽く駐輪場まで向かい、
徐々に錆がつき始めてきた自転車に跨る。
上京してもう3年目。
自由を手にした年数分
自転車も歳をとっている。
最低限にまとめられた荷物を籠に放り
力を入れて漕ぎ回す。
近所まで来てふと
パン屋さんが目に入る。
湊「いいねえ、決まり。」
秋のような焼き色と
香ばしい匂いを元に
コロッケパンやメロンパンを
エコバッグに詰め込んだ。
湊「たでまー。」
そう言っても返事のない家になったことに
疑問を抱かなくなってから随分と経た。
自炊しなければならないし
洗濯物や買い物、掃除だって
自分でしなきゃいけない。
面倒で布団から出ない日もあるけれど、
なんだかんだで生活できていた。
土日も友達と遊びに行くのが常になっていて
神奈川のみならず東京にも
何度も足を運んだ。
やっぱり都会って全然違う。
人の多さも建物の規模も全てが
まるで別世界のよう。
初めて渋谷のスクランブル交差点を見た時は
「テレビで見たやつだ」と
はしゃぎ倒した記憶がある。
田舎者感がだだ漏れだけれど
今では乗り換えに酷く苦労するくらいで
歩くこと自体は苦がなくなった。
湊「まあまあ慣れるもんだよねー。いただきまーす。」
変化の多い人生だったと
言い切るにはまだ早過ぎるし
断言はできないけれど、
変化の多い時期にいるのだろうと思案する。
学生時代、受験の度に未来を選び、
大学生になれば就活や進学、
その他の道さまざま選ぶ。
人生の前半もいいところ
20/100年ほどで
人生の多くが決まってしまうなんて酷だ。
まだ大人になって間もないのに
人生のほとんどを決める。
後から変えられることも多々ある。
けれど、変えられないことも
多く形成されていく。
変化が多いんだ。
湊「いっそのこと縄文時代とか弥生時代にお邪魔してみたいもんだよ。」
そう言いながら文明の利器で作り上げられた
コロッケパンを頬張った。
天気の悪い1週間だった。
天気予報はずらりと曇り空、
時々青色の傘マークが顔を出している。
湊「桜散っちゃうかも。」
その前にお花見しとくんだったと
雨のマークを眺めながら
パンの包み紙を捨てた。
雨が降る度、雨を見る度、
雨の形がよぎる度。
うちは18月の雨鯨を思い出した。
ボーカル、作詞作曲、イラスト、MIX担当の
4人で成り立っていたグループに
MIX担当として一緒に過ごした。
けれど去年、ボーカルの奴村陽奈が
声を出すことができなくなり
現在でもその症状は続いている。
そして作詞作曲担当の国方茉莉が、
うちは一部始終もほぼ知らないのだが
とにもかくにも雨鯨に所属していた記憶が
すっぽり抜けてしまった。
嘘をついている様子もなく、
本当に雨鯨なんて
そこに存在しなかったように。
酷く雨の匂いがした。
窓の外では地面を濡らすそれが
ひたすらに落下している。
だから雨鯨は解散した。
1人さえ欠けたらそれは
雨鯨ではないと思ったから。
うち以外の全員の意見は一致していた。
解散したくない気持ちは横溢して
思わず衝動的にTwitterにつぶやいた。
負け犬が吠えているようでしかなかった。
それ以来めっきり
みんなと連絡を取ることはなくなった。
強いて言えば、
作詞作曲担当だったまつりんとは
学校が同じため
会った時は話したことと、
イラスト担当のろぴ…西園寺いろはが
うちのいる高校に合格したようで
「来年から後輩になるよ」と
連絡が来たことくらい。
ここ2、3年で多くの変化があった。
雨鯨が結成して解散した。
上京して1人暮らしを始めた。
高校1年生の時留年した。
初めての試験の時、
十分な手応えがあったのに赤点だった。
わけがわからなかった。
けれど、1回目の1年生の終わり際、
テストで点数が取れた。
赤点じゃなかった。
恐ろしく安心した。
もう案ずることはないと思う。
それでもうちは変わらず
楽しく過ごしていよう。
楽しいことはどこにでも転がっている。
変化が多い。
それは自由である証拠だと
うちは思うのだ。
だから。
湊「…うちかぁ。」
だからこそ。
このTwitterのアカウントの変化も
何か自由へのとっかかりで
楽しみ何かがあればいいと思う。
ただ、変化が多過ぎるけれど。
アカウントの変化については
数日前にTwitterで警告されていた。
去年度にまつりんを始め
とある不可解な出来事を巻き込まれた人を
言葉を通して助けようとしていた方々が
教えてくれたのだ。
もしかしたらあなたにも降りかかるかも。
それでも助けるから大丈夫、と。
正直実感なんて微塵もなかった。
けれど、実際にアカウントが変化してみれば
知っていたにも関わらず
体の末端が冷えていき
反面顔に血液が巡り暑くなる。
焦っていた。
この日に地震が来ると教えてもらって
心構えだってしていたのに、
そのための防災グッズがなく
結局厄災を前にして
机の下に隠れることしか
できなかったといった状況に似ていた。
実名が晒されて顔が晒される。
怖かった。
でも、うちはうちだし
「秋」の名義だって守りたいもののひとつだ。
閉鎖的な場所にいたうちにとって
上京したことはもちろん、
雨鯨に所属したことも大きい分岐点だった。
一気に視界が開けた。
そのとっかかりとなった雨鯨。
秋。
だからそこは誤魔化したくなかった。
その時だった。
突如玄関が開く音がした。
何かと思ったけれど、
こういう時は決まってゆうちゃんだった。
いつも突然で気まぐれで
インターホンも鳴らさず家に入る。
うちが家にいなくても
入っていることが多く、
家に帰ったらゆうちゃんがいる
なんてことも多々あった。
きっとうちが家にいない時間が長いから
インターホンを鳴らすことが
手間だと思うようになったのだろう。
玄関先まで覗きにいくと、
そこにはものすごい勢いで
家に入ってきては
あまりに悲痛な顔をしたゆうちゃんがいた。
息切れしており、
ここまで走ってきたのがよくわかる。
湊「ちょいちょい、大丈夫?」
詩柚「湊ちゃん…湊ちゃんっ!」
靴を脱ぎ捨て、いつものように
揃えることもなく飛びつかれる。
うちよりも小さいその人は
腕の中にすっぽりと収まった。
扉が閉まる瞬間の
外の湿気った空気が
梅雨を彷彿とさせた。
詩柚「その…!あれ…あれが…」
湊「うんうん、大丈夫だから落ち着きなね。」
詩柚「落ち着いてられないよ!」
ゆうちゃんは声を荒げていた。
あまり見たことなかった。
そもそも見たことが
なかったのかもしれない。
無気力というわけではないけれど
穏やかで秘密主義な彼女が
ここまで感情露わに
うちに向かってくるなんて
これまでになかったと思う。
詩柚「ネット…Twitter見た?」
湊「見たよん。あれね、なんか変わって」
詩柚「何でそんなけろっとしてるの。」
湊「ちょっと前に教えてもらってたんだ。もしかしたらうちも巻き込まれるかもって。」
詩柚「何で教えてくれなかったの。」
湊「不安にさせるようなことしたくないじゃん?それに不確定なことを鵜呑みにするのも違うかもって思って」
詩柚「そういうことじゃない!」
ゆうちゃんは肩に顔を埋めて
ぎゅうっと服の裾を握った。
こうなったら宥めるしかなく、
その華奢な背に手を回す。
多分それがたった今のうちに
求められていることだろうから。
湊「どういうことだったの?」
詩柚「湊ちゃんは無事でいてほしかったから…こんな」
湊「大袈裟だよ、うちまだアカウント変わったくらいしか起こってないよ?」
詩柚「変わったんだよ!大事だよっ!」
湊「あのね。何をそんなに危惧してるのかうちはあんましわかってないんだけど、不安になりすぎなくて大丈夫。一昨年の子はみんな無事だったって聞いたし。」
詩柚「去年は。」
湊「…よくわかんないけど何人か忘却とか…でも半分は」
詩柚「よくないっ!」
湊「聞いておくれよー。とりあえず落ち着こうね。一旦上がりな?」
詩柚「…すぐ帰るよ。」
湊「んーん、心配だから。すぐお茶入れるから待っててちょ。」
ゆうちゃんの肩に手を置くと
ゆっくり顔を離してくれた。
眉を八の字にして
不安がっている彼女を
そのまま帰す訳にもいかない。
湊「どうしてそんなに怖がるの。もしかしたら待ってたら直るかもしれないじゃん。」
詩柚「去年と一昨年もあったんでしょ?1年間で。」
湊「そうみたいだね。」
詩柚「じゃあ今年もだよ。」
湊「言い切れるの?」
詩柚「私は湊ちゃんに何かあったらって思うと…っ。」
こういう時、大丈夫と言っても
漠然とした不安さんは
覆い被さってくる。
そこに穴が開かない限り
光が入ってこない。
段ボール箱に入れられた
捨て猫のように
静かに鳴くことしかできない。
湊「今のうちは五体満足だし、それはゆうちゃんのおかげだよん。ほらうちって能天気でおっちょこちょいだし。いろんなところで転けちゃうし。あはは。」
それでも、と続けながら
キッチンへと向かう。
湊「無事に17歳になったのはゆうちゃんのおかげだよ。」
見てごらんよ、と
160cmを超えたこの体で
ぐるんと1回転して見せる。
うちが物心ついた時には
既にゆうちゃんと一緒にいた。
その頃から見てる彼女だ。
その頃から守ってくれた彼女だ。
上京する前、
うちが転べばすぐに駆け寄ってくれたし
男の子にたまたまほんの少し
ちょっかいをかけられれば
うちがやり返す前に
ゆうちゃんがやり返した。
いつだって過保護ではあるけれど
守ってくれていた。
そしていつからだろう、
ゆうちゃんが不安でいっぱいになった時に
こうして落ち着かせている。
何故か冬の香りが鼻の奥を突く。
湊「もうちっちゃな子供じゃないから、うちも自分のことはほんの少し対処できる。だからもし何かがあっても話し合ってさ、何とかしていこうよ。」
詩柚「でも…駄目だよ。」
湊「今回ばかりは湊さんに騙されてみてよん。狐に摘まれた!みたいな感じで。」
今ほっぺ摘もうか、と
冗談めかしてくる
お茶を淹れながら言ってみる。
すると、ゆうちゃんは血迷ったのか、
それとも固い意志なのか。
こくんと1度頷いた。
えい、と頬を優しく摘んで引っ張る。
ゆうちゃんは泣きそうな顔をしていたけれど
多少は落ち着いたのか
不機嫌顔程度でおさまっていた。
本当に不思議な関係だと思う。
幼馴染と言うには深く、
すべてを知っている仲というには
随分と浅すぎた。
触れていてもどきりともしない。
ある意味正常で
ある意味間違った知覚の仕方だ。
うちらはいつからか
ゆうちゃんの提案で付き合うことになった。
けれど、恋人だからと言って
何かをする訳じゃない。
2人で出かけたりもほとんどしない。
合鍵を渡したのは
恋人だからじゃなくて昔馴染みだから。
ゆうちゃんだから。
この関係の名前を
いつからかつけようと懸念していた。
上京してからやっとわかった。
詩柚「…何かある前に言って。」
湊「あはは、うち、未来予知もできるからねん。」
詩柚「過去は見れないの?」
湊「うーん。過去を見通す千里眼も持ってる。」
詩柚「それ千里眼じゃないよねえ。」
頬から手を離す。
けたけた、と小さく笑っていった。
詩柚「エイプリルフールじゃないけどちょうどいいね。安心したよお。」
けたけた。
まだ不安ではあるだろうけど、
ゆうちゃんが笑ってくれるなら
それでよかったと思う。
いつからだろう。
雨の音はしなかった。
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