秘め事
目を覚ますのは大抵とある
2階建ての一軒家の中。
よく見知っているその家では、
か……こ、かっ……こ、と
壁にかけられた古時計が鳴いている。
私はその家で1人、
玄関で目を覚ます。
詩柚「…。」
決まって玄関で
立ち尽くしているところから始まる。
古びたフローリング、
色褪せた壁、天井。
靴入れの上には幸せそうな
家族写真が飾られており、
幼馴染とその両親が
笑顔のまま時間を止められている。
雨の日は幾分も草木の湿気ったような、
晴れの日はパリパリに乾いた
バスタオルのような香りを携える
築何十年のこの一軒家は
誰かに住まれ続けていた。
詩柚「お邪魔しまーす。」
あまりに呑気な声が出る。
いつも通り、無彩色のタイルの玄関で
ローファーを脱いで
学校指定の鞄の紐を肩に掛け直した。
靴下の裏からはひんやりとした感触が伝う。
夏だったか冬だったか
わからなくなるくらいに
家の中には色も温度も存在しなかった。
こういう夢でよくあるのは
きっと奇想天外な、
それこそ急に空を飛んだり
歩けずその場をくるくる
縦に回転し出したりすることだろう。
けれど、この家の中では違う。
夢にしてはあまりに普通すぎた。
窓をひとつひとつ開けて
その道中で誰かとすれ違ったか。
もしそうならあなたの家には霊がいると言った
霊感テストでもない。
リアリティのありすぎるただの夢。
そして必ず私は
リビングへと足を運ぶ。
変な音がする。
いつもいつもここからは
気色の悪い水音が残っている。
リビングダイニングになっているそこには
長い時間いたはずなのに
あまり記憶に刻まれない。
そこに入ると右には食卓があり
キッチンも見えた。
左にはソファの背が見え、
その奥にローテーブル、テレビ、
窓の順番で並んでいる。
窓の外には長閑な風景が、
田んぼしかない面白みのない
地元のような風景が広がっている。
風景に目が行くよりも早く
その手前に目が向くのだ。
ぞっとして心臓と時間も
全てが止まったとさえ思った。
が、肩からずり落ちる鞄が
その全てを否定した。
詩柚「…っ!」
そこには。
そう。
確かー。
°°°°°
かち、かちと壁にかけた
時計が鳴っているのを聞いて、
どうやら自分の部屋で
寝落ちていたらしいことに気づいた。
詩柚「………ふぁ…。」
伸びをし、あくびをもらす。
すると、目の前に置いていたらしい箸が
服に擦れて床に落ちた。
どうやら食事前後に眠ってしまったらしい。
箸を持ち上げると、
使った形跡のないそれが視界に入る。
目の前を見ると、
湯を切った後すぐらしい
カップ焼きそばが冷えていた。
詩柚「…また温めなきゃ。」
椅子を引くと音を立てると
それが部屋いっぱいに広がる。
普段から時計以外音のない空間では
時計そのものが
部屋の心臓になっているようだった。
うつらうつらとしながら
カップ焼きそばを電子レンジへと突っ込む。
こういう時、やはり料理をするような
人生を送っていなくてよかったと思う。
体には不利益もいいところだが、
何より命が最優先だ。
冗談抜きで火事やら何やらと
隣り合わせな私生活を送っているものだから
自然とそれらは遠ざかっていった。
ごお、と声を漏らす電子レンジをそばに
また眠気が襲ってくる。
今日はやたら眠たい日らしい。
詩柚「…。」
壁に体重を預け、
何もしない午後に唸る。
いつもであれば1度眠れば1、2時間は
活動できるというのに。
睡眠時間が足りなかったのかもしれない。
いつからだろう。
よく眠るようになった。
眠らなければ体調不良になった。
頭痛がするようになった。
よく眠るようになった。
突発的に眠ってしまうようになった。
信じられないタイミングで
目を開けていられないほどの睡魔が
何度も襲ってくるようになった。
よく眠るようになった。
だから定時制の高校へ通うようになった。
夜だけ数時間学校へ行く。
休憩時間はもちろん眠る。
授業中は何とか起きるよう善処する。
けれど、眠ってしまう時は仕方ない。
白目を剥いたままでいるわけにもいかない。
いつからだろう。
それが当たり前になって数年。
この生活には慣れ始めていた。
詩柚「不便は不便だけど…別にねえ。」
今更元に戻るものでもないだろうし、
元ってどんなものだったか忘れた。
この生活は不便だけれど、
根気を持って戻したいとも思っていない。
お昼間は起きていられるだけ
ネットを使用した内職をし、
夜は高校に通ってまた眠る。
外に出かけるバイトは
危なっかしくて何度もクビになった。
上京する前、町にいた頃は
それを理解してくれている人が多く
…というよりもよしみだから
多めに見てくれて
それとなく外で働いていたけれど、
知れた人のいないバイト先では
私は負債でしかなかった。
内職は手に技術があれば
もっと稼げるのだろうけど、
ぺーぺーの私はちまちまとやるだけ。
1日のうち半分は眠る私だけれど、
それでも何とかやっていけてる。
これ以上は望まない。
今の生活が続けばいいかなって思ってる。
今の生活は程々に満足していた。
微かな不安を抱えながら過ぎてく
満足はできると言える日々が愛おしい。
ぴーぴー、と電子レンジが
合図を送ってくれた。
取り出すと、ほかほかのソース面が
香ばしい匂いを撒き散らしている。
詩柚「うん、いい匂い。」
お箸も洗い、ようやくご飯にありつけた。
「いただきます」と小さく口にする。
今日初めての食事だった。
しばらくして陽が落ち始める。
春休み期間中なもので
「学校だ」と思うも束の間、
すぐに「ああそうだった」とパソコンを開く。
ぼちぼち進めている課題も
そろそろ区切りをつける頃。
かちかち、と今度は
手に握るネズミが心臓になった。
外はねのまま放置した髪を
耳にかけた時だった。
ぴーんぽーん、と
インターホンが鳴った。
はっとして顔を上げる。
もう陽は沈み切っており、
延々と続く闇の中
街灯が点々と規則的に並ぶ時間になっていた。
自分が集中していただけなのか
時に眠ってしまったのか
わからなくなりながらも
焦って席を立ち玄関を開く。
すると、そこにはまだ早いだろう、
パーカーにショートパンツを身につけた
快活そうな彼女がいた。
高田湊ちゃんだった。
いつも片側に寄せたひとつ結びをして
反対側の触覚だけを伸ばしている。
不思議な髪型をしているけれど
本人曰く「バランスがわからない」なんて
言っていたような気がする。
湊「やほやほー。」
詩柚「また寒そうな格好してるねえ。」
湊「そう?今日はね、お昼間めたんこ暖かったから案外ちょうどだよん。」
「おじゃまー」と略して
ずけずけと私の家に入る。
手提げはいつものように
ぱんぱんに膨れ上がっており、
そこからは微かに彼女の家の香りが漂っていた。
湊「カップ麺の匂いする!食べた?」
詩柚「うん。ちょうどなくなっちゃって。」
湊「そかそか、ちょうどだそりゃ。見てみて今日のラインナップ!」
詩柚「またこんなにたくさん…。」
湊「今回はねえ、春だしそれっぽいものをたっくさん作ってきたのだー!」
詩柚「例えば?」
湊「春巻きでしょ?春雨スープの元が見えたからそれ買ってて…あとはねー、春菊!からし和えだからちょいとピリ辛!」
詩柚「ありがとねえ。春っぽいってそういう…まあ何というか、安心するレパートリーだねえ。」
湊「いつも通りっしょ。」
詩柚「うん。思考回路がね。」
湊「あとレトルトカレーとか簡単に食べれるやつ!でもでも手作りの春巻きとかは早めに食べてねん。」
湊ちゃんは鞄の中を見せて
手招きをしてくれた。
真横にしゃがんで中を見る。
すると、いっぱいいっぱいに詰められた
手作りご飯やレトルトのご飯が
4、5日分ほどあった。
すいすいとキッチンに向かい
それらを冷蔵庫にしまう彼女の真横に
また位置付けてその仕草を眺む。
湊ちゃんは一個一個
「これはここねー」と
説明しながら入れてくれるけど、
すぐに忘れることだけは目に見えた。
詩柚「湊ちゃんは器用だねえ。」
湊「だしょー。だしょだしょ、もっと褒めてくれてもいいよ?」
詩柚「本当に思ってるよ、お料理上手だし、お勉強もできるからねえ。」
湊「にへへ、いい気分ー。そういうゆうちゃんも頭いいからなあ。」
湊ちゃんはそう言ってにへら、と笑った。
昔馴染みの彼女は
いつからだろう、私のことを
ゆうちゃんと呼んでいた。
詩柚の「ゆ」からとって
そう呼んでいるのだと勝手に解釈している。
湊ちゃんの思考回路は
理解できるようになっても
真似は全くできないのだ。
詩柚「そうでもないよお。成績は普通だし。」
湊「何だろね、頭の回転が早い方の賢さっていうかさ。」
詩柚「そーお?」
湊「うむ!そお!」
詩柚「嬉しいねえ。」
段々と場所のなくなっていく
小さな冷蔵庫を眺めながら
2人言葉を交わす。
しゃがんだ膝を抱える。
そのまま床に座った。
湊「お掃除はしてる?」
詩柚「うん。今日したよお。」
湊「えがったえがった!」
詩柚「私の方が面倒見られてちゃ面目ないねえ。3つくらいは年上なのに。」
湊「向き不向きの問題じゃない?うちご飯作るの好きだし!ま、適当オンパレードだけどねん!」
詩柚「それが助かるんだよお。」
湊「こうしないとゆうちゃんはご飯食べないんだもん。かりんかりんになっちまうよー。」
詩柚「そんなことないよお。必要とあらば食べるから。」
湊「1日1食になっちゃうでしょー。せめて2食食べてもらうためにも腕がなるよ!」
童謡の「まいごのこねこちゃん」の
鼻歌を歌いながらしまい終え、
ついでにと言わんばかりに
たまごボーロを取り出した。
湊「あーっこれ、うちが手をつけちゃったやつだ。バイトの帰りにどうしても食べたくなっちって。いる?」
詩柚「一緒に食べようよお。1人じゃ寂しいし。」
湊「いーの!?やったー!」
そういうと湊ちゃんは
「なに見るなに見る?」と
テレビをつけて番組表を開いていた。
彼女とか出会って
もう10年以上は確実に経ている。
一緒に上京だってしてきた。
今や互いに1人暮らし。
いい意味で気を遣わない関係で
ここまで心を許せているのは
湊ちゃんだけと言っても過言ではない。
彼女も何度も私の家に
足を運んでいるせいで、
どこになにがあるのか、
どれはどう使うのかを
ほぼ把握している。
合鍵だって渡しているほどの仲だ。
けれど、同居はしなかったし
湊ちゃんはいつも合鍵を使わずに
毎度インターホンを鳴らした。
ワンルーム、ベッドを背に
小さなテレビを眺める。
手前の小さな机には
たまごボーロと湊ちゃんが
ことあるごとに家に置いて行ってくれた
お菓子の数々が並んでいる。
少しずついろんな種類を食べるせいで
数個ずつ余っているのだ。
例えば個包装のチョコや大福、
ラムネ、グミ、何故か知育菓子と
その種類は多岐にわたる。
テレビではきゃいきゃいと
芸人さんと俳優さんが並んで
面白いトークを展開している。
隣ではけたけたと笑う彼女がいた。
詩柚「湊ちゃんって太らないよねえ。」
湊「まあその分動いてるからねん。バイトと部活やめちったらぶくぶくだよ。」
詩柚「そうかなあ。」
湊「そーだよん。人間ですし。」
詩柚「そのふたつをやめても、料理や家事するんだったら案外運動になるんじゃないかなって思うんだよね。」
湊「そうかも!でも補えるかな。」
詩柚「これからもうちに来てくれたらねえ。」
湊「あはは、どうなるかねー。一応関東に居たい気持ちはあるけどなーん。」
詩柚「もし社会人になったらさ、いっそシェアハウスとかした方が家賃も浮くしいいんじゃないかなあって。」
湊「確かにねー。ま、今不安がってても意味ないしそん時決める!」
詩柚「ふふ、らしいねえ。」
湊ちゃんはこういうとき決まって
話題を逸らして何事もなかったように
けたけたと笑ってみせる。
詩柚「そういえばさ。」
湊「ん?」
詩柚「合鍵、無くしたりとかした?」
湊「いーや?何で?」
詩柚「だって毎回インターホン鳴らすでしょお。合鍵渡してるのに。」
湊「あーなんていうかさ、急にずけずけ入ってきたら一瞬怖くない?泥棒かも!みたいな。」
詩柚「そうかなあ。湊ちゃんだってわかると思うけど。」
湊「湊さんなりの優しさと思ってよーん。あ、だからと言ってゆうちゃんが合鍵使って入ってくるのが嫌ってわけじゃないからね!」
詩柚「鍵無くしたって嘘つけばよかったじゃん。」
湊「嘘ついたらゆうちゃんが不安がっちゃうでしょー?必要ない嘘はつかないのー。」
うりうりと言いながら
両手で頬をこねられる。
今きっとひどい顔をしているけれど、
それでも彼女の手が暖かくて大きくて
それだけでどうでも良くなった。
テレビを見ているとだんだん飽きてきて
湊ちゃんが面白そうに見ている隣で
ふとスマホを手に取った。
不安になるといつも
SNSを摂取してしまう。
その方が一層不安色は強まるというのに
依存してしまって離せない。
いつも通り何か適当に
今の気持ちでもツイートしようかと
思った時だった。
詩柚「…?」
その異変にふと気づき、
咄嗟にプロフィールを確認した。
プロフィールの文章は
「眠り姫」のまま変わっていないけれど、
アイコンは自分の顔に、
そして名前やIDまでもが
本名へと変化している。
のっとりか、と思うも束の間
何か嫌な予感がよぎった。
詩柚「…。」
並々ならぬ何か、
大きな波が体すらも
掻っ攫ってしまうような
強い衝撃に襲われた。
一瞬で頭が真っ白になる。
すぐに隣にいる
湊ちゃんの名前を検索した。
お願いだから彼女を巻き込まないでと
切に願うばかり。
幸いなことに彼女の名前は
まだヒットしなかった。
湊「いやあ、今の芸人さんのツッコミきれっきれだったね。」
詩柚「えー?ごめん、見てなかったあ。」
湊「あはは、そっかー。さっきねー」
そう言って彼女は快く
さっきまで起こっていたことを
嬉しそうに説明してくれた。
湊ちゃんは私の前で
嫌な顔はほとんどしない。
どれだけネガティブなことを言っても
どういうわけか話し終える頃には
いい方へと持って行かれている。
そんな彼女に対して
私はなにもしてあげられない。
できるとしても、ただ守ることだけ。
私にとって大切な存在。
その子を巻き込まないでほしい。
変化してしまったアカウントを前に
どこに報告するわけでも
喚くわけでもなく
この動揺を心の奥底にしまいこむ。
隣で笑ったり
話しかけたりしてくれる湊ちゃんの声が
心臓になっていた。
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