第6話 嘘
荷の積み込みを手伝いながら、高鵬は夜襲のことが気になって仕方がなかった。
あまりに時が悪過ぎはしないか。こちらが払暁の急襲を考えていた直前に敵軍の夜襲があるなど、彼には、偶然ではあり得ないことのように思えた。
楊然が情報を漏らしたとは考えられないだろうか。
それまで失敗らしい失敗のなかった偉い軍師さまがしくじったというのも、高鵬に、そのような疑いの気持ちを強くさせた。
だが、たまたまということもある。彼にはあり得ないことに思えたが、それでも絶対にない、というわけではない。敵にも、いろいろと攻め方を考える偉い軍師さまがいるのかも知れない。
そう考えれば、結論を出すには、まだ早いような気もしてきた。
作業の合間に休息を取っていると、林の陰から手招きする人間が見えた。巧みにほかの兵からは死角になり、高鵬からしか見えないようにその人間は立っていた。
見覚えがあった。あの銭を受け取った朝に、楊然と何やら話していたやけに背の高い男だ。
無視をするわけにもいかず、仕方なく手招きに応じると、あの時とは違って、長身の男は笑顔だった。
気味が悪い。
高鵬は、嫌な予感がした。
「伍長さん、でしたよね」
辺りを憚るその小声は、楊然とは異なり、どこかの地方を感じさせるような訛りを持っていなかった。
「そうだが……」
高鵬の声は、自然に警戒の色が濃くなった。
「伍長さんもよろしく頼みますよ」
「何をよろしくせよというのだ」
「惚けてもらっちゃあ、困りますよ。楊然からちゃんと聞いているんでしょ」
「何も聞いておらん」
少しだけだが、撥ね付けるような強い声を出してみた。
「おいおい、こちらが優しく言っている間に、認めた方が利口ってものだ。私の懐から出た銭が、伍長さんに渡ったという事実があるのだからな」
「……」
急に口調をぞんざいにするのも、恐らく交渉術のうちだろうが、高鵬にはどう対処して良いのか、ますます分からなかった。
「伍長さんにも頼みがある。この軍の行き先が知りたい」
「そんなことは知らん」
「おいおい」
「いや、本当に知らんのだ。惚けているわけではない」
知っていたら、自分は答えるつもりなのか、と彼は自分の言ったことに驚いた。
「ふん。楊然も知らないと言っていたからな。とりあえずは信じよう。私のことは
「おい」
引き止めようとしたが、あっと言う間に彭浩は、木々が作る陰に溶けていった。
困ったことになった。
しかし、これで楊然のことははっきりした。
兵站を整えるのが意外に早く終わった。再出発までにほんの少しだが間ができた。
楊然に対してはわだかまりがあったが、いつものように五人は談笑していた。
高鵬は、楊然にどう対処すべきか、結論を得られないでいた。上官に報告するのか。しかし、それでは自分が銭を受け取ったことまで明るみに出る。いまさら、あの時は咄嗟でわけが分からなかった、などという言いわけは通らないだろう。あるいは、このまま黙認するのか。だがそれでは、また過日の夜襲のような恐ろしいことが起きるはずだ。では、楊然に直接問い質すか。いや、楊然の言うことを信じる気持ちになれないのだから、意味はない。
そのような思案を巡らせながらの談笑だった。
そこへ、同じ分隊の
ついて行くと伍長ばかりが何人も待っていた。どうやら面白い話ではなさそうだ。
「自分だけ勝手なことをされては困る」
方翼が、しかし穏やかな口調でまずはそう言った。
「……」
高鵬は、表情が変わるのを自覚した。同時に手の平に銭の感触が蘇った。
「飯のことだ」
顔を知っているだけの伍長が、険しい顔で吐き捨てるように言った。
「……」
一瞬、安堵が高鵬を包みそうになったが、次の瞬間には、不安がその上からさらに彼を覆って、やはり言葉が出てこない。何のことを言われているのかまるで分からなかった。
「部下と飯を分け合っているそうだな」
険しい顔のままで、同じ男が言った。
「……ああ」
やっとの思いで、そう返事をしたが、この状況と飯を分け合ったことが、高鵬の中ではどうしてもつながらない。
「そんなにいい格好をしたいのか」
また別の人間が、激しい口調でそう言ったが、逆光でその顔は真っ黒になり、誰であるか彼には判別できなかった。
それが合図であったかのように、伍長たちは口々に怒鳴り始めた。
部下たちが食事の際に険しい目を向けるとか、命令に対して不平を言うようになったとか、戦闘中に足を引っかけられたとか、直属の上官である分隊長が部下の掌握について嫌味を言ったとか……。
その主張が徐々に飯のことから離れていくのに反比例して、高鵬を囲む伍長たちの輪が狭まってきた。にじり寄る者たちの足が、おのおの砂煙を立てる。大勢の足が、砂煙を膨らませながら近づいてくる。
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