第25話 少女とカミサマ⑦

「名前……か」


 カミサマが、難しげに唸る。


「残念ながらお前の父は、お前の母が身篭っていることを知る前に亡くなった」


「うん」


「そしてお前の母は……母は強しというが、お前を産む瞬間まで懸命に生き抜いた。だが、とうに喋れる状態にはなかった」


「うん」


「ゆえに私は、お前の名前をお前の両親から受け取っておらぬ」


「うん、知ってる」


 あっさり少女は頷いた。


「だから、カミサマが私に名前を付けて?」


 それから、また微笑む。


「私が……?」


 目を瞬かせるように、カミサマはセンサーを一度明滅させた。


「しかし、それではやはり偽物に過ぎないだろう」


「違うよ」


 少女が、カミサマの胸に手を当てる。


「だって、私にとって一番大好きな存在……それが、パパとママだっていうならさ」


 かつて、少女がカミサマから聞いた『パパ』と『ママ』の定義。


「カミサマが、私のパパでママだもん」


 そう口にする少女は、微笑みながらもどことなく恥ずかしげだった。


「だから、カミサマがくれる名前が私の本当の名前になるの」


 カミサマが、再びセンサーを明滅させる。今度は、三度連続だ。


「だが、それは……」


「いいから! ほら、ちゃっちゃと考える!」


 言葉を遮り、少女はビシッとカミサマへと指を突きつけた。


「そうは言うが、そう急に思いつくものでもあるまい?」


 答えるカミサマの声には、諦めに近い響きが混ざっている。

 もしカミサマに表情を形作る機能があれば、きっと苦笑を浮かべていたに違いない。


「そんなの、直感でいいんだって! ほら、ズバーッと! 思いついた単語を言っちゃおう!」


 ズバーッ、と少女は万歳するように両手を上げる。


「機械に直感なぞ求めるでないわ」


 と、そう言いつつもカミサマは考えるように押し黙った。


 それから。


「……未来みらい


 その言葉が紡がれるまでに、ほとんど間は空かなかった。


「私にとって、お前は人類の未来そのものだ」


 その口調からは、迷いが消えている。


「ゆえに、未来」


 カミサマの赤い目と、少女の黒い瞳が真っ直ぐに向かい合った。


「未来……」


 最初に少女の口から出てきたのは、ほとんど消え入りそうな程に小さな呟きだった。


「未来……未来、未来、未来、みらいみらいみらいみらい」


 しかし噛み締めるように何度も復唱する度に、どんどん声は大きくなっていく。


「未来!」


 ついには、セカイ中に届きそうな程の大声で叫んだ。


「今日から、私は未来だ!」


 セカイ中に向けて、高らかに宣言する。


 そうして。


 少女は、未来みらいになった。


「ありがとう、カミサマ」


 未来は、スッキリとした顔をカミサマに向ける。


「ね、カミサマ」


 そこに、穏やかな笑みを載せた。


「私の事、呼んで?」


「うむ……」


 実際には何の意味もないのだろうが、カミサマは一つ咳払い。


「未来」


「うん」


 少しだけくすぐったそうに、未来は頷いた。


「未来」


「うん」


「未来」


「うん」


「未来」


「うん」


 何度も、同じやりとりを繰り返す。


「未来」


「うん」


「未来」


「うん」


「未来」


「うん」


 同じ映像を何度も再生しているかのように、そっくりそのまま繰り返す。


「未来」


「うん」


「未来」


「うん」


「未来」


「うん」


 このままでは、永久にそのループが続くのではないかと思われた。


「……未来よ」


 けれど、カミサマがそれを終わらせた。


 未来もそうなることを予想していたのか、全く動揺の色はない。

 代わりにその表情を占めるのは、確固たる決意だ。


 そんな、未来の決意に対して。


「いってらっしゃい」


 カミサマは、たった一言だけ見送りの言葉を口にした。


 これまで未来が耳にしてきたどれよりも、ずっとずっと優しい声色で。


「いってきます!」


 未来の返答もまた、たった一言だけだった。


 凛とした未来の声が、セカイに響き渡る。


 それっきり他に一つの言葉さえ紡ぐことなく、未来は踵を返した。

 外の世界へと続く階段に向かって歩き始める。


 何の荷物も持たず、動きにくい振袖のままで。

 見事なまでの思い切りの良さだった。


「お前も、行くが良い。私はそのためにお前を創ったのだ」


 カミサマが、足元のトモダチへと告げる。


「言われなくてもわかってるよ」


 しばらく沈黙を保っていたトモダチが羽ばたき、飛び立った。


「けどその前に、オレからも一つだけ伝えときたいことがあってさ」


 しかし未来を追うことなく、カミサマの肩へと留まる。


「相棒に外の世界へ行って欲しいって思う理由、上手く表現できないって言ってたよな?」


 クク、と愉快そうに喉を鳴らした。


「けどオレからすりゃあ、んなもんたった一言で片付く簡単なことさ」


 カミサマの目がトモダチの方に向けられる。


「広い世界を見てほしい、自分の想像を飛び超えるくらいに成長してほしい、支え合う誰かを見つけてほしい……幸せに、なってほしい」


 その赤い光は、どこか興味深げな色を帯びているように見えた。


「そんな風に、願う気持ちをな」


 再び、喉を鳴らしてから。


「親心、って言うんだぜ?」


 それだけ言って、トモダチは今度こそ飛び去った。




   ◆   ◆   ◆




「……親心?」


 残されたカミサマが、その言葉を復唱する。


 もしもカミサマに人間と同じような口があったならば、ポカンと開かれていたことだろう。


「ふっ、なるほど」


 笑い声と共に、カミサマはトモダチを見送った。


「そういう風に言うものなのか」


 そして、その向こうに遠ざかっていく未来を。


「機械の私に《心》とは、滑稽ではあるが」


 迷いのない足取りで、振り返ろうともしない、ピンと伸びた背中を。


「悪くない気分だ」


 見えなくなるまで、見送って。


「……幸せに、な」


 それが。


「我が、娘よ」


 己が娘の後ろ姿が。


 カミサマの記録に残る、最後の光景となった。

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