第18話 歴史が変わってしまった……?
丸まって、自分の呼吸の音を聞いていた。
息をしていることが、無性にむかついた。
二度も馬に轢かれて無駄死にしたのに、ここぞというところで依頼人を助けられずに生き残るだなんて。
自分自身が許せなかった。
だからって、それをワトソンのせいにしていい道理もない。
すべては、僕が推理力ゼロのクソホームズだからだって言うのに。
わかっている。
僕は完璧じゃない。
完璧というのは完全無欠で、些細な証拠も見逃さず、いつも冷静沈着な本物のシャーロック・ホームズを指す言葉だ。
僕は廉価版にすらなれていない。
単なるまがい物の出来損ないだ。
だからって――
「ワトソンから〝諦めろ〟なんて言葉、聞きたくなかった……」
いや、違う。
言わせているのは僕じゃないか。
本物のホームズになら、ワトソンだってこんなこと言わなかっただろう。
原因はすべて、僕のふがいなさ故じゃないか。
しかし原因がわかったところで、僕が天才になれるわけではない。
「僕、は……どうしたら――」
こういうとき、おじいちゃんならなんて言うだろうか。
ベッドによじ登ると、僕はすがるように枕元に置いてあった《シャーロック・ホームズ大全》を手に取った。
答えを探すようにぱらぱらとページをめくり、ぞっとした。
ページのほとんどが、白紙になっているっ……。
「な、どういうことだよ!?」
白紙のページから遡り、ようやく文字の書いてあるページを見つけて手が止まる。
十ページ……本来三百ページあったはずなのに、たったの十ページ分しか記載がない。
僕は震える声で、最後のページを読みあげた。
「ホームズは初めての依頼である連続心中事件を解決することができず、その後も失敗が相次いだ。この最初の事件をきっかけに転落人生を歩み、最期は誰に看取られることもなく野垂れ死んだ――……っ!?」
一度読んだだけで理解ができず、二度、三度と読み返した。
指先で追い、本を開きなおし、また読み返して……それでも、記載されている内容はそれ以上変わることはなかった。
「嘘だ……」
呆然と声をあげた。
信じられなかったけれど、何回も読み返したおかげで信じざるを得ないことは理解していた。
「なんで、どうして……!?」
ガクンと力が抜けてしまい、本を持ったまま横向きに倒れ込んだ。
本から左手が外れ、開かれていたページがバラバラと音を立てて閉じていく。
枕に頬を預けて何気なく右手の先を見ると、金で箔押しにされた表紙が目に飛び込んできた。
〝大全〟という名が不釣り合いなってしまったたった十ページのその本は、僕のことを恨みがましく睨んでいる気がした。
今更だがなんだか申し訳なくなってくる。
僕なんかがシャーロック・ホームズを名乗ってしまったこと。
あんな新聞記事が世に出回って、ホームズの名を汚してしまったこと――
その瞬間、とある考えが頭をよぎり、全身の血液が凍り付いたような寒気を覚えた。
「僕のせい、なのか?」
恐る恐る、ホームズ大全に問う。
「シャーロック・ホームズになった僕が失敗したから、歴史が変わってしまった……?」
もしかしたら、この本は僕の行動の如何によって、内容が変わるのかもしれない。
なぜなら、今は僕がシャーロック・ホームズなわけだから。
僕が活躍すれば褒め言葉が溢れるし、失敗をすればこうして酷評とともに偉業が消えていく。
だとすれば、この本も僕のふがいなさの犠牲者だ。
「僕のせいで……シャーロック・ホームズが野垂れ死ぬなんてっ……」
こんなはずではなかったんだ。
頭の片隅で、史実のホームズと僕が成り代わったホームズは別物なのではと思っていた。
だからゲーム感覚でその名を名乗って……結果、歴史を最悪な方向へ変えてしまった。
こんなの、僕の本望ではない!
「このままシャーロック・ホームズが堕ちていくのは耐えられない。それは僕にとって、死ぬよりも辛いことじゃないのか!? 今、この世界でシャーロック・ホームズを救えるのは、僕しかいないんだぞ!?」
これではだめだ。このままでいいわけがない。
シャーロック・ホームズが無能として野垂れ死ぬ未来なんて、存在してはならないんだ。
「こんな僕でも……推理力ゼロのクソホームズでも、できることはあるはずだ!」
だって僕には、
残機の数はわからない。
だから、次に死んだらもう戻ってくることができないかもしれない。
それでも、ただ野垂れ死ぬのを待つよりかはずっとマシな案に思えた。
途端に力がみなぎり、僕はベッドから跳ね起きた。
古びたスプリングが変な風に軋んで、下から僕を押しあげる。
二歩、三歩と慣性の法則に従って前によろめいたが、その勢いに乗じて部屋を飛び出した。
「僕が諦めない限り、ゲームオーバーになんかならないんだっ――」
叫ぶやいなや、事務所の入り口に引っかけていたコートを掴んで駆け出した。
当てはない。
それでも。
「待っててくれ、ホームズ! どんなことがあろうとも事件を解決して、この汚名を返上してみせる――!」
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