人生

中学〜高校

正常になりたい。

美味しい物を食べて美味しいと言いたい。

綺麗なものを見て綺麗と思いたい。

好きなものを好きと言いたい。

嫌いなものを嫌いと言いたい。

人間になりたい。


日本国憲法第二十五条によると「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」らしい。

私の考えだがこれは人間として生きるための一つの水準になっていると思う。

毎日ご飯が食べられる、毎日お風呂に入れる、毎日健康に過ごせる、毎日…


私は専門学校まで、いや今現在も親に甘えた生活をしている。

普段連絡しないのに親からお金を貰うときだけ連絡して、せびる。

何も努力していないのにお金が入ってしまう。

こんないい生活をしているくせに、精神を弱らせている。

何も不自由などないのに。

お風呂に毎日入れないとか言うざまだ。

実家にいた頃は母親にどやされていた事もあり必ず風呂には入っていた、専門学校にいたときもだ。

ご飯もお腹が空くから食べていた。

いつからこうなってしまったのだろう。


私が悪いのだろうか。

母親を苦しめたツケが今巡ってきたのだろうか。

高校時代は両親に多大な迷惑をかけた。

自分でも制御しきれないほどの負の感情に振り回されて両親を一年半ほど冷戦状態に追い詰めた。

母親に言われた言葉、今でも思い出せる。


「服とか欲しいものがあるときだけ、すり寄ってくるよね。」

「あんたを病院に連れて行くかで喧嘩してんや。」


母はもう覚えてないかもしれない、こうやって逐一持ち出してチクチク言うのも私の性格が悪いと思うが。

自傷をする娘を母親は放って置けなかったのだろう、大事に育てた娘が自傷をしているなんて。

信じたくないだろうし、悲しんだとも思う。

母と父が大喧嘩した日のことは鮮明に思い出せる。

母が話し合わない父に激怒し、ダイニングのランプのガラス傘をその時持っていた水切り機の蓋を投げ割ってしまったのだ。

夕食どきだったためテーブルにはお皿が並んでいた、派手な音を立てて割れる傘、皿。

これのどこに傷つく部分があればと聞かれればはっきりとこれと答えられる部分はない。

しかし、両親の喧嘩しているところを見るのは初めてだったので、私にはとてつもない衝撃だった。

ここらで薄々私が原因なのだろうなとは感じていた。

余計その気持ちが私の心を傷つけたのかもしれない。

母親と父親がどのような会話をしたかは知らないが喧嘩から一言も話さない父と母を見て深い罪悪感を持ったことを覚えている。

私は母と距離を置くようになった。自傷は無くならなかった。

私は母親を嫌おう嫌おうとしていたが、嫌いにはなれなかったようだ。

何かにつけて意見を言ってくる母、疎ましく感じていた事もあったが愛だったのかもしれない。

傷つけてしまう、絶対に言ってはいけない言葉。

そんな事も判らずあの時の私は母にひどい事をした。

娘失格だと思う、大した努力もせず、成績はまずまず。


私はどんどん家に居場所を見出せなくなっていった。

放課後真っ直ぐ家に帰らず友達の家にお邪魔したり仲のいい友達と公園で駄弁る毎日。

門限は5時だったが、どんどん帰る時間が遅くなっていった。

母への反抗心でお酒も飲んだ、タバコも吸った、ピアスも開けた。

大人になりたかったのだ、今の状況を打破できない自分への苛立ち。

大人になりたくてすることが一番ガキ臭いのはなぜなのだろう。


ある時ODをした。風邪薬だった。

母と家で話すことは徐々に減っていたため、その時バレることはなかった。

回数を重ねた、瓶が溜まっていった。

捨てるとバレるから足りない脳みそを使ってカーテンの裏に隠した。

あんなにバレやすい場所に置いた私はどうにかしていたと思う。

何回目かのODをした次の日、起きることができなくて心配しにきた母に案の定バレた。

母は烈火の如く怒った。

母に手を掴まれた、私の手は薬の作用なのか震えていた。

それを見てまた怒る母。


それからODは辞めた、代わりに私の耳にはピアスが増えていった。

母に対する反抗心なのか、果たして何でもよかったのか。

今だに答えは出ていない。

舌にもピアスを開けたが、舌が腫れる事もあり話し方に違和感が出た。

母にすぐバレた。


「そんなに開けたいなら開けてやる」


母は私の下唇を掴み、爪でグリグリと押し込んだ。

ちょうどラブレットの位置だ。その時にピアスは外した、というか外されたというの正しい表現だと思う。

穴は開かなかったが、私が母を避ける原因にはなった。

スマートフォンが支給される事は専門学校までなかったが、それが逆効果になりネットには親のパソコンをこっそり使ったりで入り浸っていた。

スプリットタンを知った。

これほどに興味を持った物事はあまりなかった。

愚かな私はピアスがダメなら切って仕舞えばいいとか云う意味不明思考になり自分自身で舌を二つに切った。

銀色のキャッチがついていた私の舌は二つに別れた。私のアイデンティティになった。

母は何も言わなかった、気付いていたと思う。


ここら辺からである、母側も私に拒否反応を示し始めたのは。

母の事を嫌いだと思い込むようにしていた私だったが、産んでくれた母親に拒絶されると云うことはかなりくるものがあった。

どんどん家に帰る時間は遅くなり、ピアスは増えていき、腕だけだった傷は脚にも広がっていった。


高二、私は彼氏を作った。

性行為を覚えた。

どちらの家も人を誘うことに肯定的ではなかったので行為は全て外だった。

初めてが青姦とはムードも何もない。

母にもらえない愛情を私は彼氏に求めたのだと思う。

彼氏に私が頼み込んだ事もあり、たまに殴ってくれるようになった。

彼氏も怒れば手が付けられない人であり、満更でもなさそうだった。

大きな感情をぶつけられる事が愛だと思うようになった。

そうすれば母が私に怒るのは愛しているからだと思えたから。


彼氏の近くにある女の子がいた。

私に似ていた、私に似ているとは思っていないが、母が似ていると言ったので似ているのだろう。

彼女は出席番号が彼氏に近かった、席が近いと云う理由で一緒に居た。

私のような容姿、私のような話し方、私のような趣味。

これが良くなかったのだろう、私の嫉妬心は日々増大していった。

彼氏を束縛する毎日、彼氏側もその子を友達と思っているから束縛し返され、女の子以外と話をするなと言われた。

女友達の少ない私には周りから友達が消えていった。

クラスで私は孤立した、当たり前だ。

あんなにクラスでイチャつきあっていたらドン引きされるのも当たり前だ。

イチャついていたら流石にその子も近づいてこなかったから、イチャつくしか私には答えが出なかったのだ。


変わらず私がいない時に近づいてくるその子。

目に余る行動が多すぎて私はどんどんメンヘラ化していった。

わかるのだ、私も女だから気がある奴にするテンションなのだ。

もともとそう云う気はあったのだろうが、火がついた。

ついには浮気をした。隠しきれずに言ってしまった。

殴られた、怖かったし痛かった、それ以上に私のことを今見てくれていると嬉しくなった。

彼氏との仲は最悪になった、その子はここぞとばかりに彼氏にアタックした。

その頃がちょうど高校三年の十二月頃、高校三年間で学習したことを発表する会があった。

練習には意気揚々と参加して、本番を待ち遠しいはずだった。

彼氏とは別れたり引っ付いたりを繰り返した。

多分執着だったのだろう、浮気した側が言えたことではないが、好きだった。

元彼氏にその子が引っ付くのが耐え切れなく、私の限界が来た。


発表会の二週間ほど前から学校に行けなくなった。

何も見たくない、傷付きたくなかった。

発表会にも行けなかった。

私の勝手な想像だが、発表会などは練習を沢山しあった仲間達と発表するから良いのであっていきなり練習も何も途中でやめてしまった私が入ってもノイズになると思ったのだ。

長々と書いたが、結局は怖かったのだ。外れたしまった私をみんなは受け入れてくれるかどうか。

居たくもない家で私は余計孤独を感じた。

不登校、精神が少しおかしい、そんなレッテルを両親に貼られた気がした。


私のいない発表会を見にいった母に言われた。


「あんたの発表する姿見てみたかった。」


何も知らないくせにと思ってしまった。

当たり前だ、何も言っていないのだから。

学校に行きたくない理由も、何が嫌なのかも。


母は私が何も言わなかったから、私は発表会が嫌なのだろうと思っているようだった。

発表会が終わった後私は学校に行くように言われた、これ以上母にとやかく言われるのも嫌だったし、学校に行ってみようと思った。

もともと存在感が薄い私だったから、そこに居場所はないかと思っていた。

違った。

親友二人が頻繁に話しかけてくれた。ありがたかった。

しかしそのうち親友の一人が精神を病みがちになり、休みがちになった。

そして彼は夜逃げした。

急にいなくなる親友、もう片方はどこいったか知らないと言う。

でもどうやらもう一つのクラスのある女の子には相談していたらしいなんて風の噂を聞いて

「なんで私にはしてくれなかったんだろう」

と悩む事もあった。

仲が良いと思ってたのは私だけだったのかと思って自分の無力さを思い知り、認めたくなくてでも何処かに打ち付けたくて、自傷に逃げた。

私の学校にはマラソン大会が冬にあった。

マラソン大会の練習中にピアスがバレたこともあり、ピアスを自制していた。

そんな事もありきで、私は自傷にどんどん嵌まり込んでいった。

リストカットをすると、血と一緒に嫌な自分の中のキタナいものも一緒に出て行く気がしたのだ。

心が受け止め切れない物事を傷にして示していたのかもしれない。

彼は数日したら帰ってきた。

気付けなかった自分に腹が立った。


自傷が増えたある日。

精神科にようやく連れて行ってくれたが、母と一緒だったためあまり言えなかった。

言ってしまえば、私は楽になれただろうが、母を深く傷つけてしまうような気がして。

そんな状態だから医者側も満足のいく診断なんて出せないだろう。

薬を処方してもらっただけだったし、私の体質にあわず数回飲んだだけでやめてしまった。


私はあまり勉強をせずに高校を卒業。

卒業式ではみんな写真を撮ったりしていたがあまり誘われる事もなく、父と速攻で帰ったのを覚えている。

卒業式に、というか後半のシーズンに楽しかった印象はない。

終わりよければ全てよしというのも頷ける。

私にもそれなりに高校生活をしていたと思っているのだが、高校生活をもう一回したいかと聞かれれば私は「NO」と答えるだろう。

楽しい思い出がないわけではないが、嫌なことが何せ多すぎた。

もう経験したくない思い出だ。

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