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めろん

第1章 過ぎ去りし日々を懷ひて

第1話 夢が遺した栄華

セピア調の景色の向こう側で、縦横無尽に駆け回る、小さな影と街を覆う程の巨大な影があった。大きな街があったそこは既に荒れ果て荒野となり、街だった原型すらも無慈悲に奪う無数の攻撃が大地を、大空を劈いた。


そこに残るのは、戦場の跡を遺した戦場跡地。血は滴り、声が漏れる戦場は激化していく。


その時、小さな影一人の青年が大きく飛び上がった。



「───終わりだ、魔王」


突如として大陸に侵攻してきた、魔王率いる魔族の軍勢との戦争はこの一言で終幕を告げ───そんな、セピア色に烟る記憶はやがて鮮明に色を取り戻し、景色が移ろい視界を覚ました。


木の天井と鼻腔を刺す、酒の匂い。床に敷かれた布団の感触が残る。ここでようやく自分が寝ていたことを思い出し…より現実感が増していく。夢と現実の狭間を彷徨っていた意識は覚醒した。


しかし、いつまでも耳にこびり付く静寂と身体を支配する脱力感、そして、虚無感が尾を引いてたせいで起き上がることも出来ずに天井を眺めていた。


…光り輝いていた景色は、暗くどんよりとしたじめつく現実に落ちた。勇者として生きていた当時の俺とは見る影もないほどに、変わったことに失笑してしまう。


「…また、この夢か」


何度も見る、過去の栄光。見る度に繰り返される同じ気持ちを描いてしまう。勇者と墮者、そんな表裏が重なる夢と現の乖離が自分の虚しさを表していた。


いつからだろう、こんな無気力になったのは。


布団の上で仰向けのまま寝っ転がって、やる気も何も起きない自分に溜息を吐きたくなる。右を見れば物が散乱していて、左を見れば昨日飲んだ酒の瓶があちこちに落ちていて…そんな惰性の極みみたいな生活を続けてることにたまに疑問が出てくる。


気が付けば、昔をよく思い出すようになっていた。


あの時はただ我武者羅に魔王を倒す事だけを考えて生きて来た。時には仲間と喧嘩したり、時には仲違いして一時期解散したり、魔王軍の最高戦力に奇襲を掛けられたりとパーティーの危機が幾度となくあって、大変だったはずなのに。


魔王を倒したあとの俺はどうしてか、あの時ほどの輝きが今の俺にあるとは思えなかった。客観的に見ても、強さという面で言うのなら世界でも有数の存在として数えられるだろう、財力という面で言うのなら大富豪の一人に数えられるだろう。そのぐらいの結果を残すほどには生き急いでいた、なんて思うこともある。


魔王打倒という目標を達成してしまった今、他にやりたいこと成したいことが分からない。まるで、深い霧の中を彷徨う子供のように、人生の指標を見失っていた。


どれだけ手を伸ばしても、霧は掴めなくてどれだけ走っても、濃霧から抜け出せない今の生活を何度やめようと思っても…俺にはその気力すら無くなった。


ふと、手を横に広げて触れた硬い感触に視線を流した。


「…はは、きったねぇな」


改めて自分の部屋を見渡し、今自分が置かれている状況に気が付く。ハエが湧いていないのが奇跡なんじゃないかと思うほど積まれたゴミ部屋の真ん中にポツンと布団を敷いて、その上で寝ている俺とか流石に衛生的にも絵面的にも悪いなこれ…。いくら落ちぶれたとしてもこれはダメだよな……掃除ぐらいはやろう。くそめんどいけど。


仕方ないと割り切って、重い腰持ち上げて床に敷いた布団から抜け出す。ゴミ屋敷並に積もった瓶やらゴミやらを一つ一つ拾うのは流石にめんどくさいな…纏めよう。掌を上に向け、クイッと人差し指を小さく動かす。すると、散乱していたゴミが勢いよく空中へ浮かび上がる。


そして、掌を握った。


呼応するように、ゴミが一箇所に向かい圧縮されていく。とてつもない力に押されてるため、ゴミは一瞬にしてビー玉サイズへと変形した。それを外に放り投げ、最後の締めに魔力で作り出した炎で燃やし尽くす。


対象は俺が見えてるゴミに絞っているので周辺に火種ができることは無い。世界一早いビフォーアフターだろう、とくだらない思考になりつつ部屋を見渡す。


「ゴミは片付けたし……」


掃除はしなくていい……か。


本当はした方がいい気がするけど、ちょっとめんどい。パッと見綺麗なら良いや。ホコリ見えるけど、また今度やろ。


「って、もうこんな時間かよ」


壁にかけてある時計を見れば、既に夕刻に迫っている時間帯になっていた。にしても、15時半はさすがに寝すぎた。晩酌の時間をもうちょい減らすか…あぁ、そうだ晩飯の材料買いに行かないと。



「はぁ、めんどいけど仕方ねぇか……」












向かう場所は普段から使う町の商店街。人口密度は町にしては多い方で、旅人や商人が行き交う地域という事も相まって中々に賑わいを見せている。なにより、陳列されている商品の数が豊富なのがここの特徴で、余程珍しいものや高価な品じゃない限り、基本的にこの町に居れば揃うほどだ。


肉や野菜を一通り買って、あとは普段通り適当に気になった食材を買い漁れば向こう1ヶ月程度は買い足しに来なくて済むため、大量買いしつつ保存は氷魔法で凍らせてしまえばいくらでも保存は効く。物によっては味とか落ちるけど、腹に入れば同じだろう。


そうして、買い物を済まして両手に計四つの大袋を持って帰路に着いていた時だった。


目線の先で、重そうな荷物を背負って立ち往生しているおばあちゃんがいることに気が付く。行き交う人達も気にしてはいるが、助ける様子はない。

駆け足で寄って、おばあちゃんの背中の荷物の負担を無くすように手を伸ばし、支える。優しく語りかけた。


「ばぁちゃん大丈夫?荷物俺に貸しな、家まで送るよ」


「いいのかい…?だいぶ荷物持ってるけど…ありがとねぇ…」


「余裕、気にすんなよ」


荷物を手に取って、おばあちゃんの速度に合して再び歩き出す。


「ここを真っ直ぐ行って、突き当たりの方を右に行けば私の家だから、お願いします」


「任せろ」


歩きはゆっくりと、いつものようにそそくさと足早に去っていた時には見えなかった景色が、村の人達の活気が今日は鮮明に分かる。


今朝から、どうも胸の奥がざわめく。これがなんの予兆なのか知らないけど…ろくな事じゃなさそうって確信だけはあった。


「…あぁ!」


「うわっ、なんだよ!ばぁちゃん急に大声出しやがって、歳なんだからそんな声張るなって」


「私はそこまでヤワじゃないよ、その気になれば山だって二足歩行で………………………無理だねぇ、四足歩行でも」


「表情止めんなよ、その歳でそれやられるとなんか病気かと思ったって。それで、どうしたんだよ」


歩きながら表情を静止されると、脳に異常が出たんじゃないか心配になるから出来ればやめてほしい、マジで表情ピクリとも動かなかったから麻痺ったのかと思ったわ顔面。


対して、すまないねと楽しそうに微笑み、なのに次の瞬間には真剣そうな雰囲気を纏って俺の目を見据えた。


その目に、何かが籠っている気がした。


「時々、見掛ける顔だね…?私は初めて聞いたよ、お兄ちゃんの声」


「…イケボだろ」


「想像通りの声だねぇ、いつもは死んだ魚の目をして、生気がなかった。まるで魂が抜けた人間のようだった。近所のみんなも心配していたよ、表に出さないだけでね」


隣を歩くばぁちゃんから顔を逸らすように、俺は地面を見遣る。


家に鏡がなく、己を見ることも容姿を整える事も無い、何もかもが欠如した俺の見た目はこの精神的な状態と相まって相当酷かったんだろうな。


あぁ、今もか。


どんな顔で言葉を返せばいいんだろう。初めて声を聞いた、それも当然だ。俺は町の人達とは極力関わらないようにしていたから。誤解のないように言えば、決して断ち切ってる訳ではなく、交流を持たないようにしていただけで、今日みたいに買い物の際に話しかけられたら返事はするし、困っている人がいたら当然助ける。


……でも、誰かとこうして話すこと自体が半年ぶりだ。人と会うことも、何かをすることも全部億劫になっていたから。もし生理現象というものが無ければ、ずっと家に引きこもっていたと思う。さらに言えば、この半年間の記憶もほぼ曖昧、町の人達に俺がどんな対応していたのかも正直覚えていない。


それだけ、俺の日常から色が落ちた証拠だった。

現に、何を言われてもこの胸には一切響かない、ただ虫の声のように脳が何か鳴っていると処理するように…また、記憶から溶ける。



───はずだった。



「…でも、今日は……いつもより元気そうで何よりだよ。お兄ちゃんは、面白くて優しい子だったんだね」



「…っ」


その声だけは、どこか沁みた。



人に優しい人であれ。勇者時代の名残りは未だに消えることがなく残っていた。

困ってる人がいたら助けられずにはいられない性分になったのも、仲間と活動していたから自然とこうなったに過ぎない。それに対して嫌なんて思ってない、寧ろこういう人間になったこと自体は嬉しいことだと思う。


……でも、本質的な俺はもっと無責任で偽善的な独善者だ。本来俺は善人じゃない、出来た人間でも無い。善人なら勇者を辞めるような事はしないだろうし、出来た人間がこんな自堕落な生活をするはずもない。常に人助けするような、そんな人が勇者になるべきだった。


俺のように、として付けられただけの勇者じゃなくて選ばれたの勇者に。


元々大それた夢は持っちゃいなかった。人を助けるためだとか、そんな崇高な考えは何一つなくて、ただ……明るい未来を見たかった。それだけの願いしかなかった俺が、もちろん勇者なんてものに選ばれるはずもなかった。


勇者にしか抜けず、勇者として認められた者にしか扱う事が出来ない勇者の剣に、俺は認められなかった。


勇者に選ばれるような崇高な考えや素質なんて俺には分からない、だけど事実として俺には勇者の剣が抜けなかったのがその証拠なんだろう。


俺には勇者として、何かが足りなかった。


明るい未来を見たかったのと同時に俺は魔王が嫌いで、存在自体が気に入らなかったっていうのも勇者に選ばれなかった原因の一つなのかもしれない。


文献に残っていた本物の勇者は博愛主義で、敵である存在すらも愛し、慈む心の持ち主だったと記載されていた。もし、この心構えが正解なのだとしたら俺には一生抜けない代物だ。


最初から勇者になんて、成れるはずもなかったんだ。


…でも、勇者には選ばれなかったけど、俺は魔王を倒す偉業を叶えた。


そんな過去に縋るように、今も尚人助けを続けている。栄光に身を落としていたあの時を求めるように。所詮自己中心的な偽善者、道化にもなりきれなかった男の末路だ。


やがてばあちゃんの家に着き、荷物を玄関に置いた。


「ほんとに、ありがとねぇ…助かったよ。お兄ちゃんとお話もできたし、今日はラッキーね。あぁ、ちょっとまってて、お礼をしたいわ」


「いいよ、ばぁちゃん。その気持ちだけで充分」


「ほんとによくできた子だねぇ…でも、私の気持ちに素直に応えるのも、人助けだと思ってくれんかねぇ…ほら、これだけでも」


差し伸ばされた手には、2枚の硬貨、銀貨が握られていた。銀貨自体価値にすればそれなりだが、2枚ともなれば中々なお金だ。ざっと計算しただけでも1週間近くは生活していられるお金。


庶民感覚が抜けてない俺からすれば1枚でも高いというのに…なら余計受け取ることは嫌だ、俺の自己満をしただけで、そんなお礼を言われるようなことは…。


『セラくん』


不意に、懐かしき過去の情景が脳裏を巡る。受け取れないよ、その言葉は喉元でつっかえて留まった。


『あなたが目指してる世界は時として人々の憧憬を集め、感謝だってされる事が多いです。ですが、立場上何度も受けるわけにはいきません、それが当たり前ですから。でもね、時にはそれに応えることも大事ですよ』


ある日、恩師に言われた言葉が甦る。


出掛けた言葉を引っ込めて、自然と入っていた身体の力が抜けていく。


……ここは素直に受け取ろう。


見つめるその目には何かが篭っている。それがなんなのか分からないけど…おばあちゃんが向けてくるその目には、弱いんだ。


「ばぁちゃん……ありがとう」


「こちらのセリフだよ、本当にありがとうねぇ」


優しく笑いかける表情に、俺も笑顔で返した。










改めて、家へ向かう道すがらふと頭に違和感を覚えた。それは特に気になるような変化ではなく、道端に落ちている石ころを視界に入れた程度の異常。ただ、それは徐々に存在を増し、明確に突き付けてくる。


ガツンっと、頭を殴られたような衝撃が走った。


「いっつ…最近よく起きるな頭痛」


特に持病を持ってないのに、最近偏頭痛気味の症状に悩まされている。この症状も丁度半年前から不定期で起こるようになって、それ以降ずっと放置していたが…そろそろ医者に駆けつけた方がいいかなぁ…。


でも、面倒臭いし私生活に支障がある訳でもないため放っておくか、と結論づけた。


しかし、やはりズキズキと主張する頭痛になんとなしにその原因を思った。


(…もしかして、未来視の副作用?)


最近使うことすらなくなった、勇者時代に多用していた能力。最大で5分先の未来を読む力という、シンプルながらにめちゃくちゃ強い力でよく助けられた能力だったのだが…近頃、使う機会が無いせいか備わっていたはずの副次能力が一切機能しなくなった。


端的に言えば、その副次能力は未来予知だ。制約としてあった最大で5分先の未来よりさらに先の未来───数年から数十年単位の未来を予知することが出来る。とは言え、能動的に発動できるものではなく、突発的に起こるもの。前までは1ヶ月に1度は必ず予知をしていたはずの、この力も最近じゃあ全く予知を見せなくなった。主人に似て、惰性を貪っているのかもしれない。


そう考えたら、この力も休みが欲しかったのかなぁなんてアホな考えが過ぎる。そうこうしていく内に、家へと着いた俺はそのままリビングへと向かって買ってきた食材を氷魔法を使い冷凍保存、そしてリビングの床から行ける地下の倉庫にぶち込んで、適当に見繕った食材を使って晩飯を作った。



その日は晩酌は控えた。




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