第24話③

この日も雨

こんな日に犬探しとはうんざりする

しかも手掛かりは「白くて大きい」だけしかない

「すいません、遅くなりました」

校舎の裏手門で待っていると、ラビが2頭の犬を連れ立って駆けてきた

片手に傘、片手に二本のリード

こういう天気のときは散歩も苦労する

「こっちがカズリ、こっちがサヴィリです」

カズリは白地で目と垂れ耳が茶色い、ビーグルの等身を引き伸ばしたみたいな大型犬

サヴィリは全身がシックなグレーで、ムーミンに出てくるスニフみたいな顔の、細身の小型犬だ

どちらも利発そうで、猟犬の血統を窺わせるスタイルをしている

カズリは人懐っこくまとわりついてくるが、サヴィリはまだ私達と距離を取っている

「よろしくね」

挨拶すると2頭とも会釈で返した

「おりこう!」

ルネは心底感心した様子でカズリをわしゃわしゃしている

それを見てサヴィリもおっかなびっくり近づいてきた

背中の上を掻いてやると体を押し付けてきて後ろ足で空を掻き、もっともっととせがんでくる

自分の足が届かないところを掻いてやれば大体の犬はイチコロだ

「ねぇあんたたち。白くて大きい野良犬、見たことない?」

2頭は顔を見合わせ、ご期待に添えない、といった仕草をする

「こういう天気だと匂いは残っていないかも知れませんが、行ってみましょう」

ラビの先導で私達は歩き出した


出没したのは高天原のほう、というざっくりした情報だけでは雲をつかむようなので、目撃したクラスメイトにもう少し詳しい話を聞いておいた

目撃者はそこそこの数いたので、それぞれの場所を町内地図にプロットしてもらってある

傘を片手にラビと私で地図を広げる

「やっぱり。目撃地点を繋ぐと周回できそうです」

「一箇所をぐるぐる回ってるってこと?」

「恐らくこれが散歩コースなんです。大分歯抜けがありそうですけど、マーキングしていれば匂いを辿れるかもしれません」

この様子なら簡単に見つかりそうだ

「散歩コースが決まってるってことは、この辺に何かあるのかな」

「開拓してる最中かも知れません。私達はどこで犬が飼われているか知ってますけど、野犬は知りませんから。野犬の方も匂いを頼りに縄張りを探ってるんです」

だましだまし

ちょっとづつ線を踏み越えて世界を広げていく

私達も最初の一歩は獣と同じ

そのとき、サヴィリの鼻が何か捉えたのか、駆け出そうとしてラビが持つリードがぴんと張った

カズリはちょっと納得していないような素振りだが、神妙になって様子をうかがい始めた

サヴィリが忙しなくラビのそばとリードの端を行ったり来たりしている

「サヴィリは鼻はいいんですけど、気分にむらがあって。何か見つけたかどうかは少し待ってください」

じきにカズリも真剣にスンスンし始めた

何かの痕跡を見つけたようだ

「あれはやっかいなものを見つけた時の仕草です」

「他の犬の匂いとか?」

「ああ、いえ…ウチがやっかいな…」

2頭はラビをグイグイ引っ張っていってしまう

相変わらず表情はわからないが、多分困っているのだろう

「ああっ、やっぱり!めっ!めっ、よ!」

2頭が飛びつこうとしたのは道端に落ちていたビスケットだ

カビたり腐ったりしない鉄壁のビスケットも、悲しいかな長雨には太刀打ちできていなかった

でもこの様子だと捨てられてからそう長い時間は経っていない

この雨で道普請がおろそかになってしまっているのか

「…これ、犬用のおやつです」

リードを短く持って2頭をビスケットから遠ざけながらラビが言った

飼い犬なら与えられたおやつを道端に捨て置くとは思えない

この世界のことだ、全然犬が食いつかないまずいおやつなどないだろう

「誰かがここに置いた…?」

ラビは辺りを見回している

「餌付けしようとしてる人がいるのかも知れません」

まずこの子がそうやって犬を手懐けているのに、知らない人間が同じことをしていると思うとぞっとしない

これがこの世界の普通なのかもしれないが

ビスケットに心奪われている2頭をやっとのことで引き離すと、またすぐに次のビスケットに引き寄せられた

「お菓子の家にたどり着くかも」

とルネは通りの先に落ちている次のビスケットを指さした

「壁は牛革のガムで屋根はささみジャーキーだけどね」

「うちの子は鶏頭水煮が好きで…」

「もしかして部で飼ってる鶏下ろしちゃうの!?」

「まさか。肉屋さんで出汁取ったあとのをもらってます」

ここへ来てから肉のものも普通に食べているが、考えてみたら生き物の死体だ

生き物か食べ物かを分かつのは人間の勝手な線引きだが、厳然として死体は存在する

ここでは何者も殺すことはできないとしたら、答えは一つ

死体のままここへ運ばれてくる

枝肉やモツ、鶏ガラなど、一次加工を経た状態で仕入れされ、そこから小分けされて店頭に並ぶ

それが肉屋さんになりたいという子の自己実現のためなのか、枝肉の状態でほしいという需要を満たすためなのか

何れにしろもう生きていない動物の成れの果ては流通している

人間に都合よく生きたり死んだりしているというよりは、生きているものは生きていた状態のまま、死んだものは死んだときのまま存在し続けている、ということなのだろう

まあそれだって人間に都合がいい話だが


そうこうしている間も、我らがヘンゼルとグレーテルは着々とお菓子の家に近づいている

「これ餌付けっていうより明らかな罠だよ…」

きっとお菓子の家では魔女が鍋を煮えたぎらせて待っているだろう

「餌付けは罠です。痛い目に遭わないというだけで、犬を陥れるには違いないんですから」

ラビは、というか、養畜部の子は生き物を飼うということについてひどく卑屈だ

何か負い目でもあるみたいに言う

「野良犬だって寂しいから人里にやってくるんでしょ。餌付けして飼うのくらい、そんな悪し様に思わなくてもいいんじゃない」

「ウチだって自分が寂しいからこの子達をうちの子にしただけです。選べるのは人間だけですから、やっぱりエゴなんですよ」

カズリとサヴィリは前に進みながらラビを振り返ってクゥーンと鼻を鳴らした

そんなことはない、と

私もちら、とルネを振り返った

「…何?」

「いや…私も人恋しくて花畑からやってきたんじゃないかって」

「知らないよ」

プイとわざとらしくそっぽを向いてしまった

深掘りされたくないらしい

「…妙ですね」

ラビは分かれ道の手前で2頭を引き止めて立ち止まった

「分かれ道それぞれに撒き餌がしてあります」

行く手の先にも曲がり角の向こうにも、崩れ始めたビスケットが見える

見た感じ同じだけ雨に打たれている

てことは、だ

「私達逆順で来てるんだ」

「どういうことです?」

「この分かれ道の先の何処かから、最初に食いついた餌の方までおびき寄せたかったんじゃない?」

「…ああ、そうですね」

ラビは感心した様子で私を見た(と思う)

「二手に別れてみようか」

「じゃあサヴィリを連れて行ってください。ビスケットさえ避ければ、他の臭いには敏感に反応しますから」

高級な毛皮を纏ったスニフのリードを預かる

サヴィリは泥鰌みたいな尻尾をぴょこぴょこ振りながら、つぶらな瞳でこっちを見ている

背骨に沿って掻いてやると、おすわり体制のままじりじりと前に出ながら目を細めて背を反らす

「あと、動くものにはすぐ反応するので気をつけてください。遠くにボールが転がってきたりとかは特に」

そんなのどう注意すればいいかわからないが、わかった、と言ってラビと二股を別れた


二人と一頭で小雨降る小路をゆく

それにしても粘り強い降り方だ

緩急なくシャワーのように一定に降り続き、止みそうな気配が微塵もない

「ところでさ、見つけたらどうするのかって考えてあるの?」

それは当然

「…話せばわかるんじゃない?」

「一緒に来てくれって?」

「うん」

「散歩はつむじがやってね」

「えっ!?飼っていいの!?」

それは思ってもいなかった

「だって捕まえるって…」

「そうだけど、飼うのまでは考えてなかった」

ルネは一瞬遠い目をした

しまった、というときの顔だ

「バスケット買って、ベッドの下に置いて、一緒に寝起きしよう!」

「なんで楽しそうなの。どんな犬かもわからないのに」

「犬はみんなかわいい」

飼うとなれば白くて大きい犬はなんとも魅力的だ

グレートピレニーズだろうか

いやいやサモエドだ

サモエドに違いない

あのバカっぽい顔を毎日モフモフできると思うと今からニヤニヤしてしまう

死ぬっていうことがないなら、シベリア生まれの長毛種でも日本の夏に耐えられるということだ

サモエドだから名前はモエちゃんにしよう


私達はモエちゃんが角からひょっこり姿を表すのを期待して、サヴィリにビスケットを追わせた

ただこの辺をうろついたのならそろそろサヴィリの鼻にかかってもいいはずだ

しかし一向にそういう気配はない

「ねえ、あんた本当に食べ物以外の臭い探してる?」

一瞬ちらっとこっちを見たが、すぐまた道端をスンスンするのに戻った

「あたしたちこの子に担がれてないかな」

実際、犬は遊びたいときは人間を欺く

ただ散歩したいだけなら害はないが、行ってほしくない場所へ連れて行こうとしているときは厄介だ

しかも今は散歩と違って決まった道順などない

サヴィリに頼るしかない状況だ

点々と撒かれたビスケットは、サヴィリをザナドゥに誘っている

「あっちの街には野良犬がいそうな雰囲気はある」

「だとして、わざわざここまでおびき出す意味は?」

「知らない町で迷子になって助け舟を出されたら、後先考えずに飛び乗ると思う」

とルネを見ると、黙って私の次の言葉を待っている

「わん!」

「…ふぅん」

どうやら満足したご様子だ

私の飼い主も、よく飽きずにこういうことに付き合ってくれていると思う

大体が出不精なのに

「こういう天気だと道を独り占め出来るからね」

言われて気づいたが、この通りは人通りが全くない

両側に住宅が立ち並ぶ細道で、雨といえど放課後のこの時間に人の行き来がないなんてことあるだろうか

そう思って今来た道を振り返る

二股に別れたここより少し太い通りにも人影はない

家並みを見回しても人の気配がない

空き家というか、留守宅の雰囲気だ

「これが雨だからってことないでしょ」

「そう?こんなもんじゃない?」

ルネは浮かれていて注意力散漫になっているみたいだ


振り返った道端に目を凝らすと、さっき避けて通ったビスケットがなくなっていることに気づいた

「ルネ!ビスケットなくなってる!」

「えぇ?」

「ちょっと、持ってて!」

とサヴィリのリードをルネに預けてビスケットがあったはずの場所に引き返した

「ネズミかなんかが食べちゃったんじゃない?」

「そんなのいるなんて聞いてない」

第一、いるならサヴィリが気づいたっていいはずだ

来た道をよく見ると、もっと前のビスケットもなくなっている


通りの突き当りの二股、こっちから見ると丁字路に人影が見えた

傘をさしていない、私達と同じ白い服

白い髪


いや

毛だ


獣だ


大きい

頭までの高さはルーぐらいある


真っ白な四本脚の獣が悠然と通りを横切っている

ピレニーズやサモエドなんてとんでもない

あれは狼だ

二股の、ラビが行った方にゆったり進んでいってしまう

「やばい」

私はもと来た道を駆け出した

あんなのに襲われたらラビはひとたまりもない

いくら怪我したりしないと言っても、女王がついていて野犬に襲われただなんて面目丸つぶれだ

サヴィリもあれに気付かないなんて

雨だからなのか?

犬の嗅覚はその程度のものなのか?

残り香とかではない、それそのものがそこにいたのに

「つむじ!どうしたの!?」

ルネの声を背に受けながら白い獣を追う

丁字路から顔を出すと、狼は坂を少し下った脇の狭い路地に入っていくところだった

狼は側溝の蓋くらいの幅しかない家と家の隙間をすいすい進んでいってしまう

私も傘を畳んで狭い隙間に体をねじ込む

私を見失ってしまったのか、後ろで私を呼ぶルネの声がする

ごめんルネ

でも今追いかけないと見失ってしまう

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