空言の舟

小狸

短編

 僕がエイプリルフールという風習が大の苦手であるということは、恐らく読者の方々には想像にかたくない事実だと思う。

 

 苦手というか、もうはっきり言ってしまえば嫌いである。


 嘘をいても良い日。


 もうその文言だけで、嫌な予感しかしない。


 人を傷付けるか傷付けないかの区別もできない奴らが、この世には大勢いる。


 所詮しょせん言葉だと言って、信じた側に責任をなすり付ける人々が、何と多いことか。

 

 その日は絶対にSNSやエックスなどは開かないようにし、外出も控え、少しでも嘘を目にする機会を極力減らしている。そして他人から発せられる言葉や文章、投稿や会話に至るまでも、その日は総じて嘘だと決めつけ、信じないようにして自衛している。


 それくらい、4月1日、エイプリルフールに対しての忌避感がある。


 その理由は簡単で、昔、4月1日吐かれた嘘で、とても傷付いたことがあるからである。


 僕は昔、ある小説家が好きだった。


 いや、今でも好きだ。


 しかし作風としては、昔の方が好きだった。


 まあ、「変わったね」という言葉が、良いように作用するとは限らないという話である。


 当時は新刊が出るたびに、お小遣いをやりくりして購入していた。


 それ以外の小説は、中古でほとんど揃えた。


 幸いなことに、通学路の近くに古本屋があり、そこにはその人の小説がたくさん揃っていた。


 ネットや『ダ・ヴィンチ』などで新刊情報を見つけた時のわくわく感と言ったら、何にも代えがたかった。


 そんな読書少年だった僕が小学生の頃の、4月1日、母の吐いた嘘の話である。


「その小説家さん、おじいちゃんの元教え子だよ。サインも持っているよ」


 母方の祖父は、元体育教師であり、高校で授業を教えていた。


 当時既に定年退職しており、釣りやアウトドアが趣味だったので、良く夏休みに連れて行ってくれた。


 そんな祖父の教え子だという嘘を、どうして母が吐いたのかは、分からない。


 ただ僕は、その言葉を信じた。


 信じてしまった。


 嬉しかった。


 自分の身近に、その先生がいたことが。


 自分の知っている範囲の中に、その先生が生きていたことが。


 とても嬉しかったのだ。


 今まで雲の上の存在にも近かった、そんな小説家の先生が、祖父と繋がっていたなんて。


 だから喜んで、祖父に電話を掛ける、と言った。


 丁度夕食を過ぎた頃だった。


 母は困って、風呂に入り終えて興奮気味の僕に、真実を告げた。


「今日は、4月1日だよ。エイプリルフールだよ」


 当時の僕は、その意味を理解していた。


 しかし、母のその告白の意味が分からず、一瞬戸惑った。


「だから、さっき言ったおじいちゃんの元教え子っていうのは、嘘だよ」


 困り顔で、しかし私が狼狽するだろうことを楽しそうに見ながら、母は言った。


 僕は、ショックだった。


 その時の得も言われぬ感情を、どのように表現したら良いかは未だに判らない。


 ただ、子どもながらに、衝撃を受けた。


 それが「傷付いた」という感情だと知ったのは、もう少し後のことである。


 次の日、そのことを指摘すると、母は苛立ったように、


「いつまで引きずってんの? 男らしくない」


 と言って聞いてくれなかった。


 大好きな小説家の先生と、繋がれたと思っていた。


 でも、それは母の嘘だった。


 作りごとだった。


 まがい物だった。

 

 なら、僕のこの期待は? 

 

 嬉しさは?


 祖父と一刻も早くその話をしたいと思う、僕のわくわくは?


 ? 


 僕という存在そのものを、否定されたような気持ちになった。


 以降、母含め、大人のことは信用しないようになった。


 これが後々の性格形成に大きな問題を与えたことは、言うまでもない。


 4月1日。


 エイプリルフール。


 嘘を吐いても良い日である。


 しかし、ということは。


 どうか頭に入れていただきたい。




(「空言そらごとの舟」――了)

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空言の舟 小狸 @segen_gen

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