第八話 闇の中へ・二
「……残念だけど私は何も見てないよ。帰ったら寝てるだけで、朝になったらさっさと屋敷を出るし。町長さんにも、神隠しに遭いたくないならあちこち荒らすなって言われてるしね」
「……」
「ともかく、私は何も知らないよ。家探ししたいなら好きにすればいいけど、私の荷物を盗んだら許さないから」
言って、登与は高台の屋敷へまた歩きだした。念のため手は小太刀の柄の上だ。
――――が。
「――――っ」
視界の端で何かが動いたと認識した刹那。登与は小太刀を抜いた。身体は何を考えずとも、旋回し、術者の喉に小太刀を突きつける。
若いほうの術者は眉を吊り上げた。
「貴様っ……」
「そっちが手を出してきたんでしょうが!」
術者の怒りに怯まず登与は怒鳴り返す。いい加減腹が立っているのだ。
年若い術者がいきり立つのと反対に、喉に小太刀を突きつけられた年嵩の術者は眉一つ動かさない。淡々とした目で登与を見下ろすだけだ。登与はそれを不気味に感じた。
「……お前は、我らの代わりに花を探す気はないか」
「……は? なんであんたたちの代わりに探さなきゃなんないのよ。自分らで探しなよ」
「我らでは無理だから言っているのだ」
静かに、しかし奥底に激しい感情を息づかせて年嵩の術者は言った。その色は声音のみならず瞳にも宿り、登与を睨みつける。
「あの男のせいで先日は失敗した。……だがお前はまだ生きている。どうやらあの男に気に入られているようだな?」
「だから私に自分たちの代わりに家探ししろって?」
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、登与は考えるより先に鼻で笑っていた。
「冗談! そんなことしたら私が祟られて神隠しに遭うじゃん。だから自分でやってって、さっきから言ってるでしょうが」
「無論、無償とは言わぬ。…………小判を五枚出そう」
「はあっ? 小判五枚っ?」
そんなに出すのっ?
登与は声を裏返らせぎょっとした。
小判五枚は庶民にとって大金だ。登与が暮らす神社や宿舎の気になるところをすべて修繕しても、お釣りがくるかもしれない。
登与の答えが決まるのは早かった。
「……そんな大金をもらえるのはすごく魅力的だけど、お断りだね」
「なんだと?」
行商の小娘が断るとは思っていなかったのか、年嵩の術者はぴくりと眉間にしわを寄せた。
「まず一つ。あんたたちが信用できない。私を襲っておきながらそんな美味い話を持ちかけてくるなんて、胡散臭いにもほどがある。口約束だしね?」
「……」
「それに仲間が神隠しに遭ってもそんな大金を出しても手に入れたいって、とんでもないわけありじゃん。あんたたちに依頼してきたのはどこぞのお大尽に決まってるし。そんなおっかない話、絶対に御免だね」
そう、迷いなく登与は言いきってみせた。
しかし、登与の脳裏をよぎっていたのは、大金への未練ではない。
刀鍛冶だ。
月が光を降り注ぐ庭の片隅で、白い貝で飾った石を見つめていた姿。影になっていて表情は判然としなかったが、孤高の横顔には非現実的な美しさがあった。
おっかない人だけど、いや人外だけど。でもあれをこんな奴らに邪魔されていいなんて絶対に思わない。
だから‘月烏’の頼みなんて、大金を積まれても御免だ。
「お前! 金をやると言ってくださったのに……!」
若い術者の一人が登与に怒鳴った。今度こそ拳を握って登与に飛びかかろうとしたが、年嵩の術者は制止した。
「よせ。……構わん」
「しかし」
若いほうは食い下がるが、年嵩の術者はどこまでも冷静だ。反論を許さない眼差しに若い術者は言葉を詰まらせ、悔しそうに年嵩の術者の後ろに引き下がる。
それを見届けた年嵩の術者は、再び登与に視線を向けた。
「見たところ大した生まれ育ちのように思えないが……金に飛びつかないとは随分と用心深い。よほど痛い目に遭ったようだな?」
「大した生まれ育ちじゃないからね。お上品なあんたたちみたいに、後先考えず金ではしゃいでられないんだよ」
もはや感情――――侮蔑を隠さない眼差しに苛立ちを覚えながら、登与は不敵に笑ってみせた。獣と獣がそうするように睨みあう。
だが――――。
「っ」
年嵩の術者の手元が動くのを察知し、登与はとっさにその場を飛びのいた。
直後、登与がいた場所で何かが弾ける音がした。空気の震えが登与にも伝わってくる。
術がそこで発動したのだ。
さらに部下の術者たちが次々と術を放ち、刀を抜いて襲いかかってくる。登与はそれらをすべてかわし、あるいは小太刀で受け止めた。
「おのれ、ちょこまかとっ……!」
「身軽が得意なものでね!」
眉を吊り上げる術者に登与はそう誇ってみせた。それよりも、と術者たちを睨みつける。
「ちょっと、なんでそんなものがここで要るのよ」
「あの刀鍛冶はお前を殺さず介抱した。お前を気にかけているのであれば、何かしらの使いようはある」
「意味わかんない! だから、私は大人しいから」
「ごちゃごちゃ言うな! 我らに従え!」
登与が吠えるように拒否を言い終えるより早く、若い術者は登与に向かって突進してきた。
「っ」
振りかぶった刀の一撃を、登与は小太刀で受け止めた。
「あんたたち、私を人質にしようって腹なんじゃないのっ?」
「生きていれば問題はない。少々傷があるほうが、こちらの本気も伝わるだろうしな」
「だから! 私はあいつの人質になんてなるわけ――――」
「うるさい!」
登与は作戦が無意味であることを説明しようとする。しかし、短気な術者が聞くはずもない。今度は登与の腕を狙ってくる。
ああもう、人の話を聞けっての!
一太刀も術者たちの術も避け、登与は先ほどからしゃべっていない二人の術者の腹や顔を思いきり殴りつけてやった。生まれた隙をついてその場から逃げだす。
多勢に無勢。ここは逃げるに限る。
それに登与とて感情任せに彼らを挑発していたわけではないのだ。ここは屋敷までそう遠くはない。屋敷の中へ逃げてしまえば、あの刀鍛冶がどうにかしてくれるはず。というよりしてもらわないと困る。
さいわい彼らの術は場所を指定して発動する類のようで、登与個人を標的にするようなものではない。術者としてはさほど格が高くないのだ。手練れであれば、個人に対象を固定して発動させることができるはずである。
金次第でどんな仕事も正確にこなす凄腕術者集団って聞くけど……こいつらは下っ端だからこの程度って、しょぼっ。
人材不足じゃん、と登与は内心鼻で笑った。少しだけ精神的に余裕が生まれる。
気配で察して背後からの攻撃を避け、時に反撃しながら屋敷を目指してしばらく。やがて視界が開けて屋敷が見えてきた。日中より深い影の中に沈んでいて、木々の枝葉の合間から漏れ落ちる月光でなんとか姿がわかる。
逃げろ、逃げろ、逃げろ。
あの影の中にある戸の中へ逃げろ――――。
念じるように己に言い聞かせ、走って。登与が屋敷を包む影に一歩足を踏み入れた瞬間だった。
「――――っ」
登与の全身の肌が総毛立った。
眼前には屋敷がある。木々の影がその背景に広がり、小川の音も聞こえてくる。刀鍛冶の屋敷の光景だ。
なのに何故、こんなにも空気が違うように感じるのか。恐怖が全身を包み、心の臓が早鐘を打つのか。
まるで、化け物の口の中にでも飛びこんでしまったかのように。
ううん、これ……。
あの河原みたいな――――。
心の臓の脈動を感じながら登与がゆっくりと振り返ると、やはり術者たちは影の外にいた。しかしそこから先へ進もうとはしない。影の外から悔しそうな表情で登与を見ている。
荒い息を吐きながら登与は数歩後ずさった。ちらりと背後の屋敷を振り返る。
どっちに行くかっていったら――――!
登与は意を決すると、身をひるがえして屋敷へ駆けこんだ。
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