花の夢を見たんだ

星 霄華

序章

序章 それは昔のこと

「――――この屋敷へ足を踏み入れること、人草を傷つけること、まかりならん!」

「があああああああああああああっ!」

 詠唱と共に黒い光が生まれ、青白い肌の男の首と手首にまとわりつく。焼けつく痛みに耐えきれぬとばかり、男は絶叫した。

 黒い光はやがて消えたが、男の首と手首から煙が立ち昇っている。男の顔も苦痛にゆがみ、脂汗が浮かぶ。

 男の瞼が忙しなく瞬いた。思惟が浮かんでは消え、やがて悔しさで染まる。

「っ…………私は絶対に諦めんぞ…………!」

 悔しさや怒り、屈辱を声音ににじませ、男は地の奥底へ引きずり込もうとするような眼差しと声を投げつける。それでも、場からの離脱を彼は選んだ。

 それを見届け、完全にこの場から去ったことを悟った途端。男に呪をかけた者はがくりとその場に膝をついた。その拍子に、わき腹から大量に流れていた血の雫がまた一つ、血だまりに落ちる。

 その途端。呪をかけた者の後方に座す屋敷の門前から、傍らにいた男の制止を振りきって女が走ってきた。呪をかけた者の傍らに寄り添い、ほとんど泣きそうな顔をしてその者の身体を渾身の力で抱き寄せる。

「なんということを……! どうしてこんな無茶をしたのです……!」

「うるさい……静かにしろ……」

 表情と違わない声に返す声音は弱々しく、息も絶え絶えだ。そもそも、顔はすでに青ざめて血の気がなく、生きた者とは到底思えない。

 ――――――――死相が浮かんでいるのだ。

 いいえ、と女は首を振った。

「貴方が死にゆくのを、黙って見届けたりなんてしません。貴方が死んだら、誰が私を看取ってくれるのですか。私は貴方の妻です」

 涙を目に浮かべてもこぼさず、女は唇を噛みしめた。

「貴方を絶対に死なせません。私が助けてみせます」

 長い睫毛に引き留められた涙で潤んだ黒い瞳に決意を浮かべ、女はそう宣言してみせた。

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