第36話 恐怖する竜


 空中に踊るヴェリドは、リヴェルを視界から切らすことなく魔剣を構える。ヴェリドが狙うのは一点、リヴェルの脳天だ。リヴェルを確実に死に至らしめるために、ヴェリドはこれから振るう一撃に全神経を注ぐ。ヴェリドは地面に引かれながら魔剣を強く握りしめた。


 リヴェルは横腹の痛みに耐えながら、次に来るであろう一撃を凌ぐ方法を必死に探す。何もしなければ、それが自身を殺すことをリヴェルは理解していた。自身の死の可能性を理解した時、リヴェルという竜は柄にもなく死にたくないなどと考えてしまった。竜とは世界を表す形の一つであり、本来ならば死を恐れることはない。

 しかしリヴェルは死の恐怖に怯え、それから逃れようと必死に策を探している。それはアークの魂が竜と結びついたことが影響している。アークという異質な魂が竜と結びつくことでリヴェルが竜という枠から外れてしまったのだ。

 リヴェルは一瞬の決断の後、自身の舌を噛みちぎった。豪快に噛みちぎった舌からは血が勢いよく吹き出る。リヴェルは舌から吹き出る血液を咆哮に乗せてヴェリドに向けて散弾のように飛ばす。リヴェルの血は猛毒と化していて、それがヴェリドの身体を貫けば猛毒に蝕まれ、すぐに動かなくなるだろう。


 ヴェリドは血の散弾を防ぐ術を持たない。そのため血の散弾を回避することに全力を注いだ。ヴェリドは瘴気で作り出した足場を蹴り、体勢を崩しながらも咆哮の射線からなんとか離脱する。瘴気の足場を作ることに集中したために手に持っていた魔剣を維持することができず、淡い光の粒子となって消えてしまう。ヴェリドは着地姿勢を取ることすらままならず、不格好な様子で魔獣の死体の上に落ちた。

 しかし魔獣の死体が落下の衝撃を和らげた事により、ヴェリドの身体は彼が想定していたよりも軽傷だった。それでもヴェリドの身体には、打撲と擦り傷が至るところにできていた。

 また魔獣の骨に刺さることがなかったのも幸運だった。鋭利な魔獣の骨は人の身体くらいならば容易に貫くことができるだろう。安堵の気持ちに浸るのもつかの間、彼は痛む身体に鞭を打ってすぐに立ち上がり、眼の前の竜に神経を研ぎ澄ませる。

 リヴェルは仄暗い月明かりの中でもわかるほど、濃厚な紅い霧を纏っていた。ヴェリドは自身の負った傷とリヴェルの気配を見て、これ以上長期戦にするのは悪手だと感じた。リヴェルは毒血の他に再生能力を持っているため、ヴェリドに消耗戦での勝ち目はない。

 リヴェルとしてもこれ以上長期戦にはしたくなかった。リヴェルは自身の生命を脅かす存在がそばにいることが怖くて仕方なかった。リヴェルはもうヴェリドが生きている状態では安心して生きることができなくなってしまったのだ。

 だからこそリヴェルは魔力によって自身の傷を癒すのではなく、ヴェリドを殺すための毒血を纏っている。リヴェルは毒血を纏いながら、ヴェリドに向かって咆哮と共に突進する。その咆哮はヴェリドを威圧するためのものではなく、今まで持たなかった死への恐怖を振り払うための咆哮だった。リヴェルが突進する様子は、くしくも一年前にヴェリドが竜に一矢報いたときの動きと同じであった。

 かつてヴェリドは限界まで竜を引きつけ、極限の集中状態の中で魔剣を突き刺した。しかし今それをすれば身体の傷から毒が全身に回り、共倒れになってしまうだろう。リヴェルが絶命すれば毒血の効力は切れるだろうが、それまでヴェリドの身体が持つかわからない。

 恐怖で平常心を失ったリヴェルに対して、ヴェリドは冷静だった。リヴェルの突進を前に、ヴェリドは空中に瘴気で魔剣の形を描いた。実体を持たないその魔剣は、ヴェリドの意思一つで、瞬時に世界に産み落とされる。リヴェルは実体を持たないヴェリドのおぼろげな魔剣の存在に気づくことなく、一番速さの乗った状態で爪を振るおうとする。

 その時、おぼろげだった魔剣は実体を与えられ、ヴェリドによって射出された。精密に創られた魔剣は勢いを落とさず、咆哮を上げるリヴェルの口元から脳天に突き刺さる。振るわれようとした爪はだらしなく地面に垂れ落ちた。

 直に死に至るであろう竜であっても、勢いがついた巨体が止まることはない。ヴェリドは魔剣を打ち出した後、すぐに竜の巨体を回避した。リヴェルの巨体は大きな音を立てながら接地して地面を滑り、少ししてから止まった。

 魔剣で脳天を貫かれてたリヴェルの動く気配は今のところ見られない。しかしヴェリドは警戒を怠ることはなく、再び魔剣を手にする。それはまだアークの欠片がこちらに移動してきておらず、まだ生きていることがわかっていたからだ。


 その警戒は杞憂であり、リヴェルが動かなくなってから何事もなく、死に至った。竜が死した瞬間、ヴェリドの魂に変化が訪れた。竜と結びついていたアークの欠片がヴェリドの元に移動し、ヴェリドと結びつく。

 そしてアークの記憶がヴェリドに流れ込んできた。

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