第26話 死してなお生きる

 空には雲が多く、昼間でも陽の光は街に届くことはなかった。ヨープスが家に帰る頃には、ただでさえ暗かった街が一層暗くなっていた。心もとない街の灯りがヨープスの帰路を照らす。

 ヨープスは薬を手に家へ帰ると、すぐさま寝台の上に横たわるリルリットの元へ駆け寄る。リルリットのそばでは、ヨープスの妻のマリーが心配そうに娘を見つめていた。


「リルの調子はどうだ?」

「良くならないわ。むしろ悪化してるかも」


 リルリットの症状が良くなっている僅かな可能性を願っていたが、リルリットの症状は朝よりも悪化していた。マリーの重たい返答を受けて、ヨープスは短くため息をついた。

 リルリットは自分の中の熱を吐き出すために浅い呼吸を繰り返している。母親譲りの栗色のやわらかい髪がピッタリと額に張り付いていた。マリーが時折リルリットの額の汗を拭うも、すぐに汗が額の上に浮かび上がってくる。


 ヨープスはリルリットのために朝から薬を探しに街を駆け回っていたが、薬が残っている店は一件もなかった。

 教会の治癒師にリルリットを見せるという手段があることにはある。しかし既に教会の前には長蛇の列ができていて、治癒師の体力的にこれ以上の患者を見ることはできないと断られてしまった。ようやく薬を取り扱っている店を見つけたときには、正午の鐘から一時間ほど過ぎていた。

 しかしヨープスがようやく見つけた薬屋にはヨープスと同じように薬を求めて並んでいる人がたくさんいた。彼らの表情もまた、ヨープスと同じように暗かった。そこでは現在も薬を作り続けているというので、薬が買えることを願いながら列に並んだ。


 店で購入した薬は粉末状で、リルリットが服用するにはそのままでは難しい。ヨープスはリルリットが飲みやすいように、とろみのある液体に薬を混ぜた。出来上がったそれをリルリットの口元へ運ぶが、リルリットは口の中に匙をいれることを拒んだ。

 その様子を見たマリーは台所から樹液からできたシロップを持ってきて、とろみのある薬の上にかけて混ぜる。十分に混ざった後、再びリルリットの口元へ運んだ。今度は拒むことは無く、リルリットはそれを飲み込んだ。

 薬を飲ませることができて安心したのか、マリーは崩れるように床に座り込んだ。ヨープスも先程より表情を柔らかくしてリルリットを見守っている。しかし依然として表情の硬さは拭えず、リルリットの呼吸は荒いままだった。


 薬を飲んで改善するかと思われたリルリットの症状は良くならず、リルリットに加速的に死が近づいてくる。マリーが額に触るが乳幼児特有の高い体温は感じることができず、命の火は今にも途絶えようとしている。幸い息をしているが、その息も死を前にした不自然なものだった。

 衰弱していくリルリットの手を握りながら、ヨープスは眠る娘に声をかける。


「絶対に逝っちゃだめだ。俺が握ってるから、だから、逝かないでくれよ……」


 ヨープスは妙に冷たいリルリットの手を温めるように自分の手で包み込む。リルリットの体に体温を吹き込むように手を握るが、リルリットの体から熱が失われる方が圧倒的に早かった。

 ヨープスはふと思い出して、ヴェリドから貰った葉巻モドキに自身の御力を用いて火を付ける。少しでも暖かくしようと考えたときに、これを思い出したのだろう。

 葉巻モドキは優しい自然の香りを立てながら一筋の煙を上げる。その香りと昨晩からの疲労はヨープスら夫婦を深い眠りに誘った。

 葉巻モドキが燃え尽きた時、リルリットは息をしていなかった。


※×※×※


 リルリットは病魔に侵されながら、夢を見ていた。

 それは誰かの記憶のようだった。クロウと呼ばれる奇妙な仮面を被った人物とシリオンと呼ばれている薄い赤の髪の少女、そして自分が楽しく話をしている。仮面の人物の表情はわからないが、少女は楽しそうに笑っていた。しかしその記憶は唐突に途切れてしまう。

 次にリルリットが見たのは自分が仮面の人物に対して激しい怒りを向けている場面だ。何に対して怒っているのかわからないが、そこには燃えるような怒りがあった。そしてリルリットは前の映像にいたはずの少女が姿を消していることに気がついた。

 ただ、それが何を意味するかわからないまま夢の映像は進んでいく。自分は怒りに身を任せて仮面の人物に攻撃を仕掛けるが、少しも当たらない。それでも攻防を繰り返す中で、自分の攻撃を相手に直撃させることができた。

 これからどうなるかというところで、リルリットの意識は深い眠りに落ちていった。


※×※×※


 ヨープスが目を覚ました時、夜は明けて空が白んでいた。彼は寝てしまったことを激しく後悔するが、それよりもリルリットの症状の確認の方が大切だと考えて息を確認する。ヨープスはリルリットが息をしていることを確認して安堵の息をつく。

 リルリットの手を触ると、そこには確かな温もりがあった。そんな当たり前のことがヨープスにとって何よりも嬉しかった。リルリットが生死の境からここまで回復したということに本当に安心したのか、ヨープスは瞳から涙を溢す。

 遅れて目を覚ましたマリーも症状が回復したリルリットの様子を見て、安堵の息をついた。マリーの喜びの感情が遅れてやってきて、彼女は寝台に顔を埋めながら涙を流した。


「まぁまぁ?」


 泣き声に反応したリルリットが泣いているマリーの頭に手をのばす。


「違うよ、リル。ママは悲しくて泣いてるんじゃないの、嬉しいんだよ」


 マリーは震える声で答えながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔で満面の笑みを浮かべた。

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