第17話 記憶にない記憶

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!

 死にたくない!

 アイツから逃げるなんて無理だったのよ!


 顔のない化け物が私を見て笑った気がした。


※×※×※


 翌朝、居間に行くとシグノアさんが朝食の準備をしていた。クロウは食事の準備をせずに椅子に座っている。クロウは前のようにいなくなっていると思っていたので、クロウがいる事に驚いた。


「おはよう」

「おはようございます」

「おはよー」


 ボクが挨拶をするとふたりとも挨拶を返してくれた。クロウに聞きたいことがあったので彼がいてくれた事を喜びながら、シグノアさんの手伝いをする。


「ボクの中の魂はどんな人生を送ってきたんですか?」


 ボクの朝食を終えてからクロウに質問をしてみる。余談だがクロウは朝ごはんは食べていなかった。魔猿を弔ったときに想起された記憶についてクロウが何か知っているかもしれない。


「うーんとね、アークは小さな村で生まれた子供だったんだ。少し異質だった彼は村八分になってしまった。と言っても髪と目の色が黒で不吉だという、それだけのことだったんだけどね」


 クロウは哀愁の漂う目で遠くを見ながらそう語りだした。その目は過去を懐かしんでいるように見えた。しかし仮面の奥の瞳に光はない。


「そこで一人の少女が彼に助けの手を差し伸べた。少女の名はシリオンと言った。シリオンはアークのために村の人たちを説得して彼が村にいれるようにした。小さな村と言っても幼い子供が大人たちを説き伏せることができたのは、シリオンに扇動者としての才能があったからだ」


 クロウはそう言って言葉を切った。そこでボクは漠然とこの話に訪れるだろう悲劇を感じていた。


「シリオンが成長するに連れて彼女が持つ才が顕著に現れた。シリオンはその才を活かし、御力がない人間を擁護する団体を立ち上げた。これが聖女が彼女を潰そうとするきっかけだった」

「……それでどうなったんですか?」

「シリオンの存在は箱庭の存続にとって邪魔なものだった。聖女は箱庭の騎士たちを遣わして彼女を連れてくるように命令した。彼はシリオンを救うために神の園に立ち向かい、彼女を取り戻すことができずに死んでしまった」


 そこで一息ついてからクロウは薄く笑って、ポツリと言葉を零した。静かな部屋であっても聞き取れないくらいの小さな声だった。クロウはどんな表情をしているのか、ボクにはわからない。そこにあるのは悲しみか、諦めか、それとも別の感情かも知れない。


「クロウは彼らとの関わりはあったんですか? あまり言いたくないようなら言わなくても良いんですけど」

「はは、そこまでの配慮はいらないさ。俺はアークがシリオンを取り戻すための手伝いをしてたよ」


 彼はいつものように乾いた笑いを上げながら答えた。その間ずっと、彼の目はどこか遠いところを見ていた。その姿はぼんやりと劇を眺めている観客であるかのようにも見えた。


「はは、少し暗くなってしまったね。なんで俺にこんなこと聞いたんだい?」

「ガーリィさんと瘴霧の森に行ったときに、ボクにないはずの記憶がボクの中に流れてきたんです。もしかしたらアークの魂の記憶だったんじゃないかと思って」

「へぇ、それはどんな記憶だったんだい?」


 興味を引いたのか、クロウは先程より明るい声で言った。


「えっと、ボクはどこかの石畳の上で胸から血を流しながら倒れていました。その時、聖女によく似た女の子がボクの手を握っていて。その子は泣きながら何かボクに話しかけていたんです。多分死の間際のことだったと思うんですけど」

「うーん、何か他に印象的なものはなかった? 大きな木があったとか、教会が見えたとか」

「すみません、よく覚えてないですね。多分教会はなかったと思います」


 自分が見た記憶を思い出しながらクロウに伝えた。クロウは顎に手を当てながらボクに質問をしたが、記憶が曖昧で答えることができなかった。


「済まない、力になれそうにないね。また何か思い出したら伝えて。まぁ、いつここにいるかはわからないけど」

「シグノアさんはなにかわかりますか? ボクの中を覗いたら何か見えませんか?」


クロウはわからなかったが、心を読めるシグノアさんならわかるかもしれない。


「申し訳ありませんが、私も力になれそうにありません。見えるのは今のヴェリドくんの心情だけですね。興味と不安といったところでしょうか」


 シグノアさんの魔力を当てにしていたが、それでもわからないらしい。

 そんな話をしているとヴァンくんが起きて居間にやってきた。ヴァンくんが食事を済ませたら二人で戦闘訓練を受ける。

 なぜ朝から戦闘訓練なのかというと、ガーリィさんは夜中に作業していて今は熟睡しているからだ。薬屋は午後から開店するようだ。


 ものすごい速さで朝食を済ませたヴァンくんが「早く行くぞ」とボクを急かしてくる。ボクは返事をしてから訓練場に駆け足で向かった。


※×※×※


 ヴェリドがヴァンに急かされて運動場に向かった。その姿を横目に見ながら先程の話を思い出す。

 ヴェリドの記憶にない記憶というのは非常に興味深い。話では聖女が感情をむき出しにしていたというではないか。そんなモノはアークの記憶にあるはずがない。


 そもそも聖女が感情を露わにすることはほぼ無い。もしあるとするならば、聖女の願いに関することくらいだろう。もっともクロウは彼女がどんな願いを持っているかは知らない。

 ヴェリドは聖女に似た女の子だと言った。聖女はクロウより長い時間を生きている。彼女が魔人になってからは容姿が変わることなどありえない。彼女の幼い頃といえば箱庭が創られる前の、混沌の時代だ。


 そんなことを考えているとクロウの中に一つの可能性が思い浮かんだ。


 クロウは仮面の下でほくそ笑んだ。

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