第15話 孤児と娘

 このままじゃ私は死んじゃう。

 幸い今日はアイツがいない。

 逃げるなら今日よ。


※×※×※


 瘴霧の森での採集が終わって翌日、今日はガーリィさんが魔猿の研究に専念するので薬屋はお休みだ。シグノアさんと訓練をしようとしても左足が折れているせいで派手に動けない。

 なので今日は久々に街を歩くことにする。幸い肉体の回復力は凄まじいもので、昨日の今日のことだが、足の調子は随分と良い。街歩き程度なら再生の妨げにはならないだろうとガーリィさんからのお墨付きももらっているので、安心して街に出れる。


 以前街を歩いた時は最低限のお金しか渡されてなかったので、色々な店を覗いたり買い物をすることはできなかった。しかし今日はお金を持ってきているので、たくさんのお店を見て回ろうと思う。それ以外にもこの街のことを散策する予定だ。

 このお金は薬屋でのお給料ということで貰っている。貰っている額はガーリィさんやシグノアさんの半分ほどだが、それでも貰い過ぎだとボクは思っている。

 衣食住と勉強を見てもらっていてなお、お金まで貰っている現状は本当にありがたい。


 街を歩いていると居住区域に孤児院があった。建物の外観は清潔感のあるレンガ造りで、表に掲げられている看板を見なければ孤児院とは分からない。

 孤児院の看板の前には職員の制服を着たおばあさんが立っていた。その女性は看板の隣にある掲示板に何かを貼り付けようとしている。ボクが遠目から見ていると、彼女はこちらに向かって近づき、声をかけてきた。


「坊や、どうしたんだい?」

「いえ、何をしているんだろうと思って」


 腰が曲がった老年の職員は優しい目でこちらを見ていた。きっと子供が好きでこの仕事をしているのだろう。彼女からは柔らかい雰囲気がにじみ出ていた。


「探し人の張り紙を出しているんだよ。うちの子が引き取られるときに『お父さんたちが俺を探しに来たときにわかるように』と言ってね。捨てられるか両親の死去がうちに来る大半だって言うのに、健気な子だよ」

「どうしてそんなひどいことを……?」

「神に愛されなかったからかね。現にうちにいる子の半分近くが祝福を持たない子だよ」

「……そうなんですね」

「ああ、こんなこと子供に言うもんじゃ無いね。坊やみたいな子は夢だけ見ていれば良いんだ。幸せな夢を」


 気の毒だと言いたげな表情で彼女は語った。老婆の目はここではないどこかを見ていた。その様子はまるで幸せな夢を探しているようだった。彼女はしばらくの間そうしていたが、寂しげな表情をして目を伏せた。


「あたしにはもう夢は見れないみたいだね。夢を見れた日は幸せだった。……忘れておくれ、老人の戯言だよ」

「いえ、話を聞けてよかったです」


 ボクは胸に溜まる感情を言葉にしようと、言葉を選びながら口を開く。


「ボクたちは何か光が無いと立っていられないんだと思います。ありもしない奇跡を信じずにはいられないんです。ボクも捨て子ですから、少しは分かると思ってます」


 かつてのボクだってそうだった。

 どんなに辛くても苦しくても、両親に優しくしてもらった記憶が脳裏によぎる。今は訳あってボクに会えないんだ、しばらくしたらまた顔を出してくれるはず。そんな思考が脳を蝕んだ。

 決してそんなことはないと頭の冷静なところではわかっていた。救いのない世界を否定するために、ボクは存在しない光を追いかけ続けた。

 きっとその子にとっても両親は光だったのだろう。その子には両親と幸せな再会をしてもらいたい。


「……そうかい、嫌なことを思い出させてしまったね。今はどうしてるんだい?」

「ガーリィさんとシグノアさんの薬屋で面倒を見てもらってます」

「なるほどねぇ……。あの二人なら安心だよ。お節介な話だけどあの二人は結婚しないのかね? お似合いだと思わんか?」


 彼女は暗い話題から話を変えるために、ボクの今の話になった。彼女はシワのある顔をクシャッと歪めて笑いながら、ガーリィさんとシグノアさんの話をする。二人の恋愛事情はよくわからないのでなんとなく愛想笑いを浮かべる。


「嫌だね、年をとると。話してると楽しくなってね。お二人によろしく伝えといて」

「わかりました」


 彼女は黄ばんだ歯を見せながらニコッと笑った。そしてうだるような暑さから逃げるように孤児院の中に入っていった。


 昼頃になり小腹が空いたので、街に入ったときに良くしてもらったスープ屋に行くことにする。この店には時々来ていて店主――ヨープスさんとも仲良くなった。


「こんにちは」

「おう坊主、いらっしゃい!」

「季節のスープとパンを一つお願いします」

「毎度あり!」


 前は知らなかったのだが、この店ではパンを頼めば買う事ができるのだ。このパンとスープの相性が良く、肉の旨味が出たスープに穀物が入ったパンをつけるとパンがスープの旨味を吸ってとても美味しい。

 この食べ方はあまり行儀が良くないらしいが、ヨープスさんは咎めずに「美味けりゃなんでも良い!」と笑っていた。

 スープは二種類用意されていて定番の塩スープと季節のスープがある。この季節はトマトベースの夏野菜のスープだ。これがまた美味しく、あっという間に食べ終えてしまう。ボクはパンの欠片で食器の表面を拭い、口の中に放り込む。


「最近娘さんはどうなんですか?」

「聞いてくれよ! リルに呼びかけたらめちゃくちゃ可愛い顔で笑うんだ! それが本当に可愛くてな、見てると一日の疲れが吹き飛ぶってもんよ! それでも家族の時間があまりとれねぇのは残念だな。できればこの店も休んで家にいたいが、稼ぎが無いと厳しいからな」

「今日のスープはこれだけですか?」

「ああ」

「それじゃあ、早く売り切って早く家に帰りましょう!」


 何も買わないのに話しているだけだと商売の邪魔になってしまう。なので出店の内側に回ってヨープスさんの手伝いをしながら話をする。

 リルとはヨープスさんの娘さんのことで正式にはリルリットというらしい。もうすぐ二歳の誕生日を迎えるそうだ。誕生日の日くらいはヨープスさんも一緒に過ごしたいだろう。

 最初の方はヨープスさんは遠慮していたが、最近では特に何も言われない。ヨープスさんが幸せそうに話す姿を見ていると、幸せを分けてもらっているようで、ボクも聞いてて幸せな気持ちになる。


 ヨープスさんのスープは三時頃になっても完売することはなかった。今の時期は暑いので客足が遠のくのは仕方がない。この時期は少なめに用意しているそうだが、今日は特に売れ行きが良くなかったらしい。


「坊主、長々と付き合わせちまって悪いな」

「ボクも好きでやってるから良いんですよ」

「良けりゃ残ったスープ持ってくか?」

「良いんですか?」

「バイト代にしては少ない方だぜ」


 お言葉に甘えて残ったスープをいただくことにする。ヨープスさんがスープを鍋から大きめの容器に移し替えた。持ち帰りづらいからということで手さげも一緒に渡してくれた。


 ボクはヨープスさんにお礼を言って店を後にした。

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