第12話 魔猿
「ヴェリド、気づいたか?」
「……! はい」
ガーリィさんの言葉の数秒後に気がついて返事をした。
アルデニアの実だけでなく色々採集していたところに獣の気配が近づいている。それも一匹ではなく複数だ。
「丁度良い。どれだけ戦えるか確かめてみな。訓練と実践は違うからな」
「了解です」
そう言われてボクはガーリィさんから少し離れて紫紺の魔剣を構える。竜と対峙したときは胸元から魔剣を引き出したが、今日は手元に魔剣を創り出した。
獣はなかなか姿を表さない。気配を感じるのでこちらから斬りかかろうかと考えていると、突然後ろから石が飛んできた。体をひねって躱し、石が飛んできた方向に体を向ける。
そこにいたのは猿のような魔獣だった。その魔獣は腕を四本持ち、それぞれの腕に握りこぶしほどの石を持っている。
ボクがその猿を見ていると、別の方向からも風切り音を鳴らして石が飛んで来た。その石は近くの木にぶつかり、木の幹にめり込んでいる。もし石を腕で受ければ、その腕は使い物にならなくなるだろう。
ボクは遠距離戦では攻撃手段を持たないので遠距離戦は避けたいところだ。強いて言うなら魔剣を投げるくらいか。
ボクは地面を蹴って魔獣――魔猿に肉薄し、左下から魔剣を振り上げる。魔猿は体をひねって躱そうとするも、ボクのほうが速く左腕を斬りつける。魔猿は体勢を崩しながらもボクの頭に向かって正確に石を投擲してくる。ボクは上半身を反らしながら躱すも、バランスを崩して地面に倒れ込んだ。魔猿は切られた痛みから叫び声を上げた。
その声のせいで、ボクは飛翔してくる石の存在に気が付かなかった。その石はボクの左の太ももの付け根に直撃し、骨を砕いた。幸い石が太ももに食い込むことはなかったが、それでも激しい痛みが襲った。
「くっそ!」
ボクは痛みと焦りから思わず悪態をつく。ボクは竜に比べて魔猿は大したことないと思っていた。実際はそんなことはなくボクは足を潰された。竜と対峙したときにクロウに言われたように、足を潰されたボクは雑魚そのものだ。
竜と対峙した時は一矢報いるという気持ちが強かったが、今は命の奪い合いをじかに感じている。ガーリィさんの方に目を向けると、ボクが相手している数よりもっとたくさんの相手をしている。
ボクはこのままなぶり殺されないように必死に頭を回して考える。ガーリィさんに頼ることはできないので自力でこの状況を打破しなければならない。
ボクの足を潰した魔猿は半笑いで少し近づいてきた。しかし剣が届く間合いには入らずにニヤニヤしているだけだ。もう片方も後ろにくっつきながらこちらの方を見ている。
おもむろに手に持っていた石をボクに向かって投げつける。足を潰したときのような投げ方ではなく、子供の嫌がらせのように石を投げながら陰湿な悪意に満ちた表情を見せる。腕を負傷している方は石を投げずにボクと仲間を見ながらおどおどしていた。
時々ボクの足を潰したときのような本気の球が飛んでくるので、それだけを見極めて躱すことに専念した。
しばらくすると魔猿たちは石を投げるのをやめた。ボクがあまりいい反応をしないので死んだと思ったのだろう。ボクをなぶって遊んでいた魔猿は立ち去ろうとしたが、もう片方がボクの方へ近づいてきた。
ボクは近づいてきた魔猿の腹に魔剣を突き刺し、力に任せて内臓を抉る。そいつは腕が切られたときより大きな声で断末魔の叫びをあげた。
もう片方の魔猿は悲しみと怒りの感情が見て取れる。死んでいると思っていた人間に仲間が殺されたことが衝撃だったのだろう。そして長年連れ添った伴侶が殺されたかのように怒り狂っている。
ボクは砕けた足を瘴気で支えながら魔猿との距離を詰める。
最初に距離を詰めたときのような速さは出ないが、気にせずに地を蹴る。ボクは魔剣を振り下ろすが、魔縁の二本の腕に阻まれてしまう。
動きのじゃまになる魔剣を消し、踏み込んだ右足を軸にして回し蹴りをする。負傷した左足を使っての不意を突く渾身の攻撃だったが右腕で受けられてしまった。魔猿はボクの後ろに回り込んで何かしようとしている。
「これで終わりだ!」
しかし魔猿の策が日の目を見ることはなかった。ボクは地面に落ちていた石を瘴気で魔猿に向かって勢いよく打ち出した。
打ち出された石は魔猿の頭に当たり、魔猿は頭から血を流してよろめく。ボクはその隙を見逃さず魔剣を手元に創り出し、朧気な造形の魔剣を魔猿に叩きつける。
シグノアさんが言っていたように、魔剣と魔猿の頭がぶつかり合う一瞬だけ全力で力を開放する。何かが潰れるような感覚が魔剣越しにボクの手の中に残った。魔猿の頭は魔剣を叩きつけた衝撃で変形していた。
ボクは最後まで気を抜かずに剣を構えるが魔猿が動き出す気配はない。
ボクは魔猿たちが死んだことを確認してホッと息を吐く。そのため息は安堵のため息でもあり胸のうちにある胸糞悪い感情を吐き出すためのため息でもあった。
ボクは今日初めて自分の意思で生き物を殺した。生物を殺した感触があまりに鮮明で吐き気がしてくる。
剣の刃が肉を切る感覚が、剣の切っ先が骨に引っかかって剣が止まる感覚が、潰れる内臓の感触が、魔猿が上げる生々しい叫び声がボクの中でグルグルと回る。頭蓋骨を砕いた手応えが腕に残って痺れさせる。
ボクを襲った彼らは、獣のはずなのに感情がありありと見て取れた。
それは縄張りに入ってきた敵を追い払うための威嚇。石を投げるときに見せた悪意のある愉悦と無力化に成功した安堵。断末魔の叫びには死を拒む感情が乗っていた。
腹を抉って殺した魔猿には怒りではなく、残してしまった仲間を想う気持ちがあった。残された方には大切な存在と死別した悲しみと同族を殺された激しい怒りがあった。頭蓋骨が砕かれた後もボクに向けた視線にはたくさんの感情が乗っていた。
だと言うのにボクは彼らが抱える感情や想いを切り捨てた。切り捨ててしまった。彼らの間には深い信頼と愛情が確かにあった。
ボクは、彼らを殺したのだ。
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