SHARK NEGOTIATIONS(鮫交渉人)

秋乃晃

前編

「また会ったな」


 軽く右手を挙げて挨拶してくる白衣の男を、オレは無視した。


 頭の上にゴーグルをのっけて、黒い長髪をひとつに束ねて、――オレをまるっと三十年ぐらい老けさせたような顔をしている。


「ぼくがいるということはつまり」


 無視されたことに腹を立てたのか、オレが海に向かっているってのに立ち塞がった。おっさん、邪魔。


「サメが出る、かもしれないんだろ」

「オーケイ、わかってるじゃあないか」


 白い歯を見せて嬉しそうに笑って、オレの肩を叩こうとするから、オレは空いているほうの手ではねのけた。


「お前さあ……なんでオレにつきまとってくるの?」


 迷惑なんだよな。


 この前の大会のときは、オレの(当時の)ガールフレンドを押しのけてデカい声出してオレを応援していた。


 優勝はしたけど、オレを差し置いてインタビューに答えている。なんでだよ。


 さらには場所を教えていない(教えるわけがない)のに打ち上げに飛び入り参加しやがって、ガールフレンドにビールをぶっかけてあいつの機嫌を損ね、オレはビンタされて、その場でケンカになって、別れた。


 その前の大会のときは、大会の運営に「ぼくはサメの研究をしていて、凶暴なサメの出現位置がわかるんだが、サメが近付いてきている」と吹聴して大会を中止させやがった。サメなんて出ていない。


「なんでって、サムソン、君の父親だからね」


 オレの名前はサムソン。プロサーファーだ。


 で、本番前に練習しておこうとしているってのに絡んでくるこのはオレの血縁上の父親。


 サメの研究家ってのはウソではなく本当の話で、小脇に抱えているノート型パソコンの中にはサメの資料が詰まっていて、オペラ博士といえばその道では有名人らしい。


 サメのヒレを追っかけてたら嫁(=オレの母親)に逃げられたんだけどな。


 小さい頃はコイツにいろんな水族館へ連れて行ってもらったり、ホエールウォッチングならぬシャークウォッチングをしに小型船舶に乗せられたりしたもんだが、それも昔の話。


 オレが奥さん(=オレの母親)に引き取られてからはしばらく会っていなかった。


 その間何をしていたのかは知らないし興味もない。


 海沿いの街に引っ越して、友だちに誘われてサーフィンを始め、大会に出るようになってから、会場にコイツが現れるようになった。


 黙ってみているだけならオレだって何も言わないよ。ただ、コイツのほうからやけに話しかけてくるんだよな。


「だったらオレの邪魔をするなよ。今日の大会がなんだかわかってんの?」

「ああ。地区予選だっけか。そこに貼ってあった」

「サメが出るなんて言って、また大会を開かせないつもりか?」


 チッチッチッ。オレの父親面したおっさんは、人差し指を左右に振る。

 それから、ノート型パソコンを開いて、オレに見せてきた。


「前回は予測と違う場所に行ってしまったのだが、今回はまっすぐこちらに向かってきている」


 赤い点が徐々に沿岸部へと近付いてきている。これがサメの位置ってことか?


「このサメは、我々の仲間内で『アルファ』と呼んでいる個体で、だ」

「それで?」

「ぼくはアルファとネゴシエーション交渉して、今日のところは引き返してもらおうと思う」

「……交渉できるのかよ」

「会話が成立するからな」


 オレはサメが人間のように人語を操って、雄弁に語る姿を想像した。馬鹿げた妄想だ。


「そこのボートを借りてくるから、お前も一緒に来ないか?」


 おっさんは親指でボートを指さした。大会の開始までにはまだ余裕がある。


 ウォーミングアップは、あとでもいいか。

 今はしゃべるサメを見てやろう。


「ああ。ちょっとボード置いてくる」


 *


 コイツとボートに乗るのは、十何年ぶりかのことになる。太陽のまぶしさと、海風の心地よさで、なんとなく、まだコイツといっしょに暮らしていた頃のことを思い出しそうになった。


 なんだかんだでコイツ、いいやつなのかもしれない。


 両親が離婚する前にオレが通っていたスクールの教師が、麻薬取引に関わっていたってニュースを見た。


 打ち上げのあとに別れちまった彼女は、あとで地元のやばいやつとも付き合ってたってことが発覚した。


 サメが出るっていうから中止になった大会は、運営元が開催地に許可なく開催しようとしていたっぽくて、ちょっとした騒動になっていた。


「この辺だな」


 おっさんは沖合でボートを泊める。オレの肉眼でも見える距離に、サメのヒレがあった。例のアルファだろうか。


「まあ、見ていなさい。ぼくが華麗に交渉してみせるよ」

「お手並み拝見といくか」


 操縦席から出てきて、ボートの先端部分まで歩いて行き、そこから両手で頬を挟んで「おーい!」と海へと呼びかけた。


 すると、アルファは素早くボートの右サイドに回り込んで、勢いよく海から飛び上がり、大きな口を開けて、そのまま左サイドに沈んでいった。


「……は?」


 水面にはゴーグルだけが浮かんでいる。


 これが、アルファとオレの――いや、アルファと人類との戦いの始まりであった。

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