私にだけ冷たい 『最後の優良物件』 から、〖婚約者のふり〗を頼まれただけなのに、離してくれないので【記憶喪失のふり】をしたら、激甘に変わった公爵令息から 溺愛されてます。
瑞貴@10月15日『手違いの妻2』発売!
第1話 犬猿の幼馴染の婚約①
【プロローグ】
時は、今から一か月前──。
トルイユ子爵家のエメリーヌが、自分の部屋から外を眺めていると、二頭引きの大きな馬車が、屋敷の前に停まった。
幼馴染のレオナールが、また来たのかしら? と思うエメリーヌが、そのまま外へ視線を向けていると、馬車の扉を従者に恭しく開けられ出てきたのは、ラングラン公爵家のレオナールだ。
彼は眩しいくらいの明るい金髪をかき上げると、二階に佇むエメリーヌに紫の瞳を向けた。
それを見たエメリーヌの眉間に皺が寄った直後、来訪を知らせるベルが、カランカランと音を立てる。
「今日は何を言いに来たのかしら」
そう言って、エメリーヌはエントランスへと向かう。
するとそこには、派手やかな衣装を纏った見目よいレオナール・ラングランが、気品溢れる姿で立っていた。
だがしかし、レオナールの前にエメリーヌが立つと、彼はあまりの緊張から上ずった声を出す。
「お、おうっ! ひ、久しぶりだな! 元気にしていたか」
「何しに来たのよ。また、悪口でも言いに来たのかしら!」
その言葉を聞いたレオナールが眉根を寄せ、緊張の糸を切る。
エメリーヌを凝視できずに逸らしていた彼の視線を、真正面に動かし、彼女を見つめ、語気を強めた。
「はぁ⁉ 誰がわざわざ悪口を言いに来るんだ! お前はどんな思考をしているんだ」
「それなら何しに来たのよ。どうせ碌な話じゃないんでしょう」
「俺に群がる令嬢たちが鬱陶しいから、次の夜会にお前を連れて行こうと思って誘い来たんだよ」
「はい? 嫌よ。どうして私がレオナールと一緒に夜会へ行くのかしら」
「俺が夜会に誘っているのに、嫌ってどういうことだ‼」
そう尋ねられたエメリーヌは、小首を傾げ、にっこりと笑って答えた。
「それ以上の深い意味はないわよ。嫌なの」
「お前が嫌がろうが、俺はお前と一緒に夜会へ行く! それ以外の選択肢はない」
「群がる令嬢が嫌なら、夜会に行かなきゃいいでしょう」
「夜会には行く必要があるから誘っているんだ。お前は俺の防護壁代わりに付き合え! 俺はお前が『パートナーになる』と言うまで帰らないぞ」
「何で私がレオナールの防護壁になる必要があるのかしら。嫌よ。私はその夜会には行く予定はないから」
そんな会話を何周も繰り返し、パートナーの申し出をきっぱりと断ったエメリーヌは、レオナールを追い返したのだった──。
◇◇◇
【SIDE エメリーヌ】
時は今に戻り、ヴァロン王国歴の四月一日。
この日、国中の令嬢を泣かせる大きなニュースが飛び込み、貴族新聞を手にする者たちに激震が走った──。
「おい、この新聞の記事を見てみろ!」
トルイユ子爵家の狭いリビングの扉が大きく開くと同時に、ダニエルの興奮した声が響く。
ダニエルとは、シルバーの髪を一つに結ぶ、私の兄のことだ。
突然聞こえた大きな声に反応した私は、いつにも増して「煩いなぁ」と、呆れながら兄へ視線を向けた。
すると、二人掛けのソファーの真ん中を陣取る私の元へ、兄が勢いよく向かって来た。
一体何事かしらと兄の動きを見ていれば、「俺にも座らせろ」と言いながら私の横へ、ぐいぐいと強引に割り込んでくる。
そのせいで、なぜか二人で密着して座る羽目になり、大層居心地が悪い。
十七歳の私は、成人年齢が十六歳のこの国では、とっくに大人だ。
妙齢の乙女が、何が悲しくて兄と仲良く、ぴったりくっついて座らなければいけないのだ。いい加減、子どもじゃないんだからと思う私は、我慢できずにギロリと兄を睨む。
だが、そんな感情をちっとも気にしないのが、私の兄、ダニエルだ。
剣で切っても刃が立たない、まるで鋼のような神経をしている。
憤慨する私の心情とは裏腹に、兄は新聞の記事のことしか考えていないようだ。
彼が握る新聞を早く受け取れと言わんばかりに、ぐいっと押し付けてきた。
「ほら、読め読めっ!」
そうして渡された貴族新聞──。
中を開いていない状況からすると、トップ記事である一面を見ろ、ということだろう。
新聞の一面といえば、一番注目すべき内容が掲載されている場所だ。言わずと知れたこと。
とはいえその紙面は、大抵、私にとっては食指が動かないものである。
流行のドレスの情報やら、近々開催される社交界の案内が大半を占める。
貴族新聞という名前のとおり、読者は貴族。贅沢三昧の暮らしを送る優雅な人々が、こぞって求める情報が満載だから。
一面記事なんぞ、社交界で後ろ指をさされている我が家にとっては、さして面白い話など載っていないのが現実だ。
さめざめとした感情の私は、急に新聞を押し付けてくる兄が、全くもって鬱陶しいという感情しか湧かない。
そんなに慌てて一体なんだと言うのだ。めんどくさい。
だが、新聞を受け取らなければ兄も引かないだろうと考え、億劫ながらも記事に視線を向ける。
テンションの低い妹の反応に、少しも動じる気配がないのは、兄のダニエル二十三歳。
ちなみに兄は陽気な性格だけど、婚約者も恋人もいない。いわゆる、絶賛パートナーを募集中の、ぼっち男である。
そんなことを考えている私の方も、ぼっちの十七歳。結構崖っぷちの年齢だ。
というのも、このヴァロン王国の十七歳であれば、すでに結婚適齢期に突入している。昨日の貴族新聞の一面は、十六歳の公爵令嬢の結婚式について書かれていた。
世間一般に、そんな年齢で結婚となれば、十七歳なのに婚約者がいない時点で、なかなかもって危機的状況であり、行き遅れに王手がかかる。
まあ、そうなるのも仕方ない。名誉にもお金にも無縁の子爵家の令嬢だ。
そのうえ「極貧生活まっしぐら」という話が国中に広がるせいで、社交界では、それはもう肩身が狭い。
我が家の立ち位置は、下位貴族の中の下級を極めている。
我が家の悲しい噂話を、この屋敷で働く従者たちが一体どこで耳にしたのやら。約一年前から「トルイユ子爵家が没落する前に、次の就職先を見つけなければ」と焦った従者たちが、次々と辞めてしまったのだ。
あまりにも俊敏な動きを見せる彼らは、まるで沈む船をいち早く感知するネズミのように、迷う素振りもなく動いており、ある意味感心させられたけど。
まあ、そんなこんなでトルイユ子爵家の従者は、一気に半数以下となり、今ではメイドと料理長、あとは領地との連絡用の馬車を動かす御者しか残っていない。
とはいえ残った彼らも、沈む船の水を一緒にかき出すつもりは、さらさらない。
彼らの言い分は、「もう歳だし、次の仕事をする気もないし、この家が没落するまで働くのが丁度いい」とのことだ。
あり得ないくらい適当なスタンスを堂々と口外する彼らは、私たちと子爵家を盛り上げていく意気込みなど、決してない。
それもこれも、こんな窮地に陥ったのは、全部兄のせいだ。
先見の明もないくせに、ギャンブル気質のダニエルが散財したせいである。
今から約七年前に──。
全く価値のない山を、大きな借金を作ってまで無理に購入した我が家は、頭に花の咲いた一家と社交界で笑われ、白い目で見られ続けている。
その原因を作った当の兄は、「温泉王になる」と世迷いごとを、自信げに言い続けているため、社交界で変人扱いをされているのだが……。
周囲から笑われていることに、張本人である兄が気づいていないのが、ますます痛いところである。
妹の私にまでその被害が飛び火しているのだから。
それまで我が家に来ていた家庭教師たちからも、「あなたに教えることはございませんわ」と嫌煙され、十一歳を最後に指導が頓挫した。
別に由緒正しいお嬢様を目指していたわけではないが、教師たちから見放された結果、令嬢のくせに淑女とは程遠い。
そんな私がうかうかしていたら、あっという間に婚期を逃してしまうから、と焦りを募らせ、相当前から恋人募集中だ。
だが、負け組一家に縁談を申し込む勇者がいるわけもなく、恋人やら婚約者の気配は一切ない。
先日の夜会の会場で、兄の他に唯一、私に声をかけてきたのは、思い浮かべるのも嫌なくらいの最低男だ。
その犬猿の幼馴染からは、毎度のことながら「壁の枯れ木」と呼ばれたし。
本当に、あの男はふざけすぎだっ!
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