第26話 京からの逃亡者

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 天文18年 1549年 6月


 後藤との話し合いを終えてより試されている、期待されているような重みを感じながら日々を過ごしていると京都で負けた足利義晴、義藤親子が六角家へと避難してきた。俺が俺として生活している間も定頼お祖父は神輿としている義晴と同僚?である細川晴氏が対立してしまったせいでてんてこ舞いだったらしい。また、義藤も定頼自身が加冠をしておりこのねじれに捩れまくった関係は今なおもお祖父様を苦しめている。

 生まれる前、定頼お祖父は義晴・義藤父子と晴元を和解させようと大坂の石山本願寺に嫁ぐことが内定していた晴元の娘を、義藤の御台所にしようと画策したのだがが焦って強引に進めてしまった。そのため当事者の事情を無視してしまい結局失敗した。

 そして月日が経ち6月24日に起こった江口の戦いで三好長慶が大きく名を上げる成果を出した。晴元が支援していた三好政長を討ち取られてしまった。それによって晴元は自身の身を守るために足利義晴、義藤親子を連れ近江六角へと逃げてきているらしい。公家である近衛稙家や久我晴通も一緒についてきてくるらしく気せずお早い邂逅となりそうだ。


 「お祖父様、公家の方々が同行されているそうです。こちらからも迎えの兵と輿を用意して向かわせるのは如何でしょうか?うちの兵士であれば後藤壱岐守と共に一度稙家殿とお会いしておりまするし上手くいくのではないでしょうか?」


 城内が少し慌ただしく迎え入れる準備をしている様を横目に当主である祖父に提案をする。


 「そうだな。先導役だけではなく迎えの兵も送るとするか…。それに連れて来られる兵が逃げて野盗になられても面倒だしな…。」


 「今私が個人的にすぐに送れる兵は600程です。京都から連れてきたばかりの兵はまだまだ調練不足です。」


 「それで十分だ。後藤親子を派遣するとしよう。それならば無礼でもあるまいて。」


 後藤但馬守を大将に兵の指揮をするための副将として後藤壱岐守を命じ600の足軽隊を晴元達の迎えに送らせた。俺もする事がなくなったし身体を動かしにでもいくかと考えていると使用人の一人から文を渡される。


 「なんと!これは真か!?」


 「はっ、我が主人から確認をとっておりまする。至急お伝えするようにとの事…。」


 この使用人は伊賀のものだったらしく半蔵からの情報を伝えにきてくれた。文の内容には簡潔に一言書いてあった。


 和泉国 陥落

 

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