27 こっそりいかない家出事情

 イリュージャが収監される塔は、『護身塔』『封の塔』『虜囚塔』と目的で呼称を変える。塔内の移動は自由だが、1階から4階の造りはまったく同じで、タクンを縛る最上階だけが何もない広間だ。


「アンタ、また来たの」

 広間の中央には檻があり、ボロボロの羽の妖魔タクンがいる。

「またなのかな?目が覚めたから来たんだよ」

「教えてあげる。アンタが来たのは今日3回目」

「それじゃ今日は、3回も朝が来たのか」

「2回も昼寝したってこと!」

 塔には窓どころか隙間も無くて、昼も夜もわからない。


「イリュージャ、いるのか?」

「ナクラ先生、おはよう。イテっ」

 どうせ真っ暗だからと目を閉じていたら、タクンを縛る鎖につまづいた。

「気を付けろよ、その辺りは鎖だらけで、イテッ」

 立ち上がったナクラは燭台に頭をぶつけ、手にした鎖が音を立てる。

 環の長さは縛りの強さに比例し、鎖はとぐろを巻くほど長い。


「ナクラは座って!アンタは目を開けて!右、行き過ぎっ」

 妖魔オーデュポンのタクンは世話焼きさんのようだ。

「もう面倒だ、大きい声で話すとしよう」

「おっ、賢いな」

「ちょっとアンタたち、諦めないの!」


 その場に腰を下ろしたイリュージャは、持って来たカンテラに火を灯す。

「校長の魔火だな。魔法なら俺にも見えるわ」

 見えると言いつつ二度躓き、タクンはヒヤヒヤしっぱなしだ。

「退学のお知らせだって」

「ア、アンタ、退学なの?アタシが襲ったから?」

「致命傷はゲドくんだけどね」

「ゲドはちがう、アタシが嘘ついた。ゲドは悪くないの」

 タクンは真っ青になって必死にゲドを庇う。


「ウチのオトーサマの意向でもあるの」

「・・ゲドのオヤジさまもいつだってゲドを見守ってた」

「わはは、うちのオトーサマの見守りは『虎視眈々』で油断ならないよ」

 カンテラの灯りがひときわ大きくなり、校長の姿を映し出す。

「揃っておるな。おお、タクンも元気かね」

「ふつうだもん!」

「よろしい。しかしゲドの髪はボサボサじゃ」

 タクンはピョンピョン跳ねて唇を尖らせた。

「アイツ、アタシがいないといつもそうっ」


「イデア・イリュージャは小さくなったのう。ロレッツァを世話人にしたが役に立つかね」

「しおらしいのは数日で、ハムをレタスで隠したサンドイッチをうっかり食べてしまいました」

 隠すから腹が立ち、しかし隠さないと食べないから隠すのだ。

「ハムなら平和じゃが、婚約を隠すのはマズいぞ」

 校長先生はモゴモゴ呟いて、知らぬふりを決めこんだ。


「イデア・イリュージャは退学となった。友人に別れを告げる場を設けよう」

「お友達・・?」

 いくら首を捻っても一人も浮かばずに、するとナクラが手を打つ。

「俺たちだけで盛り上がろうぜ。俺とイリュージャと黄色の送別会だ」

「なんでナクラ先生が付いてくるのよ」

「役に立つから」

「あっちの壁まで歩ける?」

「当たり前だろう、イテっ」

 歩くより早くカンテラを蹴飛ばすとは、役立たずも甚だしい。


「嫌だっ!使役もいなけりゃ相方もいないなんて、お先まっ暗、すでにまっ暗じゃないかっ!」

「アタシも!アタシもアンタと行く!」

 ナクラの絶叫は、タクンの意外な申し出で消し飛んだ。

「アタシはゲドの悪い『ふたつ』だもん。アンタを守ってゲドの大切になる」

「『ふたつ』は選ぶ。それでいいよ」


 イリュージャの肯定に黄色は唸ったが、それが理だから異論はできない。

「しかしイリュージャにあってはならん。ナクラの使役となれ」

「おお、黄色さま!感謝します」

 ナクラは薄っぺらい信仰心で黄色を神と讃え、イリュージャは校長に助けを求めたが、

「ほっほほ、旅は道連れじゃ」

 お先まっ暗と道連れとは、幸先の悪いことである。


  ▽


 イリュージャの髪を撫でるのはロレッツァより小さい手で、瞼を擦って目を開けばカンテラを手にしたユージーンがいた。

「おはよう、ジーン」

 着ている服は剣の訓練用で、床に置いた荷袋はパンパンに膨れている。

「どこかに行くの?」

「うん。北に行く」

「『ふたつ』は選ぶ。だけどフューラは強いから戻れる保証はない」 

 その警告にも紺青の瞳が揺らぐことはなく、黄色は手を甘噛みした。


「イリュージャも北に行くのだろう」

「ええ。人生の終点は南の島と決めたのに、北がおいでと手招きするの」

 銀の少年、銀攫い、ガシャルに還れぬ銀の子供。

「近頃じゃ、銀色を見ただけで脈がとぶんだよ」

「ああ、それで鍋を見て口をハクハクしてたのか」

「鍋か。うん、鍋は生きるうえで不可欠だしな」

 鍋と調和するため北へ、いやそうではない。


 私は今日、サラ先生の魔法陣で転移することになっている。そこは安全で安心だというけれど、言い換えれば問題を先送りにする場所だ。

「目玉、いや魔法陣の構築は終了したようだ」

 正午の鐘を合図に発動予定だとユージーンは言った。

「・・やっぱりアレなんだね」

 サラの転移盤を流用すればノルムにひとっ飛びだが、目玉にゴックンされたトラウマが甦り、この案はボツである。


  ▽


 旅立つ私にロレッツァが用意したリュックサックに、高級な服と靴を入れギュッと縛る。これはガラルーダの餞別だが、子供はすぐ大きくなるのに勿体なく、お礼がなあなあだったと反省中だ。

 

「サラ先生に、行ってきますってお手紙を書こう」

 ペンを握るイリュージャは、ロレッツァから教わった、表題→要旨→詳細の冒頭で力尽き、心意気で書き上げるとユージーンに添削を頼んだ。

 ユージーンはしばし無となり、いくつか補足を加えるうちに、フードを被って旅立ちの支度をする。


 頭をすっぽり包むフードはロレッツァの餞別で、ポケットにサラの『銘刀笹の葉スッパスパ』が入っていた。

「あらまあ、トンズラがバレてる」

 『銘刀笹の葉スッパスパ』は、サバイバルにもってこいのマルチアイテムで、売れば小ぶりの新築不動産も夢ではない。


「なんだこりゃ、飴やら栗やら茶葉やらポケットから出てくる出てくる」

 こんなふうに所帯じみているから嫁がこないのだと、マントの裏に手縫いで追加したポケットの数に呆気に取られているのに、さすがロレッツァは気遣いができると感心するユージーンの将来が心配だ。


「そろそろ行くよ、ジーン」

「ああ、いつでも行ける」

 大きく息を吸うユージーンは、ごめんディファと最後に呟き顔を上げた。

「・・荷物が置きっぱなし」

 感無量なところ申し訳ないが、それを忘れてしまうと後々が面倒である。


「この塔に呼称は多いけど私なら『亡霊の塔』と呼ぶ。人は光の下にあるもので、有るべき姿に戻しましょう」

 薄暗さに目を凝らし、小さい手を伸ばす5歳児が破壊を宣言すれば、応えた大気が石壁を揺らし、その隙間から完全たる目玉・・目玉はともかく完全たるサラの魔法陣を映す。


「『銀の雫を垂らしましょう。溢れる潤沢な涙はノルムへ架かる虹となる』」

 魔力強弱の法則に則り紋様の上書きを行う。サラの魔力は人として異端で、それをも凌駕する私はサナギを破った蝶のような存在、姿を変えた人ならざる者だ。

「それが私で、そーゆー生き物です」

 無敵の呪文を唱えれば、目玉紋様から激流がほとばしった。

 黄色は漆黒の鉤爪を振り下ろして床を割り、五階のナクラに突撃すると魂をポコンと弾き飛ばし、鎖に繋がれたタクンごと咥えて引っ張りあげる。


 亡霊の塔は噴火寸前の山体が膨張するようで、指一本分の刺激でグラリと傾くと、ボッカーンと爆発を起こし塔は一気に崩壊を始めた。

 陽の光を遮る砂埃から伸びた虹はノルムへと架かり、目玉紋様に立つサラの頭上に封筒が落ちて来る。


「呆れるほど派手な家出だよ」

「予想の範疇だろう」

 胸でL字を切って頭を垂れるロレッツァは、安堵の表情を浮かべていた。

「予想外もあったさ」

「俺が子離れ出来てたってことでしょ?」

 そのドヤ顔にサラはムッと口を尖らせて、ガラルーダもまたL字を切ると旅の安全を祈る。


「ジーンさまの荷物を入れ替えたのはサラだろう」

「だってトランプとボールが入っていたのだもの」

 お気楽王子めと肩をすくめて封を解き、怪文書だと眉間を揉んだ。

「おっ、塔に光が入った」

 崩れた壁に太陽が差し込み、サラはしばらくの後に溜息をつく。

「もっと早くこうするべきだった」

 それが惜しまれたのは、10年を囚われた銀の魔女への追慕だった。


  ▽

  ▽


 波の音に背を向けて、ディファストロは洞窟の奥へ向かっている。

「どこにいるの、ジーン?」

 奥から地鳴りと呻き声が聞こえ、頭上ぎりぎりを鉤爪が掠めて飛び起きた。

「また同じ夢」

 深く息を吸うディファストロにリヴァンは警告を促す。

『危険が近づいている。私を成体にするのです』

 しかしディファストロは毛布に潜り、何も聞こえないと身を縮めたのだ。


  ▽

  ▽


 イリュージャの手紙解読をサラが諦めたのは翌朝で、呼びだしと同時にロレッツァが現れたのは扉の前にいたからだ。

「解読だろう?任せとけ」

「ふん、梨はもうないよ、私が全部食べたからね」

 智を人頼みにするのは天才サラには屈辱で、ロレッツァが好物の梨を引き合いに出すとは子供じみている。


「畑から7つもいで食べた。サラ監修『麗しぃシミ梨ィ』は絶品だよな」

「・・なんだって?ガラルーダ!」

「なんだ」

 こちらも間髪入れず姿を見せ、二人揃って扉の前にいたようだ。

「『麗しぃシミ梨ィ』の管理はどうなっているんだい!」

「管理者はこいつだ」

 指差せばロレッツァはニヘッと笑う。

「キャッチフレーズは、『黒いカラスも白くなる麗しぃシミ梨ィ』だぞ」

 好奇心がくすぐられたが、ぐっと堪えてお仕事モードを発動する。


「怪文書の解読を命ずる」

 イリュージャの手紙をバンッと叩きつけ、憮然と腰を下ろした。

「ジーンさまの書き置きはこれだ。出奔の謝罪、真実を知る覚悟に至る経緯、拙いなりに心地よい筆の運びだよ。それに比べ・・小娘の頭ン中はオガ屑かい!?」

 ガラルーダがサラを宥める間に、ロレッツァは便箋を開く。


『ナクラつなぐおそなえするもったいないノルムにジーンはさがす見つからないふたつは選ぶキケンはロレッツァ』

「心意気で書いたな。イテッ、ペンを刺すな。ジーンさまのヒントを見せてくれ」

 ヒントでなく補足だとサラの鼻息は荒い。

『ナクラを頼む。通じるらしい、それと俺は選ぶらしい』


「イリュージャのレベルに合わせたバランスが素晴らしい」

 だからお前は甘いんだよと叱られたガラルーダはサラのペン先の犠牲になり、ああだろう、こうだろうとブツブツ呟くロレッツァは、なーるほどと手を打った。

「ナクラの本体を残したのは通信機代わりだが、お供えは勿体ないから必要ない。ノルムの地に行けばジーンさまに宿る『ふたつ』の妖魔は自我を取りもどすが、これはジーンさまが選ぶことによって明らかになると、まあそんなふうだ」


「なんてことだ。お前を賢いと思う日がくるとは」

 サラの拍手には心がこもっており、それでと最後の一文を指した。

「キケンはロレッツァとはどういう意味だい?」

「危なくなったらロレッツァが助けに来てだって。可愛いな、嫁。今すぐ梨持って会いに行こうか、ぐえっ」

 ガラルーダがロレッツァの首を絞めあげた。

「サラの畑を荒らしたお前は、『麗しぃシミ梨ィ』の肥やしになれ」

「おやめ、ロレッツァのお出汁でバカが蔓延するよ」


 サラはそこに隠された意図に気付いたが言及はしなかった。

「お前は体ごとイリュージャのいる場所に行けるのだね」

 ロレッツァの返事には少し間があって、サラの疑念は確信に変わる。

「行けるそうだ。俺の内にある『ふたつ』と折り合いをつけたからな。しかし行けるだけで戻ることは出来ない」

 わかったとサラはそれ以上を聞かない。


「二人に有事の権限を与える。報告は事後で良い」

 羊皮紙にペンを走らせ、紫色の蝋で封をしてカタリ鳥を喚ぶ。

「好機だ。散った友を王都に召還し、厄介ごとを減らすとしよう」

 サラの改革のすべては、次代王ユージーンに捧げるものである。

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